挫折を経験した孤独な男と愛を知らない少年のメキシコ横断の旅
1971年の『恐怖のメロディー』を皮切りに数々の名作を生み出してきたクリント・イーストウッド監督。監督・製作・主演を務めた『クライ・マッチョ』は、監督50周年+40作品目にあたります。
原作は1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュによる小説。40年前、イーストウッドが映画化のオファーを受けた時、「主人公のマイクを演じるには時期尚早」と一度見送られた企画ですが、この度、ついに機が熟しての映画化となりました。
イーストウッド扮する落ちぶれた元花形ロデオスターが、愛を知らない少年とともにメキシコを横断していく中で、生きていく上での「本当の強さ」とは何かを語りかけます。
映画『クライ・マッチョ』の作品情報
【日本公開】
2022年公開(アメリカ映画)
【原題】
Cry Macho
【原作】
N・リチャード・ナッシュ
【監督】
クリント・イーストウッド
【キャスト】
クリント・イーストウッド、ドワイト・ヨーカム、エドゥアルド・ミネット、ナタリア・トラベン、フェルナンダ・ウレホラ、ホラシオ・ガルシア=ロハス
【作品概要】
1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュによる小説をクリント・イーストウッドが満を持して映画化。イーストウッドが元ロデオスターの主人公を演じ、愛を知らない少年と、彼が大切にしている闘鶏のマッチョと共にメキシコを横断しアメリカに向かうロードムービー。
映画『クライ・マッチョ』あらすじとネタバレ
かつて数々の賞を獲得し、ロデオ界の花形スターとして一世を風靡したマイク・マイロは、落馬事故をきっかけに栄光の座から転落。妻子を自動車事故で亡くすという悲劇にも見舞われ、ひとり、孤独に暮らしていました。
1980年のある日、マイクのところに元の雇い主ハワードが訪ねてきます。彼は、メキシコにいる彼の息子ラフォをアメリカに連れて来てほしいとマイクに頼みに来たのです。
離婚した妻は激しい性格で、聞くところによるとラフォを虐待しているらしい、とハワードは言うのですが、「誘拐」にもなりかねない難しい案件だけにマイクは即答を避けます。しかしハワードには恩義があり、マイクはその仕事を引き受け、メキシコへ旅立ちました。
メキシコシティーのラフォの家は豪勢な屋敷で、アメリカの田舎には行きたがるまいとマイクはつぶやきます。
屋内ではパーティーが開かれており、マイクは会場に入っていきますが、すぐに用心棒の男たちに拘束されます。
母親は「ラフォは家にはいない。手に負えない不良少年だ」と語りますが、男たちと派手に遊び、暴力も振るう母親に愛想をつかし、家を出たのは明らかでした。
ラフォはマッチョと名付けた闘鶏用のニワトリだけを頼りにストリートで生活していました。彼を見つけたマイクはアメリカの大きな牧場主の父親が彼に会いたがっていることを告げます。
愛を知らず夢も持てない毎日を送っていたラフォはアメリカ行きに希望を見出し、マイクの車に乗り込みますが、母親とその手下がアメリカには行かさないと妨害し、道路は警察に封鎖されていました。
仕方なく道を迂回しますが、町で買い物をしている間に車を盗まれてしまいます。違う車を勝手に借りて別の田舎町へ。車を降りて歩いていると一軒の食堂をみつけます。
中に入ると1人の中年の女性がひとりで店を切り盛りしていました。マイクとラフォがテーブルについて飲み物を飲んでいると、彼らを探しているらしい男たちが外をうろついているのが見えました。女性は咄嗟にドアに「閉店」の看板を掲げ、男たちを遠ざけます。
その夜、マイクたちは一軒の空き家らしき家にたどり着きました。中に入ってみるとそこは礼拝堂で、マリア像のもとで彼らは一晩を明かします。
朝目覚めると、入り口に朝食が置かれていました。昨日の食堂の女性がわざわざ持ってきてくれたのです。
通りかかったら車があったのでここで寝たのだろうと思ったという女性はマルタと名乗り、礼拝堂で寝るのはよくないからうちの裏のコテージを使えばいいと言ってくれました。車のオイルが漏れていることもあり、マイクたちはこの町にしばらく滞在することになりました。
食堂に行くと小さな女の子たちがいました。マルタの孫で、マルタの娘である母親とその夫は亡くなってしまったそうです。ラフォは食堂を手伝いながら、自分の現在の境遇を打ち明けました。
町では集めてきた野生の馬を手なづけられず男が困っていました。マイクは暴れる馬たちを手なづけ、一度も馬に乗ったことのないラフォに乗馬を教えました。
おとなしくなった馬たちを分けてくれという人が出てきたため、男は商売になるからもっと頼むとマイクに仕事を依頼しました。
マイクのことを聞きつけて町の人々が動物を看てくれとやってきました。保安官補の男は最初、マイクたちに反感を持っていましたが、そんな彼もマイクを信頼するようになっていました。
この町での生活はマイクにとってもラフォにとってもこれまでの人生になかった素晴らしい体験でした。マルタとマイクは惹かれ合い、ジュークボックスの曲に合わせてダンスをし、キスを交わしました。
しかし、そんな日々にも終止符を打つときがやって来ました。ラフォの母親の手下たちが町にやってきたのです。
映画『クライ・マッチョ』感想と評価
イーストウッド扮する年老いた元ロデオスター、マイクは、元雇い主から、別れた妻に引き取られメキシコに住む息子ラフォをアメリカに連れ帰ってほしいと依頼されます。
それは、マイク自身が口にだしているように「誘拐罪」に当たるかもしれない任務ですが、過去に世話になった恩義のため、彼はその仕事を引き受け、メキシコに向かいます。筋を通す男という設定はまさにイーストウッドがこれまで演じてきた男たちのイメージそのもの。
ところが、母親に虐待され路上生活を送っていた息子を見つけ出した後、母親が送りつける手荒な手下や警察に追われる緊迫した展開が待っていると思っていると、むしろ緩やかな停滞が始まるのです。
様々な理由でなかなか目的地にたどりつけない典型的なロードムービーには違いないのですが、中盤からはある町にとどまり、移動する目的すら失われそうになります。
そこでマイクとラフォは、とびきり親切な食堂の店主マチルダとその孫たちと交流し、経験したこともないような幸福感を味わいます。
そうした生活の中で、ロデオスターとして動物相手の仕事をしてきたマイクのこれまでの経験や知恵が、町の人々を助け、人々に安心感をもたらす姿には、非常に心うたれるものがあります。これほど暖かな、多幸感溢れる感情をイーストウッド映画で味わうことが出来るだなんて・・・。
しかし、それも『運び屋』で、世間に評価されることだけを望み家庭を顧みなかった男が老齢になってやっと家族の大切さに気付き、すまないと詫びて仕事よりも家族の傍にいることを選ぶ展開になったことを見れば、予想できなかったことではありません。
また、本作はイーストウッドが30年ぶりにカウボーイハットをかぶった作品であることでも話題ですが、ネオウエスタンとも呼ぶべき設定で子供のからむロードムービーといえば1985年の監督作品『センチメンタル・アドベンチャー』が思い出されます。
『センチメンタル・アドベンチャー』では、少年がイーストウッド扮する叔父から車の運転をまかされたり、叔父のはからいにより娼館で女性の手ほどきを受けたりという「男になる」体験をするのですが、『クライ・マッチョ』では少年はそうした体験とは無縁です。
イーストウッドが91歳(撮影時は89~90歳)で性的に枯れていることもあるのかもしれませんが、彼が少年に与えるのは人の暖かな心に触れさせることであり、馬に乗れるようにしてやることです。
「男になれ」「男らしくなれ」というような台詞は一切出てきません。少年が憧れ囚われている「マッチョ」な生き方に対しても次のような正直な意見を述べています。
曰く「昔は自分は強かったが、今はなにもない。マッチョは過大評価される。称賛されすぎだ。くだらんよ。老いと共に無知な自分を知る。気づいたときは遅すぎる」。
その言葉はこれまでタフガイを演じてきたイーストウッド自身の現在の素直な心境なのでしょう。それは過去を否定しているのではなく時代にそって彼がアップデートしていることを現しています。
人間は年を取れば取るほど頑なになり、新しいものを無意識に拒絶したり、過去の遺産だけで生きようとしがちですが、イーストウッドは絶えず自身を更新していると言えるのではないでしょうか。
この作品の中でマッチョなのは鶏だけであり、イーストウッドが「強いアメリカ」ではなく「優しいメキシコ」へと引き返していくのも、彼の現在の心境という見地から観ると興味深いものがあります。
まとめ
マイクと旅をする少年ラフォを演じるのは新人のエドゥアルド・ミネット。オーディションでラフォ役をつかみました。
母親に虐待され、家を飛び出した愛を知らない少年は闘鶏のマッチョだけを友として生きてきました。孤独な少年と鳥という組み合わせは定番ですが、鶏のマッチョに彼は理想の強さと憧れを抱いていたのでしょう。マイクと出会い、町の人々と交流する中で、徐々に閉ざした心を開放していきます。
田舎町の食堂の女主人マルタを演じたのはメキシコ人女優のナタリア・トラヴェン。彼女の温かい心が旅の途中の2人の心を癒やしますが、こうしたシチュエーションの場合、いつか別れが訪れるもの。流れ者は一箇所にとどまることができないものだからです。
本作でもそのような展開になりますが、ラスト、主人公はマルタの元へと戻っていきます。これもまた、新しい、アップデートされた現代の西部劇の誕生と言っていいのではないでしょうか。