連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第21回
1981年に前代未聞の猟奇殺人事件を起こした男の、知られざる現状とは――。
今回取り上げるのは、2019年7月12日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開される、『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』。
そのあまりの衝撃的な内容に、各国の映画祭では途中退席者が続出したという問題作の全容に迫ります。
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CONTENTS
映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』の作品情報
【日本公開】
2019年(フランス・アメリカ合作映画)
【原題】
Caniba
【監督・撮影・編集・製作】
ヴェレナ・パラヴェル、ルーシァン・キャステーヌ=テイラー
【キャスト】
佐川一政、佐川純、里見瑤子
【作品概要】
1981年にフランス・パリで起きた、通称「パリ人肉事件」の容疑者・佐川一政の現在を、克明に追ったドキュメンタリー。
2013年に脳梗塞で倒れて以降、実弟・純の介護を受け暮らす佐川に、フランスの撮影クルーが15年6月から約1カ月間にわたって密着。
幼少時に撮られた8ミリフィルムや、佐川自身による漫画、出演したアダルトビデオ映像なども盛り込みつつ、彼を支える弟との奇妙な関係性を映し出していきます。
各国の映画祭で途中退席者が続出したとされながらも、本作は第74回ベネチア国際映画祭でオリゾンティ部門審査員特別賞を受賞しています。
映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』のあらすじ
1981年にフランス・パリで起きた、パリ人肉事件。
その容疑者として逮捕された佐川一政は、その2年後に心神喪失で不起訴となり、日本に帰国します。
本作は、2013年に脳梗塞で倒れ歩行が困難となり、実弟である純の介護を受け暮らす佐川の生活に密着。
当時の事件を振り返りつつ、彼の心の奥底にあるカニバリズムについて追求するとともに、終盤では純のパーソナルな面にも迫る、驚きの展開を見せていきます。
パリ人肉事件とその容疑者・佐川一政
1981年6月、パリのソルボンヌ大学のひとつである、パリ第3大学の博士課程に在籍していた当時31歳の佐川は、友人のオランダ人女性を自宅に呼び出し、殺害。
その遺体をブローニュの森の池に遺棄しようとしたところを逮捕され、その後の取り調べで、遺体の一部を食べていたことが判明します。
佐川は犯行を自供するも、事件から2年後に心神喪失と診断(後に誤診だったことが判明)されて不起訴となり、日本に送還されることに。
事件をめぐっては、ザ・ローリング・ストーンズが詳細を歌詞にした『トゥー・マッチ・ブラッド』という曲を作れば、劇作家の唐十郎が佐川と交わした手紙のやり取りを小説化した『佐川君からの手紙』を発表するなど、各方面に影響を与えています。
日本に帰国後は、作家、コメンテーター、漫画家、俳優などマルチに活躍していた佐川ですが、2013年に脳梗塞に倒れて以降はほぼ寝たきり状態となり、弟の純の介護を受けて暮らしています。
参考映像:ザ・ローリング・ストーンズ『トゥー・マッチ・ブラッド』PV
ピントのずれたカメラが映し出すカニバリズム嗜好
本作の大きな特徴として、メインの被写体である佐川一政へのカメラワークがあります。
とにかく異常ともいえるほど、超クローズアップで佐川の顔を捉え続けるカメラ。
被写体に密着する撮影手法を好む監督といえば、『サウルの息子』(2016)や『サンセット』(2019)のネメシュ・ラースローがいますが、本作はそれよりも接写率が高く、しかもそのカメラはフォーカスが定まらず、ピントもずれています。
ぼやけた状態で映し出される佐川は、全くまばたきをすることもなく、ほとんど無表情。
それでいながら、「好きな人の唇をなめたいといったフェティシズムな欲求の延長線上に、カニバリズムがある」と、今もなお人肉を食すことへの飽くなき欲求を語ります。
実は本作では、38年前に佐川が犯した人肉事件の顛末には触れていません。
本作を監督したルーシァン・キャステーヌ=テイラーとヴェレナ・パラヴェルのコンビは、前作『リヴァイアサン』(2014)で巨大な底引き網漁船での海洋生物と船員たちの、今そこにある情景のみを接写することに専念しました。
両監督は、今回もありのままの佐川の現状に特化しつつも、ピントがずれたカメラで彼の“心の奥”を接写。
併せて、かつて佐川が出演したアダルトビデオ映像を挿入し、そこに映る佐川の姿をもってして、観る者にもカリバニズムを疑似体験させるのです。
「理解が及ばない」兄をサポートする弟
本作のもう一人の主人公ともいえるのが、佐川の弟である純。
時にはインスリン注射を射ったり、時には洗髪をしたり、時には兄がカニバリズムについての説明に言葉が詰まると、すぐさま補足説明をしたりします。
「いろんなことがありましたけど、今では、わだかまりはまったくないです。むしろ、もっと一生懸命に介護しなきゃいけないなと」
(2019.5.23 AERA dot.)
意図せず加害者の家族となってしまったことで、自身も数多くの迷惑を受けてきた身でありながら、純はひたすら兄を甲斐甲斐しくサポートします。
しかし、兄のカニバリズム嗜好については「全く理解できない」とし、彼が描いた漫画『まんがサガワさん』に目を通しては、「よくこんなの描けるなぁ。これは世に出すものじゃない」と切り捨てる純。
兄弟間に流れる言いようのない静寂を経て、本作は観る者の予想だにしない展開へとなだれ込みます。
衝撃と奇跡、そして恍惚に包まれるクライマックス
ラスト30分前で突如、純によるカミングアウト行為が映し出されます。
それがどういうものなのかは、ここではあえて記しませんが、兄が好む嗜好を「全く理解できない」と一刀両断していた人物が、観る者が理解に苦しむような行為を実践するのです。
ある意味で、本作で一番のショッキングなシーンを見せる弟に対し、「僕は特に驚きもしない」とほほ笑み、「こんな僕によく付いていてくれた」と感謝の意を表す兄。
他人には分からない、兄弟間でしか分からない繋がりがそこにあります。
ここで挿入される、父が撮影した8ミリフィルムでの幼少時の2人が、数十年後も一緒に映像に収まっているという奇縁。
そして最後の最後に、キャステーヌ=テイラーとパラヴェル両監督は、撮影協力のお礼とばかりに、佐川にとあるプレゼントを贈ります。
そのプレゼントに、佐川は「奇跡が起きたようだ」とつぶやき、恍惚の表情を浮かべます。
これから本作を観る方はおそらく、ドキュメンタリー映画と認識して観ていたはずが、観終わる頃にはホラー、もしくは荘厳なヒューマンドラマを観ていたという錯覚に陥るかもしれません。
『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』は、扱うテーマが愉快な内容ではないし、過激な描写も含まれるので、「絶対観るべき映画」とまでは言いません。
ただ言えるのは、「観られるのだったら、観た方がいい映画」です。
次回の連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』もお楽しみに。