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Entry 2018/10/08
Update

アート・オン・スクリーン『フィンセント・ファン・ゴッホ〜新たなる視点』ネタバレと感想

  • Writer :
  • 福山京子

スクリーンから今までにないゴッホと出会えます。

20世紀の美術にも大きな影響力を及ぼし、ポスト印象派を代表するオランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホの真の姿とは?

ゴッホの悩ましくも輝ける人生を深く掘り下げ、ゴッホの人生をともに辿る芸術ヒューマンドラマです。

映画『フィンセント・ファン・ゴッホ〜新たなる視点〜』の作品情報

【公開】
2018年(イギリス映画)

【原題】
Vincent van Gogh:A New Way Of Seeing

【脚本・監督】
デイビッド・ビッカースタッフ

【作品概要】
美術史に名を残す巨匠たちの人生に迫る「アート・オン・スクリーン」シリーズ第3弾です。

“芸術家の人生を感じる美術”へと映像化に取り組んできた「アート・オン・スクリーン」は、歴史的な美術品を創り出したアーティストに焦点を当て、本人の抱える境遇や創作動機を紐解きながら人生を辿り、人間の可能性を語る映像エンターテイメント。

プロデューサーはエミー賞やBAFTAの審査員も務めるフィル・グラブスキー。アーティストや美術館のストーリーに深く切り込むドキュメンタリーに定評があります。

映画『フィンセント・ファン・ゴッホ〜新たなる視点〜』のあらすじとネタバレ


フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)「ひまわり」1889年 アルル (C)ファン・ゴッホ美術館

オランダ・ゴッホ美術館の館内、作品を展示するスタッフたちと、ゴッホの油絵、素描、スケッチ…、そしてゴッホに扮した男の青い眼。

ゴッホ美術館の館長は、「ここはゴッホ美術館、1973年に国立美術館として設立されました」と語り始めます。

ゴッホという名前がつけられているだけに、コレクションは弟テオトルスト、妻ヨハンナの所有していたものです。

さらに学芸員は「油絵約200点、素描約500点、書簡700点、特に手紙が弟テオ、妻ヨハンナ、家族、友人と多く交わされています」と解説。

ゴッホといえば、世界中誰でもが知っている有名な画家で「ひまわり」「耳切り事件」「弟テオ」「精神の病で自死」というぐらいセンセーショナルな話題と過激なイメージが知れ渡っています。

今回展示をリニューアルするに当たり、今までのゴッホの周知の情報とイメージの上に新しい視点を持って取り組みました。

学芸員とスタッフの話し合いや展示する様子に、「今まではゴッホの絵画を展示する階と、彼自身が影響を受けた他のアーティストの作品を展示する階、というように分けていました。それをリニューアル後には、ゴッホ自身の作品と彼が影響を受けた作品を並べて展示するようになりました」と解説が入ります。

このような展覧を可能にすることで、ゴッホの人間性を深く伝えることが可能になり、本当のゴッホを発見し、彼の人生そのものを伴走することができます。

絵画と多くの手紙を紹介しながら、ゴッホの人生を辿ります。

フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホは、1951年オランダ南部の村フロート・ズンデルトに生まれました。

父は敬虔なプロテスタントの牧師、祖父も高名な牧師で、伯父は画商グービル商会ハーグ支店を経営。2人の弟と3人の妹がおり、4歳下のテオとは、生涯にわたり強い絆が結ばれます。

学芸員の解説で「少年時代のゴッホは、扱いにくい子どもだったようです」と指摘されます。

テオとよく家の近くの畑で散歩をしていたようで、自然の中で過ごす少年でした。その後、11歳になると、家族と離れて寄宿舎に入ります。

しかし、詳しい理由は分かリませんが中学も中退し、伯父のグービル商会に勤めます。

しばらくしてロンドン店、パリ店と勤務し、若くして英語・フランス語・ドイツ語で本を読み、英語で手紙を書きました。

当初は、画廊の仕事にやりがいを感じていました。

お店にはオランダの画家の絵やミレーやコローの版画がたくさんあり、ゴッホはそこで多くの作品に触れ合えました。

その他、ロンドン店で下宿先の娘に恋をして、プロポーズをしましたが断られます。失恋の痛手で仕事ができず、職場関係も悪くなり、画廊を解雇されてしまいます。

父からテオの手紙が紹介され、「フィンセントがこれからどうなるのか、私たちにはまだ分からない。フィンセントには良いところもたくさんある。だから職場が変わることは必要かもしれない」と綴られていました。

ゴッホの父は、何度も手紙を送っていますが返事は来ず、“私たちはひどく悲しい思いでいる。本当に心労と悲しみで疲れ果てている”という状態でした。

イギリスの学校でフランス語やドイツ語を教えたり、宗教活動に加わったり、オランダに戻って本屋に勤めたりと、なかなか職が定まりませんでした。

“『神の言葉を種蒔く人』に僕はなりたいと願っている”と手紙に書いているように、ゴッホはアムステルダム大学神学部を目指して勉強を始めます。

「こんなおそろしいもの」(古典語の文法)が自分の仕事に必要とは思えないと手紙にも残しているゴッホは、同じ頃アムステルダムの赤線地帯にあった礼拝堂で日曜学校の教師もしていました。

神学より伝道の方が大切だと思ったゴッホは、勉強を放棄しベルギーの炭鉱町ボリナージュで伝道師の見習いとして働きます。

炭鉱事故のけが人を献身的に看病し、飢えた人々を助けたりして献身的に働いていましたが、奇矯な行動やみすぼらしい格好で伝道することで、伝道を禁止されました。

しかし炭鉱で苦しむ人々を目の当たりに見てきたゴッホは、だれかの役に立ちたい思いが強くなりました。

自分らしく生きたいけれどうまくいかず、いつも空回りする自分を悩み、信仰の他に自分を素直に表現できるもの、自分の信じるもの、感じるものを絵にしようと、画家になることを決意します。

画家として出発するゴッホは、27歳。独学でデッサンを描き始めます。

当時のデッサンが多く残されており、多くの展示を紹介します。

何枚も何枚も練習し、初期の拙いデッサンから少しずつ上達していく過程がその展示を見るとよく分かります。

その初期に農民や労働者を頻繁に描き、特にミレー作品の素描模写が有名で紹介されます。

また炭鉱で働く人々の絵も紹介されますが、ゴッホの心を捉えたのは貧しい炭鉱夫とその家族の姿でした。

そこには弱者への共感と哀れみが描かれています。

親戚の家に住んでいた頃に従妹のケーに恋をすると、彼女は夫に先立たれて一人で幼子を育てていました。

ゴッホは激しく彼女に求愛しますが、ケーの両親に放り出されます。

その時ゴッホは自分の中で「何かが死ぬのを感じた」と手紙に書き残しています。

ポリナージュの教会に拒まれ、愛する人に拒絶されたゴッホは、さらに『愛する』『愛される』ことを求めるようになり、1881年にハーグに移り住むと、子連れで身重の娼婦シーンと出会い、彼女と同棲をはじめます。

人体デッサンに取り組んできた成果が出始め、描線の表現力を生かしながら、人体のリアリティが描き出せるようになっています。

ゴッホは生涯にたった一度だけ持った家族に夢中になり、シーンをモデルにして絵を多く描きましたが、両親やテオの説得もあり、別れてドレンテという田舎町に移りました。

孤独な生活に耐えられなくなったゴッホは、1883年ニューネンの両親の家に戻ります。

ニューネンでアトリエをもらったゴッホは、次々に作品を生み出し、初めての大作の油絵『じゃがいもを食べる人たち』を完成させます。

ゴッホはこの絵を描くため、数多く素描を重ね習作を残しました。

手紙にも「ぼくはランプの光の下でじゃがいもを食べる人たちが、今皿に伸ばしているその手で土を掘ったのだということを強調しようと努めた」と、ゴッホは働く農民への敬意を込めて描いたことを綴っています。

1886年ゴッホは突然パリに住むテオの家に押しかけたその日が、ゴッホにとって”光の世界への入り口”でした。

以下、『フィンセント・ファン・ゴッホ〜新たなる視点〜』ネタバレ・結末の記載がございます。『フィンセント・ファン・ゴッホ〜新たなる視点〜』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。

パリの北駅からゴッホは手紙を綴り、「突然やってきてしまったのだが、怒らないでほしい。正午過ぎか、君が良ければもっと早くルーヴルに行っている。何時にサル・カレに来れるか返事して欲しい」と、弟のテオに送ります。
 
テオは当時パリの画廊に勤めていたので、最新の絵画やロートレックやベルナールらの画家に出会うことができました。

学芸員の解説によると、パリ時代のゴッホの作品が以前に比べ印象派の影響を受け明るい色彩で描かれていますが、何となく色が濁り、色彩バランスが大胆過ぎた絵であり、ロートレックの絵と比べて映し出されています。

印象派との出会いで色彩に開眼したゴッホは、鮮やかな色彩が眩しい日本の浮世絵に出会います。

浮世絵に影響を受けたゴッホの絵と浮世絵が紹介されます。

その一つに『ダンギー爺さんの肖像』がありますが、その背景に浮世絵を散りばめています。

ゴッホは日本をユートピアと捉え、ダンギー爺さんをユートピアの住人のように描きました。

充実した日々にゴッホは、自分の自画像を30点以上にわたり描いています。

ゴッホはさらに明るい光、ユートピアを求めて、南フランスのアルルに移ります。

春に桃や桜のようなアーモンド、夏には一面のひまわりが咲きました。1887年から2年間にモチーフとなる『ひまわり』がほとんど描かれました。

ゴッホは「この冬、パリからアルルへ来る途中受けた感動は思い出してもまだありありと浮かんでくる。まるでもう日本に来たのじゃないかと目を凝らしたほどだった」と画家ベルナールに手紙を送っているほどの衝撃でした。

このアルルにユートピアを夢想し、ゴッホは芸術家の共同体を実現しようとしますが、実際やってきたのは、ゴーギャンたった一人でした。

幸せな共同生活もつかの間、考え方の違いや口論の末にゴーギャンはアルルを去ります。

そして、ゴッホは絶望と悲しみで混乱し自分の左耳を切り落とした翌日、ゴッホは病院に収容されます。

何度も発作を繰り返すようになり、1889年南仏のサン=レミ精神療養院に入院し治療に専念します。

その頃テオと妻ヨハンナに子どもが授かり、その子にはゴッホと同じ名前「フィンセント」と名付けられ、ゴッホは、甥のために『花咲くアーモンドの木の枝』を描き送りました。

1890年に南仏を後にしたゴッホは、パリ郊外の美しい町オーヴェールに転居すると、ゴッホの主治医となる精神科医ガッシェも見守ってくれていました。

精神的に不安定な日々もありましたが、勢力的に絵を描いていたゴッホでしたが、1890年7月、ゴッホは拳銃自死。

兄を追いかけるように半年後、弟テオも亡くなります。

27歳から画家を目指し、苦難の中にも描く喜びを見出したゴッホは、生涯37年の生涯を閉じます。

映画『フィンセント・ファン・ゴッホ〜新たなる視点〜』の感想と評価


(C)Seventh Art Productions & Annelies van der Vegt-42

ゴッホ美術館の館長から学芸員、研究者そしてゴッホの子孫まで、ゴッホを熱く深く語ります。

その語りは、時に激しく、ある時は静かに、誰もがほとんど途切れることがありません。

画家ゴッホには、誰もを語らせる魅力とパワー溢れる存在なのでしょう。

あらためてゴッホという人物を本作とともに辿っていくと、幼少の頃から悩み苦しみ続けていました。

両親の愛を理解することはできても、感じることができないゴッホ少年の姿を感じます。

中学で家族と離れて寄宿舎へ、中学でうまく友人関係がいかなかったのか、グービル商会で働きながら学びます。

失恋して仕事も辞めさせられて、伝道師にもなれない状況で、悩み抜いた末に、愛する人、愛する場所、だれかのために生きたいと目指していく画家。

両親はゴッホの過激な性格や、行動極端に落ち込む様子に悩みつつも、手紙のやり取りや経済的な援助をし続けます。

何と言っても心の支え、生涯良きパートナーの弟テオ。

画家としての努力は、生半可のものではないのでしょう

命を一日ー日削り落として、キャンパスに情熱を塗り込んでいるような集中力。

映画を観ているものは、ゴッホとともに苦しみもがき、光を掴めた絵が完成した瞬間ともに、一緒にいるかのように喜ぶことができます。

それこれがゴッホが世界中の人々を惹きつけて止まない理由かもしれません。

まとめ

次のようなフィンセント・ファン・ゴッホの言葉が残されています。

「芸術は長く残るが、命は短い。命を削りながら、辛抱強く待たなければいけない」

自分の命の限り追い求め、生き切ったゴッホの魂の作品と人生を、スクリーンでともに歩んでみませんか。

あなたのユートピアにも出会えるかも…。

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