連載コラム「偏愛洋画劇場」第16幕
今回の連載コラム「偏愛洋画劇場」はロードムービーの名作『パリ、テキサス』(1984)。
ある1人の男の人生の旅路、家族との愛の物語について、幾つかの映画に映し込まれた記号に焦点を当て、ご紹介します。
CONTENTS
映画『パリ、テキサス』のあらすじとネタバレ
4年前に失踪した兄トラヴィスがテキサスの砂漠で見つかったという連絡を受け、ウォルトは兄の元へ向かいます。
看板広告の仕事をするウォルトは、妻のアンとトラヴィスと妻ジェーンの息子ハンターを引き取り、3人で暮らしていました。
目を離すと逃げ出そうとするトラヴィス。彼は一言も話そうとせず、眠ろうともせず、食事もしようとせません。
またロサンゼルスまで飛行機で帰ることを嫌がり、車で帰ろうと言います。
一度レンタカーを返しても同じ車でなければ嫌だと言い張り、わざわざ元のレンタカーを借りることにします。
そんなトラヴィスに手を焼きながらも何とか家に連れ帰るウォルト。
トラヴィスは自分がテキサス州、パリに向かおうとしていたことを明かします。
そこは何もない空き地ですが、トラヴィスとウォルトの父と母が初めて愛を交わし合った場所。それゆえにトラヴィスはその地を買い取ったというのです。
4年ぶりにウォルトの妻のアン、そして自分の息子である8歳の息子ハンターと再会するトラヴィス。
ハンターは本当の父親にすこし戸惑います。
映画『パリ、テキサス』の作品概要
第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した本作品『パリ、テキサス』。
監督はドイツの巨匠で、作家と少女が旅をする映画『都会のアリス』(1974)や、人間の姿を見守る天使たちの姿を描いた『ベルリン・天使の詩』(1987)を手掛けたヴィム・ヴェンダース。
主人公トラヴィスを演じたは2017年に亡くなるまで、100本以上の映画に出演したハリー・ディーン・スタントン。
トラヴィスの妻ジェーンを演じたのは、ヴィム・ヴェンダース監督に見出され子役活動を始めたドイツの女優ナスターシャ・キンスキー。背中の大きく開いたモヘアの赤いセーターを纏うジェーンの姿は心に焼きつくチャーミングさです。
一本の道をたどる「ロードムービー」
なぜトラヴィスは飛行機を拒否し、同じ車で数日もかけてロサンゼルスに戻ることを望んだか。
それは彼の4年間の空白、ジェーンとハンターを失ってからウォルトに発見されるまでの月日の空白を埋めるためです。
トラヴィスはウォルト、アン、ハンターの靴をよく磨き一列に並びます。
人生は一本の道のようなもの、しかしトラヴィスは自分の道を途切れさせてしまいました。
だから飛行機で空白を飛ばさずに、同じ車を使って点と点をつなぎ、一本道を同じ靴でなぞりたかったのです。
それぞれが違う道を辿るであろう家族の靴が、青空に一列に並んでいるシーンは、離れ離れになっていた彼らが同じ方向を再び向いている、そんなことを感じさせる爽やかで美しいものです。
道の描写はトラヴィスとハンターが心を通わせる過程でも使用されています。
はじめは学校から帰るとき、トラヴィスが迎えに来ても友達の車で帰ってしまっていたハンター。
しかし“父親らしい”格好をして現れたトラヴィスを見てハンターは、彼と並行に歩きながら家まで帰ります。
違う靴を履いていても並んで同じ方向に歩いている、父と息子の失われた時間がじっくりと埋まっていくことが表されています。
それぞれの距離感や位置を映像で表現
本作は彼らの心の距離間、そしてテーマが映像表現を駆使して明示されています。
映画冒頭、大きな猛禽類がトラヴィスを見つめるシーン。トラヴィスもちらりと見やり、彼はぼうっと前方を見つめます。
前にはまっすぐ続く道。荒涼とした景色が周りに広がり、彼は文字通り一人ぼっちということが分かります。
記憶喪失か、呆然とした顔のトラヴィスですが、この道を辿り彼が家族の元へ帰っていくことも示唆されています。
ウォルトとトラヴィスが車に乗り込み、車内で会話をするシーン。ウォルトが運転をし、トラヴィスは黙りこくったまま後部座席にいます。
カメラは交互にウォルトとトラヴィスを映します。
カメラは前方の景色とバックミラー越しにトラヴィスに話しかけるウォルト。
見えているもの(前方の景色)とは別に、そこではない別のところ(トラヴィス)に話しかけます。
本作の鏡(ルームミラー)は、彼らの距離間、視線を透過させるツールとして用いられています。
同じ空間にはいるものの、他のものを使って自分と他者を繋げています。
トラヴィスがロサンゼルスに戻り息子のハンターと再会し、2人はジェーンを探しに同じ車に乗り込みます。
会話をしながらこれまでの空白を少しずつ埋めてゆく2人ですが、トランシーバーを用いて会話するシーンもありますが、同じ赤い衣服をまとっても、2人の空間は離れていることが示されています。
マジックミラー越しの恋人たち
本作で最も切なく、美しいシーンはトラヴィスとジェーンが再会するところでしょう。
トラヴィスは劇中で何度も鏡を覗き込み、自分の姿を確認します。
4年間で失われてしまったアイデンティティ。自分の姿をもう1度確認したトラヴィスはこれからすべきことを悟ります。
それは、バラバラになった息子と妻を再び引きあわせることです。
のぞき部屋に入り、マジックミラー越しにジェーンを見つめるトラヴィス。
ジェーンは彼の姿が見えることはなく、自分の姿のみ。暗いところからは明るいところは見えるけれど、明るいところから暗いところは見えない切なさ。
フィルムの幸せな思い出は今も見ることができるけれど、幸せな時は家族が離れ離れになることなど想像もつきません。
エゴがぶつかり合い、関係を壊してしまった2人。トラヴィスは自分のことを語り始めますが、最初は背を向けジェーンのことを見ようとはしません。
ジェーンがトラヴィスと気づき、電気を消して鏡へと歩みよった時、初めて2人は互いの姿が確認できます。
ここでカメラはジェーンの輪郭にトラヴィスが浮かびあがるような、半透明同士の彼らが混在するような不思議な姿を映します。
8ミリカメラに残る思い出のビデオのように、顔を寄せ合い密着する2人。しかし鏡に隔たれたままです。
トラヴィスによって引き合わされたジェーンとハンターは、ホテルの部屋で抱き合います。
肉体的にも密着し、隔りがない場所で、再び“1つ”になることができた家族。そこにトラヴィスはいません。
彼は外で2人を見守り、彼らの再会を確認して去ってしまうのです。
脚本家サム・シェパードの考えた結末の意味とは
『パリ、テキサス』の脚本を執筆したサム・シェパードは映画のラストについて、このについてこう語ります。
「壊れてしまったのは3人の関係ではなく、トラヴィス自身の中にあります。だからトラヴィスはそれを1人で見つめなくてはならないのです」
愛する者と親密に、密着した関係でいたい。しかし、トラヴィス自身が言うように「何があったか分からない、空白のまま」同じことを繰り返さないために彼はまた走り続けなければならないのです。
愛しているという言葉を用いずとも、本作で印象的に使用される赤色のライトいっぱいに照らされながら走るトラヴィスの姿は、最高の愛を体現した美しさが光ります。
映画『パリ、テキサス』まとめ
パリと聞くと連想させるのはフランスの都市ですが、本作の“パリ”はテキサス州に位置するパリ。
パリ、テキサス。それは自分の起源であり、密着したいという願いと離れなければならない現実がせめぎあう、何もない空っぽの土地…。
たった1人で“ここではないどこか”へ車を走らせるトラヴィスですが、ジェーンとハンターを繋ぐことができた彼の心には、きっと、彼にしか知りえない感情が満ち足りていることでしょう。
そしてトラヴィスが磨いた靴はウォルト、ハンター、アン、そしてジェーンの道をそっと導いてくれることでしょう。
スライドギターの音色が優しく彩り、人々の心の揺れ動きと確かに存在する空間を映し出した『パリ、テキサス』。
“還りたい”と願うのはどの場所で、誰がいるところなのだろう。その場所からは何が見えるのだろう。そんなことをふと考えさせられる作品です。
次回の『偏愛洋画劇場』は…
次回の第17幕も、オススメの偏愛洋画をご紹介します。
お楽しみに!