蟹江まりの映画ともしび研究部 第6回
こんにちは、蟹江まりです。
連載コラム「蟹江まりの映画ともしび研究部」の第6回に取り上げるのは、2019年11月15日に公開された映画『わたしは光をにぎっている』です。
時代の流れの速さに翻弄されながらも、都会の中で居場所を見つけて現代を生きる人々の姿を描いた作品。世界が認める中川龍太郎が監督を務めたほか、主演にはドラマ『この世界の片隅に』で一躍話題になった松本穂香を起用。思わず胸が熱くなる愛にあふれた映画が誕生しました。
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CONTENTS
映画『わたしは光をにぎっている』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【脚本・監督】
中川龍太郎
【キャスト】
松本穂香、渡辺大和、徳永えり、吉村界人、忍成修吾、光石研、樫山文枝
【作品概要】
映画『わたしは光をにぎっている』は、都会の中で居場所を見つけ、現代を生きる若者の姿を丁寧に描いた作品です。何気ない風景や市井の人々に宿る輝きを大切にとらえた映像に、思わず故郷を見出し胸が熱くなる作品が誕生しました。
監督を務めたのは、デビュー作からこれまで海外の映画祭で数々の賞を受賞し、フランスの一流映画誌「カイエ・デュ・シネマ」からその鋭い感性を絶賛され、前作『四月の永い夢』(2017)がモスクワ国際映画祭で2つの賞を受賞した中川龍太郎。
主演には、TBS日曜劇場『この世界の片隅に』(2018)の情感あふれる演技で存在感を放った松本穂香。渡辺大和、徳永えり、吉村界人、忍成修吾ら若手実力派と、光石研、樫山文枝ら日本映画のオーソリティーが共演し、この作品を彩ります。
映画『わたしは光をにぎっている』のあらすじ
宮川澪(松本穂香)は、両親に代わって育ててくれた祖母・久仁子(樫山文枝)の入院を機に東京へ引っ越します。東京の下町に降り立つと、澪は仕事が決まるまで父の友人の三沢京介(光石研)が経営する銭湯「伸光湯」の一室に居候させてもらうために、彼のもとを訪れます。
スーパーで働くことになった澪を、伸光湯の常連で京介とも親しく、自主映画を撮っている緒方銀次(渡辺大和)とOLの島村美琴(徳永えり)が、祝ってくれました。ですが、客からの質問やクレームにほとんど対応できなかった澪は、スーパーの仕事をあっさりと辞めてしまいます。
久仁子に電話で、「目の前のできることから、ひとつずつ」と諭された澪は、まずは伸光湯の浴室を不器用な手つきで掃除することから始めます。その日から、銭湯の仕事をひとつひとつ京介から教わり、澪はお客さんとも少しずつ話せるようになり、そこから昔ながらの商店街の人々との交流へとつながっていきます。
失敗も経験しながら、自分なりに工夫して伸光湯を居心地の良い場所へと変えていく澪でしたが、ある日突然、京介からもうすく区画整理で「ここ無くなるんだよ」と知らされます。その事実に戸惑いながらも澪は、「しゃんと終わらせる」決意をします…。
映画『わたしは光をにぎっている』の感想と評価
主人公は景色である
本作『わたしは光をにぎっている』の特徴のひとつとして、風景描写が多いということがあげられます。それは、中川龍太郎監督自身が語った「異なる世代と世代をつなぐ、ひとつの根拠は「場所」だと思っています」という言葉に答えがあります。
澪がすごした祖母の家、澪が降り立った東京の下町、商店街、そこにある銭湯「伸光湯」…それらは全て澪の新たな出会いの場所でした。またその出会いは、同世代の人や祖母・久仁子のようなお年寄りたち、果てには国や言葉を超えるほどのものでした。
また同時に、それらはいつ無くなってもおかしくない場所でもありました。監督はそのかけがえのない場所を、澪の目に映った景色を実際に映像として、多く遺したかったのです。
透明度の高い女優・松本穂香
この映画の最大の魅力は、松本穂香であるといっても過言ではありません。彼女が持つ独特の透明感、それと同時に風景の中に溶け込みながらも決して失われることのない絶大な存在感には、必ず圧倒されます。監督も「透明な存在感が松本さんにはありました」と語っています。
映画『わたしは光をにぎっている』では、澪を自身の分身のように落とし込み、どこまでも透明な美しい光となって、本作の風景の中に溶け込んでいます。また、彼女の何気ない仕草にもはっと目が行ってしまう、そんな魅力を持つ女優でした。
時代の流れの速さを警告してくる作品
本作のメッセージとして、時代の流れは欠かせません。区画整理や都市開発だけではなく、世界中で万物が目まぐるしく変化しており、一般的に多くの人たちはその中を生きています。
澪たちはその時代の流れについていけなくなり、必死にもがきました。でも流れは待ってはくれず、区画整理という壁にぶち当たります。その中でできることを精いっぱいやった澪たちの姿が美しい、ということは言うまでもありません。
しかし、誰もが常にアンテナを張ってないと、澪たちのように時代に取り残されてしまいます。そうならないためにも、「時代の流れは恐ろしいほど速い」という警告を私たちに与えてくれている作品でもあるのです。
まとめ
映画『わたしは光をにぎっている』は、中川監督自身が「現代の飛べない『魔女の宅急便』だ」と語る作品です。『魔女の宅急便』が主人公のキキが「空を飛ぶ」という唯一の才能をもって自立し都会で生きていくのに対して、『わたしは光をにぎっている』の主人公の澪は、何かを求めて都会に出てくるわけではありません。それでもそこで出会いや別れがあり、それらを通して成長するということは変わりません。
澪の成長、そして澪が東京の下町にもたらした奇跡に温かい涙があふれます。多くのものが過ぎ去ってゆき、その一方で多くのものと出会うであろう2020年という時代と向き合うためにも、ぜひお勧めしたい映画です。
次回の「蟹江まりの映画ともしび研究部」は…
次回の「蟹江まりの映画ともしび研究部」では、2020年1月17日公開の映画『ラストレター』を取り上げます。
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