低予算ながら奇抜なアイデアの数々で長年映画界を牽引してきた、映画プロデューサーの“インサイド・ヘッド”をのぞき見してみよう──
『だからドキュメンタリー映画は面白い』第5回は、2012年公開の『コーマン帝国』。
前回の『ヒッチコック/トリュフォー』での、アルフレッド・ヒッチコックやフランソワ・トリュフォーとは異なるアプローチで映画という娯楽に人生を捧げた、“B級映画の帝王”こと、ロジャー・コーマンの足跡を追います。
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CONTENTS
映画『コーマン帝国』の作品情報
【公開】
2012年(アメリカ映画)
【原題】
Corman’s World: Exploits of a Hollywood Rebel
【監督】
アレックス・ステイプルトン
【キャスト】
ロジャー・コーマン、ジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロ、デヴィッド・キャラダイン、パム・グリア、ロン・ハワード、ピーター・フォンダ、マーティン・スコセッシ、ジョナサン・デミ
【作品概要】
「とにかく早く安く作って儲ける」という理念の元、500本を超える作品を製作してきた、“B級映画の帝王”、“ハリウッドの反逆児”などの異名を持つ、ロジャー・コーマン。
本作が長編映画デビューとなるアレックス・ステイプルトンが、コーマンの下で育ったフィルムメーカーたちのインタビューなどを交え、帝王が築いてきた“映画界の裏街道”を辿っていきます。
映画『コーマン帝国』のあらすじ
1926年に生まれたロジャー・コーマンは、スタンフォード大学を卒業後、父親の知り合いの紹介で20世紀フォックス映画に入社するも、会社のしきたりに失望して退社します。
1954年、コーマンは、のちに配給会社AIPを設立するジェームズ・H・ニコルソンと知り合い、プロデューサー・監督・脚本、時には俳優として映画製作に参画。
「とにかく早く安く作って儲ける」をモットーに、当時隆盛を極めつつあったドライブイン・シアター向けに、低予算のSF、ホラー、アクションに絞った映画作りに専念します。
1960年~70年代からは、「反権力、反ハリウッド」をテーマとした、いわゆるアメリカン・ニューシネマの潮流に乗った映画を製作し、さらなる若者の観客をつかむことに成功。
「とにかく早く安く作る」には、人件費の節約も必須です。
そこで駆り出されたのが、マーティン・スコセッシ、ジョナサン・デミ、ロン・ハワード、フランシス・F・コッポラ、ジェームズ・キャメロンといった、当時無名の新人監督たち。
後年に名監督となる彼らは、“門下生”としてコーマンの下で映画作りを学んでいったのです。
本作は、コーマン本人はもちろん、門下生たちのインタビューを交え、80年代からセミリタイア状態となったコーマンが、現在の映画業界にもたらした影響を考察します。
現在のハリウッド映画の流行を生み出した男ロジャー・コーマン
Let me know. pic.twitter.com/Sx8s2rUg2f
— Roger Corman (@RogerCorman) 2017年2月9日
これまでに、監督、プロデュース作合わせて500本を超える映画を手がけてきたロジャー・コーマン。
その大半が「ゲテモノ」、「俗物的」と揶揄されるようなB級映画ながら、大手メジャー会社では見られない新鮮さや過激さがありました。
製作時こそ、彼の映画は良識派からは見向きもされなかったものの、やがて内に込めた反体制なリベラル視点が若者層に支持され、次第に業界全体に浸透。
コーマンが、現在のハリウッド資本の名作やメガヒット作の土台を築いた――これが決して大げさな物言いではないことを、本作では明かしていきます。
また、本作では触れていませんが、コーマンは東宝の『子連れ狼』シリーズを買い付け、第1作『子を貸し腕貸しつかまつる』(1972年)と2作目『三途の川の乳母車』(1972年)を1本にまとめ、80年に『Shogun Assassin』というタイトルで全米公開し、ヒットさせています。
血が噴き出る殺陣が話題を呼んだ『Shogun Assassin』のファンだったクエンティン・タランティーノが、『キル・ビル Vol.1』(2003年)でオマージュを捧げるなど、コーマンは日本映画の世界進出にも間接的に関わっていたのです(もっとも、儲けの配分をせずに独り占めするという、コーマンの守銭奴ぶりも露わとなりましたが)。
参考映像:『デス・レース2000年』
数あるコーマン映画で、強いて代表作を1本挙げるなら、劇中でも触れている『デス・レース2000年』(1975年)でしょうか。
無名時代のシルベスター・スタローンが悪役に扮し、レース中の殺人でポイントを稼いでいくという、近未来(ディストピア)を舞台にした荒唐無稽バイオレンス映画です。
なおこの映画は、スタローンが『ロッキー』(1976年)で大ブレイクを果たした直後にアメリカでリバイバル上映され、その際のポスターアートを、コーマンの号令でスタローンを全面フィーチャーした物に変えたというエピソードも残っています。
「皆ロジャーのことが好きなんだ…」涙ぐんで思い出話をするあの名優
#TBT to when I had the Honor of being called a Maverick by the great @FANGORIA. pic.twitter.com/YWCQ7Px0my
— Roger Corman (@RogerCorman) 2017年7月13日
本作は、コーマンの下で育った“門下生”たちにもカメラを向けていきます。
俳優陣ではジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロ、デヴィッド・キャラダイン、パム・グリアや、監督としてはマーティン・スコセッシやロン・ハワード、ジョナサン・デミ、ジョー・ダンテなど。
終始ハシャぎながらコーマンとの思い出を語るダンテや、コーマン製作の『明日に処刑を…』(1976年)を監督する際に入念な下準備をして臨んだと述懐するスコセッシなど、発言者たちの個性が表れたインタビュー集となっています。
タランティーノやイーライ・ロスといった、コーマン映画のフォロワー監督たちのインタビューも含む中で、特筆すべきはジャック・ニコルソンでしょう。
新人時代に出演したコーマン映画について、「あれはヒドい映画だから観ない方がいい」とか、「たまに間違って名作ができるが、そんな時に限って俺は出ていない」など、とにかく言いたい放題発言を連発。
しかし終盤、ニコルソンは「ロジャーは俺が業界から干されていた時期にも仕事をくれた唯一の友達だった。なんだかんだ言って、みんな彼の事が好きなんだよ…」と、声を詰まらせて泣き出すのです。
参考映像:ロジャー・コーマン製作のジャック・ニコルソンのデビュー作『THE CRY BABY KILLER』(1958年)
ハリウッドの反逆児が認められるまで
Today marks the 53rd anniversary of 'THE INTRUDER' with @WilliamShatner #ThrowbackThursday pic.twitter.com/AcnBWJ8wKy
— Roger Corman (@RogerCorman) 2015年5月14日
『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』という自伝を著しているように、コーマンは一度も赤字収益を出さなかったことを自慢しています。
しかし実際は、『侵入者(The Intruder)』(1962年)で唯一の赤字を出したと云われています。
これは、劇中でコーマン自身も語るように、まだ公民憲法が制定される前のアメリカ南部を舞台に、黒人差別問題を真正面から扱った問題作です。
それまで若者受けを狙った映画ばかり撮っていたコーマンが、儲け度外視で製作したこの『侵入者』は、その内容から客が入らなかったものの、間違いなく彼の反骨精神に満ちた作品となりました。
そんな反逆児コーマンも、70年代後半の『ジョーズ』(1975年)と『スター・ウォーズ』(1977年)という二大ヒット作を脅威に感じ、「我々が10万ドルで作る映画を、大手メジャー会社が数百万ドルで作り出した。これでは勝ち目はない」と、徐々に映画製作のスピードを落とすことに。
しかしながら、コーマンは評価面での長年の不遇を嘆くことなく、自身が行ってきた映画作りを誇らしげに明るく語ります。
2009年、ジャック・ニコルソンやジョナサン・デミといったかつての門下生が見守る中、映画芸術科学アカデミーから名誉賞がコーマンに贈られました。
参考映像:アカデミー名誉賞を受けるロジャー・コーマン
反体制側だったコーマンが、体制側の保守本流ともいえるアカデミー協会に功績を称えられる――まるで狐につままれたかのような光景で、本作はエンディングを迎えます。
2019年に93歳になるコーマンですが、その名誉に驕ることなくB級映画を作り続けています。
近年の代表作は、あの『デス・レース2000年』をリブートした『Death Race 2050』(2017年)です。
帝王の度量の広さは新たな才能を生み続ける
Best Day Ever w/ @ariannahuff inspiring 2 hear her words of encouragement 🙂 girl power! pic.twitter.com/AIjhKVXwpN
— Alex Stapleton (@hellostapleton) 2013年3月23日
最後に、本作にまつわるちょっとイイ話を。
本作の監督アレックス・ステイプルトン(ツイッター画像右の人物)は、それまで映画を撮った経験すらない、一介の雑誌ライターでした。
そんな彼女がコーマンにインタビューをした際に、彼の人柄と映画人生に触れ、直感でドキュメンタリーを撮りたいと思ったのだそう。
実はその頃、ハリウッドの有名監督によるコーマンのドキュメンタリー映画の企画が進んでいたのですが、ステイプルトンはどうしても自分にやらせてほしいと、涙ながらにコーマンに嘆願。
ステイプルトンの意気込みを買ったコーマンは、そのまま彼女を監督に抜擢したのです。
彼女はその後、CBSのドキュメンタリー番組でエミー賞を受賞するなど、テレビ業界の第一人者として活躍しています。
無名の若者たちに絶えずチャンスを与えてきた帝王は、『コーマン帝国』でも新たな才能を発掘していたのです。
次回の「だからドキュメンタリー映画は面白い」は…
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