永遠のスター、ジェームズ・ディーンの煌めく魅力を映し出す名作
ジェームズ・ディーンが映画初主演を務め、スターの地位を確立した青春映画の金字塔『エデンの東』。家族との愛に飢える孤独で純粋な主人公の青年・キャルと家族との確執を描き出します。
『欲望という名の電車』(1952)『波止場』(1954)の名匠エリア・カザン監督が、旧約聖書のカインとアベルの物語をベースにしたジョン・スタインベックの同名小説を実写化しました。
アカデミー賞で監督賞はじめ数々の賞にノミネートされたほか、ゴールデングローブ賞作品賞やカンヌ国際映画祭映画賞も受賞しました。
共演はジュリー・ハリス、レイモンド・マッセイ、ジョー・ヴァン・フリート。
映画『エデンの東』の作品情報
【公開】
1955年(アメリカ映画)
【原作】
ジョン・スタインベック
【脚本】
ポール・オズボーン
【監督・製作】
エリア・カザン
【出演】
ジェームズ・ディーン、ジュリー・ハリス、レイモンド・マッセイ、ジョー・ヴァン・フリート、リチャード・ダヴァロス
【作品概要】
永遠のスター俳優、ジェームズ・ディーンの映画初主演作。彼はこの一作でスターの座に駆け上り、その後も『理由なき反抗』(1956)『ジャイアンツ』(1956)などの名作に出演しました。
監督を、アカデミー賞4冠の名作『欲望という名の電車』(1952)や8冠の『波止場』(1954)、『草原の輝き』(1961)、『紳士協定』(1987)など数々の名作を生み出した巨匠エリア・カザンが務めています。
ジョン・スタインベックの同名小説を原作に、後半部分をポール・オズボーンが脚色しました。
共演はジュリー・ハリス、レイモンド・マッセイ、リチャード・ダヴァロス。主人公キャルの母を演じたジョー・ヴァン・フリートはアカデミー賞助演女優賞を受賞しています。
映画『エデンの東』のあらすじとネタバレ
1917年、アメリカカリフォルニア州の静かな町サリナスに住むキャルは、列車の屋根の上に乗って漁港モントレーまで行き、中年女性のケートの後をつけていました。
酒場を経営する商売女のケートは、死んだと聞かされていた彼の母親かもしれない女性でした。会って話をしたいと言うキャルを、用心棒が追い返します。
帰宅すると、きょうだいのアロンとその恋人のアブラがいました。父のアダムと折り合いが悪いキャルに対し、アロンはかわいがられていました。
野菜を冷蔵保存するアイデアに夢中のアダム。しかしキャルは、アメリカが参戦すれば大豆トウモロコシで儲かるから氷はいらないと言ってしまいます。
ストレスから自分の感情をコントロールできず、氷を壊し始めるキャル。聖書を引用しながら彼を叱る父に、キャルは自分は昔から腐ってるがアロンはいい子だ、自分は悪だけ譲られたと落ち込みます。父は「違う。人は道を選べる」と必死で語りかけます。
生きている母についてキャルは父に問います。父は息子たちを苦しめないために嘘をついていました。
双子が生まれた後、東部に行ったと話す父に、母は悪人なのかと聞くキャル。父は、母には何かが欠けており、憎しみにあふれた女だったと答えます。そして「手がきれいだった」と。
自分がどんな人間かを知りたいからもっと話してとキャルはすがりますが、父は何も便りがないと言うばかりでした。
再びキャルはケートの酒場に向かい、彼女がイスで眠っていた部屋に入り込みます。手袋をした彼女の手をみつめるキャル。正座して話があるから聞いてほしいとケートに言いますが、保安官に引き渡されてしまいます。
父の旧友だった保安官は、アダムとケートの結婚写真を見せました。ケートが母と確信したキャルは、「ケートは悪い女だし僕も悪い子だからそうだと思った。母も父も憎い」と言います。
保安官はケートは美人で生き生きしていたこと、アダムは世間知らずだったこと、そして母が父を撃ったことを話します。
父さんがひどいことをしたのかと聞くキャルに、保安官は父はケートに尽くしていた、「父は善人だと忘れるな」と答えます。
野菜を氷らせながら鼻歌を歌う父を、キャルは笑顔で見ていました。
映画『エデンの東』の感想と評価
伝説のスター、ジェームズ・ディーンの魅力
名作『エデンの東』は24歳で自動車事故で早逝した伝説的スター、ジェームズ・ディーンの映画初主演作です。
本作の後、『理由なき反抗』『ジャイアンツ』という名作に出演するものの、彼が生きている間に世に知られることはありませんでした。
劇中の青年・キャルは家族の愛に飢えた孤独な青年ですが、ディーンもまた父からは冷たくされ、母を早くに亡くして孤独な人生を送ってきました。シニカルで傷つきやすい青年・キャルは、まさにジェームズ・ディーンそのものだったといえます。
キャルはいつも正しい善人の父と、父によく似た双子のきょうだいのアロンと暮らしていました。自分だけが善人ではないことに苦しんでいた彼は、自分とよく似たどこか不良じみた母の存在を知り、彼女に似ているから自分は父に愛されないことに苦悩します。
母の手がきれいだったという父の言葉を信じて母の手をじっとみつめたり、父の誕生祝をサプライズでしかけたりと、キャルはねじまがった性格の裏に、実は子どものようにとても素直な面を持ち合わせています。
しかし期待を裏切られるとコントロールのきかないとてつもない激情にかられ、すべてを破壊してしまうのです。
最終的にはひどい形でアロンを母に再会させ、彼の心を打ち砕いて戦地へと送り込むことになり、ショックを受けた父は卒中で倒れます。
本作は聖書における「カインとアベル」の物語をベースに描かれています。彼らはアダムとイヴがエデンの園を追われた後に生まれた兄弟です。カインは嫉妬から弟アベルを殺し、それが人類初の殺人となりました。「エデンの東」というのは、カインが追放されたノドの地を指しています。
劇中では、父の旧友の保安官がこの聖書の話を持ちだします。なんの権利があってかキャルをカインだと裁き、遠くへ去るようにと冷たく言うのです。
ただ父やアロンから愛されたかっただけのキャルでしたが、その代償はあまりにも大きすぎるものでした。いつも必死で、泣きそうな顔をしているキャルの持つ、こわれそうな繊細さと激しさ。
ジェームズ・ディーンの抱く孤独と、作中のキャルの孤独がリンクして溶け合った、神がかった魅力を放つ永遠の名作となっています。
二人の天使の存在
キャルにとって天使のような役割を果たすのはアロンの恋人のアブラです。彼女は13歳で母を亡くし、その後父がすぐに後妻をもらったことから、愛情に飢えて育ちました。義母のダイヤの指輪を川に投げ捨てた経験を持つ、キャルの寂しさを一番理解している女性です。
キャルが感じるのと同様、アブラは善人すぎるアロンを前にして自分を悪人かのように感じるようになります。また、アロンの愛が偶像を愛するようなもので、本当の自分ではない存在に向いていることにも気づくのです。
戦争の影が落とされる中、キャルとアブラが心通じ合うようになっていく一方、アブラとアロンの関係は壊れ始めます。
善人であるはずのアロンは、突然アブラに断りもなく、父の誕生日に勝手に婚約を発表するという暴挙に出ました。ひどい方法で縛りつけようとするアロンに、アブラは消すことのできない不信感を抱くようになります。
アロンも自分が悪いことに気づいていたはずです。しかし、お前も結婚したいと言っていたじゃないか、お前がキャルと親しくするからいけないんじゃないかと、アブラに責任転嫁していたことでしょう。
昔から苦労かけられてきた弟・キャルに彼女をとられることは、彼にとっては耐えがたい屈辱でした。弟に対してだけはあまりにも傲慢だったアロン。聖人と呼ばれる側の人間の落とし穴が見事に描かれます。
キャルもまた、そのことを敏感に感じ取っていました。卑屈になって甘んじてきた彼が、最悪の形でアロンにマウントをとりにいきます。母と強引に再会させたのです。家族の心にも人生にも大きな傷を負わせてしまったキャルは、だれよりも自分自身を傷つけてしまいます。
前半ではただのお気楽な少女に見えたアブラが、劇後半では成熟した女性としてキャルと父アダムの通訳のような大切な役割を果たします。
作品として素晴らしいのは、もう一人堕天使のような白衣の看護婦をつかわしたことです。瀕死のアダムの担当になったのは、甲高い猫なで声を出し、苦しんでいる家族に無頓着にコーヒーや退屈しのぎの本を頼むなんとも失礼な看護婦でした。自分がみた患者はすぐに死ぬなんてことも平気でいう、看護師としての資質も危ぶまれる女性です。しかし、彼女は最後に正真正銘、父と息子の白衣の天使となります。
「出ていけ!」と彼女を怒鳴りつけたキャルの声で、緊迫した重苦しい空気が一気に吹き飛び、表情のなかった父の口元に笑みが浮かびます。
「あの看護師は嫌い」というひとつの大きな意見の一致をみたふたりは、真の天使であるアブラの言葉に素直に導かれ、互いの胸にあった空洞を埋め合うのです。
不随になった体を持つ父の看病を申し付けられて、喜びにむせぶキャル。彼の父へのあまりにも深い愛情に胸打たれます。静かに心寄り添う父と子の部屋に漂う神聖な空気。
どうかこの二人の家にいつかアロンも帰ってきてほしいと心から願わずにいられません。
まとめ
聖書物語「カインとアベル」をベースに描かれた感動作「エデンの東」。観終えた後も、ずっとジェームズ・ディーン演じる青年・キャルの泣きそうで純粋な瞳が脳裏から離れない一作です。
愛とは何か、罪を犯すとは何なのかについて深く考えさせられます。父アダムと母ケートの結婚も離婚も決して間違ってはいませんでした。しかし、キャルを孤独に陥れ、アロンと分け隔ててしまう原因となったことは事実です。
どうしようもない出来事の中で子どもの心を守ることの難しさとともに、互いに一歩歩み寄ることでその苦しみから少しずつ解放し合えることを見事に映し出します。
アブラのような天使のような人間は果たしてこの世にいるのでしょうか。こんな素晴らしい人に少しでも近づける生き方をしたいと願わずにはいられません。