品行方正からは傑作は誕生しない、魔性に魂を込めた葛飾北斎の一面に迫る
映画『北斎漫画』は、矢代静一が1973年に発表した同名の戯曲が原作です。
『愛妻物語』(1951)で監督デビューし、モスクワ映画祭グランプリ作品『裸の島』(1960)や『鬼婆』(1964)など、性のタブーや社会派映画を手掛け、“表現の自由と思想の自由”を貫いた、新藤兼人が監督を務めました。
葛飾北斎は『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』などの代表作がある世界的に有名な画家です。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を創作しました。
その北斎と娘お栄、北斎と共に江戸後期の化政文化を大きく担った、滝沢馬琴(曲亭馬琴)との交流を描いた映画『北斎漫画』をご紹介します。
映画『北斎漫画』の作品情報
【公開】
1981年(日本映画)
【原題】
Edo Porn
【監督・脚本】
新藤兼人
【原作】
矢代静一
【キャスト】
緒形拳、西田敏行、田中裕子、樋口可南子、乙羽信子、佐瀬陽一、殿山泰司、宍戸錠 、大村崑、愛川欽也、梅津栄、戸浦六宏、観世栄夫、大塚国夫、森塚敏、今井和子、フランキー堺
【作品概要】
映画『北斎漫画』は、性のタブーや社会派映画を手掛け、『讃歌』(1972)や『心』(1973)などで“表現の自由と思想の自由”を貫いた新藤兼人が監督を務めました。
葛飾北斎役には『楢山節考』『陽暉楼』『魚影の群れ』(1983)、『火宅の人』(1986)などで、 日本アカデミー賞主演男優賞を受賞した緒形拳が演じます。緒形拳は戯曲『北斎漫画』でも主演を務めました。
葛飾北斎の娘お栄は、15歳から70歳まで田中裕子が演じて話題となり、第5回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞しました。
滝沢馬琴は、『敦煌』(1988年)で日本アカデミー賞主演男優賞受賞、「釣りバカ日誌」シリーズで人気となった西田敏行が演じます。
映画『北斎漫画』のあらすじとネタバレ
突然の夕立に江戸庶民は、慌てて商店の軒先に逃げ込みます。鉄蔵(葛飾北斎)はかまわず土砂降りの中、ずぶ濡れになりながら走り抜けます。
鉄蔵は銭湯で十返舎一九が、改名を機に考えたという“辞世の句”を聞きます。
「この世をば どりゃ おいとまに せん香の 煙とともに はい(灰)左様なら」一九は、昨日までの自分とは左様ならという意味だと言います。
そこへ太助(式亭三馬)が会話に加わり、“浮世風呂”の構想を話し、創作の意気込みを語ります。
一九は鉄蔵に世間で話題になっている浮世絵師、“歌麿”について話します。
“天下の浮世絵師”といった風貌で君臨し、“大首絵(美人画)”や“わ印(枕絵)”を絶賛し、鉄蔵にはっぱをかけます。
鉄蔵は歌麿の美人画と枕絵を見ながら、「なんだい! ただ奇麗なだけじゃないか! 活きてない!」と負け惜しみを言って破り捨てます。
ふと、橋のたもとの柳の下を見ると、ホオヅキを口の中で鳴らし、佇む色白の美女をみつけて声をかけます。
女は何も言わずにホオズキを鳴らしながら、艶めかしく鉄蔵をみつめます。
鉄蔵は履物屋を営む、左七(滝沢馬琴)の家で居候になっています。
鉄蔵は、女を連れて帰ると間借りしてる2階に行き、寝ている娘のお栄を起こすと、女を裸にしてその姿を描き始めます。
女のうつろな表情、白く透き通るような艶めかしい肌、鉄蔵は夢中になって彼女を描きます。
そして、鉄蔵を誘惑するような仕草をすると、彼はとっさに女の乳房を掴みます。しかし女は「そんなつもりで連れ込んだの?」と言い放ち、鉄蔵も我に返ります。
女の名前は“お直”といい、若い男よりも老いた男の方が好みと、鉄蔵に話していました。
鉄蔵の実家は幕府御用達鏡磨師、中島伊勢の家ですが勘当されています。鉄蔵は庭へ回ると、そこらの大名よりも金持ちだとお直に言います。
お直は鉄蔵に「お前は何をしてるんだい?」と訊ねると、絵師だという鉄蔵にお直は馬鹿にして笑い、ろくでもない絵を描いてると言います。
鉄蔵は「夕立が…ザザザーーっとやってくるんだ」と語り始めます。
人は夕立なのだから、一時雨宿りしてればいいというが、ずぶ濡れになりながら歩き、弾みがついたら駆け出すのが自分だと言います。
時々、自分の中に夕立みたいな衝動がおき、何もかもを捨てて、新規巻きなおす時があるということです。
そこに父親の伊勢が現れ、用は何かと聞きます。鉄蔵は金の無心に来たと率直に答え、女が伊勢の眼鏡に敵うか連れて来たと言います。
しかし、伊勢は鉄蔵への援助はこれで打ち切ると告げます。鉄蔵は反対を押し切り、絵師になると家を出ており、その時に縁を切ったと言い放ちます。
子供のなかった伊勢は、葛飾郡本所の貧しい家の子供だった鉄蔵を養子にしていました。
中島家に出入りしていた、シジミ売りの叔父が連れて歩いていて、幼い頃は利発な子だったから養子にしたが…と、ぼやきます。
伊勢が鏡研ぎの跡継ぎとして迎えたというと、鉄蔵は跡を継いで余技で絵も習うと言い出します。
鉄蔵は家を出てから会派を問わず、何人も師を変え、腰を据えて修行に精進しません。伊勢はそんな中途半端な鉄蔵を見限りました。
お直は伊勢の元に残され、伊勢は彼女が持つ魔性の美しさに夢中となりますが、お直はその気持ちをもてあそびます。
一方、鉄蔵はお直の面影を思い浮かべ、憑りつかれたように枕絵を何枚も描き、そんな鉄蔵を面白く思わないのがお栄です。
間借りしている履物屋の左七は旗本の家来の家系でしたが、武家が困窮していた時代に、履物屋の婿養子に入っていました。
左七は読本作家を志していましたが、年上の女房お百は家で執筆することを禁じ、朝から晩まで絵を描いている鉄蔵のことも、快く思っていませんでした。
鉄蔵はお直を手放してから、飲んだくれてしまったとお栄は言います。そんな鉄蔵はある日、狩野融川宅を訪れ融川の絵を、構図がおかしいと指摘し破門されてしまいます。
そのことをしたり顔で左七とお栄に話すと、お栄から絵とはいろいろな描き方があって、そろばん勘定みたいにきちっと揃っていたら、つまらない絵になると諭されます。
更に鉄蔵の絵が売れないのは、偉い絵師の良いところばかりを盗んで、つなぎ合わせケチのつけようのない絵ばかりだからと、的確かつ辛辣なことを言われます。
そんなところに、生気のない顔をした伊勢が鉄蔵を訪ねてきます。
映画『北斎漫画』の感想と評価
映画『北斎漫画』の見どころは、田中裕子と樋口可南子が惜しみなく、美しい裸体をさらしたことや、緒形拳と西田敏行の特殊メイクと名演技であったといえます。
しかし、原作者の矢代静一が描きたかったことは、作中で北斎が言っていた「人には誰にでも魔性の部分を持っている」という部分でしょう。
名高い浮世絵師、作家であってもその“魔性”の部分がなければ、傑作は誕生しなかったと伝えたかったのではないでしょうか。
新藤兼人監督もまた、社会派作品、性のタブーに挑戦した映画監督として、その魔性の部分をフィルムに投じた人物といえます。
2人のインスピレーションが融合し、舞台からスクリーンへ生まれ変わった作品でした。
現代映画ではなかなか表現、発表できない世界が、この『北斎漫画』にはあると言えます。
まるでそれは江戸後期の幕府制度が厳格に取り締まられていたように、現在の映画界も閉塞感があると否めないと感じました。
知っておきたい史実と脚色の違い
本来、『北斎漫画』とは“絵手本”といって、花鳥、風景、道具、人の表情など、日常にあるものを思いつたときに、気ままにスケッチした画集のことです。
その『北斎漫画』が映画の題名になったのは、葛飾北斎の生涯をスケッチしたという意味合もあるのでしょう。
さて、映画『北斎漫画』は戯曲として、脚色された作品であるため史実とのズレが多くあります。
例えば、北斎は2度結婚していて2男4女を儲けています。お栄は三女で実は結婚歴もあります。
本作の北斎の最期は孤独で寂しいものに見えますが、実際には弟子が数名おり、北斎の時世、今際の際に言った言葉などを記録しています。
お栄の生涯も北斎のアシスタントのような立場と、葛飾応為と名乗る絵師として活躍もしました。
曲亭馬琴との関係も、作家と挿絵師というコンビは約10年間です。葛飾北斎も浮世絵師として、不動の地位を得ていったので、自然にコンビが解消されたと考えられています。
本作は北斎と馬琴の有名なエピソードに焦点をあて、架空の人物“お直”を登場させることで、戯曲の北斎一生をドラマ仕立てにしていました。
また、北斎には素性のわからない、2代目北斎を名乗る者がいます。
本作の後半で馬琴から金を借りるため、北斎の弟子になりたいという、馬琴の甥に北斎の名前を10両で譲ると言ったのが、この2代目北斎に絡めた脚本ではと考えることもできるでしょう。
このようにこの映画は、“忠実な史実ではない”ということを前提に、葛飾北斎の“もしも”的なフィクションとして、表現した作品として観ることができます。
知っておきたい芸術的文化への弾圧
本作では重要な一面も扱っていました。それは庶民の娯楽、芸術への制限制圧する幕府の政策です。
1790年「寛政の改革」の“改め印制度”によって、贅沢につながるものが規制され、たびたび浮世絵界も取り締まりがされていました。
のちの1804年頃の江戸幕府は、織田信長や豊臣秀吉の時代の人物を扱った、浮世絵や読本を禁止したために、歌麿は手鎖50日の処分を受けます。
歌麿の作品は世の中に悪い影響を与えるとして、目をつけられることが多くあったようです。
北斎の仕事が歌麿の影に隠れていた時代、お栄がわざと歌麿の大首絵を幕府に密告しようとしたほどに、芸術家の生業に影響与える制度でした。
まとめ
映画『北斎漫画』は葛飾北斎と彼にまつわる人々、同じ時代に生きた文人や絵師の様子を描いた、絵見本のような作品でした。
浮世絵のような美しさと、斬新なアイデアで浮世絵の世界を表現した秀逸作です。
また、今観ることで、一世を風靡した浮世絵師や作家の姿を通し、現代の映像業界にさらなる情熱を掻き立てようとする作品ともとれました。