連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第49回
今回ご紹介するNetflix映画は『クラシック・ホラー・ストーリー』です。
イタリア南部を共に旅していた見ず知らずの男女が、迷い込んだ不気味な森で過酷なサバイバルを繰り広げるサスペンスホラー。
古今東西あらゆる名作ホラーの展開を彷彿とさせるシーンの数々、メタな展開が行き着く衝撃の結末までネタバレありでご紹介します。
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CONTENTS
映画『クラシック・ホラー・ストーリー』の作品情報
【公開】
2021年配信(イタリア映画)
【原題】
A Classic Horror Story
【監督】
ロベルト・デ・フェオ、パオロ・ストリッポリ
【キャスト】
マチルダ・ルッツ、フランチェスコ・ルッソ、ペピーノ・マッツォッタ、ウィル・メリック、ユリア・ソボル、アリダ・バルダリ・カラブリア、クリスティーナ・ドナディオ、フランチェスカ・カヴァリン
【作品概要】
2021年7月14日にNetflixにて配信されたイタリア映画。
監督を務めたロベルト・デ・フェオ、パオロ・ストリッポリは、本作が長編デビュー作となりました。
映画『クラシック・ホラー・ストーリー』のあらすじとネタバレ
台に縛り付けられ、身動きの取れない女性。その様子を天井の木目から覗く目がありました。
その目はどうする事も出来ずに、彼女がハンマーで撲殺される一部始終をただ見つめていました。
母親から中絶治療を受けることを強要されたエリサは、キャンピングカーに相乗りして実家へ向かいます。
乗り合わせたソフィアとマークのカップルは駆け落ちのために、中年の医者リカルドは家族に会うために、映画学校に通う学生のファブリツィオが運転するキャンピングカーに相乗りしていました。
ファブリツィオは地元であるカラブリアへ向かうまでの様子をカメラに収めていました。
道中、マークに唆されたエリサは妊娠中にも関わらず、ビールを飲んでしまいます。
気分が悪くなり、車を降りて森の中で嘔吐してしまいました。
酔いが回り、悪ノリしたマークは車の運転をかってでます。
道端でヤギの死骸を見つけたファブリツィオは急いでマークからハンドルを奪い、急ブレーキを踏ませます。
車は木に激突し、マークは足を骨折してしまいました。
エリサが救急車を呼ぼうとするも、森の中は圏外のため、助けを呼ぶことが出来ません。
夜間の運転で辺りを確認していなかった一行は、いつの間にか道路を外れ、気付いた頃には道路のない森の中にいました。
どうやってここまで来たのか誰も記憶にありません。
森の中には誰もいない1軒のボロ家があるのみで、助けを呼ぶことが出来ないまま、お互いの身の上話をして時間を潰していました。
リカルドとファブリツィオは森の中で出口となる道路を探していると、「名誉の3騎士」と書かれた不気味な十字架と串刺しにされた豚の生首を見つけます。
様子からして最近立てられたもののようでした。
ふと、エリサがボロ家に目をやると誰もいないはずの家の扉が開いていました。
中に人がいないかどうか、エリサが家の中へ入ると、鹿の剥製が待ち構えていました。
壁の写真には動物の面を被った人々の姿が、部屋の奥へ進んでいくと、如何わしい壁画を見つけます。
エリサと合流したファブリツィオが、この地に伝わる、生贄の舌と耳と目を家畜に与える古代の儀式について説明しました。
一行は車で車中泊をすることにしました。
ファブリツィオが森へ用を足しに行くと、霧がかった向こうにある人影を見つけました。
夜になると、ボロ家の玄関に灯りがついているのが見えました。
エリサ、ソフィア、リカルド、そして森から逃げてきたファブリツィオは、マークを車に残し、ボロ家の屋根裏部屋へ上がりました。
そこには藁の家に囚われ、舌を抜かれた少女の姿がありました。
彼女を助け出そうとした途端、ボロ家を赤い光が照らします。
こちらに向かって銃を持っているであろう何者かが近寄ってきました。
ローブを纏った彼らはボロ家の中へマークを引き摺り込み、台の上に縛り付け、彼の足をハンマーで粉砕します。
その様子を息を殺しながら4人は屋根裏部屋から覗き込むしか出来ませんでした。
木のお面を被った3人組はマークの目にゆっくりとドリルを突き刺していきました。
口を塞がれたマークの声にならない断末魔が家中に響き渡ります。
やがてライトが消え、マークは3人組によってどこかへ連れ去られてしまいました。
翌朝、少女を藁の中から助け出した4人はボロ家から脱出し、少女を連れて森を抜けようとします。
森を走り抜け、一行が目にしたのは、血痕や争った形跡のある廃車の山でした。
その様子を見て彼らの他にも犠牲者がいたことを知ります。
エリサは少女が持っていた手帳から彼女の名がキアラであることを知ります。
言葉を話すことが出来ない彼女は手帳を使い、エリサと筆談します。
「ここは森じゃない」
一行が先へ進むと、元来たボロ家へ戻ってきてしまいました。ファブリツィオの車は無くなっていました。
ファブリツィオは、外で彷徨うよりもボロ家で過ごしていた方がマシだと言い、辺りを見張りながら2日目の夜をボロ家で過ごしました。
患者を過失致死させてしまったリカルドは医師免許を懲戒性分にされ、家族と離れ離れの生活を余儀なくされていました。
彼は会えなくなった娘に会う途中だったのです。エリサはお腹の赤ん坊を中絶するために相乗りしたことを明かします。
お互いの身の上を明かしながら、眠れぬ夜を過ごしました。気がつくとエリサは眠っており、目を覚ました頃には、ボロ家は再び赤いライトで照らされていました。
サイレンのけたたましい音と共に、ボロ家の外でリカルドとソフィアが縛りつけにされていました。
木でできた動物を象ったお面を被った100人ほどの集団が、キアラを閉じ込めた藁の家に火を焚べようとしていました。
ソフィアは目を抉りとられ、リカルドは耳を剥ぎ取られてしまいました。
謎の集団が首にさげた鈴を鳴らし合図するとソフィアとリカルドは首を割かれ殺害されてしまいます。
その様子をボロ家から見ていたエリサとファブリツィオ。
エリサは車の中で1人だけビールを飲まなかったファブリツィオを不審に思い、彼のつけていた補聴器を奪います。
するとエリサは、それが補聴器ではなくイヤホンだった事に気付き、ファブリツィオが外部からの指示によって一行をボロ家へ誘導していたことを知ります。
「彼女を連れて行け」ファブリツィオがそう指示すると、扉の向こうから大男が現れ、彼女を部屋の奥へと連れて行きました。
気がつくと朝になっており、エリサは大勢を囲む食卓につけられていました。
地元のマフィアたちが三騎士を讃える食事会を開いており、エリサもその席に座らされていました。
その中から皆の母親を名乗る人物が、エリサの命は皆の生きる糧になるのだと語りかけてきます。
エリサは必死に助けを求めますが、皆黙々と食事をしているのみでした。
映画『クラシック・ホラー・ストーリー』の感想と評価
メタ映画の型式
迷い込んだ森で起きた凄惨な拷問、人身供儀、残虐な殺害は全てエクストリームな映画を制作するために行われていたという最初のどんでん返し。
ホラー映画における最後に生き残った女性「ファイナルガール」のエリサは、その真実をファブリツィオから告げられた後、キャンピングカーやテントの並ぶボロ家の裏に出ます。
この光景は映画撮影におけるキャストの控え室、小道具置き場と重なり、本作で実際に起きた殺人は、作り物で妥協できない映画制作者の行き過ぎた結果であったことに気付かされます。
かつてのイタリア映画の一ジャンル、モンド映画が実在する未開の地で行われている風習をでっち上げて、さも本物であるかのようにフィルムに収めたように、狂った映画制作者のファブリツィオは実際の殺人がもたらす迫真性でもって観客を魅了しようと画策します。
「なるべく本物に近い形を映像に収めたい」というのは、フィクション作品を手がける作り手の誰しもが抱いている感情です。
しかし、本作のファブリツィオは作りものだからこそ、観客に届くであろう作り手側の想像力やクリエイティビティに対する信頼がありません。
そこが彼の愚かさであり、エリサの言うようにファブリツィオが映画作りに向かない理由なのでしょう。
また本作を視聴した観客の視点から、彼の語るイタリア映画事情とホラー映画がヒットしない理由やその愚痴を聞くに、ファブリツィオが承認欲求に基づいて映画を撮っているに過ぎない事にも思い知らされます。
その後のファブリツィオの隙をついたエリサが彼らへの復讐を果たすシーン。
本作にカタルシスをもたらす重要なシーンであるこのクライマックスにて、マカロニウエスタンを思わせる勇ましい音楽がかかります。
ショットガンを手にヒーロー然とした復讐劇を果たすエリサへのコールであると同時に、イタリア映画がアメリカの西部劇をパクったというマカロニの背景が、有名ホラーの展開をパクったに過ぎないファブリツィオの独創性を皮肉っていました。
型式の積み重ねにより行き着いたもの
本作はイタリアのジャンル映画に対してメタ的なオマージュを捧げただけでなく、ハリウッド映画へのメタ的な言及、モチーフの効果的な引用も数多くありました。
森の中で彷徨い、助けを呼ぶことも出来ず、ボロ家に辿り着く展開をファブリツィオは「サム・ライミのよう」と形容していました。
これも実際は彼が仕組んだわけですが、結末を知ってから観ると、この導入はファブリツィオ自身、サム・ライミ監督作『死霊のはらわた』(1981)を堂々とパクったと白状しているようで味わい深く聞こえます。
このファブリツィオ、どうやら最近の映画も率先して自身の映画に取り入れているようで画づくりから構図から何なら何まで『ミッドサマー』(2019)そのままのシーンがあり、とても印象的でした。
昼間の長テーブルを囲んだ食事シーンや、藁に包まれた生贄、生贄を囲んだ儀式、神聖な存在である奇形児、ボロ家の小窓など、デジャヴを疑うほど、記憶に新しい場面を色々と思い起こさせました。
中で印象的だったのが、食事の最中助けを求めて泣き出すエリサに合わせてまわりの人間も泣き出すシーン。
同様のシーンが『ミッドサマー』(2019)にもあり、本作がテーマ的にもそこへ近づきかけた途端、「やめろ」とファブリツィオの母親がそれを制止しました。
同作のオチに対するある意味本作なりの意趣返しとも言えるシーンでした。
その他にも『ミッドサマー』(2019)の元ネタのひとつでもある『ウィッカーマン』(1973)の巨大な人型のオブジェや、リメイク版『ペットセメタリー』(2019)に登場したお面を被った集団の行進など、数多くの作品からの引用があり、元ネタを探す楽しさがありました。
こういった元ネタ探しが魅力のひとつでもあったメタ的なホラー映画は、過去にも傑作が存在しました。『キャビン』(2012)です。
しかしながら本作が突き進んだメタ展開の方向性は『キャビン』(2012)とは異なります。本編のあとにオマケ映像がつくこと自体は今の時代珍しいものではありません。
マーベルスタジオをはじめとしたアメコミ映画では、続編に繋がるお約束になりましたし、『XYZマーダーズ』(1985)や『グレムリン2 新・種・誕・生』(1990)などから続く本編の内容とはさほど関係ないもののお遊び的な要素として付け足されたほんの数秒のシーンです。
本作におけるエンドクレジット後のシーンは、厳密に言うとクレジットの前に本編に続く形で付け足されています。そのため、最後のシーンも本編の一部といっていいでしょう。
本作がNetflixで配信されている作品であることを踏まえてのシーンで、作品を見る前に前評判をリサーチする視聴者とは、Netflixでオススメ映画を探す利用者であり、このコラムを愛読して下さっている皆さんでもあります。
感想をザッと見て本編を飛ばし飛ばしで鑑賞し、無造作に低評価を押して画面を閉じると言う結末は、日本の観客にとっては「エヴァンゲリオン的」に見えるメタ展開ですが、本作があえてこのようなシーンをオチとして付け加えた意図として、配信時代の作品作りに対する作り手による「非常に自虐的な目配せ」のように感じます。
まとめ
Netflix映画『クラシック・ホラー・ストーリー 』は、Netflixの公式Twitterが『悪魔のいけにえ』(1974)と『ミッドサマー』(2019)のような作品と予め銘打っていた通り、過去の名作ホラー映画を彷彿とさせるシーンが目白押しな作品でした。
それでいて元ネタ探しをさせるような二次創作的快楽に耽溺するだけでなく、イタリアにおけるジャンル映画の歴史や聖母をモチーフとしたカトリックらしいテーマをファイナルガールに託した宗教的な背景のあるホラー映画でもありました。
後半に進むにつれジャンル映画が段々と別の顔を見せ始め、メタ的な展開の積み重ねが、最終的に映画の外側にまで語りかけてる結末まで目が離せないスリル満点の作品でした。
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