都市開発のかげで追いやられる路上生活者たちを描く社会派映画
デビュー作『トレイシー』(2018)が、東京国際映画祭で上映された注目の監督ジュン・リー。
長編2作目となる本作は、「通州街ホームレス荷物強制撤去事件」をベースに、路上生活者たちの尊厳の闘いや移民の問題など様々な問題を浮き彫りにしています。
香港アカデミー賞11部門、台湾アカデミー賞12部門を席捲し、「香港映画祭2022」で動員数No.1となりました。
刑務所を出たファイ(フランシス・ン)は、深水埗のかつての路上生活仲間のところに戻ります。
すると出所祝いにと、ラムじい(ツェー・クワンホウ)がヤクをファイに渡します。ヤクを売って眠ってしまったファイは、事前通告なしに現れた食物環境衛生署の職員によって起こされ、家も身分証明書も失ってしまいます。
新人ソーシャルワーカーのホー(セシリア・チョイ)は、食物環境衛生署は正しい手続きで撤去を行なっていないとし、裁判をするよう皆に提案し、ファイらは政府に対し賠償と謝罪を求め裁判を起こすのでした。
映画『香港の流れ者たち』の作品情報
【日本公開】
2023年(香港映画)
【監督・脚本】
ジュン・リー
【編集】
ヘイワード・マック、ジュン・リー
【キャスト】
フランシス・ン、ツェー・クワンホウ、ロレッタ・リー、セシリア・チョイ、チュー・パクホン、ベイビー・ボウ、ウィル・オー
【作品概要】
『ザ・ミッション 非情の掟』(2001)、『エグザイル 絆』(2008)のフランシス・ン、『バーニング・ダウン 爆発都市』(2022)のツェー・クワンホウとベテラン俳優のほか、『返校 言葉が消えた日』(2021)のセシリア・チョイ、『縁路はるばる』(2023)のウィル・オーなど新鋭の役者まで多彩なキャストが顔を揃えます。
題材となった「通州街ホームレス荷物強制撤去事件」とは、2012年に食物環境衛生署が事前通告なしに、通州街の路上生活者40名以上の所持品を廃棄したことに対し、路上生活者たちが政府に対して賠償と謝罪を求めて裁判を起こした事件のことです。
政府は路上生活者1人に対し、2000香港ドルの賠償金を提示し、謝罪については拒否しました。その後2015、2019年にも同様の事件が起きています。裁判の中で他界した方もいるのが現状です。
映画『香港の流れ者たち』のあらすじとネタバレ
刑務所を出所したファイ(フランシス・ン)は、かつての仲間のいる深水埗に戻ってきます。
ファイを出迎えたラムじい(ツェー・クワンホウ)は、出所祝いだとヤクを手渡します。ヤクを打って眠ってしまったファイでしたが、事前通告なしに現れた食物環境衛生署の職員によって起こされます。
自身と息子の写真が飾られた写真たてを捨てられたファイは怒り、それはゴミじゃないと言いますが、職員は聞く耳を持ちません。ファイが怒ってゴミ袋を取り上げると職務妨害で逮捕すると脅されます。
ヤク中のダイセン(チュー・パクホン)、皿洗いをして半身不随になってしまった妹・ラン(ベイビー・ボウ)と暮らすチャン(ロレッタ・リー)などファイの仲間たちも回収される荷物を黙って見ることしかできませんでした。
そんなファイたちに、新人のソーシャルワーカーのホー(セシリア・チョイ)は、とられたものを聞いてメモをし、食物環境衛生署は正当な手続きで荷物の撤去をしていないと言います。
「あなたたちは訴えることもできるが、どうしたいですか」とホーが問いかけるとファイは裁判に前向きな態度を示します。しかし、皆前科者で相手にされないとあまり乗り気ではありませんでしたが、ファイの頑固さに負けて裁判を起こすことにします。
「路上生活者も人間だ」と政府に対し賠償と謝罪を求めてファイらは横断幕を持ち、メディアの前で主張します。するとその反響でインタビューや大学生が支援にやってくるようになります。
しかし、皆なぜ路上生活をすることになったのか、薬の依存症になってしまった理由など、本来の論点とは違うファイたちの事情を知りたがることにファイは釈然としない気持ちでいます。
そんなときファイは1人の青年に出会います。ハーモニカを吹く失語症の少年をどこか放っておけないファイは仲間に引き込み、名前を聞きます。
「何だっていい」と名前を名乗らない青年にファイは「モク」という名前をつけます。ファイはモクや仲間たちと協力して高架下にダンボールで家を作り皆で協力しながら生活をし始め、モクも仲間たちに打ち解けていきます。
映画『香港の流れ者たち』の感想と評価
実際に起きた事件をもとに、路上生活者の尊厳の闘いを描いた『香港の流れ者たち』。
ファイをはじめ、路上生活をしている仲間たちは自分の人生において何かしら後悔を抱き、自分自身に対して情けないクズ扱いされても仕方ないと思っている部分はあります。
それでも人間であると尊厳を取り戻すために闘おうとするのです。
詳しくは明かされませんが、ファイは息子を亡くしそのことを後悔しています。
また、路上生活者の多くが薬の依存症になっています。ファイが、ホーにラムじいが出所したばかりの仲間に薬を渡すのは、引きずり込むためだと言います。
路上生活者は自分たちの仲間が更生して、1人で残されることを恐怖しながらも、どこかでこの生活から抜け出したいと思っています。
誰もがこの生活を抜け出したいと足掻いては、仲間に引きずり込まれたり、自分の弱さに負けて逆戻りしてしまう、その繰り返しです。
確かに薬に手を出してしまうのは己の弱さゆえで自己責任かもしれません。
一方で、彼らに対する支援の手が一切ない現状も見受けられます。
しかし、支援は一筋縄ではいかず、難しい現状も描かれています。
新人ソーシャルワーカーのホーは親身になって路上生活者たちの生活を改善しようとしますが、どこまでも彼女は外部の人間にすぎません。
ファイは、ホーに対して「あんたの支援を受ける義理はない」という場面もあります。
最終的には路上生活者自身の決断でしか変えられないこともあるのです。
距離感を保ちながら外部の人間であるからこそできる支援を続けていくしかありません。それは心が折れることもあるでしょう。
そのことがわかっているから、ソーシャルワーカーの上司はホーにあまり肩入れしすぎないようにと言うのです。
ホー自身も、彼らの支援を通して悩み、葛藤します。それでも彼らと向き合い続けます。
しかし、彼女の他に彼らの叫びを真剣に聞こうとする人はいません。
1人で何かを変えることはそう簡単なことではなく、心も折れてしまいます。それでも向き合い続け、行動することが何かの変化に繋がるかもしれません。
自分にできることを探し続けることが何より大切なのかもしれないと考えさせられます。
まとめ
本作の撮影はコロナ禍前に行われたと言います。コロナ禍前の香港の様子を表しているという点でも興味深い映画といえます。
更に、香港はコロナ禍の2019-2020年に大規模な民主化デモが起きたことは皆さんの記憶にも残っているはずです。
2016年の雨傘運動を経て、香港の民衆に対する弾圧は強まり、2019年に逃亡犯条例改正案が提出されその法案に反対する民衆運動が巻き起こりました。
「光復香港、時代革命」(香港を取り戻せ、時代の革命だ)とスローガンを掲げた民衆運動が広まりを見せる中で警察は催涙弾、ゴム弾だけでなく実弾まで使用する展開へとなり多くの人が怪我をし、自死を持ってメッセージを伝えようとするものまで出ました。
そのような経緯を考えると、激動の香港で本作に出ている路上生活者たちはどこに流れ着いたのか、流れ着く場所はあるのでしょうか。
路上生活者だけでなく、香港の民全ての尊厳と自由への闘いは終わることなく続いている現状に胸が痛くなります。
また、路上生活者の問題は香港だけでなく、日本にも言えることではないでしょうか。日本でも都市部に数多くの路上生活者がいましたが、駅のホームなどで生活する路上生活者は追われ、都市部でも都市開発の度に追いやられている現状があります。
2004年から東京都では「ホームレス地域生活移行支援事業」が始まり、就業支援や格安でアパートを借したりと支援はしていますが、それが十分とはいえないでしょう。
それ以上に、路上生活者に対して世間の多くの人々は関心を持っていないでしょう。世間の無関心が行政が弱者に対し不当な扱いをすることを許しているともいえます。
ファイらが政府に対し裁判を起こした際、最初はメディアも関心を持ち、ファイらの住む場所に大学生が支援にやってきたりしましたが、徐々にその数も少なくなっていきます。
最後まで見捨てなかったのは、ソーシャルワーカーのホーだけでした。しかもソーシャルワーカーの他の人はあまり関心を持たずホーに協力しようともしていません。
そのような現実があること、観客である自分自身も無関心なマジョリティの1人であることを改めて考えさせられる映画です。