連載コラム「映画と美流百科」第4回
今回ご紹介するのは、グラフィティ・アーティストとして最も有名な人物バンクシーと、その作品に迫ったドキュメンタリー映画『バンクシーを盗んだ男』(2017)です。
舞台になるのは「中東の火種」として世界中が見守る、パレスチナのベツレヘム地区。
ここにある高さ8メートル、全長450キロ超の分離壁に描かれた絵が大論争を巻き起こします。
問題になったのは≪ロバと兵士≫という絵。パレスチナ人をロバとして描いていると反感を買ったのです。なぜならアラブ世界でロバは「侮辱」を意味しているから。
ついには現地のタクシー運転手が壁を切り取って、さらに売却して利益を得ようとし、≪ロバと兵士≫は海を渡ってオークションへ出品されます。
壁を切り取ったタクシー運転手、壁の持ち主、壁周辺の住人、ベツレヘム市長、現代アーティスト、収集家、芸術史家、修復家など様々な人たちが、それぞれの立場で見解を述べます。
ストリート・ミュージックのビートに合わせて矢継ぎ早に切り替わるモンタージュと、ざらついたイギー・ポップのナレーションで紹介される、バンクシー作品の数々。
情報と価値観の洪水を浴びて、あなたが何を感じるのか確かめてください。
そして、アートシーンだけでなく日常生活の中にまで影響を与える、バンクシーの挑発の目撃者になってください。
CONTENTS
映画『バンクシーを盗んだ男』の鑑賞ポイント
バンクシーとは何者なのか
イギリスのロンドン出身、正体不明の覆面アーティスト、反権力的なメッセージ、ユーモラスかつアイロニカルな視点…
様々に形容されているが、本当のことを知る者は誰もいない、謎に包まれた存在。それがバンクシーです。
ストリートでゲリラ的に作品を残し、それが消されることもあれば、残され観光名所になることもあります。
壁の落書きに価値があるのか? あるとすればなぜ? この作品をここに描いた意味は? 意図的なのか偶然なのか? 所有権や著作権は誰のもの? ストリートから美術館に移されても、それはストリート・アートといえるのか?
我々に疑問を投げかけるバンクシー。世の中の価値観に疑問を提示し問いただすことがアートの役目なのだとすれば、彼はまさにアートを体現する存在なのです。
ストリート・アートとバンクシーの作風
ストリート・アートとは、街をキャンバスにスプレーやペンキを用いて描かれる落書きのことをいい、落書きを意味する英語からとってグラフィティ・アートとも呼ばれています。
施設や建物に勝手に絵を描くのは器物損壊に当たる犯罪行為のため、人目を避けて深夜にゲリラ的にペインティングされることが多いのが特徴。
バンクシーの作品はフリーハンドで描いたものではなく、型紙とスプレーを使ったステンシルの手法を用いています。
ステンシルには素早く仕上げられるというメリットがあり、描いている姿を他人に見られたくないバンクシーにとって最も適した方法だといえるのです。
モノの価値とその変容
本作では、ただの壁が有名なバンクシーに絵を描かれたことによって価値が上がり、それがオークションにかけられるまでになる様子が記録されています。
これを観て私が連想したのは、マルセル・デュシャンが1917年に発表したオブジェ作品≪泉≫でした。
≪泉≫はレディ・メイド(既製品)の男性用便器にサインを入れて展示しただけの作品です。
これが作品といえるのか? アートといえるのか? 物議を醸し、初めて発表されたときは展示を拒まれました。
ここで重要となるのは、日常生活の中にあるモノをその文脈から切り離し、アートという文脈に持ち込み作品化したということです。
≪泉≫は現代芸術におけるターニングポイントとされる作品で、アート作品の見方や考え方を変えたといわれています。
このようにアートには錬金術のような側面があり、同じモノでも扱い方によって価値が大幅に変化することがあり得るのです。
映画『I love ペッカー』との比較考察
参考映像:『I love ペッカー』(1998)
映画『I love ペッカー』のあらすじ
『バンクシーを盗んだ男』と同じく、アートの価値について疑問を投げかける作品としてご紹介したいのは『I love ペッカー』(1998)。
こちらはフィクションのコメディ映画で、ジョン・ウォーターズ監督の自伝的映画といわれています。
アメリカのボルチモアに住んでいる、写真を撮るのが大好きなペッカー(エドワード・ファーロング)は、勤め先のハンバーガー・ショップで小さな写真展を開きます。
そこで、彼女(クリスティーナ・リッチ)や家族、個性的な街の人たちを被写体にした写真が、アート・ディーラーの目に留まります。
やがてニューヨークで個展が開かれ、写真が売れてマスコミにも取り上げられ、一躍有名人になったペッカー。
成功街道まっしぐらに見えましたが、どんどん思いもよらぬ問題が出てきて、本人だけでなく周囲の生活にまでひずみが生じ…最終的にペッカーが選んだ道は…というストーリーです。
行為の価値の変容
ペッカーが有名になるにつれて価値が変わったのは、値段が付くようになった写真だけではありません。その変化は、彼のとる行動にまで及びます。
それまでは誰も気にせず見逃されていた行為が、有名になるにつれて注目されるようになり、自由に振る舞えなくなってゆくのです。
さらにはペッカーだけでなく被写体になった人たちにも影響が及んで、仕事がなくなったり逮捕されたりする人が出てくる始末。
このようにペッカーの立場が変わったことにより、ペッカーが撮った写真だけでなく、その写真に写った人の行為の意味や重さまでが変わってしまったのです。
作品の価値の判断
ペッカーの作品が、アート・ディーラーの目に留まるキッカケになったのは、女性ストリッパーの陰毛写真でした。
街の人たちは不謹慎だと眉をひそめていましたが、芸術に関わる専門家たちスノッブなニューヨーカーは「すばらしい!」と褒めたたえているという、このギャップ。
正直にいうと、私にはその写真のどこがよいのか分からないのですが、もしかしたら“通”が観たらよい写真なのかもしれない…と思うようになってくるのが、芸術の危うさなのだと再認識させられました。
同じようなことが、あなたの生活の中でも起こっていませんか?
このような疑問提起をユーモアと皮肉を込めて描き、第一級のコメディ映画に仕立て上げたジョン・ウォーターズ監督は、やはりアーティストなのだといえます。
まとめ
関連作品:『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』(2016)
これまでに撮られたバンクシーが登場する映画は、本作を含めて下記の4作品です。
・『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(2010)
・『セービング・バンクシー』(2014)
・『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』(2016)
・『バンクシーを盗んだ男』(2017)
バンクシーという1人のアーティストを扱ったドキュメンタリー映画が、2010年~2017年という短期間に4本も作られているのを見ても、いかに彼が注目されているのかが分かります。
神出鬼没なバンクシー、彼はこれからも世界のどこかで物議を醸し続けることでしょう。
次回の『映画と美流百科』は…
次回は、全国にて順次公開中の、伝説のフラメンコダンサーを描いたドキュメンタリー映画『ラ・チャナ』を取り上げます。
あるフラメンコダンサーを通して、女性の生き方について考えてみましょう。
お楽しみに!