Cinemarche

映画感想レビュー&考察サイト

ドキュメンタリー映画

Entry 2021/03/04
Update

映画『ヨコハマメリー』ネタバレ感想と結末解説。伝説の娼婦を見つめ返すことは横浜の歴史を知ることに等しい

  • Writer :
  • からさわゆみこ

かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた“ハマのメリー”の物語

映画『ヨコハマメリー』は、戦後50年間に渡り娼婦として街角に立った、“メリーさん”と呼ばれた女性の半生を追い、その生き様に迫る作品です。

“横浜の風景”とも呼ばれた、伝説の娼婦“メリーさん”は、1995年の冬、忽然と姿を消しました。そのあと彼女に興味を抱いた中村高寛監督が、5年をかけて取材を敢行し映画化されました。

本作は2006年にわずか2つの上映館から公開が始まり、徐々に増え半年以上のロングランヒット映画となりました。

中村高寛の初監督作品であり、文化庁記録映画部門優秀賞など多数の賞を受賞。2017年同監督の映画『禅と骨』の公開に合わせリバイバル上映、2020年10月には本作が誕生して、15周年記念の上映がされました。

映画『ヨコハマメリー』の作品情報

(C)MORI HIDEO

【公開】
2020年(日本映画)

【原作/監督】
中村高寛

【出演】
永登元次郎、五大路子、杉山義法、清水節子、広岡敬一、団鬼六、山崎洋子、大野慶人、福寿祁久雄、松葉好市、森日出夫

【作品概要】
本作は“メリーさん”と親交の深かった、永登源次郎氏(故人)をはじめとする、縁や接点のある人物の証言や貴重映像を基に、メリーさんの娼婦として歩んだ50年間の生き様を紹介しています。

また、メリーさんと同じ時代を生きた女性や、その舞台となった横浜“関外”の街を巡る戦後史なども語られており、在りし日の横浜の姿と歴史を知ることができるドキュメンタリー映画です。

映画『ヨコハマメリー』のあらすじとネタバレ

(C)MORI HIDEO

“急逝した、杉山義法、永登元次郎、広岡敬一に捧ぐ”

雑踏の中で若い人と思しき声でメリーさんの姿と“噂”について答えている。

「“ローザさん”って人でしょ? 全財産持ち歩いているって」「超白い人でしょ? 横浜駅にいつもいる」「親も言ってるかなりヤバい人だって」「すごい真っ白で、毛も白くて背がでっかいの」

そして、大人達が語る“メリーさん”とは……。

「福島だか茨城の施設に入ってる」「広島の方にある実家に帰った」「朝9時頃にバーガーキングに来て、自叙伝を書いている」「詩人の恋人がいて、“LIFE”の表紙にもなった」

「メリーさんでしょ?とっくに死んだ、2、3年前に」

横浜市の関外と呼ばれる地域に、“ハマのメリー”と呼ばれる老婆の娼婦がいました。彼女は戦後、進駐軍の将校を相手にする娼婦として、横浜の街角に立っていました。

しかし、そんな彼女には“山手の豪邸に住んでいる”とか、“皇族の末裔”などの噂がついてまわるも、その真相については誰も知りませんでした。

シャンソン歌手の永登元次郎氏が、はじめてメリーさんに声をかけたのは、1991年8月6日に関内ホールで行われた、自身のリサイタル当日の正午頃でした。

ホールの入り口に貼られた、リサイタルのポスターを見ていたメリーさんに、元次郎氏は思いきって話しかけました。

「今夜ここで歌うので、もしお時間があったら、聴きに来てくだいませんか」と、招待券を渡したのです。

元次郎氏はステージで歌いながら、会場にメリーさんがいることを願っていました。そして、アンコールに入る前、花束贈呈タイムの観客の中にメリーさんの姿をみつけました。

1人1人丁寧に握手し、言葉を交わす元次郎氏でしたが、とりわけメリーさんの番になったときには、「メリーさん!」と嬉しそうに声をかけ、握手の時間も長いものとなりました。

元次郎氏は言います。「(横浜では)メリーさんは有名で、元次郎は無名だけどメリーさんは有名だから、一緒に拍手を贈られました」

このことをきっかけにして、永登元次郎氏とメリーさんの交流がはじまりました。

また取材中、永登元次郎氏は末期がんに犯されていることを公表しました。

その元次郎氏は経営するシャンソン・バー「シャノアール」で歌う傍ら、メリーさんに経済的支援もしていました。

その中のエピソードとして、メリーさんは気位が高く、現金をそのままでは受け取りません。そこで、祝儀袋に“お花束”と書き「お花でも買って飾ってね」と付け加えて渡すと、受け取ったそうです。

元次郎氏はメリーさんが娼婦を貫き通した人生に対し、興味本位ではなく、共感できたのには理由があったと話します。

歌手を目指し20歳の時に上京するも挫折し、ゲイだった元次郎氏は川崎の堀之内で、“男娼”を2、3年していた経験があったからです。

以下、『ヨコハマメリー』ネタバレ・結末の記載がございます。『ヨコハマメリー』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。

(C)MORI HIDEO

1954年、メリーさんは33歳で横須賀にやってきて、組合や特定の店に縛られず、G.I.(アメリカ兵)相手の店に出入りして仕事をしていました。

貴族のようなつばの広い帽子を被り、ひらひらとした白やピンクのレースをあしらった、ドレスを身にまとっていたといいます。

その姿はさながら皇族のようであったため、横須賀時代は“皇后陛下”と呼ばれていました。そこから没落した宮家の出身なのでは?と言われるように……。

女優、五代路子の独り芝居「横浜ローザ」の中では、伝統的な文化や歴史の浅いアメリカ人は、こういうスタイルが好きで、“貴族の娘なのではないか?”という風に噂が広がったといいます。

メリーさんは下級のアメリカ兵ではなく、少尉以上の将校しか相手にしていませんでした。スッと現れては手をつなぐわけでもなく、雑踏に紛れるように消えて行ったといわれてます。

1961年、メリーさん40歳の時に横浜にたどり着きました。

舞踏家の大野慶人が初めてメリーさんを目撃したのは、妻が“SILK CENTER”で営むドラッグストアでした。

大野氏はそのころの彼女を“きんきらさん”と呼んでいました。時代は高度経済成長期だったので、多くの輸入品を扱うようになっていました。

店に立派なガラス張りの香水ケースが入ってきた時、メリーさんがその香水を慈しむような眼差しで、みつめていたのが印象的だったと言います。

大野氏が忘れられない思い出は、客船が出航するある日、船のデッキと波止場の間にたくさんの紙テープがゆれる中、メリーさんと将校が駆け寄り抱き合いキスをした光景です。

それはメリーさんの外国人の恋人で、恋人が本国へ帰ってしまうという、悲しい別れの場面でした。

大衆酒場“根岸家”に出入りしていた、お座敷芸者の五木田京子さんは、根岸家の前に立っていたメリーさんをよく見かけています。

“根岸家”は戦後すぐに開店し、24時間営業の安くてなんでもある酒場として隆盛を誇り、横浜の夜の象徴とも言われ、黒澤明監督の映画『天国と地獄』にも登場しました。

五木田さんは根岸家の前には、他にも娼婦の人たちがいたが、メリーさんはしゃべったりつるむこともなく、“我は我”といった風格で立っていたと言います。

他の女性たちは根岸家に出入りするお姐さん達に、愛想よく挨拶するけどメリーさんだけは頑なにしなかったため、五木田さんとケンカになったことがありました。

メリーさんからすると弱い商売をしている者に、“居丈高(いたけだか)”な態度をされたと、思われたのだと五木田さんは振り返っていました。

時代の流れと共に、隆盛を誇った“根岸家”も1980年に倒産し、のちに店は火災で焼失してしまいました。

野毛大道芸のマネージャー大久保文香さんは、メリーさんは年賀状に“ニシオカユキコ”と、いう名をサインして送っていたと証言しています。

大久保さんはその“ニシオカユキコ”が、メリーさんの本名なのではないかと思っていました。そして、あて先は当時の神奈川県知事、そしてメリーさんがお昼寝の場所に使っていた、“アート宝飾”の六川社長もいたと話します。

六川勝仁社長は、メリーさんは他の店先をお昼寝の場所にするたびに、追い出されていたけれども、“アート宝飾”はそのままにしていたと言います。

するとある頃から、お中元とお歳暮の時期に贈り物が届くようになり、それはメリーさんなりのお礼の気持ちが、込められていたのではないかと話します。

大久保さんはメリーさんが利用していた、“相生(あいおい)ティールーム”でのできごとを話します。

他の客から「メリーさんと同じカップは使いたくない」という、クレームがあってもけしてメリーさんを出入り禁止にはせず、メリーさん専用の奇麗なカップを用意して迎えたといいます。

大久保さんの想像の話として、相生ティールームの方は「“貴女は素敵な方だから、貴女にふさわしい奇麗なカップを用意いたしましょう”と、言ってくださったはず」と言います。

メリーさんは特徴的な高い声で「私のカップでおコーヒーを」というと、お店の人も「はい」と、言って出していました。

また、神奈川県民ホールの公演を仕切っている、イベンターの話しとして続けます。

オペラや海外の大きな演劇を企画した時は、日本人や神奈川の人に受け入れられるか緊張する。特に自信のある企画には必ず、観客としてメリーさんが来場し、その公演はヒットする。そんなジンクスもありました。

“美容室ルナ”の湯田タツさんはメリーさんの思い出として、会話などしたことがなかったのに、「大切な(ヒスイの)指輪がどこかにいってしまったの」と悲しそうに話したことを話します。

つい漏らしてしまうほどに悲しかったのは、恋人から贈られた大切な物だったのではと、湯田さんは推察します。

ところが次に来店した時には、指にはめてきたので、湯田さんは「指輪、みつかったんですね」と話しかけると、満面の笑みで応じたと言います。

しかし、折しも“HIV感染パニック”があった時期で、美容室ルナにはメリーさんへの偏見から「同じブラシやタオルを使ってほしくない」と、クレームがあり不本意ではあったけど、メリーさんを来店禁止にしてしまいました。

さて、メリーさんの代名詞ともいえる“白塗り”のルーツは、メリーさんの通った化粧品店“柳屋”の福永美恵子さんが薦めた、油分不使用の練り白粉だったと言います。

一度、福永さんは松坂屋で寂しそうなメリーさんを見かけ、お茶に誘ったら無言で手で追い払われたことがあります。

店では気さくだったメリーさんの変貌ぶりに戸惑い、ご主人に話すと「一緒にお茶などしたら、同業者という目で見られる。それはメリーさんの気遣いだ」と、諭されたと話します。

野毛大道芸の大久保さんは、メリーさんの方から声をかけられる男性は光栄な人と言われていると、声をかけられる条件を3つ教えてくれます。

1.メガネをかけている人=頭が良い
2.太っている人=お金がある
3.色が黒い=健康的

こんな基準があり、作家の団鬼六氏はメリーさんに目をつけられ、水のごとくついてこられた時期があったと証言しました。

大久保さんがある日、メリーさんと松坂屋の前であった時、だいぶくたびれた風貌になっていて、「私はお部屋がほしいの」と言ったことがあり、哀れに思ってなんとかしてあげたいと考えたと話します。

その気持ちを汲んだ永登元次郎氏が、行政に掛け合ったり動きだし、メリーさんとも毎週バーガーキングで会うようになりました。

しかし、住民票のないメリーさんは、横浜行政のサービスは受けられませんでした。そして、1995年の冬、ハマのメリーさんは忽然と横浜から消えるのです……。

“忽然と消える”、そんな風に世間では漏れ伝わりましたが、忽然と消えたわけではなく、そこにはメリーさんを見守ってきた人の情けがあったのです。

メリーさんに更衣室を提供していた、クリーニング店“白新舎”の山崎きみ子さんは、横浜に移住はできないだろうと、「故郷に戻られたらいかがですか?」とメリーさんに聞くと、「うん」と答えたと言います。

きみ子さんがメリーさんの実家に連絡し、帰省する列車の手配までしました。それまでお茶を出しても飲まないような人が、少しだけ身の上話もして驚いたという、最初で最後の思い出となりました。

メリーさんは帰京するその日も白塗りのままでした。

そして、メリーさんが横浜からいなくなると、その周囲にも変化が訪れます。美容室ルナは廃業。クリーニング店白新舎は1999年に閉店しました。

永登元次郎氏は闘病生活を送りながら、シャンソンを歌いある時、メリーさんの暮している養老院まで慰問に出かけます。

メリーさんは元次郎さんの歌を頷きながら聴いていました。奇麗に整えられた白髪の髪と光沢のあるバラ色の上着、肌は本来の色白さで紅い口紅をして、薄っすらアイシャドウを入れた品のあるお婆さんの姿でした。

慰問が終わり元次郎さんと並ぶメリーさんには、少女のように無垢で美しい満面の笑みが溢れていました。

そして、元次郎さんと手をつなぎ自室に戻る後ろ姿は、親子のようであり姉弟のようにも見え、2人には安息が漂っていました。

映画『ヨコハマメリー』の感想と評価

(C)MORI HIDEO

“白塗りの顔”の意味に迫る

メリーさんは横浜市の中心部で、白塗りの化粧と貴族のようなドレス姿で、目撃されていて、その界隈ではかなりの有名人でした。

さらに広く注目を浴びることになったのは、1980年代に入ってから、街の変わった人物を紹介するメディアが増えたことです。メリーさんもこのブームによって、全国レベルで有名になりました。

監督はドキュメンタリーを作るにあたり、メリーさんを知らない世代に“語り継ぐ”使命のようなものを抱いた。と、語っています。

メリーさんには、数々のまことしやかな噂がありましたが、近しい関係者や関わってきた人の証言によって、より“本物のメリーさん”を伝えたかったと言います。

ところがこの映画はメリーさんの真実よりも、戦後の混乱期に体を張って生き抜いてきた女性の姿や、日本であって日本じゃない、アメリカの文化に心躍らせる、横浜庶民のたくましさが垣間見える作品でした。

メリーさんの“白塗りの顔”は、証言による“事実”と作り上げられた“噂”が、“白粉”だとすると、メリーさんはそれを顔に塗り重ね、黒く太い目張りにして、本当の自分を隠していった姿ともとれるのです。

結局、メリーさんの真実は誰にもわかりません。真実というよりは出来事としての事実であり、個々が感じた真実でした。

大半は接してきた人の事実から、目撃した人の印象噂が独り歩きし、“横浜の象徴”と化し作り上がったのが、メリーさんなのだと感じました。

真実はメリーさんだけのものであって、それらの噂や事実を身にまとって生きたのが、“ハマのメリー”だったと、思ったのです。

それを物語るように、故郷に帰った時のメリーさんの顔は、全てを脱ぎ去った純真無垢な姿でした。

永登元次郎氏の“メリーさん”への想い

特に交流の深かった永登元次郎氏の半生も、この映画を語る上で裂くことのできないエピソードです。元次郎氏とメリーさんの出会いには、強い必然性を感じました。

元次郎氏はメリーさんを自分の母親と重ね合わせて見ていて、また自身の人生とも重ね合わせてみていました。

思春期の頃、お母さんを罵倒し傷つけ、元次郎氏は家を飛び出してしまいます。元次郎氏にとって、メリーさんを支援してきた行動は、母への“懺悔”だったのでは

そして、老いてもなお街角に立ち続けたメリーさんの姿は、歌手として歌い続けたい元次郎氏の思いに共鳴し、元次郎氏の自己肯定に繋がっているのではないでしょうか。

こう考えた時、元次郎氏がガンに犯されながらも、ひたすらにメリーさんのために、深く関わっていく衝動が心に響いたのです。

永登元次郎氏、2004年逝去。ハマのメリー、2005年逝去。2人とも本作の完成を観ずに亡くなりました。

まとめ

(C)MORI HIDEO

映画『ヨコハマメリー』は、単に伝説の娼婦“ハマのメリー”の姿を追った、ドキュメンタリーではありません。

メリーさんを追うことは必然的に、彼女が生きた横浜の背景や歴史も語らねば始まらないという、そんな映画でした。

また、メリーさんを紐解くことは、戦後の悲しくもたくましい女性の姿や生き方、それによる差別や偏見、悲劇などが浮き彫りにもなっていました。

「生き抜くために」という、タフな精神がその時代にはありました。誰かがどうにかしてくれるわけではなく、自分で何とかしなければ生きられなかった時代です。

それでも人の情けが、孤独な老女を白塗りの呪縛から解放したのだと思います。

誰かが“気にかける”だけで、人は孤独ではなくなります老いも若きも“孤独”を抱え、動けないでいる人が多い現代こそ、周囲に気をかける必要があると、考えさせられた作品でした。

関連記事

ドキュメンタリー映画

ザイドル映画『サファリ』あらすじネタバレと感想。ラスト結末も

観客を震撼させた!! アフリカで合法的に行われている自然動物の殺戮。トロフィー・ハンティングの実態に迫ったドキュメント映画作品とは? 人間の倫理観に問いかけた作品をご紹介します。 CONTENTS1. …

ドキュメンタリー映画

『ただいま、つなかん』あらすじと感想評価。渡辺謙がドキュメンタリー映画で語る‟苦しみからの復興”

「ただいま」と帰る場所から、 「行ってきます」と前に進むこと。 舞台は、宮城県気仙沼市唐桑半島鮪立(しびたち)。この小さな漁村にも津波が押し寄せます。2011年3月11日、東日本大震災。町は壊滅。この …

ドキュメンタリー映画

映画『虚空門 GATE』ネタバレ感想と結末までのあらすじ。UFOドキュメンタリーが行き着いた驚きの展開とは⁈

数々のアダルトビデオ、アントニオ猪木を追ったドキュメンタリー『猪木道』の制作に関わってきた小路谷秀樹監督が次に手がけた作品は、なんと「UFO」でした。 「月面異星人遺体動画」に触発された小路谷監督が、 …

ドキュメンタリー映画

アップリンク2019年に日本公開。ジョン・カリーのドキュメンタリー映画【LGBTを公表したスケーター】

1976年にインスブルックオリンピック男子シングル金メダリスト、同年の世界フィギュアスケート選手権優勝を果たした彼の知られざる人生を描いたドキュメンタリー映画『The Ice King(原題)』のアッ …

ドキュメンタリー映画

ドキュメンタリー映画『子どもが教えてくれたこと』あらすじネタバレと感想。ラストの結末も

“生きるとは、人生を愛するということ” ドキュメンタリー映画『子どもが教えてくれたこと』に登場する子どもたちは、皆病気を患い治療を受けながら毎日を精一杯に生きています。 家族とのかけがえのないひと時、 …

【坂井真紀インタビュー】ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』女優という役の“描かれない部分”を想像し“元気”を届ける仕事
【川添野愛インタビュー】映画『忌怪島/きかいじま』
【光石研インタビュー】映画『逃げきれた夢』
映画『ベイビーわるきゅーれ2ベイビー』伊澤彩織インタビュー
映画『Sin Clock』窪塚洋介×牧賢治監督インタビュー
映画『レッドシューズ』朝比奈彩インタビュー
映画『あつい胸さわぎ』吉田美月喜インタビュー
映画『ONE PIECE FILM RED』谷口悟朗監督インタビュー
『シン・仮面ライダー』コラム / 仮面の男の名はシン
【連載コラム】光の国からシンは来る?
【連載コラム】NETFLIXおすすめ作品特集
【連載コラム】U-NEXT B級映画 ザ・虎の穴
星野しげみ『映画という星空を知るひとよ』
編集長、河合のび。
映画『ベイビーわるきゅーれ』髙石あかりインタビュー
【草彅剛×水川あさみインタビュー】映画『ミッドナイトスワン』服部樹咲演じる一果を巡るふたりの“母”の対決
永瀬正敏×水原希子インタビュー|映画『Malu夢路』現在と過去日本とマレーシアなど境界が曖昧な世界へ身を委ねる
【イッセー尾形インタビュー】映画『漫画誕生』役者として“言葉にはできないモノ”を見せる
【広末涼子インタビュー】映画『太陽の家』母親役を通して得た“理想の家族”とは
【柄本明インタビュー】映画『ある船頭の話』百戦錬磨の役者が語る“宿命”と撮影現場の魅力
日本映画大学