消えない悲しみへの寄り添い方。
笑顔を取り戻す時まで。
パリに暮らす幸せな家族を襲った突然の事件。残された24歳のダヴィッドと、その姪のアマンダ、7歳。
大切な人を失った悲しみも癒されないうちに、厳しい現実の日々は続いていきます。
それでも生きていかなければならない。この悲しみはいつまで続くのでしょうか。
襲い掛かる不安に押しつぶされそうになりながらも、ダヴィッドとアマンダは寄り添い、少しづつ前に進んで行きます。
2人の強い絆を世界が絶賛。映画『アマンダと僕』を紹介します。
映画『アマンダと僕』の作品情報
【日本公開】
2019年(フランス映画)
【監督】
ミカエル・アース
【キャスト】
ヴァンサン・ラコスト、イゾール・ミュルトゥリエ、ステイシー・マーティン、オフェリア・コルブ、マリアンヌ・バスレー、ジョナタン・コーエン、グレタ・スカッキ
【作品概要】
突然の悲劇で家族を亡くした青年と少女の絆を描いた映画『アマンダと僕』は、第31回東京国際映画祭でグランプリと最優秀脚本賞のダブル受賞。また、第75回ヴェネチア国際映画祭ではマジック・ランタン賞、第44回セザール賞ではヴァンサン・ラコストが主演男優賞に、またオリジナル音楽賞にもノミネート。
監督は、この作品が長編3作目となるミカエル・アース監督。アマンダ役のイゾール・ミュルトリエは、監督が自らスカウトし魅力を引き出しました。
映画『アマンダと僕』のあらすじとネタバレ
アマンダは学校が終わり、ひとり迎えを待っています。遅れてきたのは、アマンダの叔父さん、ダヴィッドでした。
ダヴィッドはアマンダの母親・サンドリーヌの弟です。姉に頼まれ今日はアマンダの迎えをする約束でした。
ダヴィッドは町の便利屋としてアパートの管理人をしています。アマンダを迎えにいく時間にアパートの新しい住人がやってきて遅れてしまいました。
家に帰り、デヴィッドのことを責めるサンドリーヌ。シングルマザーのサンドリーヌは、英語講師として忙しく働いています。
姉弟は両親が早くに離婚し、父親が亡くなってからはお互い助け合って生きてきました。喧嘩もするけど、とても仲良しの姉弟です。
ある日、アマンダはある本のタイトルが気になり母に訪ねます。「Elvis has left the building(エルヴィスは建物を出た)」ってどういう意味?
「この言葉は英語の慣用句で、もとはエルヴィス・プレスリーのコンサートで、終わっても帰らない観客に向かって言われた言葉なの。「どうしようもないこと」「おしまい」という意味で使われるのよ」。
サンドリーヌの説明を黙って聞いているアマンダ。サンドリーヌはエルヴィス・プレスリーの曲「Don’t Be Cruel」を流します。
曲に合わせて踊る母娘。ノリノリの夜は更けて行きます。この言葉を今後、思い出すことになるとは、この時の2人は何も知りません。
サンドリーヌは、弟のダヴィッドに、あるプレゼントを用意していました。それは、ロンドンで行われるウィンブルドンテニスのチケットでした。サンドリーヌとアマンダも一緒です。
学生時代、テニスが得意だったダヴィッドは姉からのプレゼントに喜びます。
ロンドンには姉弟が小さい頃別れた母親・アリソンが住んでいました。サンドリーヌはこれを機に、母親にアマンダを会わせたいと思っていました。
「アリソンに会うのは遠慮するよ」。ダヴィッドは母に会う気はありません。その他の旅の手配は順調です。
ある日、ダヴィッドの管理するアパートに新しい住人・レナがやってきます。レナの部屋の世話をするうちに2人は惹かれ合います。ピアノの先生もしているレナは、アマンダにピアノを教えることになります。
アマンダとサンドリーヌ、ダヴィッドとレナ、4人の日々は穏やかに幸せに過ぎていました。
その日、サンドリーヌは最近できた彼とデートの予定でした。アマンダはダヴィッドとレナとお留守番です。どこか嬉しそうにソワソワ出て行く母を、アマンダは楽しそうに眺めます。
ダヴィッドは、自転車でアマンダの家に向かっていました。その途中で信じられない光景を目にします。
映画『アマンダと僕』の感想と評価
映画『アマンダと僕』は、突然の悲劇で家族を失った青年と少女の絆の物語ですが、この物語の根底には、2015年11月に起きた「パリ同時多発テロ事件」があります。
物語の中でこのテロについての詳しい描写や、情報は描かれていませんが、多くの犠牲者の存在とその家族たちの悲しみの深さが伝わってきます。
映画の最後に映し出される、現在のパリの公園の様子は、家族や恋人、友達同士とピクニックや散歩を楽しむ市民であふれていました。
この公園が、血まみれで横たわる人々で埋め尽くされた映像が思い出されます。
穏やかな日常が一瞬にして奪われてしまったテロ事件。その幸せを奪う権利は誰にもありません。心から平和への祈りを捧げます。
映画の中で、ダヴィッドは最愛の姉を亡くします。同時に姉の子ども、幼いアマンダの面倒をみるという重圧がのしかかります。
そこで知る自分の不甲斐なさ。ダヴィッドは偉人でも成功者でもありません。ごく普通の人間です。多くの人はダヴィッドの気持ちに寄り添うことが出来るでしょう。
不安に押しつぶされそうになりながらも、アマンダと向き合うことで、ダヴィッドはアマンダによって自分の方が癒されていることに気付きます。
実の母親にアマンダを会わせるために訪れたロンドンで、ダヴィッドとアマンダは川沿いを自転車で散歩します。
その姿は、生前のサンドリーヌと自転車で走った思い出に重なります。サンドリーヌはダヴィッドの心、そしてアマンダの中にも生きているのです。
「僕たち上手くやっていけるかな?」と聞くダヴィッドに、アマンダは「今にわかるわ」。と答えます。答えはすでに出ていました。
同じ悲しみを持った2人は、お互いが必要なことを本能的に感じています。生き残った者の務めは、亡くなった人の分まで幸せに生きること。そこに繋がるのだと改めて感じました。
また、テロで突然母親を亡くした7歳のアマンダ。彼女の喪失感を考えると居たたまれません。それでも健気に逞しく生きようとする姿に、大人が勇気づけられます。
ミカエル・アース監督自らスカウトした、アマンダ役のイゾール・ミュルトリエの演技がリアルで、より一層惹き込まれます。
まとめ
テロ事件で家族を失った青年と少女の絆を描いた映画『アマンダと僕』を紹介しました。
突然の悲劇は誰にでも起こり得ることです。
この映画のようにテロによる事件かもしれない、また予想もつかない自然災害かもしれない、昨日まであった幸せが一瞬にして崩れ去る時が、残念ながらあるのです。
そんな時、人はその悲しみとどのように向き合っていくのか。7歳のアマンダを通して、大人は学ぶことになります。
そして、生きている今がどれだけ大事な時間なのかを感じて下さい。