悩み、葛藤、挫折…誰もが経験する青春の1ページ。
同郷の若者たちが歩んだ2008年から2018年の10年間の人生模様を、リアルに描いた青春群像劇『青の帰り道』をご紹介いたします。
映画『青の帰り道』の作品情報
【公開】
2018年(日本映画)
【原案】
おかもとまり
【監督】
藤井道人
【キャスト】
真野恵里菜、清水くるみ、横浜流星、森永悠希、戸塚純貴、秋月三佳、冨田佳輔、工藤夕貴、平田満
【作品概要】
群馬県前橋市と東京を舞台に、高校時代の同級生7人が、卒業後、夢と現実の間でもがきながらそれぞれの道を歩んでいく姿を10年に渡る歳月の中で描く。
出演者の不祥事のため、一旦撮影は中止されお蔵入りも心配されたが、ほとんどの場面を撮り直し、完成させた。
監督は、山田孝之プロデュース作『デイアンドナイト』(2019年公開予定)、『新聞記者』などを手がける藤井道人。
映画『青の帰り道』のあらすじとネタバレ
2008年、東京近郊の町で7人の高校生が卒業を迎えました。
歌うことが大好きなカナは、プロの歌手になることを目指して上京。
家族に愛されていないという思いを抱いているキリは、実家を出て東京の大学に通い始めました。
カナと一緒に音楽活動することを約束しているタツオは、医学部の試験に失敗し浪人中。
リョウとコウタは地元に残り建設会社でアルバイトを始めます。
タツオととりわけ仲の良かったユウキは東京の大学に進学。
上京する者、地元に残る者、皆、それぞれの選択をし、大人への道を歩み始めました。
ライブハウスで行われるカナのライブを観に、地元組が東京にやって来て、久しぶりに七人が揃いました。
ライブ後の打ち上げで、コウタがマリコと結婚することを発表し、皆を驚かせます。マリコも母親になることを楽しそうに告げるのでした。
カナはタツオに早く一緒に音楽活動をしたいと語り、タツオも待っていて、と応じます。
月日がたち、コウタは、会社の社長に気に入られ、正社員として雇われることになりました。
一人だけ置いてけぼりにされた気分のリョウは、「俺はでっかいことやってみせます」と高校時代の先輩に酒の席で語って嘲笑されます。
リョウは先輩たちにそそのかされ、会社の建設備品の窃盗にかかわるようになります。リョウはタツオを運転手に借り出しました。
タツオは何度目かの医学部受験に失敗し、落ち込んでいたところにこの騒ぎで、かなり不安定になっていましたが、リョウはお構いなしです。
カナは、歌で食べていきたいと、デモテープをプロダクションにせっせと送っていましたが、そのうちの一つから良好な返事が来ました。
その頃にはキリは大学をやめてしまい、カナのマネージャーのようなことをしていました。
プロダクションの社長は、カナの意向に反して、かぶりものをかぶったアイドルとしてカナを売り出すことにします。
まず、名前を売って、次に好きなことをすればいい、と男はカナを説得します。
カナは一躍人気が出て、コマーシャルにも登場する売れっ子ぶり。キリは、同じプロダクションのアイドルグループのマネージメントを手伝うなど忙しい日々を送っていました。
そんな中、キリは写真家のセイジと出逢い恋に落ちます。ルームシェアしていたカナの部屋を離れ、セイジと同棲を始めました。
カナは、今の仕事に誇りが持てずにいました。本当にしたかった音楽でないことに焦り始め、笑顔が消えていきます。
リョウは窃盗がバレ、仕事をクビになってしまいます。行き場を失くしたリョウは上京し、カナの部屋を訪ねます。
私が自分のライブハウスを持っていたら、毎日ライブをするのに、と愚痴るカナにリョウは俺がライブハウスくらい買ってやると豪語します。
東京で働く先輩を訪ねたリョウに回ってきた仕事は振込詐欺でした。電話口で台本を巧みに読むリョウは先輩に褒められ、大金を手にします。
ようやく自分を認めてくれる人が現れたと喜んだのもつかの間、セイジは勝手にキリの通帳から金をおろし、キリが内緒で新しい通帳を作ると、躊躇なくキリを殴りました。彼はDV男だったのです。
しかし、自分に自身が持てないキリは、殴っては甘い言葉を囁くセイジから逃げ出すことが出来ません。
2011年、東日本大震災が起き、その夏、ユウキが故郷に帰ってきました。コウタとマリコが彼を迎えました。
二人の間には男の子が生まれ、幸せな暮らしを送っていました。
ユウキは、就職活動に苦戦しており、気分転換で戻ってきたのです。
早速、タツオを尋ねると、彼の机には大量の薬が置かれており、様子が変でした。ユウキは早々にその場を逃げ出しました。
部屋を出たタツオを待ち構えていたように父が遮りました。
引きこもって勉強もやめてしまった彼をなんとかしようとする父でしたが、それはタツオをさらに追い込む結果になるだけでした。
着ぐるみを着てスタンバイしていたカナのところにタツオから電話がかかってきます。
以前、カナが作った曲に詩をつけたと彼は言い、カナは今の形でなく、もっと自分がしたい曲をやったほうがいいよ、と語ります。
カナは不機嫌そうに受け答えし、タツオを傷つけます。カナのもとに駆けつけようと東京行きの切符を買っていたタツオでしたが、彼が東京に行くことはありませんでした。
高校最後の夏休み、皆が彼の誕生日を祝ってくれたことをタツオは思い出していました。
喪服を着たカナが、葬儀の場に飛び込んできました。祭壇にはタツオの遺影が祀られていました。遺書はありませんでしたが、彼は自ら命を断ったのです。
集まった6人は沈痛な面持ちで葬儀後の会食に参加し、挙げ句に喧嘩を始め、タツオの父から「お願いですから出ていってください」と言われてしまいます。
高校時代に7人で記念撮影した写真とともに、SNSでカナを中傷する文章が出回りました
。一緒に音楽をやろうと約束したパートナーがいたのに、彼を裏切って、自分だけ売れたのだというひどい内容でした。
カナは罪悪感から酒に溺れ出し、リョウが働いているバーで深酒し、リョウがそれを止めに入るようなことが続きました。
それが、週刊誌にスクープされ、仕事も干されてしまいます。
さらにクスリにまで手を出そうとし、リョウはカナを叱りつけます。
「自分のことなんだから何をしても自由でしょ!?」と叫ぶカナに「じゃぁ、なんで俺の目があるのを知ってて、ここで飲むんだ」とリョウは怒鳴り返しました。
映画『青の帰り道』の感想と評価
田園風景の中、まっすぐに続く一本の舗装された道で、自転車に乗った数名の高校生の男女が楽しげに笑っているショットを使用した『青の帰り道』のポスターを見た時、この映画が観たくなりました。
タイトルに相応しい青を基調とした瑞々しいビジュアル。若者たちの溌剌とした表情。少女漫画や小説を映画化した青春ものは今や邦画界では花盛りといっていいくらい量産されていますが、『青の帰り道』はそういった種類のものとは一線を画しているのではないか。
“原案:おかもとまり”と表記されていますが、小説や漫画の原作はないようで、オリジナル作品といってもいいのかもしれない、青春ものに限らず昨今のメジャー作品でオリジナル作品はとても稀なので、それだけでも見る価値があるだろう、と映画館に駆けつけてみました。
予想通り、漫画チックな作風ではなく、東京と東京近郊の田舎町を舞台に、風景をダイナミックに切り取り、予想以上に、若者たちの姿をリアルに、繊細にとらえた作品でした。
2008年に高校三年生だった7人の男女が、卒業後、社会の厳しさに触れ、夢と現実のギャップに苦しみ、大きな悲しみや挫折を経験しながら、友情に支えられ生きていく様を10年に渡って見つめた偶像劇です。
この10年間は、政権交代、東日本大震災、リーマンショックなどの事象が、日本社会を大きく揺さぶった時代です。
映画は、それらを背景に、社会情勢の影響をもろに受けた若者たちの人生を、これでもかというくらいに追い込んで描いていきます。
インターネットが広く普及し、ツイッターなどのSNSが浸透していく様も織り込まれ、真野恵里菜扮するカナはもろにネットによる匿名投稿の悪意にさらされます。
ニート問題、DV問題など、少々詰め込みすぎで、展開がベタすぎるのでは?と思う場面が無きにしもあらずでしたが、今の若者たちを取り巻く、様々な問題に踏み込んでいく姿勢は特筆すべきであり、それぞれに厳しい状況にあっても、長年の友情が続いていくところに大きな救いがあります。
青春映画における東京と地方というテーマは『ここは退屈迎えに来て』(2018/廣木隆一監督)などでも描かれていたように、ある意味定番ですが、『ここは退屈迎えてきて』も『青の来た道』にしても、彼ら、彼女たちは、若くしてなんと疲れ果ててしまっていることでしょうか。
高校時代が人生のピークであるかのような表現が2つの作品を結びつけます(どちらも2018年制作の映画だというところがポイントです)。
『青の来た道』で、就職活動に悩んで帰郷するユウキにしても、カナから追い出さる形で帰郷したキリにしても、もうヨレヨレの状態です。
しかし、そんな彼らを暖かく迎えてくれる存在があることが、彼らにとってどんなに幸せなことか。当然ながらそれは家族ではなく、彼らにとっては、地元で家庭を持って誠実に暮らしているコウタとマリコです。
地元に根をはったようにどしんと構え、まるで田舎の婆ちゃんのように何もかも包み込んでくれるようなそんな二人の存在が、切れて漂ってしまいそうな彼らを結びつけているのです。
ラストにタツオの墓参りのためにカナが帰ってきて、それを皆が迎えるシーンは、皆が厳しい“人生という闘い”をしてきているだけに感動を飛び越えて、非常に感慨深いものがあります。
そういえば、マリコを演じた秋月三佳は、『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(2018/御法川修監督)でも、良きパートナーに恵まれ、赤ちゃんを授かる女性を演じていました。幸せオーラを放っているキャラクターを演じさせれば右に出る者はないのでは?
彼女だけでなく、真野恵里菜、清水くるみ、横浜流星、森永悠希、戸塚純貴、冨田佳輔、皆、素晴らしく、この作品に出られたことは俳優である彼女、彼らにとってはかなり満足度の高い、充実したものだったことでしょう。
それは例えば、カナがずっと望んでいた、自分の歌いたかった歌をちゃんと歌えたような、そういう体験だったのではないでしょうか。
歌といえば、ラストに登場し、エンディングへと続いていく「たられば」という曲に心を鷲掴みにされました。
実際はamazarashiというロックバンドの作品だそうですが、まるで映画のために宛書されたような作品で、この映画はこの曲が生まれるまでを描いた音楽映画なのだ、と思わず叫びそうになってしまったくらいです。
まとめ
七人の若者をささえるベテラン俳優も素晴らしく、とりわけ、タカオの父を演じる平田満と、キリの母親を演じる工藤夕貴の存在感はさすがと言わざるを得ません。
大人になっていく我が子を、どこに導いていいのか途方に暮れてしまっている、迷える親たちとして、二人は登場してきます。
工藤夕貴は、相米慎二監督の青春映画の名作『台風クラブ』(1985)で、発作的に東京に出かけて、年上の男についていきつつ、また発作的に嵐の中に飛び出して地元に戻ってくる女子中学生を演じていました。
中学生と高校卒業という年齢のギャップはありますが、この女子中学生とキリの姿がどこか、重なって見えてきます。キリと母親が、人気のない夜の商店街で言葉を交わすシーンは、『台風クラブ』から、『青の帰り道』への伝言のようにも思えました。