南仏プロヴァンスを舞台に、原作絵本の世界を美しくも優しく映画化!
フランスを代表する作家・イラストレーター・漫画家であり、雑誌「ニューヨーカー」「パリ・マッチ」で執筆している多才なアーティスト、ジャン=ジャック・サンペ。
彼の代表作である人気絵本『プチ・ニコラ』は、2009年映画化されフランスで大ヒットを記録、続編も製作されています。
そして新たに、彼の人気絵本である『今さら言えない小さな秘密』が、プロヴァンスを舞台に映画化されました。
主演はベルギーで仲間たちと製作した『ありふれた事件』で、監督・主演を務め、世界に衝撃を与えたブノワ・ポールヴールド。近年は『神様メール』、『シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢』に出演しています。
現在ベテラン俳優・コメディアンとして活躍する彼が、重大な秘密を抱えて生きる主人公の姿を、面白可笑しく、そして人生を讃えつつ演じます。
CONTENTS
映画『今さら言えない小さな秘密』の作品情報
【日本公開】
2019年(フランス映画)
【原題】
Raoul Taburin
【監督・脚色】
ピエール・ゴドー
【キャスト】
ブノワ・ポールブールド、スザンヌ・クレマン、エドゥアール・ベール
【作品概要】
妻子と幸せに暮らしている、村で評判の自転車屋の店主。しかし彼には、誰にも語れない秘密がありました。そんな男のドタバタ騒動を描いたコメディ映画。
脚本は『アメリ』のギョーム・ロラン。監督のピエール・ゴドーと、原作者のジャン=ジャック・サンペと共に、絵本の持つ温もりとエスプリ、そしてファンタジックな魅力を、映画に向けたストーリーに仕立て上げました。
主人公の妻を『私はロランス』出演以降、グザヴィエ・ドラン監督作品で活躍するスザンヌ・クレマン、友人を俳優以外にも多才な活躍を見せる、エドゥアール・ベールが演じます。
映画『今さら言えない小さな秘密』のあらすじとネタバレ
南仏プロヴァンスにある、サン・セロン村。ここでは誰も自転車を“チャリンコ”とは呼びません。“タビュラン”、自転車の修理店を営むラウル・タビュラン(ブノワ・ポールブールド)の名にちなんで、そう呼ぶのです。
自転車の音を聞くだけで壊れた個所を探し当て、簡単に修理してしまうラウル。村人に信頼され、愛する妻子と共に野心や思い上がりとは無縁の、幸せな日々を送っていました。
しかし彼は、人生最大の不幸をもたらすと固く信じている、人に語れぬ重大な秘密を抱えていました。実はラウルは、自転車に乗れなかったのです。
幼い頃は郵便配達員の父と、2人で暮らしていたラウル。村の肉屋の息子が、眼鏡屋の娘が家業を継ぐ様に、配達員になりたかったラウルですが、自転車に乗れずその夢を諦めます。
様々な経験を経て自転車に乗れないという秘密を、墓場まで持っていこうと誓ったラウル。しかし今は、なぜか大怪我をして病院のベットに横たわっています。
いかなる事情があったのか、彼は自分が隠していた秘密が妻や子供、そして村の人々に知れ渡る事を覚悟していました…。
少年時代のラウルは、父から自転車に乗る手ほどきを受けますが、いっこうに乗れる様になりません。人目の無いところで練習しても、すぐに倒れてしまします。
やがてラウルは父は周囲の人々に対し、自転車に乗れない事実を隠す術を身に付けます。自転車に乗った友達に誘われても、本を読んでいる事を理由にして断るラウル。
おかげてラウルは、平凡な成績から突然クラスで一番になりました。その姿を見た父は、息子が配達人ではなく詩人になるのでは、と心配していたかもしれません。
父から一緒に配達に行こうと誘われても、家の用事やピアノの練習を口実に断わるラウル。それでも彼は、人並み以上に自転車を愛していました。
自転車に乗れない原因を求め、部品を調べ尽くしたラウル。それでも運転は上達しません。常に自転車を押して歩く彼の姿は、まるでペットを連れ散歩しているようでした。
ところがある日、学校の行事でサイクリングに行く日がやって来ます。仮病を使って休もうとしますが、父と医者に見破られてしまします。
もはや嘘がバレるのも時間の問題、ラウルは覚悟を決めて当日を迎えますが、そこで運命のイタズラに遭遇します。
自転車に乗って先に進む、先生や同級生から遅れてしまったラウル。皆に呼ばれた彼は、覚悟を決めると自転車にまたがり、坂道を駆け下ります。
ところが坂道で加速したおかげか、自転車は倒れず勢いよく進みます。先生は慌てて止まるように叫びますが、勢いのついた自転車ははずみで宙を舞って見事に回転、そして自転車と共に池に飛び込んだラウル。
この出来事に他の生徒はビックリ仰天、ラウルは村の伝説となり、皆から英雄視されるようになりました。先生から事情を聞いた父も、話をすっかり信用しました。
こうしてラウルは皆の前で、自転車を押して歩いても何も言われなくなります。曲乗りの達人は街中で自転車に乗らないものだ、そう思われたまま彼は20歳の誕生日を迎えます。
父からの誕生日のプレゼントは、競技用の自転車でした。ラウルの曲乗りのうわさ話には尾ひれが付き、父もすっかりそれを信じていました。
実際は今だ全く自転車に乗れないラウル。父にそれを隠すのは心苦しく、意を決したラウルはある雷雨の日に、事実を父に告白します。
ところがそれを聞いて黙ったまま家を出た父は、雷に打たれて絶命、秘密を胸に秘めたまま墓の中に入ります。この日、自分の人生のドラマは、悲劇であると悟ったラウル。
こうして乗る事を諦め、父から贈られた自転車とも決別した彼ですが、自転車レースの日に、村からレースに参加したソヴールの自転車を、手際よく修理して喝采を浴びます。
自転車に乗れる人は多くても、その構造に強い人は多くありません。その腕を修理屋のファルハン親父に見込まれたラウルは、見習いとして雇われます。
みるみる腕を上げたラウルは、ファルハンの後を継いで修理屋を切り盛りし、会計のジュシアーヌに恋心を抱きます。
彼女を運命の人と信じたラウルは、折しも雷雨の日に、自分の隠した秘密、自転車に乗れない事実を打ち明けます。しかし彼女は呆れて、雷雨の中外へと出て行きます。
幸いにもジュシアーヌが、雷に打たれる事はありませんでしたが、雷鳴は警告だったと悟り、秘密は守り続けなばならないと悟ったラウル。
村が最大の自転車レース、ツール・ド・フランスで盛り上がった日、選手として参加したソヴールは、他の選手が集団転倒したおかげとはいえ、見事区間優勝をとげます。
残りのレースは棄権したソヴールですが、一躍村のヒーローとなった彼は、ジュシアーヌと急接近します。おかげでラウルは、恋愛ごっこと運命の出会いの違いに気付きました。
幼馴染みで、いつも彼を見ていたマドレーヌ(スザンヌ・クレマン)こそ、運命の人と悟ったラウル。彼はマドレーヌに自転車に乗れない事ではなく、愛を告白します。
こうして2人は結婚しますが、マドレーヌの両親は不幸にも自転車事故で亡くなっていました。これ幸いとラウルは、彼女の為に今後自転車に乗らないと誓います。
こうして彼女と自転車屋を始めたラウル。やがて息子と娘にも恵まれ、村人に信頼される名士として幸せに生活していきます。
ある日サン・セロン村に、肖像写真家のエルヴェ・フィグーニュ(エドゥアール・ベール)がやって来るまでは…。
映画『今さら言えない小さな秘密』の感想と評価
心温まる物語に息づく“エスプリ”精神
ささいな事が重要に思え、それに振り回されがちな人たちに、ユーモアを交えながら、生きるヒントを与えてくれる映画が、『今さら言えない小さな秘密』です。
心温まる感動の人間賛歌、と紹介したいところですが、主人公のお父さんの最期など、いささかブラックな要素も散りばめらています。
これこそフランス文化の誇る“エスプリ”精神のなせる技ですが、この“エスプリ”という言葉、便利に使われ過ぎて少々意味がはっきりしません。
“ちょっと遅れたけど、別にいいでしょ”、″お気の毒だけど、自分には責任無いよ”と、言い訳めいた態度を現したり、全てにウンザリしたシニカルな態度を現す、フランス人の態度や気質を現すにも、“エスプリ”という言葉は使われます7。
しかしこの映画に登場する“エスプリ”は、「それが人生さ」というC’EST LA VIE(セ・ラ・ヴィ)な態度と、「それは重要じゃなよ」というC’EST PAS GRAVE(セ・パ・グラーヴ)な態度。人生を達観する事で、より豊かに生きる事を薦める姿勢です。
フランス人ならではの“エスプリ”精神を、巧みに文章と軽妙なタッチの絵で表現しているジャン=ジャック・サンペ。その世界を映画は見事に表現しています。
イメージの飛躍やファンタジー性も表現
映画は原作の持つ、“エスプリ”精神だけを映像化したものではありません。絵本ならではの空想性を、映画の世界観の許す範囲、日常性の少し先にある映像で表現しています。
自転車を擬人化して描いた主人公との関係性や、美しい田園風景の中で非日常を描くシーンは、ファンタジーの要素が強いながらも、日常からかけ離れた光景として描きません。
これも軽いタッチの絵と、軽妙な文章で描かれたジャン=ジャック・サンペの、原作の持つ世界観を最大限生かす映画化を試みた結果です。
これは『アメリ』を書いたギョーム・ロランが、原作者と監督と共に脚本を手掛けた成果と見る事ができます。
映画のファンタジー的なシーン、そして日常的なシーンすらも、人工的で鮮やかな色彩で描かれた『アメリ』。同じようなテーマを内包しながらも、対照的に全てを自然な色彩の中で描いた『今さら言えない小さな秘密』。
その違いに意識すると、フランス映画の持つ魅力を再確認する事ができます。
まとめ
ウイットに満ちたフランス映画らしい、人間を讃えたコメディ映画が『今さら言えない小さな秘密』です。
ところでこの映画に関わった人物ですが、監督のピエール・ゴドーは父であり映画製作者・監督であるフィリップ・ゴドーに学び、父の製作した映画『八日目』に俳優として出演しています。
主演のブノワ・ポールブールドは、出世作である『ありふれた事件』で、製作・監督を務めた人物。また共演のエドゥアール・ベールも、俳優だけでなく監督・脚本家として活躍しています。
映画作りに対し、様々な面から関わった経験を持つ人物たちが、フランスの国民的絵本のイメージを、どのように映画化するかに拘った作品として見ることができます。
コミックや小説を映画化する際に、その世界観を維持する事を試み、成果を残した事例の1つと呼べる作品です。