連載コラム「永遠の未完成これ完成である」第34回
映画と原作の違いを徹底解説していく、連載コラム「永遠の未完成これ完成である」。
今回紹介するのは、島崎藤村の小説『破戒』です。これまでに2度、映画化されてきた名作を60年ぶりに前田和男監督が間宮祥太朗を主演に迎え映画化。2022年7月8日(金)劇場公開予定です。
小学校の教師をしている瀬川丑松は、ただ一つ「秘密」を持っていました。それは、自身が被差別部落の出身であるということです。
明治以降、身分制度は廃止されたものの、田舎ではまだまだ部落問題、身分差別が深刻に残っていました。
亡き父から「出自を隠し通すよう」強い戒めを受けていた丑松は、自らを被差別部落の出身であると隠さず生きる思想家・猪子蓮太郎に出会い、心の葛藤に悩み続けるます。
小説『破戒』は、1906年(明治39年)に自費出版されて以降、根深い部落問題が論争となり一時絶版ともなった、人権問題、社会問題の実態を描き出した名作です。
映画公開に先駆け、原作のあらすじ、映画化で注目する点を紹介します。
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映画『破戒』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【原作】
島崎藤村
【監督】
前田和男
【キャスト】
間宮祥太朗、石井杏奈、矢本悠馬、高橋和也、小林綾子、七瀬公、ウーイェイよしたか、大東駿介、本田博太郎、田中要次、石橋蓮司、眞島秀和
小説『破戒』のあらすじとネタバレ
瀬川丑松は、22歳で長野の師範校を卒業し、今は飯山で小学校の教師として働いていました。まもなく3年になろうという時、丑松は蓮華寺へと下宿先の引っ越しを決めます。
その理由は、一時部屋を借りていた大日向という者が「穢多(えた)」であると知れた途端、周りの者たちは「不浄だ、不浄だ」と忌み嫌い、追い出すようにと騒ぎ立てる事柄があったからです。
「不浄だとは何だ」。丑松は心に憤りを抱いていました。彼もまた、「穢多」であったからです。父からは「出自を隠し通すよう」強い戒めを受けていました。
丑松は、田舎にいまだ根深く残る部落差別に、ほとほと嫌気がさします。そして、その心の慰みになったのは、猪子蓮太郎の存在でした。
蓮太郎は、被差別部落の出身であることを公表する思想家で、病体ながらも差別部落の現実を訴え続ける姿は、「新平民中の獅子」と呼ばれていました。
丑松は、彼のように自分を偽らず強く生きたいと憧れを抱きながらも、ここまで教師として生活できてきたのは、父の教えの通り、秘密を明かさずに来たからだと理解していました。
ひとり思い悩む丑松は、次第に目つきは快活な色を失い、顔色も悪くなっていきます。猪子蓮太郎の『懺悔録』に没頭していく丑松を、師範校時代からの同窓の友・土屋銀之助は心配していました。
一方、丑松たちが務める小学校では、校長と郡視学とが手を組み、生徒には慕われているが鼻持ちならない丑松を追い出し、甥である勝野文平を出世させたいと目論んでいました。
そんな中、老教師の風間敬之進が、長年の酒浸りが祟り体を壊し、恩給が受けられる半年前に教壇を去ることになります。
敬之進の子供である・省吾は、丑松の受持ちの生徒でもありました。偶然、丑松は省吾の家庭事情を知ることになります。
敬之進は前妻と後妻の間に7人の子どもを設け、生活は決して楽なものではありませんでした。省吾と姉のお志保は前妻の子供で、お志保は家計を支えるべく、蓮華寺へと貰われていました。
丑松が蓮華寺に引っ越してから、お志保は自分の面倒を良くみてくれます。酒で住職との関係がこじれた敬之進は、娘のお志保にも会いに行けないと言います。風間家の困窮に丑松は胸を痛めるのでした。
敬之進は旧士族であるプライドがあり、娘の苦労には目を瞑っていました。身分制度は廃止されても、多くの人に根強く残る差別。丑松の心に暗い影が広がります。
ある日、丑松は父が自分を呼ぶ声を聞いた気がしました。丑松に念を押すように、あの戒めを強く思い起こさせるものでした。
映画『破戒』ここに注目!
1906年(明治39年)発行、島崎藤村の長編小説『破戒』。主人公が差別問題で苦しみ葛藤する姿を描いた今作は、出版から110年以上経った現代にも訴えかける作品となっています。
戒めを破ると書く小説の題名『破戒』には、「被差別部落の出身であることを隠し通せ」という父からの戒めを守って生きてきた主人公・丑松が、そのことで悩み苦しんだあげく戒めを破り成長していく姿が現されています。
『破戒』は、1948年に木下恵介監督、1962年には市川崑監督により映画化されました。木下恵介監督の『破戒』では、部落差別問題に踏み込まず丑松とお志保の恋愛に焦点を当てた内容に、市川崑監督の『破戒』では、主人公が陶酔し差別部落の現実を訴え続ける思想家・猪子蓮太郎とその妻の抱える問題に迫った内容となっています。
そして2022年、前田和男監督の『破戒』は、どこに焦点を当てどのように描かれるのか。物語の最大の見せ場、丑松が生徒を前に出自を告白する場面に注目したいです。
『破戒』の登場人物
小説『破戒』には、主人公・丑松を取り巻く様々な人物が登場します。古い考えに孤立し変化を嫌う人種、新しい思想を抱く者たち、保守的な人、自己中な人。
差別思想の根本的な問題点である、相反する考えを持つ者同士は分かり合うことが出来るのか、という点でも考えさせられる作品です。
「我は穢多なり」と出自を隠さず、同じように差別で苦しむ人々の現状を訴えた猪子蓮太郎。そうありたいという憧れと、現実の狭間で苦しむ瀬川丑松。
時代が移り変わろうと身分を重んじ名誉にしがみつく校長。出世のためなら何でも利用する高柳利三郎。身分を笠に女遊びにこうじる住職。
丑松の出自を知ってもなお、友として接する土屋銀之助。自分の事より丑松を心配し、寄り添うことを決意するお志保。
ほかにも丑松に影響を与える人達が多々登場します。相手の思想を変えることは到底無理なことなのだと思い知らされます。
なくならない差別問題
島崎藤村が1906年(明治39年)に『破戒』を世に出してからおよそ116年。時代は明治から大正へ、そして昭和、平成、令和と移り変わってきました。
江戸時代に設けられた士農工商という身分制度は、明治とともに廃止されるも、その差別は長らく民衆の心に根付き続けます。
中でも、生死にかかわる仕事をし「穢多」と呼ばれていた人々が、隔離され住んでいた集落への差別は重いものがありました。
『破戒』の主人公・丑松もこの部落の出身でしたが、父親が苦労し部落を離れ、息子に普通の教育を受けさせます。そして、「決して出自を明かすな」と戒めを与えるのでした。
多くのことを学ぶに連れ、丑松は本来の自分を偽って生きている気持ちになります。秘密など持たず、堂々と生きていきたい。新しい思想、自我の芽生えです。
しかし、穢多への差別を目の当たりにするたびに、父親の戒めが身に染みます。丑松が蓮太郎に、穢多であることを明かそうと何度も何度も試みる下りは、緊迫感が伝わり胸が詰まります。
時代は移り変わっても、日本には上下関係を重んじる風潮や、男女差別、片親への偏見、格差社会など、差別は今もなお社会問題として残り続けています。丑松のように差別に苦しむ人たちがいるのが現状です。
まとめ
前田和男監督が間宮祥太朗を主演に迎え、60年振りに実写映画化に挑んだ『破戒』。2022年7月8日(金)劇場公開予定です。
丑松は、戒めを破り、新たな旅立ちを迎えます。気持ちは晴れたかのようで、選んだ道は決して楽なものではありませんでした。
現代社会にも様々な差別問題は潜んでいます。現実の厳しさと、それに立ち向かう勇気を丑松を通して学ぶことができます。
ありのままの自分で生きるということは、難しいことなのでしょうか。偏見に捉われず、互いの違いを認め共存する、平等な社会であってほしいものです。
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