連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」第46回
「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」の第46回で紹介するのは、美しい映像で紡がれた恋愛映画『ふたりの映画ができるまで』。
『ハッピーエンドが書けるまで』(2012)と『きっと、星のせいじゃない。』(2014)を監督し、新世代の恋愛映画の旗手となったジョシュ・ブーン。
彼の脚本をジェームズ・フランコが監督した、異色の恋愛映画が誕生しました。1970年代末から80年代を舞台に、映画を愛し華やかな世界に生きる若者たちの、恋の意外な行方を描く作品です。
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CONTENTS
映画『ふたりの映画ができるまで』の作品情報
【日本公開】
2020年(アメリカ映画)
【原題】
The Pretenders
【監督・出演】
ジェームズ・フランコ
【キャスト】
ジャック・キルマー、ジェーン・レヴィ、シャメイク・ムーア、ジュノー・テンプル、ブライアン・コックス、デニス・クエイド、ジェームズ・フランコ
【作品概要】
映画を愛する若者たちの、意外な展開を持つラブストーリー映画。製作も務めたジョシュ・ブーンの脚本を、出演も果たしたジェームズ・フランコが監督した作品です。
主演はヴァル・キルマーの息子で、ジェームズ・フランコの短編小説をジア・コッポラ監督が映画化した作品、『パロアルト・ストーリー』(2013)でデビューを果たしたジャック・キルマー。相手役を『ドント・ブリーズ』(2016)、「未体験ゾーンの映画たち2019」の上映作品『Z Bull ゼット・ブル』(2018)のジェーン・レヴィが務めます。
『プリテンダーズ ふたりの映画ができるまで』のタイトルで、DVDリリースされた作品です。
映画『ふたりの映画ができるまで』のあらすじとネタバレ
1979年。ニューヨークにある”PALACE”という名の映画館で、ゴダール監督作品『女は女である』を見ている学生のテリー(ジャック・キルマー)。スクリーンでアンナ・カリーナが踊るシーンで、1人の女(ジェーン・レヴィ)が場内に入ってきます。
テリーの前に座った女は、彼の方を振り返ると軽く謝ります。その美しい顔立ちに、釘付けになってしまうテリー。
映画館から出たテリーは、入口の前で煙草を吸いながら、彼女が出て来るのを待ちます。現れると、彼は眼鏡を取って何気ない風を装います。彼女はテリーに煙草を1本求めました。
それ以上会話は進まず、礼を言ってタクシーに乗り込む彼女を、テリーは見送りました。その姿を彼のルームメイトで黒人のフィル(シャメイク・ムーア)がカメラに収めます。フィルは彼女を美しかったと褒め、女性に消極的な友人をからかいます。
信心深く厳格な両親の元で育ち、今はその反動のように自由奔放に生きるフィルと、ベトナム戦争から帰国した父に耐えられず母は出て行き、その後父と週に2・3回は映画を見て育ったテリー。対照的な2人は良き友人でした。
女性に奥手なテリーに、さっき見た女はきっと役者だとフィルは断言します。NYで暮らし1人でヌーヴェルヴァーグ映画を見る女性なら、きっと間違いないと断言し、フランス映画を上映する映画館にまた来ると告げるフィル。
自分のタイプではないが、彼女とお前がまた会うことは可能だ、とフィルはけしかけます。からかわれても、テリーは悪い気はせず彼と肩を組んで帰ります。
大学の上映した映画について語りあうゼミで、テリーがあの日見た映画、『女は女である』が取り上げられました。ゴダールについて意見を求められ、政治的で評論家受けしているだけ、との辛らつな意見が学生から出ました。
テリーはこの映画を含む、アンナ・カリーナが出演した何本かのゴダール作品は、監督が彼女に宛てたラブレターであり、彼女は監督のミューズだったと発言します(コダール初期作品のパートナー、アンナ・カリーナは彼の最初の妻)。
その言葉に1人の女学生が意見を述べます。それは男性の視点で、映画監督は大抵男性。したがって映画の観客は、男性の視点で世界を見ることになる…。
テリーが寮の部屋に戻ると、「2度とこんな男になるな!」と書かれた封筒がありました。中にはルームメイトのフィルが撮った、あの日映画館前で彼女を見送った、テリーの顔を捉えた写真が入っていました。
あの日以来、テリーはゴダール作品を上映している映画館に通い、彼女が現れないか探し求めます。友人のフィルは、キャンパスの女の子を被写体に写真撮影に励みます。
フィルは大学で女の子に積極的に声をかけ、自分のモデルにしていきます。そんな友人に付き従い、撮影を手伝うテリー。
あの時の彼女と再会しようと、映画館に通いつめるテリー。フィルの紹介した女の子と共に、ダブルデートで映画を見た時も、その後その女と寝ても、彼は満たされない気持ちでした。
ある夜、映画館”PALACE”の前にいたテリーに、フィルはあのダブルデートの時に、ここであの女を見かけた、と話します。その時テリーは、映画館の前に彼女がいると気付きます。
フィルを残して彼女に向かい、勇気を出して声をかけるテリー。数週間前にこの映画館で、一緒に『女は女である』を見たと伝えます。怪訝そうな顔の彼女に、正確には連れだって見た訳ではないと付け加えるテリー。
彼女はアラン・レネ監督の、『去年マリエンバートで』のマネかと聞きます(去年マリエンバートであなたに会ったと告げる男と、それを記憶していない女を描いた映画)。テリーはあの日映画館の前で、タバコをあげた男だと説明します。
妙な話だけど、あの日以来君と再会できればと思い、毎日のように映画館に通いつめたと告白するテリー。自分は毎日舞台に立っており、出演の無い時にここに来ると告げ、彼女は自分の名はキャサリンだと紹介しました。
テリーも名を名乗ると、フィルが2人の前に現れ、彼女をテリーを交えた食事に招待します。親友とキャサリンの仲を取り持とうと、彼は映画を学ぶ学生で、監督する短編映画に彼女の出演を望んでいると告げるフィル。
3人は店に入ります。テリーはボルチモア、フィルはフィラデルフィアの出身だと自己紹介します。キャサリンはテキサス出身と告げますが、言葉に訛りは無くテリーは意外な印象を受けます。
奥手なテリーが黙っていると、フィルは彼を蹴り話すよう促します。テリーがキャサリンに今はどんな舞台に立っているのか尋ねると、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』のフェミニスト版の芝居で、マーロン・ブランドの役を演じていると話すキャサリン。
世界中に物議をかもしたシーンの撮影後、マリア・シュナイダーとベルトルッチは決別した、と映画の話題を語るテリー。キャサリンは常にカメラを持ち歩くフィルに、どんな写真を撮っているのかと尋ねます。
主にヌードを撮ってるというフィルに、彼女は自分のオーディション写真を撮るカメラマンの評判を訊ねます。するとフィルは自分が撮影すると言いだし、彼女も承諾しました。
日を改め、テリーとフィルの部屋で撮影に臨むキャサリン。彼女に大胆に迫り撮影するフィルを、照明を持って気もそぞろに見守るテリーですが、いつしか雰囲気は和み、皆でベットの上で跳ねる姿を撮影した3人。
壁にゴダールの『軽蔑』などの映画ポスターを貼った部屋で、タイプライターに向かい映画の脚本の執筆に打ち込むテリー。そしてフィルとは、ドアノブにネクタイを下げた時は、部屋に入らないと取り決めます。
舞台用の衣装を着たキャサリンと共に、バスで劇場に向かうテリーとフィル。彼女は車内で演技を披露してみせます。舞台にマーロン・ブランドの姿で立つ彼女の姿は、客席から見つめる2人には圧巻でした。
舞台が終わると、テリーは彼女に完成した脚本を渡します。フィルが先に引き上げると、早く脚本が読みたいキャサリンは、テリーを仲間との打ち上げに招きます。
キャサリンは仲間にテリーとの出会いを話し、彼は自分が主演の映画を撮る監督だと紹介します。映画の内容を聞かれ、ラブストーリーだと答えるテリー。
2人はタクシーで帰りますが、キャサリンは今すぐ台本を読むと言い出します。自分をさらけ出した内容で、目の前で読まれるのは恥ずかしいと言うテリーに、彼女はそれがアーティストの仕事だと告げます。
タクシーを止め、彼女だけを車内に残し脚本を読ませ、自分は運転手と共に外で待つことにしたテリー。彼女が読み終えると車に戻りました。
走り出した車の中で、彼女は何の言葉も発しません。家に着くと別れも告げず、そのまま車を降りて立ち去ります。
ショックを受けたテリーが寮に戻ると、部屋のドアノブにネクタイがかかっています。フィルが女を連れ込んでいるのでしょう。
やむなく寮の共用部で寝ていたテリーの前に、キャサリンが現れます。脚本の内容が君を怒らせたと侘びるテリーに、そうではないと話すキャサリン。
脚本の内容は美しいが、自分への真剣な愛の告白、という内容が怖かったと語ります。テリーは否定しますが、彼女は自分にはそう受け取れる内容だと話します。
真剣な関係を恐れ、もっとあなたを知ってから、ゆっくり関係を進めたいと告げるキャサリン。そして2人はキスをしました。
その後2人はベットで体を重ね、部屋の中で戯れます。満足げに眠るテリーの横で煙草を吸い、窓の外を見つめているキャサリン。
ある夜キャサリンは酒場でフィルと会います。フィルが撮影した彼女の写真を受け取りますが、それは素晴らしい出来栄えでした。
テリーは幸せそうだと告げるフィルに、彼は私たちをゴダールとアンナ・カリーナの様な関係にしたい、と語っていると教えるキャサリン。ゴダールとカリーナは常に幸せではなく、最後には離婚したと指摘するフィル。
また君の写真を撮りたい、と語るフィル。彼に言わせるとテリーは、彼女を映画の中の理想の人物として崇め、テキサス出身の血の通った1人の女性と扱っていないと告げます。
自分たちは1度寝るべきだ、というフィルの言葉を聞き、店のトイレに向かうキャサリン。フィルは後を追い、そこで2人は行為に及びました。
テリーの映画の製作が開始されます。あの映画館”PALACE”前での撮影時、カメラを持つテリーとキャサリンはキスを交わし、実に幸せそうに見えます。
完成した映画は、彼とキャサリンとの出会いとその後を、美しい映像で描いたものです。大学の映画ゼミで披露されると、教授は学生たちに意見を求めました。
ある男子学生が、フランソワ・トリュフォーの自伝的映画『大人は判ってくれない』を例に出し、自分を誠実にさらけ出した作品と評します。しかし女学生たちはこの映画は、男目線で女性への執着を描いただけで、本当の彼女を描いていないと厳しい意見を告げます。
酷評に傷付いたテリーが自室のドアを開けると、ベットの上でフィルとキャサリンが行為に及んでいました。フィルはこれは体だけの関係で、誰かがドアノブのネクタイを奪ったと言い訳しますが、打ちのめされ黙って姿を消すテリー。
衣服を身に付け、部屋を出たキャサリンはゴミ箱にネクタイを捨てます。果たしてネクタイを隠したのは、彼女だったのでしょうか…。
1983年。”SCOTIA”という名の映画館で『ラストタンゴ・イン・パリ』が上映されていました。場内に入ったテリーは、客席にいた娼婦に誘われ外に出て、路地裏で関係を持ちます。
今や売れっ子のカメラマンとなったフィルの、華やかな展示会にテリーは現れます。とある写真に興味を示したマックスウェル(ジェームズ・フランコ)とビクトリア(ジュノー・テンプル)に、この写真の撮影現場にいたと話しかけるテリー。
テリーはフィルの学生時代からの友人だと、現れたキャサリンがマックスウェルに紹介します。マックスウェルは、ゴダールの映画をアメリカでリメイクしている監督でした。
テリーに興味を示したビクトリアは、彼の職業を尋ねます。テリーはフリーの映画評論家だと説明します。そしてテリーは、久々に会ったキャサリンと会話を交わします。
トイレでマックスウェルと一緒になったテリーは、彼からキャサリンに恋をしてるのかと聞かれます。妻のビクトリアがテリーに興味を示しても、君の目はキャサリンに釘付けだったと告げるマックスウェル。
トイレを出たテリーを、キャサリンはダンスに誘います。彼女はテリーが映画作りを止めた理由を訊ねますが、誰も自分の作品など求めていない、テリーはそう答えました。
そこにフィルが現れ、2人の肩を抱き再会を喜びます。会場のモデルに3人の写真を撮らせますが、そこに女が現れ、フィルにタイムズ紙が私たちが寝たと知ってると、怒鳴りこんできました。騒ぎは来客の注目を集め、キャサリンは不快な思いをします。
会場の外で煙草を吸うキャサリンの元に、テリーが現れます。君には幸せでいて欲しいから、俺と会わない方が良いと告げるテリー。
私はいつでも1人で歩んでいけるが、あなたはそうではない。これからも友達でいよう、と告げるキャサリン。彼女はテリーにキスをして去って行きました。
テリーは週に2~3回は、フィルと共にランニングをしていました。その際話題がフィルの女性遍歴になると、意外にも彼はキャサリン以外と寝ていないと言います。
テリーは誰とでも寝ているはずだと指摘すると、展示会で女が起こした騒ぎも、世間から注目を集める仕込みだと打ち明けます。意外にも彼は、キャサリンに一途な思いを抱いていました。
彼女は自分たちを必要としている、俺は彼女の望むやんちゃな男を演じていると、フィルは語ります。こうして彼女をつなぎ止めているが、お前には俺のやり方も、彼女の考えも理解できないだろうと告げ、フィルは走り去ります。言葉の意味を理解しかねるテリー。
ある朝テリーの元に、キャサリンから電話がかかってきます。その日テリーはボルチモアの父と会う約束の日でしたが、彼女はその前に絶対に会うべきだと告げました。
現れたキャサリンは、昨夜TVで見たミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画、『情事』と『さすらいの二人』について話します。彼女は鑑賞後、新たな映画のアイデアを思いつきます。
それは『情事』のように消えた女を追う物語で、探偵が愛していた女を追う内に、知らなかった彼女の一面を知り、『さすらいの二人』の登場人物のように影響を受けてゆく展開でした。
そして探偵は老人に会い、彼の言葉で女の正体を知るという、幻想的オカルト要素も加えたものでした。彼女はテリーと行動を共にし、父との再会に加わってアイデアを説明したのです。
酒場で息子とキャサリンに会ったテリーの父ジョー(デニス・クエイド)も、彼女の話を聞かされていました。ジョーに仕事を訊ねられ、女優だと答えるキャサリン。
テリーは彼女を恋人ではないと父に紹介しますが、ならば何の目的で彼女はここに居ると言い、キャサリンに自分の映画で頑張るよう告げると、1人席を立ったジョー。
父は母と別れて以来、いつもこんな態度だと侘びるテリー。しかし彼女が話した、映画のアイデアには関心を示します。
やがて探偵が出会った老人に女の写真を見せると、老人は彼女を学生時代に愛した、大切な女性だと告げます。老人の記憶が混乱しているのか、それとも女は人ならぬ存在なのか。
このアイデアは映画の脚本にすべきだというテリーに、私は作家ではないと言うキャサリン。こうして彼女の助言を得て、テリーが脚本を書くことになりました。
2人がまた映画を共に作る関係になったとき、テリーとキャサリンはあの日のように、体を重ねる関係に戻り、愛し合うようになります…。
映画『ふたりの映画ができるまで』の感想と評価
参考映像:『女は女である』(1961)アンナ・カリーナのストリップシーン
過去の作品のリスペクトした映画は数多いですが、アメリカでヨーロッパ映画、それもヌーヴェルヴァーグ時代の映画に敬意を表する作品は少ないと思います。
しかし『ふたりの映画ができるまで』は、その思いが映画そのものになった作品です。紹介した『女は女である』のアンナ・カリーナのシーンは、劇中に度々意味を持って登場します。
他にも多く映画が様々な形で登場しますが、単に羅列・紹介するでけでは無く、登場人物の描写やストーリーに多層的な影響を与えています。
この欧州映画愛、そしてニューヨークの映画界への、思慕に満ちた物語を描いたのがジョシュ・ブーン。綺麗な映像でファンタジックな恋愛映画として楽しめますが、劇中に言及された映画を知ると、さらに興味深い作品になります。
ヌーヴェルヴァーグク映画を元に紡がれた物語
3人の男女の奇妙な恋愛関係は、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962)、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ドリーマーズ』(2003)を下敷きにしています。
映画を愛する登場人物が、性的に結ばれる展開も『ドリーマーズ』にならっていますが、主人公と恋人の関係をジャン=リュック・ゴダール監督とアンナ・カリーナに例え、3人の関係の性的な危うさを『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)を使い表現しています。
ジェームズ・フランコが演じた監督は架空の人物ですが、ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)をリチャード・ギア主演でアメリカでリメイクした映画、『ブレスレス』(1983)のジム・マクブライ監督を元に、創作した人物かもしれません。
絡み合った恋愛劇が、謎めいた展開になることが納得できない方もいるでしょうが、『突然炎のごとく』や、アラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961)を意識して創造された物語だと理解すると、納得いくものになるでしょう。
この脚本を映画化するのに選ばれた監督が、ジェームズ・フランコ。俳優としてだけでなく、優れたインディペンデント映画の監督・製作者としても実績を持ち、過去の映画にも深い知識を持つ人物。彼が監督するならと、出演を決めた俳優もいたでしょう。
将にこの映画に相応しい監督。将に適任のはずでしたが…。
思わぬ形で注目を集めた作品
2016年11月、ジェームズ・フランコの監督起用が発表され、本作の製作は動き出します。そしてジェームズ・フランコは監督・主演作『ディザスター・アーティスト』(2017)で、2018年ゴールデングローブ賞の、主演男優賞受賞の栄誉に輝きます。
この2018年のゴールデングローブ賞は、#MeToo運動の盛り上がりの中行われ、彼もセクハラ撲滅運動を支持するスピーチを行います。
しかしこのスピーチの最中から、SNS上に彼にセクハラ被害を受けたとの投稿が現れます。女優や元ガールフレンド、彼の演劇学校の女生徒からの告発が相次ぎ、一転彼は#MeToo運動で糾弾される側となりました。
無論彼を擁護する意見もありますが、監督や指導者としての立場を利用した悪質性と、自分の行為を棚に上げ、#MeToo運動を支持を表明した偽善的態度を問題視され、彼は極めて厳しく追及されることになりました。
そんな中、2018年11月のトリノ映画祭に出品された本作。翌年2019年秋に、ようやくアメリカで本作は公開されます。するとボヘミアン気質のアーティストなら、女優やモデルと寝るのもさも当然、という映画の内容は、フランコに批判的な人々の酷評を集めます。
映画監督が女優と恋に落ちるのは、ゴダールやウディ・アレン、ロベルト・ロッセリーニと同じだと、出演したフランコが劇中で、自身の口で発言するとは…事情を知る人なら全員が、「お前が言うな!」と、ツッこむこと必至の場面です。
この映画のベースになっているのは、間違いなく素晴らしいフランスそしてイタリアの映画です。しかし監督・出演したフランコの存在を通して見ると、別の意味を持つ映画に見えるので…何とも困った事態になりました。
まとめ
多少なりともヌーヴェルヴァーグ映画を知る人が見れば感動必至、またこの映画に触れ、過去の名作に興味を持つ人も生まれる作品、それが『ふたりの映画ができるまで』です。
#MeToo運動の前に製作が動き出した作品ですが、説明した通り、人々から思わぬ視点で見られる結果となりました。製作・脚本のジョシュ・ブーン、素晴らしい演技を見せたジャック・キルマーとジェーン・レヴィには、余りにも残念な事態とまりました。
騒動の後、沈黙を守っていたジェームズ・フランコは、2020年には自分を告発した元女学生たちを、#MeToo運動に便乗して自分を陥れたと表明し、対決姿勢を明確にしました。
この騒動がいかなる結末を迎え、フランコが以前同様に活躍できる日が戻るのか判りませんが、紆余曲折がありそうです。将来、作家ジェームズ・フランコという人物を、人間性を含めて振り返る時に、この作品は間違いなく重要な意味を持つでしょう。
しかし騒動の後公開された、彼の監督・出演作『フューチャーワールド』(2018)もセクハラ要素が連想できる、エロっぽいシーンありの作品で、果たしてこの時期に世に出していいの?と問いかけたくなる映画でした。
彼も本作で自分で語るセリフで、ウッディ・アレンの名前を出すなら…。偉大な先駆者である、俳優兼監督ウッディ・アレンを見習い、自分のスキャンダルは自虐的に描いた方がイイですよと、誰か彼にアドバイスしてあげて下さい。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2020見破録」は…
次回の第47回はエクソシストやらせ番組に、本物の悪魔が降臨!?オカルトホラー映画『バトル・インフェルノ』を紹介いたします。お楽しみに。
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