連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第8回
今やハリウッドだけではなく、鬼才として世界の映画ファンから注目を集めるデヴィッド・フィンチャー。
その作品『Mank マンク』が、Netflixの配信映画として登場しました。
舞台は1930年代。脚本家として活躍する男、ハーマン・J・マンキーウィッツを通し、ハリウッド黄金期と名作映画誕生の舞台裏を描いた作品です。
好評につき配信開始前の2020年11月20日、一部劇場で先行限定公開が行われました。
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CONTENTS
映画『Mank マンク』の作品情報
【公開】
2020年(アメリカ映画)
【原題】
Mank
【監督・製作】
デヴィッド・フィンチャー
【脚本】
ジャック・フィンチャー
【出演】
ゲイリー・オールドマン、アマンダ・セイフライド、リリー・コリンズ、アーリス・ハワード、トム・ペルフリー、チャールズ・ダンス
【作品概要】
黄金期のハリウッドの光と影を、アルコール依存症に苦しみつつ名作映画を手掛けた脚本家の視点を通し、特徴的なモノクロ映像で描いた作品。
『ゴーンガール』(2014)や『パニック・ルーム』(2002)、『ファイトクラブ』(1999)に『セブン』(1995)を手掛けてきたデヴィッド・フィンチャーが、亡き父の遺した脚本を映画化しました。
主演は『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』(2017)でアカデミー主演男優賞を獲得したゲイリー・オールドマン。
『ANON アノン』(2018)のアマンダ・セイフライド、『トールキン 旅のはじまり』(2019)のリリー・コリンズ、マーベル原作ドラマ『アイアン・フィスト』(2017~)のトム・ペルフリー。そしてベテラン俳優アーリス・ハワードとチャールズ・ダンスらが共演しています。
映画『Mank マンク』のあらすじとネタバレ
1940年、経営苦境の映画会社RKOに招かれた24歳のオーソン・ウェルズ。製作する映画に関する全権を委ねられた彼は、誰とどんな映画を作るのも自由でした。
同じ年、ハリウッド映画のロケ地として有名なヴィクターヴィルの宿泊用牧場。
ここにオーソン・ウェルズの盟友の俳優ジョン・ハウスマンと、ハーマン・J・マンキーウィッツ、通称マンク(ゲイリー・オールドマン)が現れます。
負傷した体でベットに横になったマンクに、脚本を仕上げるよう依頼するハウスマン。
彼は口述筆記とタイプ打ちを行うイギリス人、リタ・アレクサンダー夫人(リリー・コリンズ)を紹介しました。
そこに映画『闇の奥』をテスト中(この映画は結局撮影を断念される)の、オーソン・ウェルズから電話が入ります。マンクに脚本を60日間で仕上げろと要求するウェルズ。
この数週間前に、交通事故で入院中のマンクの前にウェルズが現れ、仕事を依頼していました。
ベットの上で語られるマンクの言葉をリタは記録します。映画『市民ケーン』の脚本の執筆が始まると、すぐに登場人物のモデルが誰なのか気付いたリタ。
指摘されると脚本のモデルの男が、愛人の映画に出資した際に知り合った、とマンクは打ち明けます。
1930年を回想するマンク。パラマウント映画のスタジオで働くマンクを、チャールズ・レデラーが訪ねてきました。
ここで名脚本家のベン・ヘクトや、弟のジョセフ・L・マンキーウィッツ、通称ジョー(トム・ペルフリー)ら脚本家仲間と共に、勝手気ままに働くマンク。
彼らは名高いプロデューサーの、デヴィッド・O・セルズニックに呼び出されます。
次回作のアイデアを聞かれ、『フランケンシュタイン』(1931)と似た映画を提案するマンクたち。無論意見は却下されました。
ある日撮影現場で、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)社の敏腕プロデューサー、アーヴィング・タルバーグとルイス・B・メイヤー(アーリス・ハワード)と出会ったマンク。
そこで女優のマリオン・デイヴィス(アマンダ・セイフライド)とマンクは言葉を交わします。チャールズはマリオンの甥でした。
撮影中のマリオンの映画の出資者は、新聞王として名高い資産家のウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)です。
マンクはハーストに気に入られ、夕食に招待されました。
1940年のマンクの下で働くリタに、イギリス軍のパイロットの夫が行方不明になったとの手紙が届きます。
彼女に無神経な発言を行い、それを恥じたのか、ハウスマンの用意した酒に手を出して昏倒したマンク。
酒には鎮静剤が含まれていました。慌てて駆け付けたハウスマンは、脚本の内容と進行具合に注文を付けます。
マンクは1934年のMGMスタジオを回想します。彼は弟のジョーと、メイヤーを訪ねていました。
先に移籍したマンクと共に、メイヤーの下で働くことになったジョーは、新たな上司の強烈な個性に圧倒されます。
1940年のマンクの元に、MGMで成功を収めたジョーから電話がかかってきました。
新聞王のハーストを敵に回す映画の脚本を、兄が執筆中と知り懸念するジョー。
1933年、サン・シメオンに建つハーストの大邸宅で開かれた、メイヤーの誕生パーティーにマンクも招かれていました。
MGMのアーヴィングがベルリンから帰国した事もあり、ナチスの台頭が話題となり、社会主義や共産主義に話が移ります。
資産家のハーストやメイヤーに遠慮なく辛辣な言葉を浴びせ、愉快な人間だと面白がられるマンク。
しかしマリオンがアプトン・シンクレア(アメリカの社会主義者。映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)の原作者)を話題にすると、一座は沈黙に包まれます。
席を立ったマリオンの後を追ったマンクは、資産家のハーストやメイヤーを糾弾した活動家、シンクレアについて意見を交わし、豪華なハースト邸の庭を散策し親睦を深めました。
脚本の執筆が進まない1940年のマンクを、ハウスマンは期限まで13日しかないと責めます。
執筆が進むように、ハウスマンの用意した物と異なる酒を用意させるマンク。
その態度をリタは非難し辞職を願いますが、マンクがナチス支配下のドイツから多くの人を逃れさせたと知り、彼への印象を改めました。
MGMスタジオ、1934年。撮影所の労働者が不況で困窮する中、ジョーは兄のマンクにも労働組合運動に参加するよう求めます。
それを断ったマンクは、同時にアーヴィングから求めた反シンクレア運動にも参加しません。群れることを嫌う彼は、我が道を進んでいました。
1940年のマンクは、期限内に200ページもの原稿を書き上げ、ハウスマンはその内容を絶賛します。しかし327ページになった脚本はウェルズに削られる、と告げるハウスマン。
また彼は契約では、映画にマンクの名はクレジットしない事になっているが、それで良いのか確認します。
それに対しシャワーとカクテル、妻サラとの生活が手に入れば良いと答えたマンク。
確認したハウスマンは、なぜマンクが新聞王ハーストを題材に脚本を書いたかを尋ねました。
映画『Mank マンク』の感想と評価
父の遺した脚本を映画化した作品
本作は『市民ケーン』(1941)をテーマにした映画で、物語だけでなく、『市民ケーン』に使われた数々の映像テクニックが再現されています。
例えば遠近とも焦点のあった、ディープフォーカス(パンフォーカス)で撮影された映像。
それと対になる映像、手前の被写体に焦点を合わせ背景をボカすシャロー・フォーカスや、極端なクローズアップが繰り返し登場すると、誰もが気付くでしょう。
しかし『Mank マンク』はそれだけの映画ではありません。1930~1940年の間の、黄金期と呼ばれるハリウッド映画界を描いた作品です。
登場人物には創造された架空の人物もいますが、それ以外の主要な人物は全て実在の人物。
この時期を代表する脚本家、映画監督、プロデューサーの名前が並び、よくぞこれだけ登場させたと驚きました。
同時に世界恐慌に始まる不況が世界を支配した時代です。時代はドイツでナチスの台頭を招き、やがて第2次大戦が勃発します。
アメリカも不景気に襲われ企業の倒産・人員整理が相次ぐものの、状況に適応した富裕層はかえって豊かになりました。
『市民ケーン』の主人公のモデル、ハーストの築いたメディア帝国は有名ですが、MGMも不況を乗り切り巨大企業へ変貌します。
アーヴィング・タルバーグの死後、事実上1人でMGMを支配したメイヤーは「アメリカ一の高給取り」と呼ばれる存在になりました。
貧富の差が拡大した結果、労働組合や社会主義、共産主義活動に身を投じる者も現れます。
経済的・政治的に社会は分断され、プロパガンダやフェイクニュースが人々を扇動し、世界に戦争の影が忍び寄る。現代への風刺と映る状況が本作に描かれました。
しかし、本作の脚本はデヴィッド・フィンチャーの父、ジャック・フィンチャーによって1990年代に書かれたものです。
映画館で育ち、脚本家・ジャーナリストとして活躍したジャックは、間違いなく息子デヴィッドの映画の父でもありました。
60代になって何をすべきか尋ねた父に、デヴィッドはハーマン・J・マンキーウィッツについて書かないか、と提案します。こうして本作の脚本は誕生しました。
当初デヴィッドは、本作を1997年か98年に映画化するつもりでした。しかし他の作品の製作と重なり中止、そして父ジャックは2003年に亡くなります。
その脚本が『Mank マンク』として映画化されました。
90年代の観客には理解しにくいフェイクニュースが身近な存在になるなど、結果として時代に合う作品になった、とデヴィッドは語っています。
『ファイト・クラブ』のパンクな精神が復活
デヴィッド・フィンチャーが本作の映画化を構想した時期、彼は『ファイト・クラブ』(1999)を発表しています。
冷戦に勝利し、経済的にも軍事的にも並び立つ国も無く、世界を支配するかに見えた当時のアメリカ。同時にグローバル化した資本主義が世界を支配します。
拝金と物欲に支配された世を嫌い、殴り合いで自らを解放した男たちが、大企業などを攻撃対象にテロ行為を繰り返し、最後にクレジットカード会社の高層ビルを爆破する『ファイト・クラブ』。
同じ年公開の『マトリックス』(1999)と共に、この時代の社会構造と体制に反旗を翻した映画として、今もカルト的人気を誇っています。
その原点は1930年代のハリウッドを描いた、父の脚本の中に存在したのです。
しかし2001年に発生した9.11同時多発テロが、世界のリーダーはアメリカとの幻想を打ち砕き、フィンチャーがパンクな映画を作る機会も失われました。
グローバル化経済は中国、ロシアなど世界各国に富裕層を生み出し、今や世界中が恐慌時代のアメリカ以上に貧富の格差が拡大した、歪んで不安定な社会が誕生しました。
そんな時代に映画化された、黄金期のハリウッドを反骨精神で生きた脚本家の物語に、デヴィッド・フィンチャーのパンク精神の復活を感じました。
お気づきでしょうか。デジタル映像の作品である『Mank マンク』の画面の右上に、フィルム映画のリール交換の印、切り替えパンチ(パンチ)が映り込んでいることに。
これはモノクロ映像と共に30~40年代の映画の再現を意図した、一見お遊びのような行為です。
思い出して下さい。『ファイト・クラブ』の主人公、ブラッド・ピットはフィルム映画の映写技師であり、映画の中にイタズラでサブリミナル映像を編集していたことを。
『ファイト・クラブ』の劇中で映画の画面に映るパンチを解説し、その本編映像そのものに、サブリミナル映像が挿入されていたことを。
『Mank マンク』の画面に映るパンチに、この映画は『ファイト・クラブ』と同じく、パンク精神あふれた作品だ、との監督からのメッセージを受け取りました。
まとめ
デヴィッド・フィンチャーのパンク魂と、父への思いが詰まった映画『Mank マンク』。
彼の映画への拘りは、様々な形で健在です。画面比率は日本の映画館では、まず忠実に再現できない70mmフィルムサイズの2.20:1。
このサイズは映画館で映写する映画より、配信映画にこそ相応しい時代となった、とのフィンチャーからのメッセージでしょうか。
古き良き映画の再現にこだわって、本作はなんと音声をモノラルで収録。これを忠実に楽しむには、通常の家庭のテレビやスマホでは不可能。
この映画は古き良き映画のように、モノラル音声を忠実に楽しめる映画館で見て欲しい。これこそがフィンチャーのメッセージでしょうか。
完璧主義者の監督の作品だけに、様々な解釈が頭をよぎります。しかし根底には古き良き映画への、父から学んだ深い愛情があるのは確かです。
本作の主人公の友人は、パーキンソン病にかかります。これはハーマン・J・マンキーウィッツが『市民ケーン』の次に脚本を手掛けた映画、『打撃王』(1942)へのオマージュでしょう。
パーキンソン病に似た症状を持つ難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した野球の名選手、ルー・ゲーリッグを描いた映画が『打撃王』。
身勝手でだらしない振る舞いの多い主人公は、この経験から何かを学んだと創作したシーンです。『打撃王』もアカデミー賞脚色賞にノミネートされた作品です。
凝りに凝った映像以外にも、様々なメッセージが込められた映画『Mank マンク』。この記事を、それを読み解く手がかりにして頂ければ幸いです。
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