ミヒャエル・ハネケ監督の映画『ハッピーエンド』は、3月3日より角川シネマ有楽町ほか全国順次公開!
『白いリボン』『愛、アムール』と2作連続でカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高金賞)を受賞した奇才ミヒャエル・ハネケの5年ぶりの新作。
同じ屋根の下に住む裕福な3家族の関係性を描く中で、SNSや移民などの現代社会の問題を描き出します。
監督が「”不快”な映画を作ろうとした」と語った今作の意図するところとは?
CONTENTS
1.映画『ハッピーエンド』の作品情報
【公開】
2018年(フランス・ドイツ・オーストリア合作映画)
【原題】
HAPPY END
【監督】
ミヒャエル・ハネケ
【キャスト】
イザベル・ユペール、ジャン=ルイ・トランティニャン、マチュー・カソヴィッツ、ファンティーヌ・アルドゥアン、フランツ・ロゴフスキ、ローラ・ファーリンデン、トビー・ジョーンズ
【作品概要】
フランス、カレーに住む裕福なブルジョワジーの家族。弟が前妻との子を呼び寄せたたことにより、この少女と祖父との奇妙な関係が始まる。
SNSや移民問題といった現代社会の闇に切り込む衝撃作。
演出は『白いリボン』『愛、アムール』の2作連続でカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した名匠ミヒャエル・ハネケ監督。
『愛、アムール』で親子役を演じたジャン=ルイ・トランティニャンとイザベル・ユペールが、再び親子役で共演し、『少女ファニーと運命の旅』に出演したファンティーヌ・アルドゥアンが、重要な役柄に抜擢されています。
2.映画『ハッピーエンド』のあらすじとネタバレ
エヴが家族として迎え入れられる
13歳の少女エヴは母とのふたり暮らしです。
愚痴ばかり言う母にうんざりし、育てていたハムスターで実験したのと同じように、薬を盛ります。
母が倒れた様子は撮影してSNSに投稿。
入院することになった母と離れて、父トマが暮らす家に住むことになりました。
この家にはトマとその現在の妻アナイスと息子、トマの姉のアンヌとその息子ピエール、アンヌとトマの父であり、エヴの祖父であるジョルジュ、そして使用人として働くモロッコ人の家族が住んでいます。
アンヌは息子のピエールとともに建設会社の重役を務めています。
エヴが来た日、建設現場では事故が起こり負傷者も出てしまいました。
アンヌは多方面に連絡をし、その場をうまく取り繕います。
一方、責任者であるピエールはうまく振舞うことができません。
この二人は食卓で嫌味を言い合い、不仲でした。
医者のトマは妻のアナイスと息子を愛していますが、帰ってくるのはいつも夜遅くになってしまいます。
夜にはチャットである女性と卑猥なやりとりをしています。
その内容からは、彼が非常に偏った性癖を持っているということがわかります。
ジョルジュの自死未遂
ある朝、ジョルジュの姿が見えないことに使用人のラシッドが気づきます。
ジョルジュは前の晩に一人車を運転し、追突事故を起こしていました。
自死未遂が疑われるも、真相はわかりません。
一命を取り留めたものの車椅子生活を送らざるを得なくなったジョルジュ。
あらゆる人たちに銃を用意してくれと頼みます。しかし、誰も取り合ってはくれません。
そんなある日、ジョルジュの誕生日パーティが開かれます。
家族が一堂に会し、ゲストもたくさん参加してくれました。
パーティでチェロの演奏を披露していた女性は、トマのチャットの相手でしたが、二人が話すことは一切ありません。
エヴがアンヌによって招待客に紹介されるようすも、どこかギクシャクしています。
ピエールが使用人たちを差別的な言葉で紹介したことで、パーティの雰囲気を悪くします。
3.映画『ハッピーエンド』の感想と評価
本作『ハッピーエンド』も、ミヒャエル・ハネケ監督らしい作品でしたね。
この作品を見た観客にテーマに触れるだけのプロットのみを与え、“観客に能動的に考えろ”と参加を問いかける映画でした。
それゆえに解釈がとっても難しく、見た観客の数だけ感想があり、それも異なる多様さがあるのではないかと思います。
SNSと移民で描かれていたものは
やはり、今回の注目したいテーマはSNSや移民でしょう。
特にドラマツルギーのアイテムとして、SNSの要素はとても効果的に描かれていました。
映画が始まった瞬間から、縦長のスマホ特有の画角の映像が観客に示されるのも特徴的です。
母と思われる人が歯を磨き、用を足し、電気を消すまでを遠くから撮影しています。
まるで実験動物を観察するように、被写体となる彼女とエヴには距離感がありました。
次の映像では、飼っているペットのハムスターに薬を盛り、死んでいく様子を黙々と映し出します。
そして「これなら使えそうかも」と呟くのです。
その後の映像で、母親が倒れたらしいことが分かり、「黙らせるのは簡単」とエヴはまたも呟きます。
これらSNSへの投稿映像に作品冒頭から見る者は衝撃を受けてしまいます。
エヴの家族に対する無関心さ、そしてSNSというツールの使い方に多くの人が疑問を持つことでしょう。
そんなエヴは、やがて繋がりの希薄な家族が住む家へと移ります。
ここでもトマのチャットや、ピエールとアンヌの不仲という問題が裏側に潜んでいます。
彼らは家で本音を言い合えず、受け入れてくれるという“安心を得られる家”ではなくなっているのです。
だからこそSNSやチャットという、不特定多数が匿名的に関わることができ、都合のいい相手だけと関わることができるツールに逃げ込んでいるのだということができます。
その点で移民が多く住むカレーという地もまた、SNSの特性と似ているといえるのではないでしょうか。
本性を明らかにしないまま、それぞれの事情を抱え一つの家に住む彼らは、カレーに集まっている移民のようなものだと指摘もできるでしょう。
作品のテーマを深堀りするのに、移民とSNSというアイテムが対照的に繋がるはずです。
また、ハネケ監督がこのような描写から、現代社会を非常にリアルに見つめていることも分かります。
TwitterやInstagramなどの様々なSNSは、現実社会とネット社会をある意味においては分離させてしまいます。
見せたいモノだけを見せ、都合のいい人だけと付き合うことが可能です。
例えば、人によっては趣味などに使うアカウントを分けることもあります。
本来の自分とは違う、“もう1人の自分”を作り上げて行くことで、次第に“ネットに存在する自分”が本物という感覚になる人も出てきているのではないでしょうか。
だから家族という関係性が形式的な枠となり、深い繋がりは希薄になっていき、“本来の自分”の方がまるで実態のないノイズのようになってしまうのです。
これらのことをハネケ監督は、長回しのロング・テイクや、わざと遠くからロング・ショットで撮影を行い、共感を促すような音楽を用いないような手法で表現しています。
まるで身近な人のことなのに、傍観者として感情移入することなく眺めているような気持ちに観客をさせています。
重大ニュースが書かれていても、チラ見して、スクロールして飛ばしてしまう時のような感覚に似たようなものを感じます。
だからこそ、“観客に能動的に考えろ”と参加を問いかける映画の楽しみを見出すことができるのでしょう。
結局、どこが?ハッピーエンド?
本作『ハッピーエンド』をご覧いただいた観客が気になったのは、「どこがハッピーエンド」だったか、ということかもしれません。
この作品の原題も邦題と同じく“Happy End”なので、まごうことなく「ハッピーエンド」を描いている物語はず…。
しかし実際にエンディングでは、一般的に考えるとハッピーエンドな終わり方ではないですよね。
では、一体どこがどのように“ハッピーエンド”だったのでしょうか。
タイトルにある『ハッピーエンド』の意味は、ハネケ監督が得意の皮肉さが炸裂したものだと考えられます。
作品の終局をハッピーエンドと観客にイメージさせることで、観客にこの矛盾について考えさせようとしているのではないでしょうか。
受動的な観客の感情や倫理観は放っておき、ジョルジュとエヴにとっては、このラストこそが、“ハッピーエンド”であったという問いを能動的な観客であるのなら解釈しても、決して間違いではないはずです。
ジョルジュはあの屋敷で、足が不自由なままいるのは苦痛で死にたいと思っていました。
また、ジョルジュは病に苦しむ妻を愛情から救いたいと殺めた過去を持っています。
そんな時に、エヴと出会いました。
エヴは人へあまり関心を持っていませんが、SNSのネタになりそうなことには関心があります。
また、心の安心を得られる世界が現実にないのであれば、死が魅力的に見えたことでしょう。
自死未遂をしているエヴは、ジョルジュが死を求めていることに、何も不思議も抱かないのです。
ジョルジュはそんなエヴの助けを借り、双方にメリットがある状態で、ジョルジュは海へ身を投げることに成功したのです。
これ以上にいったい、“どのようなハッピーエンド”があるでしょう。
しかし、一般的な観客からの視点からすれば、自死をほう助するのは倫理に背き法にも反することで、決してハッピーエンドには見えません。
それでもこれも“ハッピーエンド”だと言えるような状況が、実際には現代社会にあるのだとハネケ監督は鋭く指摘しているのです。
“観客に能動的に考えろ”とハネケ監督は、作品を観る者を挑発しています。
また、本作『ハッピーエンド』を世界中で観た観客たちが、今読んでいる記事のように作品の感想や考察を、まさにネット上のSNSで多様性のある視点で意見を語られることすら、ハネケ監督は予期していたはずです。
あえて矛盾するような作品タイトルを付け、炎上させることが彼の狙いで、“もう一つのハッピーエンド”だったのかもしれませんね。
まとめ
観客が映画に参加する能動的な意識を持たないと、かなり解釈の難しい映画であることは事実です。
それはミヒャエル・ハネケ監督の現実社会に真摯に生きているからこそ、こだわりを持った上質な作品であるからこそ。
映画を観た観客のそれぞれに異なる多様性のある意見を持つことができるという証は、作品の豊饒さと言っても良いでしょう。
【『ハッピーエンド』を深堀りする鑑賞ポイント】
・SNSと移民というモチーフが家族のあり方のテーマに反映されている
・作品タイトル『ハッピーエンド』はハネケ監督流の皮肉を意味する
スクリーンのフレーム内の隅々まで計算されたロング・ショットやロング・テイクを手法にハネケ作品を見た後は、知恵熱が出そうになるほど考えさせられます。
近年の映画の傾向は、受動的な観客に分かり易いストーリーでスペクタクルな作品が多いですが、ハネケ作品のような能動的に観なければならない映画も、また必要だなとしみじみと思います。
かなりご高齢となった監督ですが、現代社会にメスを入れるような次回作も期待したいですね。