連作コラム「映画道シカミミ見聞録」第25回
こんにちは。森田です。
会期末の国会で「改正入管法」が可決され、日本ではいま、だれもが「外国人労働者」について真剣に考えなくてはならない時代となりました。
今回紹介する『リベリアの白い血』は、西アフリカのリベリアからニューヨークに渡った「移民」の話です。
2018年12月14日に開業するアップリンク吉祥寺のオープニング企画「見逃した映画特集 Five Years」で、本作は2017年からの選出作品として上映されます。
ここでは邦題の「白い血」に流れる2つの意味を読み解いて、平和を指し示す一条の光を見いだしてみます。
CONTENTS
映画『リベリアの白い血』のあらすじ
(福永壮志監督 2017年公開)
本作はニューヨークを拠点にする福永壮志監督が、リベリア映画組合の協力のもと、同国とNYで撮影した初長編映画です。
リベリアとアメリカが舞台と聞いて、意外に思われる方もいるかもしれません。
監督の義弟で、撮影監督を務めた村上涼カメラマンが、もともとリベリアでドキュメンタリーを撮っていたという影響はもちろんありますが、それに加えて両国の歴史的な関係が大きな意味を持っています。
リベリアは、アメリカの解放奴隷が祖国に帰還し、1847年に建国した国です。それは国旗のデザインがアメリカの星条旗を模していることからも読みとれます。
ニューヨークにも、リベリア人コミュニティーの“リトル・リベリア”が築かれていて、本作の主人公であるシスコ(ビショップ・ブレイ)はそのつながりを頼りに、移民労働者としての道を歩むことになります。
「白い血」の1つ目の意味=リベリアのゴム農園
それまでシスコはゴム農園で労働に従事しており、夜明けとともに家をでて、日没とともに帰宅するという過酷な日々を送っていました。
広大な土地一面に並び立つゴムの木のプランテーション。その1本1本にナイフで切れ目を入れ、白い樹液(ラテックス)が滴り落ちるのをバケツで採取します。
その何百とある赤いバケツを、シスコたち労働者は一つずつ回収してゆき、両肩にかけた天秤棒の金属バケツに移して運び歩く毎日。照りつける陽射しも容赦ありません。
ナイフで削って流れ落ちる白い筋は、泣いているようにも、血を流しているようにもみえます。
リベリアの“白い血”の一義的な意味は、ここにあります。
福永壮志監督のメッセージ
本作は各国の国際映画祭でも非常に高い評価を受けています。
その最たるものは、第31回(2015年)インディペンデント・スピリット賞に日本人として初めてノミネートされたことでしょう。
独立系の映画を選考する同賞は、毎年アカデミー賞の前日に開催され、2018年は世界で大ヒットを記録した『ゲットアウト』に作品賞と監督賞がおくられました。
2015年は作品賞が『スポットライト 世紀のスクープ』、外国映画賞は『サウルの息子』という年度で、そのなかで『リベリアの白い血』は制作費50万ドル以下の部門「ジョン・カサヴェテス賞」にノミネートという快挙。
「過酷な労働の中でも尊厳とひたむきさを保ち、たくましく生きる労働者達の姿に強い感銘を受け、当時構想していたニューヨークに住む移民の映画の主人公の背景を、リベリアのゴム農園の労働者に設定することに決めました」
福永監督はこうパンフレットで語ります。みずからの国籍に立脚するのではなく、いち人間として、いち労働者を見つめている姿勢がよくわかりますね。
ともすると、リベリアとアメリカと日本という関係だけで“国際的”と評してしまう向きもありますが、本作が真に国際的な評価を受けた理由は、国よりも深い次元に生きる人間の実存、そしてもはや国に求めることのできない存在=移民を普遍的に扱ったからに違いありません。
「普段の日常品をただ使って捨てるのではなく、その裏側に関心を持ち、そこで働く人たちを想像することで、消費に対する向き合い方が変わるのではないかと思います」
「そのように広い思いやりの気持ちを持つことは、アメリカをはじめとした世界各国が排他主義に移行している近年、より一層必要とされていることのように感じます」
まず“知る”ことが、“思いやり”の一歩になる。
そうみるとき、村上涼カメラマンの広く美しい画はいっそうの意味をもち、ドキュメンタリーを出発点とするその視点が、わたしたちが「知る」うえでの「目」の代わりとなってくれます。
映像美で「知る」
「移民」や「労働」というテーマを考察することと矛盾するようですが、本作はまさしく、ただ映像を観るだけでもまったく飽きない時間が流れています。
暗闇とカンテラ、黒い手と白い樹液、褐色の大地と真っ白な太陽。
そのコントラストが残像として目に焼きつき、「知る」ことを映像美のほうから支えています。忘れようのない美しい映像体験です。
それが映えるよう、「無為な時間」をつくるという演出もまた巧みです。
シスコたち労働者は、労働環境を改善するため、また父母からつづく悪循環を断ち切るため、ついにストライキを決行します。
でもその闘争的な響きとは裏腹に、つぎの日から亭主たちはだらだらと過ごすことしかできません。
家にいると妻に叱られるというわけで、みなでサッカーや釣りに興じます。
ここがまた画になっていて、たとえば北野武監督の『ソナチネ』(1993)が、ヤクザたちの戦争を引き延ばして沖縄の白い浜辺で遊ばせていたような「美」が立ちあらわれます。
すなわち、行動に移る前の時間をのばし、無目的化した空間のなかで、純粋に光学的な画を体感させる演出、といってもいいでしょう。
作中の世界は赤いバケツ、緑の森林、黄色いタクシーとさまざまに彩られていますが、白と黒が基調になっているためどのショットも引き締まった表情をみせ、光と影で勝負する良質なモノクロ映画をみたような余韻に浸れること請け合いです。
しかしながら、村上涼さんは撮影中にマラリアに感染し、志半ばで帰らぬ人となってしまいました。
ドラマと現実の境界で「知る」
映画にはときとして、「制作環境」と「作品内容」がリンクすることがあります。
本作で主演を務めたシスコ役のビショップ・ブレイは、実際にゴム農園でラテックス採取をしていた経験があり、内戦で逃れたガーナの難民キャンプで演技に目覚めたといいます。
またアメリカ編の撮影後は、アメリカに移住して俳優活動のさらなる夢に挑戦しているそうです。
まるで、自分が演じたシスコの背中を追うかのように。
そしてカメラマンの村上涼さんの死は、自身で撮影した画の真実性を図らずもなぞっています。
死と孤独を乗せる「タクシードライバー」
リベリアでは1989年から2003年にかけて断続的に2度の内戦が勃発し、人口400万のうち15万人以上の死者をだす惨禍に見舞われました。
光が強いほど影もまた濃くなる。美しいカメラワークのなかには、隣接する死の予感であったり、暴力の気配だったりがじつは匂い立っています。
それはストライキに失敗したシスコがニューヨークに渡ってから顕著になり、彼はタクシー運転手として働く日々のなかで、かつての「戦友=忘却した過去」と再会します。
「抑圧されたものの回帰」とは精神分析の用語ですが、シスコが同僚に「亡霊がいるんだ」と語る場面がなにより象徴的です。
亡霊はすでに死んでいるため、殺すことができません。意識ではどうすることもできず、何度も何度も返ってきてしまう存在。俗にトラウマといいますね。
戦友のジェイコブ(デイヴィッド・ロバーツ)は、シスコが内戦時におこなったこと、生きたまま皮を剥ぎ、ワインみたいに血を飲んだことを言って聞かせます。
そこに、ガソリンスタンドで洗車するショットが重なります。拭っても拭っても、赤い泡はフロントガラスを行ったり来たりするだけで消し去ることはできません。
リベリアの“白い血”の大地には、“赤い血”が流れていました。
タイヤ交換の理由
もはやタクシーは「自由の象徴」ではなく「移動する棺桶」のイメージと化します。
どこへ行っても、なにをしても、自分がそこにいるかぎり「死」と「孤独」がつきまとうからです。
それらに苛まれてニューヨークでタクシーを転がす運転手といえば、マーティン・スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』(1976年)を挙げざるをえません。
ベトナム帰りの元海兵隊員、トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)も戦争による神経症を患い、都会の闇に自己の幻影をみては、次第に暴力性を隠せなくなっていきます。
『リベリアの白い血』のシスコは“亡霊”に追われたあと、映画の最後にタイヤ交換をします。
カメラはレンチとジャッキを黙々と動かすシスコを映し、観客はそこで「彼は移民となっても、労働から、そして自分から逃れることはできないのだ」と気づかされます。
手でつかむものが、ゴムの樹液を入れたバケツから、それを原材料にしてできたタイヤに変わったに過ぎないと。
また交換されるタイヤは、パンクした場面も痕跡も確認できません。
もし、交換の必要のないタイヤだったとしたら、その理由はシスコの「自分の歩んできたレールをいまから変えたい」という気持ちに求められるでしょう。
一方で、『タクシードライバー』のラスト近くでも、運転手たちがタイヤ交換についてのジョークを飛ばしています。
「個人タクシーのエディがタイヤの交換に来た。だが新品なので、代わりに女房を換えろと言ってやった」
シスコの行動は、この“新品のタイヤ”をめぐるオマージュとも受けとれますね。
「白い血」の2つ目の意味=再植民者の暴力
自分の国をでても、自分の過去はついてくる。そのうえでする労働は、仕事は異なっても本質はおなじである。
シスコを通してみてきた移民の姿は、「出稼ぎでより豊かな経済的恩恵を得ている」という通俗的な印象を覆すに十分です。
解放された奴隷が建国したリベリアは、「Liber(自由)な国」だったはずです。
しかし実際に起こったことは、アメリカからの入植者による先住民の迫害でした。
この再植民者に流れる“白い血”というものが、邦題の2つ目の意味となります。
アメリカで自分たちが被ってきた暴力を、自由になった土地で繰り返す悲劇。憎しみの応酬、暴力の連鎖を断ち切るためになにができるのか。
内戦後、リベリア政府がリベリア映画組合を設立したことが、ひとつのヒントになるのではと考えられます。
映画制作にみえる平和への灯
本作のプロデューサーで福永監督のクリエイティブパートナーのドナリ・ブラクストンは、パンフレットに回想録を寄せています。
「『リベリアの白い血』はリベリア映画組合の協力の下、リベリア人を主役に、半分ニューヨーカー、半分リベリア人で構成されたクルーによって撮影された。それは、撮影中も度重なる文化の衝突がおきていたことを意味した。(…)出生地も経験値も違うクルー全員が同等に、自分はこの映画にとって重要な存在なのだと思えるよう心がけた」
国際合作では、描かれるドラマ以前に“文化の衝突=異文化理解”というもうひとつのドラマが往々にして進行しています。
ここでは、「時間」や「連絡」や「季節」などの“理解”が進んだようです。
「撮影を進める上で困難は山ほどあった。例えば、西アフリカには『アフリカンタイム』と呼ばれるものがある。アフリカンタイムにおいて、緻密なスケジュールは通用しない」
「大抵の人が頻繁にEメールを利用しているわけではないため、電話で役者やクルーの一人一人に連絡しなくてはならなかった」
「ニューヨークの撮影班が準備していった雨具は、バンソウコウで屋根の雨漏りを修復しようとするようなものだった。西アフリカの雨は僕らのことなど気にしない」
雨季にあたってしまったんですね。
そういった苦労を分ちあいながら、おなじ目標にむかって映画を制作していく過程は、いちばんの国際協力および平和活動といえるのではないでしょうか。
「リベリアでは『対話がすべて』が良いモットーとなる。そこではお互いを尊重し合うことや、親しみを持って接すること、そして一人一人に自分の価値や責任を感じさせることこそが鍵となる」
このことはどの国にかぎらず、人間が人間と接するうえで必要な態度に見受けられます。逆に内戦は対話の欠如の極北にあるものでしょう。
「リベリアでは制作中に起きることすべてにおいて、言葉ひとつひとつがその運命を左右した」
映画は映像表現ですが、それを支えているのはまず「言葉」であると。
つまり映画をつくることには不断の対話の努力が要され、それが日常にも還元されれば、争いがなくなることに望みをかけてもいいのではないか。
リベリア映画組合が初めて共同制作した本作は、闇夜を照らすひとつのカンテラの役割を果たしたとみました。