連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第70回
行方不明になった13歳の少女の捜査に没頭するひとりの検事が、真実を突き止めるため、前代未聞の強硬手段に出る実話に基づくイタリアのノンフィクションサスペンス『ヤーラ』。
11月5日(金)よりNetflixにて配信となった本作を手がけたのは、6時間の長尺映画『輝ける青春』(2003)や『狂った血の女』(2008)で知られるマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督。
これまでも数多くの実話に基づくヒューマンドラマを世に送りだしてきたジョルダーナ監督が、本作ではイタリアを震撼させ、日本のバラエティ番組でも取り上げられた「ドラマのような本当の話」にスポットを当てています。
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Netflix映画『ヤーラ』の作品情報
【公開】
2021年配信(イタリア映画)
【原題】
yara
【監督】
マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
【出演】
イザベラ・ラゴネーゼ、アレッシオ・ボーニ、トマ・トラバッチ、サンドラ・トッフォラッティ、ロベルト・ジベッティ、マリオ・ピレッロ、キアラ・ボーノ、ミロ・ランドーニ、アンドレア・ブルスキ
【作品概要】
イタリアはブレンバーテで実際に起こった13歳の少女失踪事件とその後の研究機関や専門家による犯人捜索模様を描いたノンフィクション作品。
少女殺害事件を捜査する主人公の検事役をイザベラ・ラゴネーゼが、国家憲兵の大佐の役をアレッシオ・ボーニが演じています。またサンドラ・トフォラッティとマリオ・ピレッロは被害者の両親を演じ、犯人役をロベルト・ジベッティ、被害者の少女をキアラ・ボノが務めています。
Netflixが制作したこの映画では、グラツィアーノ・ダイアナが脚本を担当。撮影監督をロベルト・フォルツァ、編集をフランチェスカ・カルヴェリとクラウディオ・ミサントーニ、セットをロベルト・デ・アンジェリス、衣装をジェンマ・マスカーニが担当しています。
Netflix映画『ヤーラ』のあらすじとネタバレ
イタリアはブレンバーテ市。ミラノの隣に位置するこの町は、人口約7000人ほどが暮らす小さな町です。
2011年2月26日。飛行機模型を飛ばしていた男性が、町外れで偶然死後数ヶ月と見られる遺体を発見。
すぐに警察が駆けつけ服装の特徴からそれが行方不明の少女、ヤーラ・ガンビラジオである事が判明します。
捜査を担当していた検事、レティツィア・ルッジェーリが遺族へ連絡。少女の両親、フルビオとマウラは悲しみに暮れていました。
事件の手がかりとなるヤーラの日記を読み返すレティツィア。行方不明になった2010年11月26日、ヤーラはジムで体操の練習をしていました。
練習中に使用していたステレオが壊れたため、ヤーラは自宅のものを教室に持ってくると言い、門限までに戻ると母親に約束した上でジムへ戻りました。
門限の6時半を少し過ぎ、家へと戻る途中のヤーラを1台の車が追いかけていきます。
家へ戻らず電話にも出ないヤーラを心配した母親のマウラは、ジムへ迎えに行きますが、彼女は帰ったと言われてしまいます。
父親のフルビオは、1人で帰宅途中だった娘が失踪したことを憲兵に相談しました。
憲兵から事件の詳細を聞いた検事のレティツィアは、翌朝のニュースで事件発生を報道させ、警官を大勢派遣する大々的な捜査を始めました。
2日後、軍曹のガロがレティツィアのもとへ捜査の報告に来ました。
目撃証言がなく、捜査が難航していることを知り、ヤーラの両親だけでなく関係者全員を手広く盗聴し捜索する必要があると言います。
レティツィアはジムの職員ひとりひとりに聞き込みをし、情報を集めていました。職員のひとりの証言によると、少女たちの練習光景を覗きに来る変質者がいたと言います。
ヤーラの失踪に直接関与している可能性が高いその男を、重要参考人として捜査することになりました。
ヤーラの衣服の匂いから警察犬がたどり着いたのは、マペッロにある建設現場の作業員更衣室でした。作業員全員の身元を調べるも、手がかりとなるものを掴むことは出来ませんでした。
家族を狙った怨恨の可能性も調査するも、ガンビラジオ家が恨みをかっているという話は出てません。レティツィアが次に調べたのは彼女の通っていた学校でした。
イジメにあっていたか、対人関係でトラブルは無かったかどうかを教員に尋ねるも、有力な手がかりには繋がりません。
その頃、ヤーラの実家には大勢のマスコミが押し寄せ、なんの手がかりも得られないまま、家族の不安は募る一方です。
ニュースで大きく取り上げられたことで、事件はイタリア中で話題となるも、捜査に進展はありませんでした。
警察犬がたどり着いた建設現場の作業員全員を盗聴していた捜査官から、作業員の1人が殺人への償いを仄めかす発言をしていたとの連絡を受けます。
船でイタリアを出たばかりのモロッコ人、モハメド・ファクリを追跡。彼を逮捕したレティツィアは彼の「神様、私は彼女を殺していません」は何だったのかを問い詰めます。
しかし、盗聴した内容とはイタリア語に訳したものであり、モハメドが言っていたことを正確に訳すと「神様、彼女と話させて下さい」でした。
捜査官の誤訳による誤認逮捕、船での国外移動も実家への帰省だったことから、メディアは無実を主張するモハメドの味方となり、レティツィアの行き過ぎた行動に非難が集まります。
起訴するまでのタイムリミットが迫っている検察はレティツィアを捜査から外すことを検討しており、今回の失態から事件への慎重な捜査が求められるようになりました。
Netflix映画『ヤーラ』の感想と評価
本作が基にした実際の事件は、日本のバラエティでも再現ドラマが放送されるほど有名で、その全貌にイタリア中が震撼した「ドラマのような本当の話」です。
犯人特定のために当時のイタリアの警察が行ったのは、現場に残された唯一の手がかりである犯人の血痕を利用したDNA鑑定でした。
イタリアの警察組織は大きく4つに分かれており、本作の主人公レティツィアは内務省所属の国家警察に勤務しています。
ヤーラの両親が行方不明の娘について最初に相談したのは国防省所属の国家憲兵(カラビニエリ)でした。犯人の捜査に奔走するレティツィアは、検察として訴訟するためというタイムリミットを課せられながら、国家憲兵から受けた仕事を引き継いだ形となります。
しかし作中でも描かれていた通り、特定のためには照合するための莫大なデータベースを必要とし、この事件のためのDNA鑑定では集団検診による18000人ものDNAサンプルが収集されました。これにより少女誘拐殺人の捜査は、当時のヨーロッパ史上最も費用がかかる大規模なものとなりました。
近隣住民への聞き込みとひたすらサンプルを集めては照合する、地道な作業の積み重ねが犯人特定に結実する物語は、泥臭い刑事ドラマのようで見応えがあり、再現ドラマがバラエティ用のナレーションを重ねて数十分で描いていた事件の内容を、およそ90分の映画尺にまとめ直した本作独自の作風として捉えることができます。
ノンフィクション作品らしく、事件発生当時の実際のニュース映像や捜索の様子と見れるフッテージが劇中の印象的な場面において挿入され、これによりリアリティと緊張感を煽られる演出として機能していました。
このようなノンフィクション映画としてのアプローチは一貫していて、主人公の検事、レティツィアの視点から事件の捜査模様が描かれます。
レティツィア自身が「母親」という立場なこともあり、被害者と同じく体操に打ち込んでいる自分の娘とを重ね、被害者であるヤーラの無念を晴らすかのように事件に没頭していく展開には非常に説得力がありました。
本作が映画作品として意図的に脚色したのは、主人公レティツィアでした。実際にヤーラ失踪事件を担当したのは、県警察のベテラン刑事モチェリーノだったのです。
つまり本作は事実に即した男性刑事の捜査ではなく、被害者の母親に代わって司法の立場から犯人に報いを受けさせる女性の物語を描いたのです。
男性官僚の多い警察組織が現場の最前線にいるレティツィアに対し抑圧的なのも、脚色したドラマが本作に意図的に盛り込んだ要素でした。
母親であり、検事であるレティツィアはヴィジュアル的にもそのストイックさが演出されており、ホンダのバイクに跨って現場を行き来する姿は、さながら「ミレニアム」シリーズのリスベット・サランデルのような際立ったキャラクター性のようにも感じさせました。
また彼女のストイックさとは犯人の追跡を淡々と行う堅実さとも取れ、『ゼロ・ダーク・サーティ』(2013)のジェシカ・チャスティンのイメージとも重なります。
まとめ
今回はイタリアのNetflix映画『ヤーラ』をご紹介しました。
事実を基にした社会ドラマである本作は主人公の検事が仕事に没頭する姿がメインとして描かれるため、フィルモグラフィにおいて歴史巨篇が多いジョルダーナ監督の中でも特に観やすい現代劇でした。
一度再現ドラマで描かれた事件を映画作品として再構成した本作を観ると、作り手が意図的に盛り込んだ脚色部分に惹かれました。
それは地道な捜査に女性の検事が奔走していること、レティツィア自身も母親であり、被害者の母親マウラと連絡を重ねていくうちに事件に対する並々ならぬ想いが芽生え、犯人に対し終身刑宣告という結果に辿り着くことができました。
ドキュメンタリー作品も多いNetflix配信作品ですから、本作も1話50分で4話構成のリミテッドシリーズとして捜査の様子をじっくり描くことも出来たでしょうし、地味なノンフィクションとして見応えもあったかもしれません。
ですが、事実をドラマとして昇華させた本作には、事件だけではない、事件に触れた作り手個人の衝撃や心情も宿っており、それが現実問題と不可分な関係にある脚色として昇華されていました。
本作で描かれたことの全てが事実ではありませんが、それはそれでベースとなった事件が十分にセンセーショナルであったことを改めて証明したことを意味しています。
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