イングマール・ベルイマン監督が描く自意識の仮面。
映画『仮面/ペルソナ』は、失語症となった女優と、献身的に療養を見守る看護婦の物語です。自意識の境目を無くし、仮面が剥がれていく様子を描いた心理ドラマ。
映画『野いちご』や『処女の泉』など、多くの傑作を生み出したスウェーデンのイングマール・ベルイマン監督が手掛けました。
イングマール・ベルイマン作品に数多く出演するビビ・アンデショーンとリブ・ウルマンが共演しています。
映画『仮面/ペルソナ』の作品情報
【公開】
1966年(スウェーデン映画)
【原題】
Persona
【監督・製作・脚本】
イングマール・ベルイマン
【キャスト】
ビビ・アンデショーン、リブ・ウルマン、グンナール・ビョルンストランド、マルガレータ・クルーク
【作品概要】
映画『野いちご』(1957)や『処女の泉』(1960)のイングマール・ベルイマン監督が、自意識とドッペルゲンガーをテーマに描く、哲学的心理ドラマ。同監督作品に数多く出演するビビ・アンデショーンとリブ・ウルマンが主演。第2回全米批評家協会賞で作品賞・監督賞・主演女優賞を受賞しています。
映画『仮面/ペルソナ』のあらすじとネタバレ
蜘蛛や男性器、磔にされ釘を打たれる手や、サイレント映画の映像が映し出されます。そして、白い部屋には少年がいました。少年は、女性の顔に手を伸ばします。
舞台女優のエリザベートは、上映中に突然口をつぐみ、それ以降、言葉を話せない状態に陥りました。そして言葉だけでなく、身体を動かすことも難しくなります。
エリザベートは検査を受けますが、身体的にも精神的にも、特に問題点は見つかりませんでした。そんなエリザベートの看護を担当するのは、25歳の女性アルマ。
エリザベートの元に、夫からの手紙が届きます。アルマは代わりに読み上げますが、エリザベートはその手紙を取り上げ、息子の写真もろとも破ります。エリザベートには、回復の兆しが見えませんでした。
ベテランの女医が、アルマと共に、海辺の別荘で療養生活を送ることを勧めます。そして「沈黙を貫いて、自分を守って。演技をしているときだけが安らぎならば、気がすむまでどうぞ」とエリザベートを非難します。
エリザベートとアルマの別荘地での療養生活が始まります。アルマは何も語ろうとしないエリザベートに心を開きます。
映画『仮面/ペルソナ』の感想と評価
1999年に公開された映画監督デヴィッド・フィンチャーの代表作『ファイト・クラブ』をはじめ、様々な映画に影響を与えた映画『仮面/ペルソナ』。
冒頭の性や暴力、神、罪をイメージさせるモンタージュ映像には、引き込まれるインパクトがあります。
また、ビビ・アンデショーンとリブ・ウルマンは、お互いが入れ替わるような憑依的な演技を見せ、見事な叙情を表しています。
『仮面/ペルソナ』の中で、アルマは芸術家への崇拝を口にしています。芸術が多くの者を救っているからこそ、アルマはそう語っったのです。
救いの正体とは、映画を始め様々な芸術が、”価値観を定義する”という点にあります。
アルマもエリザベートも、自らを定義するものが他人であることに悩み、お互いの自意識や体を重ね合います。
アルマは、ペルソナの裏である誰にも見せない本能的な人格を吐露し、それが別の人間によるもののようだと、話していました。
隠した人格を自己だと認識できないのであれば、逆に人に見せるペルソナこそが人格であると言えます。そしてそれは、見られることで初めて、人格が人格たり得るということでもあります。
だからこそ、アルマは自己を見失わないよう他人と触れ合います。過去の少年達にとって、アルマは淫らな女性であったと定義されたように、他人の見方によってペルソナは変わります。
物言わぬエリザベートを、アルマは都合良く自分を慰めてくれる他人であると勝手に考え、満たされていました。
もしその”他人”が、自分と同じ性質の人間なら、自分だけでは自己を認識できず、何者であるのかを見失ってしまいます。
アルマとエリザベートは、お互いの感情を共有しすぎたゆえに、お互いのペルソナが剥がれ落ち、自己認識が曖昧になったのです。
そして、自分を見失った者にとっての救いこそが、映画であり写真であり、つまりは芸術なのです。
冒頭のモンタージュの中、サイレント映画が、恐怖を恐怖として描いていました。観客はその映像を介したことにより、恐怖を恐怖と認識できます。芸術は、他人以外の、自己を定義してくれる存在なのです。
まとめ
神の不在、そして死や性について、難解な映画を撮り続けたイングマール・ベルイマンによる映画『仮面/ペルソナ』。
冒頭のモンタージュ映像から結末まで、どこか不安を抱かされる映像美は、非常に見応えがあります。
また、自分しか知らない自分を知っているドッペルゲンガーの恐ろしさや、他人によってでしか自己を認識できないと言った、人間の不完全性を描いております。
それは、ベルイマン作品のテーマである”神の不在”にも繋がっています。人格を定義するのは、神ではありません。
登場人物の怒りでフィルムが焼けるといった斬新な演出は、あの『ファイト・クラブ』でもオマージュされています。
それだけでなく、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』(2001)や、スティーブン・スピルバーグの『ポルターガイスト』(1982)など、多くの映画に、そして多くの映画監督に影響を与えた作品なのです。