連載コラム「映画と美流百科」第13回
今回取り上げるのは、2018年11月16日(金)から東京・渋谷のBunkamuraル・シネマほか全国で公開される『バルバラ セーヌの黒いバラ』です。
1950年代からシャンソン界の女王として活躍した伝説的な歌手、バルバラの人生をたどる本作の監督・脚本・出演はマチュー・アマルリック。
アルノー・デプレシャン監督作でおなじみのアマルリックですが、近年ではフランス以外でも活躍し、『ミュンヘン』(2005)や『007 慰めの報酬』(2008)などの出演で国際的スターとして知名度を上げています。
バルバラを演じたのは、デプレシャン監督の『そして僕は恋をする』(1996)でアマルリックと共演し、2003年までアマルリックのパートナーでもあった女優・歌手のジャンヌ・バリバール。
バリバールはバルバラが憑依したかのような熱演で、第43回セザール賞をはじめ数々の映画祭で主演女優賞を獲得しています。
CONTENTS
映画『バルバラ セーヌの黒いバラ』のあらすじ
撮影スタジオでは、フランスを代表する国民的シャンソン歌手バルバラを描く映画の撮影準備に入っていました。
謎に満ちたバルバラの人生を演じるのはブリジット(ジャンヌ・バリバール)、監督はイヴ(マチュー・アマルリック)。
ブリジットは、バルバラになりきるために彼女の性格や歌声、動作などすべてを真似して自分の中に取り込もうとします。
バルバラの存在はブリジットの中で少しずつ大きくなり、心身ともにバルバラに憑かれたように支配されていきます。
一方、映画監督のイヴは、バルバラが歌ったキャバレーや劇場で聞き取りをし、彼女の人生に足を踏み入れていきます。
少年のころに出会った彼女の曲に救われた経験のあるイヴは、映画監督という立場を超えて、ブリジット演じるバルバラにのめり込み、自分を見失っていくのでした。
2人は次第に現実との境目を見失っていきます。
その生涯はツアーの連続で、自分の家を持たなかったといわれるバルバラ本人の貴重なステージ映像も交えながら、バルバラの人生を描き出した作品です。
今までの伝記映画の手法をくつがえすメタ構造
バルバラの伝記映画に取り組むことになった監督マチュー・アマルリックは、当初「まったくの不可能である」と途方に暮れたそうです。
しかし数々の伝記映画を観ていく内に、ジャンヌ・バリバールが演じるのはバルバラではなく、バルバラを演じる女優ブリジットであるという構想に至ります。
この劇中劇の形をとった“入れ子構造” により、本作は今までにない強烈なインパクトを与える映画になりました。
主演ジャンヌ・バリバールが発しているセリフは、バルバラのセリフなのか? 役から離れたジャンヌのセリフなのか?
監督イヴを演じるマチュー・アマルリックが心酔しているのは、バルバラを演じるジャンヌなのか? ジャンヌの姿を通して見ているバルバラなのか?
スクリーンのこちら側にいる私たち観客も惑わされ、不安や緊張を抱えながら見守るのです。
ジャンヌ・バリバールは、監督マチュー・アマルリックについて次のように語っています。
「彼は多くのことを考え、素晴らしい方法で、神聖な人物像を作り上げた」
その言葉通り、バルバラの死後に刊行された自伝で初めて世に出た暴露的なエピソードにはほぼ触れず、戦後のフランスに君臨した芸術家バルバラを言葉で説明しすぎることなく、謎に包まれた姿をそのまま提示するに留めています。
このように解釈を観客にゆだねる手法はまさにフランス的であると感じますし、本作が第70回カンヌ国際映画祭で“ある視点部門ポエティックストーリー賞”に輝いたのにもうなずけます。
またフランスを代表する文化情報誌「レ・ザンロキュプティブル」では、本作は次のように評価されています。
「『バルバラ』で、アマルリックはいわゆる伝記映画の目に見えない決まり事をすべて壊しにかかっている」
バルバラの人生(1930-1997)と、その後の評価
本作は劇中劇の形でバルバラの人生をあぶりだす伝記映画ですが、撮影した映像のラッシュ上映のシーンで断片的にバルバラのエピソードが紹介されていたり、ジャンヌの生活がバルバラの人生とシンクロしていたりします。
バルバラについて知っておいた方が、本作で描かれていることが理解しやすいので、彼女の人生についてご紹介します。
バルバラのプロフィール
バルバラは1930年にフランスのパリで生まれました。
ユダヤ系のため、ナチス占領下のフランス各地を逃げまどいながら少女時代を過ごしました。
1950年代から、作詞作曲をするシンガーソングライターの先駆けとして他の歌手とは一線を画し、ピアノの弾き語りで成功を収めます。
コンサートを開催する際には、一切宣伝をしないにも関わらず発売直後にチケットが完売し“神話”と呼ばれるなどの逸話を残し、シャンソン界の女王として君臨しました。
その人気は、バルバラの曲(『ナントに雨が降る』)が由来となり、ナントの道路にバルバラの名前が付けられるほどでした。
一方で長い間、ノドの不調に悩み薬を飲むなどしていたバルバラですが、後年は専門医のもとで治療をしたり歌唱法を変えたり苦しんでいました。
1988年1月に来日した際の大阪フェスティバルホールの公演では、本人が「歌おうか歌うまいか検討しましたが、歌わせていただきます」と説明するほどノドの状態が悪く、途中で席を立つ人が出て一部マスコミからも非難されました。
また、刑務所への慰問公演やエイズ撲滅運動のための活動なども行っていました。
そして自伝の原稿を書いている最中の、1997年に67才で亡くなりました。原因は呼吸器系の疾患といわれています。
絶筆となった自伝は1998年フランスで遺作として発表されました。日本では『一台の黒いピアノ… ─未完の回想』(小沢君江訳・緑風出版)という題名で2013年に刊行されています。
それまで語られることのなかった波乱の人生が綴られた本でしたが、中でも人々にショックを与えたのは、父親による近親姦の告白でした。
バルバラの代表曲でもある『黒いワシ』はこの出来事が背景にあると解釈されています。
昨年2017年はバルバラの没後20年を記念して、トリビュートアルバムが発売されたり、パリで『バルバラの大回顧展』が開催されたりと、バルバラは現在でも忘れられることなく支持されています。
本作も、フランスでは昨年2017年に公開されました。
まとめ
今年2018年は日仏交流160周年ということで、例年にも増して日本国内でフランス関連のイベントが数多く催されています。
そんな中、11月16日(金)から東京・渋谷のBunkamuraル・シネマほか全国で公開されるバルバラの伝記的映画が、本作『バルバラ セーヌの黒いバラ』です。
奇しくも今年前半にはバルバラとほぼ同時期に活躍したシャンソン歌手、ダリダの映画『ダリダ あまい囁き』も公開されました。
時代の流れがフレンチポップスへと傾いても往年のシャンソン・スタイルを貫き、人気を博した2人ですが、その印象は正反対の陰と陽。
陰はもちろんバルバラです。黒衣を身にまとい、自らの人生を投影させた詞を歌い上げる彼女はどこか夜を感じさせる、ほの暗い雰囲気があります。
冬へと向かう季節に観るには、ぴったりな映画ではないでしょうか。ぜひご覧ください。
次回の『映画と美流百科』は…
次回は、この連載コラムの第1回目で取り上げたアート・オン・スクリーンのシリーズ第3段、『フィンセント・ファン・ゴッホ:新たなる視点』をご紹介します。
お楽しみに!