「永遠を壊したのは、僕。」レオが壊した永遠の真意に迫る
今回ご紹介するのは、『Girl ガール』でカンヌ国際映画祭カメラドールを受賞した、ルーカス・ドン監督による、兄弟のような幼なじみの少年2人に生じる、関係の変化を描いた映画『CLOSE クロース』です。
本作は第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、グランプリを受賞しました。
中学に入学する前の夏、13歳のレオとレミは四六時中、一緒の時間を過ごす大親友でした。中学生になった2人はある時、その親密すぎる間柄をクラスメイトにからかわれます。
そのことでレオはレミへの接し方に戸惑い、そっけない態度をとるようになってしまい、2人の距離が離れ始め、気まずくなる一方でした。そして、2人は些細なことで大ゲンカをしてしまい……。
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映画『CLOSE クロース』の作品情報
【日本公開】
2023年(ベルギー、フランス、オランダ合作映画)
【原題】
Close
【監督】
ルーカス・ドン
【脚本】
ルーカス・ドン、アンジェロ・タイセンス
【キャスト】
エデン・ダンブリン、グスタフ・ドゥ・ワエル、エミリー・ドゥケンヌ、レア・ドリュッケール、イゴール・ファン・デッセル、ケビン・ヤンセンス
【作品概要】
主人公のレオを演じたエデン・ダンブリンは、『Girl ガール』で主演を務めたビクトール・ポルスターと同じバレエスクールに通うダンサーで、ルーカス・ドン監督と偶然に電車内で会い、本作のオーディションに参加するよう勧められました。
レミ役のグスタフ・ドゥ・ワエルはオーディションの際に、エデンとのペアの演技で最高の評価を受け合格し、エデンとグスタフの初出演映画となりました。
ルーカス・ドン監督は本作の脚本を書き上げる3年の間、息子を亡くした母親への取材をし、ソフィへのイメージを膨らませたと語り、ソフィ役のエミリー・ドゥケンヌにもそれに沿った演出を施します。
映画『CLOSE クロース』のあらすじとネタバレ
2人の少年が人気のない納屋のような所で声をひそめ、追っ手から身を守るため隠れています。それは2人の創作で忍び寄る悪の手から逃げるように、全速力で外に飛び出し花畑を走り抜けます。
のどかな農村地域に住む2人はいつも一緒にいます。レオの家は花卉業を営み、広大な花畑では収穫の時期を迎え、レオの手も借りたいくらいですが2人は遊びに夢中でした。
レオの母は「今夜もレミの家に泊まるの?」と声をかけます。レオは幼なじみのレミと兄弟のように過ごし、レミの母ソフィもレオを息子のように可愛がっていました。
レミの部屋のベッドで隣り合って床に就いても、寝つけず将来の話をしたりし、レオはレミに大人になったら、お金持ちになっていろんな国に行きたいと話し、レミにどこへ行きたいか聞きます。
レミはオーボエの演奏が得意で、もうじき発表会があり緊張気味でした。レオはそんなレミを「特別」と言い、安心して眠れるようわざと寝息をたてます。レミはそれに合わせて呼吸し、その鼓動を感じながら安心して眠ります。
そんな夏が終わり、レオとレミは中学校に入学します。大勢の同年代の中で2人は緊張気味ですが、2人でいることで不安を払拭しています。
同じクラスになった2人は席も隣り同士に座ります。生徒たちの自己紹介が始まり、自分の番が近づくとレオは「緊張してきた。緊張してる?」と声をかけたりして紛らわせます。
しかし、クラスメイトの3人組の女の子が、何気ない素朴な疑問を投げかけます。「2人はカップルなの?」と聞かれたレオは敏感に反応し全否定します。
「親友以上、兄弟同然なんだ」と説明しますが、彼女たちにはそれ以外の親密さに見えていました。レミは何も言わずレオを見ているだけでした。
入学初日のこの出来事がレオとレミの関係に変化をもたらしていきます。レオは家に荒々しく帰宅し、母が学校での様子を聞こうとしても、不機嫌に部屋に籠ってしまいました。
翌日、レオとレミは一緒に登校しますが、レオは人前ではレミと少し距離をとり始めます。
例えば、レミは相変わらずレオと接しようと、芝生で寝転ぶ時もレオにもたれて寝ようとします。レオはそれを避け離れようとしますが、レミは構わずくっつこうとしました。
そして、レオは意識して他のクラスメイトとも遊んだり、話の輪の中に入ろうとしました。けれどもレミは少し離れたところから眺めているだけです。
それでも下校時はレオはレミと一緒に帰り、今までと変わらずじゃれ合ったり、夕飯をレミの家で食べたり泊ったりしました。
ところがある日、レオがクラスメイトと何気なくおしゃべりしている時、同性愛者を侮蔑する言葉を通り過ぎざまに言う生徒がいました。
レオはその場はやりすごしましたが帰宅し、いつもの遊び場でレオは気乗りせず、心そこに非ずな感じでした。
その日もレオはレミの部屋に泊りますが、夜明け前に目が覚めたレオはそっとベッドから降りて、床に敷かれた布団に移って眠ります。
しかし、朝になって目が覚めると、レオは隣りで寝ているレミに気づき、なぜ隣りで寝ているのかとレオは激怒します。
レミは純粋に隣りで寝たかったと言い、レオは自分の布団で寝ろと怒りだし、そのうち2人はベッドの上で取っ組み合いになってしまいます。
2人は一旦、我に返り離れて背を向け横になります。朝食の時間、レミはそのことを両親に話せず、元気なく食欲がないと言うだけでした。
レミはオーボエの発表会でステージに立ち、レオはそれを誇らしげにみつめていましたが、一方でクラスメイトが入団してるアイスホッケーチームに入り、レミとの時間は少なくなっていきます。
ある日、アイスホッケー場のスタンドにレミが見学に来ていました。レオはレミの視線に気がつき、なぜか動揺してしまい、迷惑そうな態度をとってしまいます。
レオはレミを待たずに登校するようになり、あとから登校してきたレミは多くの生徒がいる校庭で、レオに自分を置いて登校したことを責め、激しい喧嘩へと発展してしまいます。
『CLOSE クロース』の感想と評価
“末っ子と一人っ子”の幼なじみ
『CLOSE クロース』はルーカス・ドン監督が、幼い頃に感じていた“脆さ”を思い出し、周囲の目を意識し、誤解されそうなことを一つ一つ摘み取り、集団の中に馴染もうとする少年の姿を描きました。
主人公のレオには少し年の離れた兄がいて、基本的に甘えん坊です。レオの親友レミは両親共働きの一人っ子で、内向的な寂しがり屋です。
主にレミがレオを慕ってレオがレミの家に泊り、ソフィもレオをレミの兄弟のように扱います。そんな兄弟のような2人は、小さなコミュニティでもそのように見えていました。
ところが、多方面から大勢の子供たちが通う中学では、彼らが育ってきた環境を知らず、兄弟のような絆が生じていることも知りません。
大なり小なりコミュニティに変化が生じると、今までの当たり前がそうではないという戸惑い、そんな経験は誰にでもあることです。
レミは一人っ子の家庭環境で、レオしか頼れる存在がいなかったわけです。レオは兄がいたことで、他の男子生徒たちとのコミュニケーションは取りやすかったのでしょう。
ただ、2人が育ってきた中に同世代の女の子の存在はなく、新しく始まった中学校で同世代の女の子と接する機会ができます。
しかも女の子というのは精神年齢が少し高く、レオとレミの距離感が異様に見え、好奇の目で見てしまい、ちょっとした噂にもなり過剰反応したのがレオです。
最初はレミにゲイ的な資質があるのかと思いましたが、実はレオの方にあったのかもしれません。レオにも自覚はなかったものの、過剰に反応したのはそのことを“隠す”必要があったからではないでしょうか。
単に集団生活に馴染もうとするなら、レミにもそう説明できるはずです。それなのにレミをわざと突き放して孤独にし、男子の中に紛れるようにしたのは、レミへの感情を否定し隠すためのようにも取れました。
またレオはレミを死に追いやった自責の念に苦しみ、1年経ってやっとソフィにそのことを告白しますが、すぐに許されるわけもなく拒絶されます。
レオが森の中で棒のような木の枝を持って、ソフィの背後にいたのも意味深に感じます。それをどうするつもりだったのか・・・。
CLOSEという“親密”な友情
題名になっている『CLOSE』はルーカス・ドン監督が出会った、一冊の少年心理学に記された「close friendship(親密な友情)」から由来しています。
その書籍には13歳から18歳にかけて育まれた、少年たちの「男の友情」には数%の割合で、別の悩みに転換する人がいると記されています。
その数%の悩みをルーカス監督は少年時代に抱えていました。監督が生まれ育ったベルギーの小さな村では、“男は男らしく”という風潮が根強く残り、年齢が上がるにつれ男女は分かれて行動するようになります。
監督は思春期の頃に「女にも男にも属さない」という感覚に陥り、個よりも男女問わない集団での行動を求め、周囲の目から受ける不安と葛藤していたと語ります。
監督は前作の映画『Girl ガール』で、トランスジェンダーのバレリーナを描き、評価を得たことで自らが体験した葛藤と対峙する作品を撮ることを決意しました。
映画の冒頭ではレオとレミが、男の象徴ともいえるイメージの戦争ごっこのシーンで始まり、奇麗に咲く花が摘み取られる畑を、2人が駆け抜ける場面が全体のキーポイントとなります。
レオとレミは監督が幼い頃に経験した、葛藤の象徴として描かれる存在です。「男女の異性愛」以外の性に対する理解がされない社会で、奇異な目にさらされる恐怖が思春期に襲ってきた経験です。
レオがレミを遠ざけていたのは、監督が幼い頃に「女にも男にも属さない」クィアであることを隠すために、男だけの中で行動していた経験があったからだとわかります。
そして、親密な友人との別れにはかなりの痛みを伴いました。自分が兄の隣りでないと眠れなくなったことで、不安で眠れないレミの気持ちも理解したでしょう。
レミの死は涙もでないほどの悲しみで、骨折はそれまでレオの心にたまっていた、苦しみや悲しみの涙を流すきっかけでした。
医師は「骨が折れたのだから、痛くて当たり前」と言いますが、レオはレミの心が折れた(自殺した)時の痛みを想像して、号泣するほど泣いたのでしょう。
そんなレオが花畑で振り返った時、表情が清々しく見えたのは、ようやく先に進めると思えた瞬間の顔に見えました。
幼い時の監督の中には、レミとレオが混在していたのだろうと想像させます。『CLOSE』を制作することで過去の自分を昇華させ、新たな一歩の踏みだしを象徴したかったのでしょう。
まとめ
『CLOSE クロース』は学校という社会の縮図の一歩で直面した、10代前半に監督自身が抱いた葛藤や不安な思いを繊細に描いた作品です。
「LGBT」から「LGBTQ+」の「Q」“クィア”という「男性として生きてきたけれど、違和感も感じる」(またはその逆)、という性に対しはっきりとした区別のできない感覚を持った人をさす言葉が生まれました。
ドン監督がクィアの狭間で悩む前の少年時代を花畑に例え、中学に進学し新たなクィアに目覚めた過程を、花が摘まれ何もない時期の畑に例え、新たな花を咲かせる時を待つ思春期を描きました。
子供の“無垢さ”や“残酷さ”をベルギーの素朴な田舎の風景、独自の気候の中で表現します。無垢は春から夏は爽やかな気候の中、残酷さは秋から冬の厳しい寒さの中にあります。
キャッチフレーズの「永遠を壊したのは、僕。」が、親友の死を痛む意味ではなく、苦悩の種を消したと思えてしまったのは、保身に走ったレオの姿とポスターの眼差しからです。
レオの眼差しは現在のドン監督の眼差しです。時の流れで苦しみが薄れ、永遠の中に埋没していった結果を物語っているようです。