連載コラム「映画と美流百科」第5回
今回は、スペインのある女性フラメンコダンサーの人生を描いた『ラ・チャナ』をご紹介します。
2016年に制作されたルツィア・ストイェヴィッチ監督の作品で、本名をアントニア・サンティアゴ・アマドールという女性に迫った、ドキュメンタリー映画です。
彼女は伝説のフラメンコダンサーといわれ「ラ・チャナ」と呼ばれています。その意味は「賢者」。フラメンコ・ギタリストだった叔父、エル・チャノの名前を継ぐ呼び名でもあります。
CONTENTS
映画『ラ・チャナ』の鑑賞ポイント
フラメンコとヒターノ
まず映画の冒頭から目を奪われるのは、ラ・チャナの華麗なステップです。
小刻みに床を踏み鳴らす音が多層的に重なり合って、まるで楽器で奏でているのではないかと錯覚するほどの高速ステップに目を見張ります。
このようなステップの他にも、手拍子や掛け声、時にギターや歌などでリズムを取ることが多いフラメンコ。
日本ではフラメンコとは踊りの種類の名前だと思われがちですが、厳密には踊りだけでなく先程あげた歌やギターなども含めた芸能の総称なのです。
発祥はスペインの南部にあるアンダルシア地方で、その発展にはヒターノ(スペインのロマ族)が大きな役割を果たしました。
フラメンコダンサー、女性としての人生
幼少期からフラメンコに魅力を感じていたラ・チャナは、他のヒターノと同様に周りの大人たちを見てフラメンコを覚えていきます。
見よう見まねでフラメンコを身につける天性の才能は、誰が見ても明らかでしたが、父親は「フラメンコは女にとって不健全な仕事だ」と続けることを反対します。
しかし、フラメンコを仕事にしていた叔父の後押しにより、親族が経営する店で踊れることになりました。このときラ・チャナは14歳。
そして17歳でフラメンコ・ギタリストだったミゲルと結婚し、18歳で出産します。
この夫が以後、マネージャーを務めることになりました。また、ラ・チャナの早い結婚には、古い価値観の両親から逃れて自分の夢を追いたいという、彼女の思いがありました。
19歳のときに、バルセロナの人気店で踊り始めると、ラ・チャナの独創的・即興的な踊りが話題となります。常連客の中には、画家サルバトール・ダリもいました。
さらに、ラ・チャナのステージに惚れこんだ喜劇俳優ピーター・セラーズは、自身の主演映画『無責任恋愛作戦』(1967)への出演を依頼した上に、ハリウッド進出をバックアップしようとしました。
しかし、彼女のマネージャーである夫が、それを許さず実現しませんでした。
昔のヒターノの世界では、女性は男性に従うものだという封建的な考えがあり、ラ・チャナは逆らうことも、誰かに相談することもできませんでした。
そのような事情があり、当時のラ・チャナのステージ映像には、凄味を伴う鬼気迫る踊りが残されています。
踊っているときだけが唯一の感情を表すことができる、自分でいられる瞬間だったのです。
31歳のときにテレビ番組に出演したことによって、ラ・チャナの名は世界中に知られ不動の人気を獲得します。
しかし、嫉妬した夫は彼女への暴力を激化させる一方。
そして33歳の時に、夫は「仕事をやめなければ、娘から引き離す」と脅迫し、キャリアの絶頂期だったラ・チャナを、強制的に引退させました。
さらに数年後、彼女が再起不能と考えた夫は全ての財産を奪い、娘だけを残して彼女を捨てたのでした。
しかし、苦境の中でも踊りを捨てなかったラ・チャナは、再び舞台へ復帰し、カンパニーに所属し世界中を回ります。
作中では、各国の新聞などのメディア記事が多く紹介されており、日本語のものもありました。日本では1985年に公演を行っています。
このように踊りを取り戻し創作に意欲を燃やすラ・チャナでしたが、その反面、次第に体力の衰えを感じるようにもなります。
そして、45歳で再び引退。現在の夫フェリックスとの出会いをきっかけに、2人の生活を大切にするための決断でした。
引退後は声がかかれば小さな舞台に立ったり、後進の育成のために指導をしたりしながら、穏やかに暮らしています。
本作の終盤で老年のラ・チャナは、再び舞台に立ちます。
一瞬にしてその場の空気を変えてしまう気迫は若い頃そのままですが、違うのは今は椅子に座りながら踊っていること。
関節炎でヒザを悪くしているので、立って踊ることができないからです。
座ったままでもステップが踏めるとは考えもしなかった私は、度肝を抜かれました。
その踊りを見つめていると、老いてもなお理想と限界を追い求める姿勢に、胸が熱くなります。
ラ・チャナの現在の生活と人物像
ラ・チャナは現在、再婚した夫フェリックスと愛犬のシナモンと暮らしています。
魂を揺さぶるトランス状態のようなステージの姿から一変、夫と一緒にリクライニングチェアに座ってテレビを見たり、娘と料理を作ったり、孫にアイスを分けてくれとせがんだりと、ラ・チャナの暮らしぶりは穏やかで笑いにあふれています。
時には、パジャマで化粧をする姿を披露することもあります。その飾り気のない開けっぴろげな性格は、インタビューでのユーモラスな語り口からも、知ることができます。
人生のどん底で絶望を味わった1人の女性が、どんな経緯で再びスポットライトを浴びるようになったのか。その陰で、どんな思いを抱えていたのか。
伝説の天才フラメンコダンサーとしてのストイックな姿と、ヒターノ社会で女性として翻弄されてきた姿、愛情深い家庭人としてのチャーミングな姿、その全てに注目してみてください。
女性の権利を考えさせる映画
ラ・チャナの生涯を振り返ると、彼女がヒターノ出身だったことが人生に大きく影響していることが分かります。
社会の片隅に追いやられたコミュニティーの中では、女性は自己主張してはならず、自由に振る舞う権利を認められていなかったからです。
そのためラ・チャナは夫の理不尽な言動に従うしかなく、キャリアの絶頂期に引退せざるを得ませんでした。
さらには、全財産を奪われて捨てられる事態にも見舞われ、追い詰められました。
今回は、女性の権利を考えさせる実話を元にした作品を、あとふたつご紹介します。
映画『未来を花束にして』
参考映像:『未来を花束にして』(2015)
ひとつ目は2015年に制作された、サラ・ガブロン監督の『未来を花束にして』です。
原題の『Suffragette(サフラジェット)』とは、20世紀初頭に「参政権(Suffrage)」つまり選挙での投票権を女性にも与えるように主張した人たちのことを差します。
この映画は女性参政権の獲得のために闘った、女性たちの姿を描いた作品です。
ロンドンに住む主人公のモードは、洗濯工場の劣悪な環境の中で賃金を搾取されながら働いていましたが、同じ洗濯工場で働く夫と幼い息子との暮らしは、平凡で穏やかなものでした。
ある日、モードは街に出たときに、女性参政権を求める人たちによる投石現場に遭遇します。
その中に同僚女性の姿もありました。運動に興味がなかったモードですが、後日誘われるままに公聴会に参加し、聞くだけのはずが代理で話すことになります。
男性と比べると過酷な仕事内容や賃金格差について話し、工場長からのセクハラなども思い出すモード。
そして、女性に参政権があれば世の中が変わり、もっと違う生き方ができるのではないかと考え始めるようになります。
その後モードはデモに参加し、運悪く逮捕され数日間拘留されてしまいます。
このことが夫の反感を買い、家を追い出され、息子と会うことも禁じられ、さらには仕事もクビになります。
こういった状況が契機となり、ますますモードは運動にのめり込み、運動自体も過激さを増して行きます。
そして、ある事件が大きなうねりとなり、ついには女性に参政権が与えられることになるのです。
この映画からは、現在では当たり前になった女性参政権が、多くの人たちの犠牲と努力の上に成り立っていること再認識させられます。
また現状に不満があるのならば、それを抱え込むのではなく、声をあげることの大切さも伝わってきます。
映画『ドリーム』
参考映像:『ドリーム』(2016)
ふたつ目は2016年に制作された、セオドア・メルフィ監督の『ドリーム』です。
舞台となるのはアメリカ南東部のバージニア州ハンプトンにある、NASAの研究所。
当時はまだ白人と有色人種の分離政策が行われていた時代で、主人公の黒人女性3人が働くこの研究所でも、施設内が白人用の東棟と非白人用の西棟に分かれていました。
幼いころから天才的な数学の才能を認められ、飛び級で学んできたキャサリンはその実力を買われて、欠員がでた東棟に特例として配属されます。
東棟に非白人が勤務するのは初めてのことで、周りの反応は冷ややか。
それ以上に困ったのは東棟にはキャサリンの使える非白人用トイレがなく、800メートルも離れた西棟のトイレに通わなければならなかったことです。
黒人女性だというだけで差別され、一部を黒塗りにされた資料を渡されたり、作成した報告書に名前を入れることが許されなかったり、重要な会議に出席させてもらえなかったり。
その悔しさをバネに、実力を示すことで状況を変えていくキャサリン。
ついにはトイレの人種による区別はなくなり、会議にも出席できるようになり、最終的には国家プロジェクトであるマーキュリー計画において結果を出します。
またエンジニアを目指すメアリーも、壁にぶつかっていました。
「君が白人の男性だったら、そのチャンスを諦めるのか?」という上司の言葉からも、問題の根深さを感じます。
前例がないからと諦めず、自ら行動したメアリーは後年NASA初の黒人女性エンジニアとなりました。
そして、管理職への昇進を打診しても相手にしてもらえなかったドロシーも、先見の明で自らの道を切り開きます。
ロケット打ち上げのための計算は人間が行っていましたが、 IBMの巨大な計算機が搬入されるのを見かけた彼女は、仕事がなくなるのを見越してプログラミング言語を独学で身につけます。
最終的にドロシーはIBM計算室の室長になり、黒人だけでなく白人スタッフの指導もすることになります。
彼女からは仕事における交渉術と、変化に柔軟に対応する重要性を学ぶことができます。
このように三者三様に、それぞれが仕事に邁進してゆく姿に勇気づけられる、痛快なサクセスストーリです。
まとめ
今回取り上げたような、ドキュメンタリーや史実を元にした映画の役割とは、過去にあった世間が知るべき物語を風化させず、観る者を啓発することです。
そして、それらには普遍的に訴える力があり、観る者に前向きな力を与えてくれます。
人生において困難に出合ったときの処方箋として、心に留めておきたい作品となることでしょう。
次回の『映画と美流百科』は…
次回は、9月1日(木)から公開予定の『ディヴァイン・ディーバ』を一足先にご紹介します。
この映画では、どんな“女性たち”の人生が描かれているのでしょうか。
お楽しみに!