映画『僕はイエス様が嫌い』は2019年5月31日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国順次公開!
新人監督・奥山大史の幼き日の個人的体験に根差した意欲作『僕はイエス様が嫌い』。
祖母と一緒に暮らすために、東京から雪深い地にある、ミッション系の小学校に転校する事になった少年ユラ。
そこで彼が経験する出来事は、奥山監督の実体験に基づいて描いた、誰もが共感を覚える普遍性のある物語です。
映画『僕はイエス様が嫌い』
【公開】
2019年(日本映画)
【監督・撮影・脚本・編集】
奥山大史
【キャスト】
佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、木引優子、ただのあっ子、二瓶鮫一、秋山建一、大迫一平、北山雅康、佐伯日菜子
【作品概要】
LOFTのスペシャルムービーや、GUのTVCMなどで撮影の実績を重ねている奥山監督。『僕はイエス様が嫌い』は現在の日本映画には珍しい、スタンダードサイズの画面をあえて選び、シンプルかつ計算された構図で映像を作っています。
セリフも最小限に抑え、聞き取れないような呟き声、祈り声を挿入し、オーバーアクトやエモーショナルな演技を排して、少年時代の日常に潜む神秘的、劇的な体験を静かに描き出します。
サンセバスチャン国際映画祭で最優秀新人監督賞、ストックホルム国際映画祭とダブリン国際映画祭で最優秀撮影賞、マカオ国際映画祭でスペシャル・メンションを受賞した作品です。
映画『僕はイエス様が嫌い』のあらすじ
綺麗に貼られた障子に、指で穴を開ける老人の姿が映し出されます。
小学生の少年星野由来・ユラ(佐藤結良)は両親と共に車で、雪深い地方にある祖母の住む家に向かっていました。
祖母は夫である、冒頭に映し出された老人を亡くし、1人で暮らしていました。ユラは両親と共に、祖母の家で暮らす事になります。
東京ではごく普通の小学校に通っていたユラに、新たに転校したミッション系の小学校での生活は、授業の前のお祈りや礼拝堂での集会など、戸惑いを覚えるものばかりでした。
家では祖母と同じ部屋に寝る事になったユラ。窓の障子は穴だらけで、何故か亡くなった祖父が開けてしまったと、ユラに語る祖母。祖父が穴を開けた理由は、祖母も知りませんでした。
教室に十字架がかけられ、聖書の言葉が記されている環境に、今だに馴染めないでいるユラ。ある日ユラは先生から、祖母の家で仏壇に祭られている亡くなった祖父は、学校で行われる日曜礼拝に、欠かさず参加していたと教えられます。
先生から十字架を担ぐイエス様の画と、その言葉が記されたカードを渡されたユラ。家で祖母に神様は本当にいると思う、と尋ねられたユラは、いないと思うと答えます。
まだ新しい学校で友達が出来ないユラは、休み時間に独り礼拝堂の説教台の前に立ち、神様にこの学校でも友達ができますように、と祈ってみます。
すると目の前の聖書の上に、ちいさなイエス様(チャド・マレーン)が立っていました。ユラの祈りを聞くと宙に浮き、姿を消すイエス様。
礼拝堂を出たユラは、飼育小屋を逃げ出したニワトリを追う同級生、大隈和馬・カズマ(大熊理樹)と出会い、仲良くなります。彼の祈りは叶えられました。
こうして初めての友人、カズマを得たユラの学校生活は充実したものとなり、同時にユラの周辺には小さなイエス様が現れる様になります。その姿はユラにしか見えません。
現れたイエス様に、半信半疑でお金を下さいと祈ってみたユラ。すると祖母が亡き祖父が隠したヘソクリを見つけたと、1000円札を1枚ユラに渡します。
ある日、今夜、流星群が流れると聞いたユラは、カズマと共に流星群を見に行く事になりますが…。
映画『僕はイエス様が嫌い』の感想と評価
神様を意識し始めた少年
タイトルや紹介したあらすじの中にも登場する“小さなイエス様”。まだ映画を見ていない方には、ファンタジー色の強い映画を想像するのではないでしょうか。
しかしこの映画は、実に日常感が満ちた世界になっています。繰り返し登場するユラと家族との食事シーンや、祖母との就寝シーンなど、生活感ある姿を意図して重ねているのです。
カメラも固定したアングルで、計算された構図をもつシンプルなショットが映画の大半を占めています。抑制され安定した画面が、落ち着いた雰囲気を全編に与えています。
参考映像:LOFT「好き」スペシャルムービー第2弾(2017)
奥山監督が撮影した、LOFTの短いキャンペーンムービーの中にも、一見華やかで都会的な映像に見えながら、シンプルなショットで生活感を捕える姿勢は、『僕はイエス様が嫌い』の映像に通じるものがあります。
少ないセリフで、長い時間カメラを向けられて絵になる主人公の少年。奥山監督は主人公のユラ役に、脚本にセリフの無い長いシーンがあっても、カメラを向けられて耐えられる少年を選んだと語っています。
この条件でオーディションを行い、ユラ役に選ばれたのが佐藤結良君です。彼の自然な演技と独特の存在感は、監督の期待に充分応えるものでした。
こうして築かれた抑制された日常感も、ファンタジー的で時にコミカルでもある“小さなイエス様”の描き方一つで、全て壊してしまう事にもなりかねません。
その為に奥村監督は“小さなイエス様”の合成が自然に見えるよう、徹底して拘っています。こういった理由から、撮影後のポスプロ作業に、撮影費と同じ位の金額を費やしたと語っています。
サン・セバスチャン国際映画祭から認められる
映画の中に時にコミカルな“小さなイエス様”が登場する映画。また辛い試練に遭遇したユラは、大きな悲劇の前にした時の神の無力に、絶望を覚えます。
この様な宗教的なテーマを持つ映画を作って、日本はともかくキリスト教圏の人々に受け入れられるのか、正直不安を覚えました。しかしそれは杞憂に過ぎませんでした。
カトリック教圏であるスペイン・バスク地方で開かれるサン・セバスチャン国際映画祭。『僕はイエス様が嫌い』はここで、最優秀新人監督賞を受賞しました。
現地の映画祭での上映では、観客から熱烈な喝采を浴びたそうです。奥山監督は現地の方から、どうしてあなたは日本人なのに、私たちカトリック教徒の気持ちがわかるの、との質問を受けたと語っています。
熱心なキリスト教徒ほど、悲劇に遭遇した時の神の無力に絶望を感じ、それに折り合いを付けて、新たな人生を神と共に歩んでいます。
映画はそんな悲劇を幼くして経験した少年の姿を、見事に描いているとサン・セバスチャンの人々に認められました。
まとめ
『僕はイエス様が嫌い』で見せた、卓越した撮影技術と表現力は、各映画祭で高く評価されています。
そして宗教的なテーマも普遍的な物として、海外からも受け入れられています。
映画の主題は、奥山大史監督が幼い頃に経験した、個人的体験に基づいています。しかし奥山監督はあえて自分の実体験の映画化に拘らず、画になる作品になるように脚本を書き上げました。
その結果が海外の人々にも受け入れられる、見事な人間ドラマとして結実しました。
多くの映画監督が、自分の作品を様々な人に捧げています。
しかし奥山監督ほど、この映画を捧げた相手に対し、真摯な作品を作った映画監督も珍しいのではないでしょうか。
奥山監督が誰に対して、その為に誠実な映画を作った事実を、是非この映画をご覧になって確認して下さい。