映画『アウシュヴィッツ・レポート』は2021年7月30日(金)より、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開予定
2人のアウシュヴィッツ脱走者が、収容所で行われている残虐行為の様子を暴いた実録映画『アウシュヴィッツ・レポート』。スロバキア映画代表として、本作は第93回アカデミー賞国際長編映画賞に選出された作品です。
アウシュヴィッツに収容された囚人の生活、残虐行為を働いた収容所看守の様子や、脱走後のレポート発表に至るまでの困難な道のりがおよそ1時間半の映画に収められています。
今回は収容所からの脱出、そして12万人の命を救った報告書の作成までを描いた映画『アウシュヴィッツ・レポート』をご紹介します。
映画『アウシュヴィッツ・レポート』の作品情報
【日本公開】
2021年(スロバキア、チェコ、ドイツ合作映画)
【英題】
Sprava
【監督】
ペテル・べブヤク
【キャスト】
ノエル・ツツォル、ペテル・オンドレイチカ、ジョン・ハナーほか
【作品概要】
アウシュヴィッツ強制収容所を脱走した二人の若いスロバキア系ユダヤ人のレポートによって、12万人のユダヤ人の命が救われた実話。
本作はスロバキア人のペテル・ベブヤクが監督を務め、第93回アカデミー賞国際長編映画賞のスロバキア代表に選出されました。
2人を救出する赤十字職員を「ハムナプトラ」シリーズのジョン・ハナーが好演しています。
映画『アウシュヴィッツ・レポート』のあらすじ
1944年4月10日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。
遺体の記録係をしているスロバキア系ユダヤ人のアルフレートとヴァルターは、日々多くの人々が殺される過酷な強制収容所の実態を外部に伝えるため、強制送還から2年後に収容所からの脱走を決行。
他の囚人たちがそれまでに試みた脱出方法を分析した上で綿密に練った脱出計画で、2人は何日もの間、木材の下に掘った穴の中に隠れていました。
その間、収容所の警備員は2人が行方不明であることに気づき、施設を一時閉鎖。
同じ収容棟の囚人らが何日も寒空の下で立たせられ、執拗な尋問に耐える中、仲間の思いを背負った2人は、夜中に門を開けてなんとか収容所の外に脱走。
不衛生な環境で怪我を負い、痩せ衰えながらも、山林を国境に向けて歩き続けました。
奇跡的に救出された2人は、その後赤十字職員にアウシュヴィッツの信じられない実態を告白し、アウシュヴィッツの内情を描いた32ページにも渡るレポートを完成させました。
収容所のレイアウトやガス室の詳細などが書かれたレポートは、非常に説得力のある内容で、このレポートは「ヴルバ=ヴェッツラー・レポート(通称アウシュヴィッツ・レポート)」として連合軍に報告され、12万人以上のハンガリー系ユダヤ人がアウシュヴィッツに強制移送されるのを免れたのです。
映画『アウシュヴィッツ・レポート』の感想と評価
実話に基づいた映画
アーリア人以外をドイツ国内に入国させないというアーリア人至上主義に基づき、ナチスドイツ占領下であったポーランドに建設されたアウシュヴィッツ=ビルナウ強制収容所。
現在では周知の通り、ナチスは収容所以前からゲットーと呼ばれる地区にユダヤ人を押し込めていたわけですが、その後維持が難しくなり、ドイツ国外はポーランドに建設した絶滅収容所へ連行するようになります。
ユダヤ人が連行されてくるようになったのは、アウシュビッツが造られて数年経ってからのことです。その後収容する場所が足りなくなると、ガス室が造られ殺されていきました。
最終的にはユダヤ人が圧倒的に多く、施設に収容された囚人全体の90%を占めていました。
当初連行されたユダヤ人は、主にポーランド南東部出身者でしたが、やがてドイツ、オーストリア、ズデーテン地方そしてフランス、オランダと東ヨーロッパ中から鉄道を利用し収容所へ移送されるようになります。
その他にも、ソ連軍の捕虜、ナチスの反対者、共産主義者だと見做される人々も強制収容所へと連行されました。
当時ソ連は国際条約に加盟していなかっため、ソ連軍の捕虜は、ユダヤ人と同様に酷い扱いを受け、その90%が命を落としました。
ソ連軍が大量虐殺の証拠を発見したのは1944年の夏。強行軍が大規模なナチス収容所を制圧したことで、ガス室を発見。収容所の解体は、既にポーランドのユダヤ人のほとんどが殺害された後でした。
優生学的思想に基づき、劣等民族と定義したユダヤ人、ソ連軍捕虜、政治犯の他にも、同性愛者、売春婦、精神障がい者も絶滅収容所へ連行されました。
労働力確保に満たない女性、子ども、老人は、強制収容所到着直後の選別により、収容者の70〜75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれ、現在もその正確な犠牲者の数は把握されていません。
本作はアウシュヴィッツ強制収容所から脱出したスロバキア系ユダヤ人、アルフレート・ヴェッツラーとルドルフ・ヴルバが、共同執筆のかたちでヴルバ=ヴェッツラー・レポート(通称アウシュヴィッツ・レポート)を発表するまでを描いた実話です。
負の遺産が映し出したもの
収容所の門で首を吊られた囚人の姿を抜けていきタイトルが浮かび上がる冒頭のシーン。
非常に強烈なオープニングで、緊張感が画面から伝わってきます。
その後も、ショパンの曲を聴きながらコーヒーを片手に咳き込む看守の横を囚人たちが走らされているカットや、犬舎裏に連行され銃口を向けられる様子を他の囚人が見守っているカット、海外ではポスタービジュアルとなっている木材の隙間から強制送還の一部始終を目撃するシーンなど、本作にはソリッドなビジュアルイメージが数多く、非常に見応えがあります。
収容所でのホロコーストを描いた映画特有の灰色がかった画面カラーも印象的で、ほとんど白黒映画のような色彩から収容所の厳しい環境が伺えます。
脱出した2人は、犠牲者の無念を晴らすべく、連合国軍による収容所の爆撃を希望しますが、その後アウシュヴィッツが爆撃されることはなく、施設は閉鎖されるだけにとどまりました。
赤十字職員は、アメリカを通してナチスドイツとの交渉を提案しますが、2人は「殺人者と交渉するな」と強く言い放ちます。
ナチスドイツの残忍な虐殺行為に対する報復として収容所をすぐにでも爆撃を望すべきだと必死に訴える2人の姿が印象的でした。
忌むべき存在である収容所の看守は、終戦後には黒海の近くに農場を買って暮らすつもりであると囚人に語っていたのです。
残忍な蛮行を働いたのち、国に帰れば自分には平穏な暮らしが待っていると思い込んでいる。その神経に底知れぬ恐ろしさを感じます。
収容所が閉鎖され、終戦後に軍事裁判を逃れ、各地に逃亡し平穏な生活を送っている元ナチス将校は数多く存在しています。
近年でも、90歳を過ぎた元アウシュヴィッツ収容所看守たちが、収容所での殺害に関与したとして有罪判決が下されました。
彼らはかつての残虐行為を恥じて、妻子や孫に経歴を秘匿したまま、第二の人生送っていました。
戦争責任を負うべき人物が過去の罪に背を向け続けた結果、老衰で死に、その罪から逃れるつもりだったのでしょう。
映画『ゲッベルスと私』(2018)では、このような「凡庸な悪」の側近であったナチ党宣伝大臣、ヨーゼフ・ゲッペルスの秘書が政治に無関心であった当時の様子を証言しています。
自身からは離れた場所で行われている虐殺や思想弾圧を縁遠いものとして積極的に目を背けてしまう心理は誰にでも存在し、ポピュリズムやナショナリズムが元から内包している危険性として捉えることができます。
1944年のアウシュヴィッツ強制収容所を舞台にした本作には、施設を脱出し、ナチスの実態を暴いた勇敢な2人、収容所での過酷な生活の中でも信仰心を失わなかった宣教師、別棟に収容された家族の身を案じ、看守に服従せざるを得なかった人など、その時その場にいた人々の姿を捉えています。
本作とあわせて『サウルの息子』(2015)『ヒトラーと戦った22日間』(2018)『異端の鳥』(2020)を鑑賞すると、ホロコーストの凄惨さと犠牲者の姿がより立体的に浮かび上がってきます。
椅子に腰掛け、ただスクリーンでその凄惨な様子を観ていることしか出来ない我々観客に、この忌まわしい歴史を繰り返させないことを強く訴えかけてくる映画でした。
まとめ
エンドロールで流れ続ける音声から、本作がこの時代に制作された背景が垣間見えます。
第二次世界大戦から続く負の遺産は、精算されることなく今なお人種差別、性差別、ホモフォビア、障がい者差別、反ユダヤ主義、優生学的思想そしてナチズム礼賛という形で引き摺り続けています。
現在の世の中においても、反知性的な排外主義を黙認する社会という意味では、残念ながらホロコーストとの関連性が見出せてしまいます。
『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997)や『ジョジョ・ラビット』(2019)をはじめとした作品では、ナチスの残虐な行為そのものを度を越したシュールさを捉えたコメディとして描いていましたが、本作のような事実に基づいた比較的地味な作品を観ると、その冗談の通じないあまりにも無惨な現実に絶句してしまいます。
あまりの悲惨さに打ちひしがれそうになりますが、どのような時代においても残虐行為と不公正を証言するジャーナリズムの重要性を説いた本作は、非常に意義深い映画です。
地獄のようなアウシュヴィッツ収容所の実態を暴いた2人の英雄的な脱出を描いた映画『アウシュヴィッツ・レポート』は、2021年7月30日(金)より、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開予定