連載コラム『増田健の映画屋ジョンと呼んでくれ!』第7回
第7回で紹介するのは、本当は紹介すべきでないかもしれない作品。2022年7月22日(金)にヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国ロードショーが決定した問題作『セルビアン・フィルム』。
2010年に本作が披露されると、暴力描写と過激な性的描写が注目を集め、世界46ヶ国以上で上映禁止。国によっては政治家や宗教団体が抗議し上映禁止の訴訟を起こり、映画審査機関が「この映画はレイティング評価できない」と審査を拒否する事態まで引き起こします。
また2012年にも日本限定で劇場公開された後も「あの映画だけは、本当にヤバかった」と“封印された禁断の鬼畜映画”の噂がネットを中心に広まり、現在に至ります。その禁断の作品がついに、4Kリマスター完全版で甦ったのです!
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CONTENTS
映画『セルビアン・フィルム』の作品情報
【製作】
2010年(セルビア映画)
【原題】
Српски Филм(英題:A Serbian Film)
【監督・脚本・製作】
スルディアン・スパソイエビッチ
【キャスト】
スルジャン・トドロヴィッチ、セルゲイ・トリノフヴィッチ、イェレナ・ガヴリロヴィッチ
【作品概要】
映画史上あらゆる“鬼畜映画”を凌駕する、「現在まで作られた中で、最も邪魔な映画の一つ」と世界のホラー映画ファンが認めた問題作。旧ユーゴスラビア(現:セルビア)の首都ベオグラード生まれの監督スルディアン・スパソイエビッチは、短編オムニバスホラー映画『ABC・オブ・デス』(2012)の一編「“R” Is for Removed(切除)」も手がけています。
主演はエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』(1995)にも出演し、ミュージシャンでもあるスルジャン・トドロヴィッチ。
共演のセルゲイ・トリノフヴィッチはニコラス・ケイジ主演の『NEXT ネクスト』(2007)や、ジョン・キューザック主演の『エージェント・オブ・ウォー』(2008)や『推理作家ポー 最期の5日間』(2012)にも出演。
なおトリノフヴィッチはセルビアで俳優・コメディアン・歌手だけでなく、政治家・市民活動家としても活躍。強権的なセルビア政府に対し民主的・西側寄りのリベラルな政治運動を行う「自由市民運動」の幹部としても有名な人物であり、「セルビアのゼレンスキー」とも評されたこともあります。
映画『セルビアン・フィルム』のあらすじ
引退した元ポルノスター、ミロシュ(スルジャン・トドロヴィッチ)。テクニックと強靭な肉体能力で高い人気を獲得した彼も、今は引退し妻のマリア(イェレナ・ガウリロヴィッチ)と幼い息子と平穏に暮らしていました。
幸せな生活を送っているものの、仕事に恵まれぬミロシュは経済的に苦しい状況でした。そんな折かつて共演した女優から、海外向けの大作ポルノに出演しないかとの誘いを受けます。
高額のギャラに惹かれ仕事を引き受けたミロシュは、怪しげな男に案内され監督に引き合わされます。それはポルノは芸術だと熱心に主張する男、ヴックミル(セルゲイ・トリノフヴィッチ)でした。
ヴックミルの背後には、正体不明の大物クライアントが存在していました。彼の周囲にいる怪しげなスタッフや意図が見えない演出に戸惑いつつも、プロの男優として撮影に挑んだミロシュ。
しかしヴックミルが強いる撮影は、家庭を持つ常識人のミロシュには耐えがたいものになっていっきます。ついに降板を申し出た彼に、「自身最高傑作の芸術作品」だと称するポルノを見せるヴックミル。
自分が関わっているのは、想像を絶するスナッフ・フィルムだとミロシュは気付きます。しかし彼は、もはや後戻りできない領域に踏み込んでいたのです。
そしてミロシュは想像を絶する地獄を体験します。目の前で繰り広げられた惨劇に、世界中の観客が言葉を失いました……。
映画『セルビアン・フィルム』の感想と評価
本作のネタバレを詳細に語れば、間違いなく非難轟々炎上必至、大変な事態を引き起こすであろう怪作です。
こう紹介すると、本作完全版の104分は鬼畜シーンの連続と考えた方もいるでしょう。ところが前半は意外にも静かに展開し、ドラマを積み重ねて展開します。
ネット上に様々な残虐映像が存在する現在。悪趣味な何かを見たいなら、残念ながらそれは簡単に手に入るでしょう。本作が製作された2010年以降、その傾向はより過激化しているのかもしれません。
本作が鬼畜と呼ばれる理由は、製作者が創作した物語の中で最凶最悪の状況が展開されるからです。
単に残虐なものを見せられただけなら、「悪趣味」の一言で片付きます(受け手の衝撃度には個人差があり、軽々しくは言えませんが)。また鬼畜と評される悪趣味映画の多くは、笑いの要素や勧善懲悪の展開で観客の心理的負担を和らげました。
しかし『セルビアン・フィルム』に、そんな逃げ道はありません。監督たちは救いの無い物語を創作して観客に突き付け、自分で意味を考えろと問いかけます。
なぜ監督はこんな状況を描き、観客に見せたのでしょうか。それでは、世界最悪と呼ばれる映画が作られた背景を解説しましょう。
世界を震撼させ、激怒させたシーンの狙い
本作の監督・脚本・製作を務めたスルディアン・スパソイエビッチは、あらゆる国の様々な人々から激しい抗議に晒されます。
彼は本作が2010年イギリスで映画祭で上映され、一部をカットし公開された際のインタビューで、このように語りました。
「この映画は私たちが暮らす地域と、世界一般が抱く最も深いところに潜んだ感情を、正直に表現したものです」
「世界は”政治的正しさ”、という砂糖でコーティングされています。しかしそうして偽装した物の下は、救いがたく腐っているのです」
「私は現代世界の問題について語り、それがセルビアを舞台にしただけです。私たちの生活を支配する、あらゆる腐敗した当局への闘いを描きました。そう、この映画には怒りがあるのです」
「映画に登場するヴックミルは、それら全ての腐敗した当局を誇張したものです。彼が”芸術”と呼ぶ、世界中で物議を呼んだ中盤の例のシーンは、私たちが抱く感情の、絶対的な文字通りのイメージです」
東西冷戦が終結した1990年、民主化されたユーゴスラビアで自由選挙が行われます。しかしそれは多民族で構成されたユーゴスラビアが解体され、各民族が紛争を繰り広げる状況の始まりでした。
旧ユーゴの中心的存在であったセルビアは、この紛争の当事者となります。独立を宣言した国・地域との戦闘は泥沼化、やがて民族浄化を目的とする残虐行為が繰り返されました。
紛争にNATOが介入しセルビア人勢力を空爆、一方ロシアはセルビア側を支援します。戦争犯罪行為が続発した紛争は2001年頃に沈静化しますが、今も一部に緊張をはらんだ対立関係が存在しています。
人道的危機を防ぐには、NATOなど西側諸国の介入が必要だったと評される一方、民族紛争を”政治的正しさ”で単純化した不当な介入だった、不十分な介入で虐殺行為を阻止できなかったと、様々な視点で多方面から批判を呼んだ紛争でした。
「セルビアで戦争の後、私たちは自分たちの生活は純粋に搾取されるものと実感するようになります。家族を養う仕事は結局、悪意を持つ雇用主や支配者に搾取される事でした」
「だからポルノは、日常生活のイメージに使われます。私たちの生活や文化の中にあるものは全てポルノ的といえます。セルビアの同ジャンル映画、『The Life and Death of a Porno Gang』(2009)も同じだと思います」
スパソイエビッチ監督はこうも語っています。オーストラリアのコメディアン・ジャーナリスト、そして障害者人権活動家のステラ・ヤングが、2012年に初めて「感動ポルノ」という言葉を使うより前でした。
「感動」を商品にするポルノがあるなら、「嫌悪」や「正義感」を観客に提供するポルノもあるはず。『セルビアン・フィルム』をご覧のあなたは、この映画をどんな「ポルノ商品」として消費しましたか?
監督は次作の『ABC・オブ・デス』の短編映画「”R” Is for Removed(切除)」で、皮膚を切除される男の残虐シーンが登場します。
ところがこの切除された皮膚は、映画のフィルムになります。つまり映画芸術・映画産業も搾取の構造にある、と描いた風刺映画です。この”皮膚映画”は列車を映し出しました。
映画の父と呼ばれるリュミエール兄弟が19世紀末に公開した、最初期の映画で有名な作品が、駅に着く汽車を撮影した『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896)です。
映画の世界は歴史的に搾取の構造で成り立ち、作り手は犠牲者でもあると風刺した作品が「”R” Is for Removed」。彼の関心は残虐シーンを描く以上に、メッセージを発することにあると言えるでしょう。
監督の語った言葉、そして次に撮った短編映画を知ると、『セルビアン・フィルム』が訴えるメッセージがより明確になりませんか。
映画が鬼畜なのか?我々の住む世界が残酷なのか?
世界中で物議を呼び上映禁止され、年齢制限や再編集の上で公開された『セルビアン・フィルム』。本国セルビアは意外にも、レーティング制度も映画の上映やチケットの購入を禁じる法律もありません。
「しかし保守的な国で、長年の共産主義体制下で身に付けた、一種の自己検閲を行っていました」と説明するスパソイエビッチ監督。
「セルビアで本作を劇場公開しようとしましたが、誰も関わりたがらず上映する配給会社や劇場は見つかりません。だから、規制には法律は必要ないんです」
海外の映画祭で上映され受賞し、その後にセルビアでノーカットで劇場公開された『セルビアン・フィルム』。一方イギリスでは映像審査機関からは、49箇所計約4分間の削除を求められました。
「検閲官はこの映画を理解していないように思えます。映画の中の暴力は観客を楽しませ、心をくすぐる手段だと考えているようでした」と話す監督。
「検閲官は映画を理解しようとせず、理解する必要すらありません。純粋に官僚としてルールに従うので、映画の意味に関心は無く、形式的な事だけに関心があるのです」
「英国上映バージョンの問題は、問題にしたショットを削除しただけで再編集も、他の映像素材の追加も行われていないことです。検閲官にとって本作の悪と闘うストーリーは、関心の対象外に過ぎません」
本作をご覧の方は、「残酷だ」「鬼畜だ」と様々な感想を抱くでしょう。多くの方が「なぜこんなシーンを撮った」「なぜこんな物語を描いた」と考え、怒りを覚える方もいるでしょう。
では、本作をどう扱うべきでしょうか。セルビアのようにタブー視して黙殺し、周囲の反応や評価をうかがい、時機を見て判断すれば良いのでしょうか? イギリスのように、機械的に問題箇所を削除すべきでしょうか?
国によっては宗教団体や政治家に批判され、検閲機関や裁判所が本作をどう扱うか判断を求められた『セルビアン・フィルム』。あなたはどう受け取り、どう扱うべき映画と考えますか?
映画が描く女性や子供に対する暴力について、監督はセルビアの農村部では家庭内暴力が問題になっていると説明しています。
「この問題は職場の女性管理職の比率を50%にすれば、解決できる問題ではない」と語り、さらに言葉を続けます。
「同様の問題は世界中にあり、地域によってそれは伝統であり、誰も変えようともせず法律も役立ちません。私は女性や子どもへの暴力という、我々の時代の”悪魔”に向き合いたかったのです」
「残念ながら女性や子どもを代表し、その権利のために闘っていると主張する人々の多くは、『セルビアン・フィルム』を不快な存在と受け取りました」
スパソイエビッチ監督の発言に納得しましたか?それとも、これは詭弁を駆使した弁明と解釈しますか?本作を見たあなた自身はどう受け取りましたか?
出演のセルゲイ・トリノフヴィッチの、その後の活動を知ると映画の作り手たちは本作の発するメッセージに、真摯な態度で向き合ったと信じて良いと考えます。
まとめ
スパソイエビッチ監督は『ABC・オブ・デス』の後、映画を撮る機会を得ていません。2018年、本作がアメリカ・ロサンゼルスで上映された際、公開後に世界で巻き起こった騒動を踏まえてインタビューに答えています。
「最近我々の間で物議を醸し不安を生むのが、ポリティカル・コレクトネスの歪んだ傾向です。様々な出来事について、人々が価値観の合意に至らぬ異常な世界では、どんな自由な思想や発言も相応しくなり得ないのでしょう」
「皆が私の映画を好む状況は、私が何か間違いを犯した事を意味します。映画は見る者をパンチしてショックを与え、世界は映画に反応し殴り返してきます」
ショッキングな作品こそ、自分が作るものと自負しているスパソイエビッチ監督。緒方貴臣監督の『子宮に沈める』(2013)も同様の発言をしていますが、共に見る者の心を揺さぶる映画を世に放つ意義を理解しているのでしょう。
「錆びついた感覚の持ち主である官僚的な検閲官が、私の作品がどうあるべきか説明し、私より私の考えを理解しているよう振る舞う姿は、実に不愉快です」
「用語の正しい意味すら理解せず、”搾取”と呼びレッテルを貼る。辞書で意味を調べるのを恐れ、泥臭い時流に乗って判断する方が簡単なのでしょう」
これは検閲の問題だけで無く異なる意見の持ち主を敵視し、理性より感情・感覚の判断を重視し、他者を攻撃し炎上させる風潮に慣れた現代社会への警鐘と受け取れます。
全く無防備な状態で『セルビアン・フィルム』を見せられた”被害者”であればともかく、何らかの理由でこの映画を見ようと望んだ時点で、あなたは本作と”共犯関係”を築いたと言えるでしょう。
そして鑑賞後に嫌悪の感情を抱いた、娯楽として楽しんだ、または社会批判の芸術作品と解釈した時、本作の”共犯者”のあなたの中にある何が、あなたが抱いた反応をもたらしたのでしょうか。
本作鑑賞後の自分の心の動きを意識してこそ、映画史に残る邪悪な映画『セルビアン・フィルム』と向き合えたと言えるのです。
『セルビアン・フィルム』は2022年7月22日(金)、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー!
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増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)