スタンリー・キューブリック監督の非公認SF三部作『博士の異常な愛情』
映画『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(以下『博士の異常な愛情』)は、『2001年宇宙の旅』(1968)や、『時計じかけのオレンジ』(1971)で知られたスタンリー・キューブリック監督のSF三部作の作品。
スタンリー・キューブリック作品では最後の白黒映画にあたり、ピーター・ジョージ原作の『破滅への二時間』が持つディストピア的物語を、ブラックコメディとして昇華しました。
冷戦真っ只中、核戦争目前に迫った世界を舞台に、皆殺し兵器の噂に右往左往するアメリカ軍を、面白おかしくゾッとするように描いたシニカルな映画です。
CONTENTS
映画『博士の異常な愛情』の作品情報
【日本公開】
1964年(アメリカ映画)
【原題】
Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb
【原作】
ピーター・ジョージ
【監督・製作】
スタンリー・キューブリック
【キャスト】
ピーター・セラーズ、スターリング・ヘイドン、ジョージ・C・スコット、スリム・ピケンズ
【作品概要】
映画『博士の異常な愛情』は、『時計じかけのオレンジ』や『2001年、宇宙の旅』のスタンリー・キューブリック監督が手掛けた難解で芸術的なブラックコメディ作品。ソ連の陰謀論を信じる余り、世界が滅びる一秒前ですら自分のことしか考えられない愚かな人類の結末を、アメリカ側から描いています。「ロリータ」「ピンクパンサー」シリーズのピーター・セラーズが、英軍大佐、マフリー米大統領、表題でもあるストレンジラブ博士の3役を見事に演じています。
映画『博士の異常な愛情』のあらすじとネタバレ
マンドレークは、リッパー准将から電話を受けました。リッパー准将は「R作戦」というソ連との全面戦争の始まりを告げる、緊急かつ重大な指令を出しました。
またそれと同時に、全兵士にラジオの没収も命じます。ソ連に作戦を盗み聞きされる可能性を恐れるリッパー准将の様子には、狂気が滲んでいます。
コング少佐たちはリッパー准将からの指示を信じられず、演習を疑います。しかし、核兵器の使用を許可するに至ったリッパー准将の覚悟、そして自らの昇進を考え、コング少佐は指示が本物だと信じることにしました。
リッパー准将の基地では、疑心暗鬼が渦巻いておりました。近づく者は皆ソ連からの刺客だと判断し、リッパー准将は殺すことを、基地の兵士に命じていました。
アメリカ軍の兵士ですら、近づくならば発砲します。そんな基地にラジオから音楽が流れます。ソ連からの攻撃など受けていなかったという報告を、リッパー准将の耳に入ります。しかし、リッパー准将はそんな報告を全くもって信じませんでした。
リッパー准将はソ連の陰謀を疑っています。アメリカ人ですら、すでに共産主義的思想に歪まされさていると考えていました。だから、R作戦の指示を止めませんでした。
ソ連に核兵器を落とすまで、残り数十分に迫っていました。核兵器爆撃のパスワードを解読するには、数日かかるので、なんとかリッパ―准将の暴走を止めなくてはなりません。このままだと作戦通りにソ連を爆撃してしまいます。
冷戦に勝利するのならばそれでもいいではないかと、マフリー大統領は考えていました。そんな矢先、ソ連の首相から電話がかかります。
そこでマフリー大統領は、ソ連政府に対して気が狂った一人の暴走により水爆を投下してしまったことを知らせ、それを撃ち落として欲しいとお願いします。
「ソ連は極秘に皆殺し兵器を作っている」。そんな嘘か本当か分からぬ話が、アメリカ政府内に噂されていました。‟皆殺し兵器”とは、ソ連が核攻撃を受けた際に、自動的に起動して地球上の生命全てを滅ぼす史上最悪の兵器です。
ソ連はそれを‟抑止力”だと考えていました。しかし、その存在を隠していました。抑止力ならば、なぜ世界中に言わなかったのか。言わなければ、抑止力にはならないじゃないか。
そんなアメリカ側の主張もむなしく、ソ連への攻撃をきっかけに、皆殺し兵器が自動的に起動することを告げます。
ドイツ人からアメリカ人に帰化したストレンジラヴ博士は、皆殺し兵器の素晴らしさを語ります。人に委ねぬ機械的な冷酷さこそが、これの魅力且つ抑止力たりえる部分です。
しかし、ソ連は公表を先延ばしにしていたのでした。隠していた理由は、首相はサプライズが好きだからなどという、ふざけたものでした。
一方リッパー准将の基地では、アメリカ人同士の殺し合いが行われていました。ソ連の共産主義者は水の中に毒を仕込み、自らはウォッカばかりを飲むことで回避している。そんな妄想ともいえる演説をリッパー准将は自慢げに語ります。
ついに、リッパー准将の部下たちは降伏しました。リッパーは拷問を恐れ自らの命を絶ちます。最後まで、マンドレークにパスワードを教えぬまま、自ら銃を頭に打ち込んだのです。
水爆を止めるための3桁のパスワードを知っているのは、リッパー准将だけでした。もう、水爆を止めることはできません。なんとかパスワードを考えるマンドレークでしたが、ピンとくるものが閃きません。
映画『博士の異常な愛情』の感想と評価
ブラックコメディらしさの秘訣は”登場人物”
ストレンジラヴやジャック・リッパー、マンドレークなどは、登場人物の名前ですが、リアリティに欠けています。いかにも架空のものという名前は、この映画の導入「この物語は現実に起こりえないものだ」というナレーションも相まって、コメディ作品らしさを倍増させています。
ナチスへの忠誠心を抑えきれないストレンジラブ博士や、気が狂って自殺したリッパー准将、核爆弾にまたがって喜びを叫んだコング少佐は特におかしなキャラクターで、そのユーモラスな言動が物語をいっそう面白くしています。
目的と手段が入れ替わる恐ろしさ
核兵器の投下を止めようと奔走するアメリカ軍を無視して、コング少佐はソ連に爆弾を落としてしまいました。ソ連もアメリカも、誰も望んでいなかった爆弾投下です。
コング少佐は最後はもはや何のために爆弾を落とそうとしているのかも分からず、「爆弾を落とすこと=喜ぶべきこと」だと考え、歓喜に身を任せ叫びます。コング少佐の中で、目的と手段が入れ替わっていたのです。
これは、国民のためとか人類の平和のためと信じて始めた戦争が、いつしか相手を滅亡させることが目的になってしまう状況と、構図が似ています。
戦争を題材に、その馬鹿馬鹿しさをブラックコメディとして描いている本作ですが、この映画のテーマは反戦だけではありません。戦争を題材・背景にしているだけです。最も重要なテーマは「人間」であり、それをユーモラスに映しています。
利己的な政治家たちや、未来に恐れを抱いて自殺してしまう人、そして祖国の幻想を忘れられずに未来に歩けないままの人。そういった、人間の愚かさにフォーカスを当てているのです。
いくつもの愚かな人間の行為が積み重なった結果として人類は滅亡しました。戦争はあくまで、愚かな行為の一つにすぎません。
まとめ
スタンリー・キューブリックの、人類に対する皮肉全開の本作『博士の異常な愛情』。世界が滅亡してしまう危機に瀕する映画は数多くありますが、これほどまでにその出来事をあっけなく、そして馬鹿馬鹿しく描いた映画は他にないでしょう。
世界滅亡の危機のために行われる作戦も、人類の営みも全て、結局は無に帰ってしまいます。
“世の中全て、無意味なことで出来ている”というブラックコメディ的メッセージから逆説的に、無駄や無意味こそ人類の意味であるという、深いメッセージ性を感じます。
目的と手段が入れ替わった時には、何が正しいのかの判断すらできなくなってしまいます。数十年も前からスタンリー・キューブリックは、人間の利己的で愚かな性質を見極め、映画『博士の異常な愛情』で描いて見せたのです。