連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」第54回
「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」の第54回で紹介するのは、孤独を抱えた人々を描く、サスペンス・スリラー映画『ナンシー』。ドキュメンタリー番組『Welcome to the DPRK 』を監督した、クリスティーナ・チョーが監督・脚本を務めた作品です。
SNSの匿名性が引き起こす様々な事件が、大きな社会問題なっています。その1つがなりすまし行為。自分が都合よく偽って創造した、架空の人間となって振る舞うことです。
自らが置かれた生活環境から逃れたいのか、なりすまし行為に溺れた1人の女が、自分の容姿は30年前に、5歳で行方不明になった少女の容姿に似ていると気付きます。
その後彼女のとった行動は周囲の人間と、彼女自身にどのような影響を与えるのでしょうか。
【連載コラム】『未体験ゾーンの映画たち2020見破録』記事一覧はこちら
CONTENTS
映画『ナンシー』の作品情報
【日本公開】
2020年(アメリカ映画)
【原題】
Nancy
【監督・脚本】
クリスティーナ・チョー
【キャスト】
アンドレア・ライズボロー、スティーブ・ブシェミ、ジョン・レグイザモ、アン・ダウド、J・スミス=キャメロン
【作品概要】
サンダンス映画祭で脚本賞を受賞し、映画批評サイト”ロッテン・トマト”で支持率86%を獲得した、ミステリー仕立ての人間ドラマ。韓国系アメリカ人女性で優れた短編映画を手がけ、北朝鮮で密かに撮影を試み、実像を描こうとしたドキュメンタリー番組『Welcome to the DPRK 』を監督した、クリスティーナ・チョーが監督・脚本を務めた作品です。
彼女の才能を見込んだ、映画『007』シリーズで有名なバーバラ・ブロッコリが製作総指揮を務めた異色のインディーズ映画で、主演はスティーブ・ブシェミと『スターリンの葬送狂騒曲』(2017)で共演し、『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』(2017)に出演しているアンドレア・ライズボロー。ブシェミにジョン・レグイザモら、名優が脇を固める作品です。
様々な映画祭で賞を受賞した作品で、埼玉県川口市のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018でも上映され、国際コンペティションの最優秀作品賞を獲得した作品です。
映画『ナンシー』のあらすじとネタバレ
自宅のトイレでスマホをいじる女ナンシー・フリーマン(アンドレア・ライズボロー)。彼女は不自由な体を持つ母ベティ(アン・ダウド)の付き添いをしていました。
そして5歳の時に行方不明になった実娘の映像と共に、レオ(スティーブ・ブシェミ)とエレン(J・スミス=キャメロン)のリンチ夫妻の姿が紹介されます。
朝、目覚めたナンシーはネットがつながらないとこぼします。クロスワードパズルに夢中な母は、お前はネット中毒だとつぶやき、それよりボサボサの髪をとくよう言いました。
殺伐としたテーブルで、ナンシーはコーンフレークの朝食をとります。生活保護を申請中の母娘は、侘しい接活をしていました。飼い猫のポールを抱き寄せるナンシー。
彼女は仕事に向かいます。今日初めて向かう職場は斡旋された歯科医で、彼女はそこで受付業務を任されます。
職場では会ったばかりの同僚に、北朝鮮に旅行したことがあると言い出すナンシー。どうやって入国したのか不審がる相手に、彼女はスマホに保存した写真を見せて納得させました。
彼女が家に帰ると、母親は送られてきた赤ちゃん人形の案内広告を不審がっていました。子供ならまだ持てるとベティは言いますが、誤魔化して答えようとしないナンシー。
部屋にこもったナンシーは、ネットを通して知り合った男ジェブ(ジョン・レグイザモ)とチャットを交わしていました。
自分の娘を失ったショックを抱えていた男ジェブは、彼女からの相談に真摯に応じ、ぜひ直接会って話したいと告げます。ナンシーは返事を送りますが、ネットの接続が途切れます。
ジェブとスマホでのメールのやりとりを終え、明日会うことになったナンシー。ベットの中のナンシーの表情は幸せそうでした。
翌朝、母ベティに朝食を用意するナンシー。彼女がベティに病院に行くよう勧めても、母は頑なに拒否し機嫌を損ねます。
ジェブに会う前に、彼女は化粧を施します。そして車に乗り込むと、彼女はお腹に詰め物をあてがいます。妊婦を装ってジェブに会おうとしているナンシー。
待ち合わせに指定した店で、ジェブは彼女を待っていました。ナンシーに対し”ベッカ”と呼びかけたジェブ。彼は直接会えたことを非常に喜んでいました。
ジェブは、ナンシーが先天的に病気を持つ子供を産むべきか悩んでいる妊婦、”ベッカ”を装って書いたブログを読み、その内容に共感して会いたいと申し出たのです。
彼は幼い娘ジョーイを亡くし、そのショックから立ち直れなかった妻と別れていました。ジェブは自分の経験からベッカの境遇に共感し、励ましていました。
自分からのメッセージを受け取り、出産を選んでくれたとベッカの決断を喜んだジェブ。優しく気付かう言葉をもらい、ひと時の充実を味わったナンシー。
しかし勤務先の彼女は、語るべき話題も無く孤独を噛みしめていました。
自宅に帰ったナンシーは買ってきた寿司を母に勧めますが、ベティは体に悪いと言い食べようとしません。口うるさい母にウンザリしますが、それでも彼女は母ベティに寄り添います。
翌朝ナンシーが、母に声をかけても返事がありません。彼女が母の寝室に入ると、ベティは息をしていませんでした。
病院に母を搬送しましたが、医師はナンシーに母は睡眠中に長年患っていたパーキンソン病の影響で、脳梗塞を発症し亡くなったと告げます。
彼女は葬儀の準備を進め、寂しくなった家で久しく付き合いの無い、母にゆかりのある人物に訃報を伝えて回ります。おかげでジェブとのやり取りは減りました。
ようやく落ち着いた頃、ナンシーはスーパーで偶然ジェブに出会います。彼にベッカと呼びかけられると、避けるように逃げ去ろうとするナンシー。
寄ってきたジェブは、彼女のお腹が小さいことに気付きます。何があったかと聞かれ、妊婦を装っていたが、実は赤ん坊はあなたに会う前に死んでいたと、ナンシーは答えます。
そんなことをした理由を聞かれ、あなたを失望させたくなかったと答えるナンシー。胎児が病気だったのは過去の話だと告げ、すべて嘘だったと告白します。
しかしジェブは妊婦を装って現れた彼女の行為は、裏切りであり病的だと感じます。ナンシーがあなたが好きだと告げても、軽蔑の目を向けて去って行ったジェブ。
荒れ果てた自宅で、猫のポールと共に孤独を噛みしめていたナンシーは、TVが報じるニュースにふと目をやります。それは30年前、目を離した僅かな隙に娘ブルックが行方不明になってしまった、リンチ夫妻について報じるものです。
夫妻は娘が生きていることに僅かな望みを抱きながらも、姿を消した娘の思い出のためにもと、10年前から大学奨学金制度を始めていました。
ニュースはそうやって生きてきたリンチ夫妻と、彼らの娘について紹介していました。ナンシーは何かを思いつき、自分の出生証明書を調べます。
ブルックの30年後の姿を想像して作成し、公開した画像があると知るとパソコンで確認し、それを拡大して印刷するナンシー。
それを切ると、彼女は自分の顔に当てました。容姿には確かに似た雰囲気があります。ナンシーは自分の表情を、写真のものに似せてみました。
彼女はネットで事件の詳細や、夫妻やブルックの経歴について調べ始めます。そしてナンシーは、リンチ夫妻の家に電話をかけます。
彼女は電話に出たエレン夫人に、自分はナンシー・フリーマンだと名乗り、ニュースを見て気付いたが、自分こそ30年前に行方不明になった、ブルックではないかと思うと告げました。
突然の話に驚くエレン。育ての母に誘拐されたのかもという話を聞かされ、彼女はいたずらと思って電話を切りますが、再度鳴り響いた電話のベル。
自分はブルックに似ている、そしていつも母に嫌われているように感じていた、と訴えるナンシー。しかしあなたの娘である、確実な証拠がある訳ではないと告げます。
その話を聞いたエレンは、ナンシーの写真を送って欲しいとスマホの電話番号を告げました。
ナンシーが汚れた自宅のゴミを片付けていると、エレンから電話がかかってきました。送られた写真を、夫レオに見せ相談したと彼女は話します。
夫は警察に任せるべきだとの意見でしたが、その前に1度直接会うと決めたと告げるエレン。
数時間後には会えると告げると、ナンシーは荷物をまとめて猫のポールを連れ、両脇に雪の積もる道を車で走り抜け、リンチ夫妻の自宅へと向かいました。
リンチ夫妻は彼女の到着を心待ちにしていました。ナンシーとエレンはぎこちない笑顔を交わし、レオは握手で彼女を迎えます。
レオが猫を入れたキャリーバッグを預かり、夫妻は邸内に彼女を案内します。夫人はナンシーのために手料理を用意して待っていました。
猫にアレルギーのあるレオは、預かった猫を外に出そうか迷いますが、雪の積もる野外には出さず、サンルームに放すことにします。
夫妻はナンシーに、固い表情の笑顔を見せます。申し訳ないが自分たちはショックを受け、大変動揺している。それでも警察に任せる前に、直接会いたいと思ったと話す夫妻。
レオがいくつか質問します。いつ誘拐されたと気付いたかと訊ねられ、まだ確信は持っていないと答えるナンシー。
最後に覚えていることを訊ねられ、あなたの手を握っていたことは覚えていると答えます。うやむやな回答ですが、あの年頃では記憶も定かでなかろうと話すレオ。
レオは心理学者だと説明し、自分は比較文学の教授だと告げるエレン。2人の疑問に対し、ナンシーは事前に用意した言葉を告げました。
自分は死んだ母から、父は産まれる前に姿を消したと聞かされていたと話すナンシー。数年前インドで働こうとパスポートを取ろうとした時、必要な出生証明書が無かったと話します。
母は証明書は叔母の家にあると言っていたが、結局それは手に入らなかった。そして母が病気で倒れた後に、実は本当の子供ではないと打ち明けられたと説明しました。
エレンから母との絆を感じたことがあるかと訊ねられ、言葉に詰まったナンシーはトイレを貸してほしいと言います。緊張のあまり彼女は吐いてしまいます。
彼女を気遣ったエレンが、トイレのドアをノックして具合を尋ねました。姿を現したナンシーを、優しくテーブルへと案内するエレン。
3人は食事を共にします。こういう事は早く進めた方がいいとレオは告げ、明日DNAの検査技師が来て、彼女のDNAの鑑定といくつかの質問を行うと説明します。
夫妻の邪魔はしたくないと、ナンシーが帰ると言うと、エレンは泊まっていくように言いました。レオは苦い表情を見せますが、ナンシーをブルックの部屋に案内するエレン。
部屋はブルックが使っていた、そのままの状態で残されていました。レオはこれを片付けるべきだと言ったとエレンは伝えます。彼女はその部屋でナンシーと一緒に寝ようと言います。
その間にレオはナンシー・フリーマンの名を検索して、果たしてどのような人物か知ろうと試みていました。
ブルックの部屋で、ナンシーの横に寝たエレン。彼女は昔、娘とこうして過ごしていたと話し、今もブルックがどこかで生きていて、成長していく姿を想像していたと告げます。
自分を見てがっかりさせたかも、と呟いたナンシーに、どうしてそんなことを言うの、と語るエレン。2人は視線を交わし、そしてエレンは目を閉じました。
天井を見つめていたナンシーは、もう一度エレン夫人の表情を伺います。
映画『ナンシー』の感想と評価
参考映像:『Welcome to the DPRK』(2017)TVドキュメンタリーシリーズ
本作が長編劇映画デビュー作となるクリスティーナ・チョー監督は、様々な短編映画を製作し、高い評価を得た人物で、本作の製作直前には北朝鮮の潜入取材を試み、その姿と撮影のてん末を描いたドキュメンタリー、『Welcome to the DPRK』を発表しています。
本作でナンシーが「北朝鮮に行った」と主張した真偽はともかく、監督がこのような作品を製作していたと思うと、少し愉快な取り上げ方だと思います。
ドキュメンタリーの製作経験のあるチョー監督ですが、それ以前に製作した短編映画は様々なジャンルのフィクション作品で、自ら創作した物語を描いています。
彼女が描いた物語はドキュメンタリーを手がけた人物ならではの、現実を鋭く見つめた視線を基に紡がれました。『ナンシー』は彼女の奇妙な経験を出発点に製作されました。
自分を偽る人間の姿を描く
ロックフェラー一族だと詐称し世間や配偶者を騙し、あげくに誘拐や殺人を起こした人物、クリスチャン・カール・ゲルハルトシュライターの刑事事件。
作者J.T.リロイの衝撃の実体験を描いた小説は、アーシア・アルジェント監督作『サラ、いつわりの祈り』(2004)として映画化されました。その後2006年に、実はJ.T.リロイとはローラ・アルバートが創作した人物だったと、ニューヨークタイムズに暴かれた一件。
こういった自らを詐称する人物に興味があり、それをテーマに脚本を執筆していたチョー監督。ところがその最中に、大学で彼女に執筆を指導した教授が、実は学校や学生、家族にも経歴を詐称していた事実を知らされます。
その人物は教師としては非常に優れた人物で、自分だけでなく多くの生徒に、間違いなく素晴らしい影響を与えてくれた、と語るチョー監督。しかしこの驚くべき出来事は、彼女の執筆中の脚本に大きな影響を与えました。
この体験と、アンチヒーロー型の女性を主人公にした映画を作りたい、という彼女の願いが合わさって、『ナンシー』として結実したのです。
ワークショップ映画として生まれた作品
短編映画の受賞経験や、ドキュメンタリー制作の実績を持つチョー監督。彼女は映画製作を支援する団体の協力を得て、そのワークショップ映画として『ナンシー』を監督しました。
といっても日本のワークショップとは異なり、製作費は支援団体が立ちあげた企画に、賛同したプロデューサーが出資する形で製作されました。
しかし通常の商業映画製作より、制約のある製作環境であることは間違いありません。スタッフの多くは無名の人物(但し短編映画など、商業映画以外で実績を積んだ、将来映画界で活躍を目指す人物です)で、製作スケジュールも厳しいものでした。
こういった作品に、賛同した著名な映画俳優が出演する事実こそ、ハリウッド映画界の懐の深さでしょうか。インディーズ映画に理解のある人物が、数多く出演しています。
というものの、俳優の拘束できる時間には限りがあります。撮影現場で俳優がリハーサルする時間は殆どありません。チョー監督は出演者に、事前に脚本と登場人物の設定である経歴を送り、準備してもらった上で撮影に参加してもらいました。
本作のスティーブ・ブシェミ、ジョン・レグイザモらの演技は、そうやって生まれたと思うと、彼らのプロ意識と、後進の育成に協力する姿勢が感じとれないでしょうか。
撮影に結果として長期間…これも製作環境のもたらした制約の結果でした…となりました。チョー監督は主演のアンドレア・ライズボローは結果として、まるで4本の映画に出演したようなものだったと振り返っています。
それが思わぬ事態を与えました。夏に撮影するつもりの映画が、冬に撮ることになったのです。そして映画の画面に登場する、空から舞い落ちる雪は偶然がもたらした産物でした。
それが画面に与えた美しさは、ご覧頂ければお判りになると思います。映画製作の全てを計画し制御できない事も、時には悪くないことだと、チョー監督は語っています。
まとめ
優れたインデイペンデント映画である『ナンシー』。その製作背景を中心に紹介させてもらいました。自らを詐称し利益を得ようとする人物は、過去にはクリスティーナ・チョー監督が興味を持った詐欺師のような、劇的でドラマ性のある奇妙な人物たちでした。
ところがSNSが普及した現代は、誰もが自分を偽ることが可能で、そういった人物が当たり前のように存在しています。なりすまし行為や、本作では描かなかった匿名での非難・中傷など、様々な問題がネットの世界に渦巻いています。
チョー監督はナンシーの行為を断罪もせず、そしてなりすまし行為の中に、どこまで真実があったのか明確にしません。彼女にどこまで悪意と計画性があり、どこまでが切ない願望であったのかは、見る者により解釈が別れるでしょう。
それをサスペンス映画の謎解きのように、明確にして欲しかった人や、ご都合主義でもハッピーエンドを求めた人には、不満の残る展開だったかもしれません。
今後の展開を観客に委ねるラストには、モヤっとさせられるでしょう。しかし出るところに出れば必ずバレると判っていても、自分を偽らざるをえない、SNS時代の人間を描いた物語と解釈すれば、深く心に響いてくるはずです。
クリスティーナ・チョー監督は、2019年から始まった新シリーズのTVドラマ『The Twilight Zone』に参加しています。
そこで彼女は、ロッド・スターリングが脚本を書いた「トワイライトゾーン(ミステリーゾーン)」オリジナルシリーズの「疑惑」、2002年版シリーズの「メープル・ストリートの悪夢」を、現代的にアレンジしたエピソード「Not All Men 」を監督しています。
チョー監督は今後も様々なジャンルで活躍し、ひねりのあるドラマを見せてくれると思いますので、どうかご注目下さい。
このインディペンデント映画を支えた団体、製作者、俳優たちの存在を思うと、やはりアメリカの映画製作を支える裾野は、日本より遙かに広く深いのだと実感せざるを得ません。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」は…
さて、次回が最終回となる「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」。急遽クロージング上映となった誰もが認める駄作『ザ・ルーム』の、待望されながもやむなく実施されなかった「スプーン上映」について紹介します。
そして独断と偏見で選ぶ、”fontBold”「未体験ゾーンの映画たち2020」ベスト10を発表させて頂きます。お楽しみに!
【連載コラム】『未体験ゾーンの映画たち2020見破録』記事一覧はこちら