第20回東京フィルメックス「コンペティション」最優秀作品賞『気球』
2019年にて記念すべき20回目を迎える東京フィルメックス。令和初となる本映画祭が開催されました。
そのコンペティションでグランプリにあたる、最優秀作品賞を受賞した作品が、中国映画『気球』です。
本作のペマツェテン監督作品は、東京フィルメックス・コンペティションにおいて、『オールド・ドック』が第12回最優秀作品賞、『タルロ』が第16回最優秀作品賞、『轢き殺された羊』が第19回審査員特別賞を獲得しています。
上映終了後、本作の主演男優ジンパ(金巴)が登壇し、観客からの質問に応じて、撮影の舞台裏を語ってくれました。
【連載コラム】『フィルメックス2019の映画たち』記事一覧はこちら
映画『気球』の作品情報
【上映】
2019年(中国映画)
【原題】
気球 / Balloon
【監督・脚本】
ペマツェテン(万瑪才旦)
【出演】
ソナム・ワンモ(索朗旺姆)、ジンパ(金巴)、ヤンシクツォ(杨秀措)
【作品概要】
80年代に、家族計画政策を導入した中国。その影響を受けたチベットの、農村地帯に住む家族の姿を通して、チベット人の文化や宗教・死生観を描いた作品です。
主演俳優ジンパ(金巴)のプロフィール
1985年、中国・甘粛省生まれ。北京映画アカデミーの演劇部門で学びました。
2014年よりチベット新世代の映画俳優として、また詩人としても多才な活躍をみせています。
彼の主演した映画はヴェネツィア映画祭などで高く評価され、また『胡同(フートン)のひまわり』のチャン・ヤン(張楊)監督の、2016年の映画『皮绳上的魂(Soul on a String)』での演技は、台北金馬映画祭の最優秀新人俳優賞にノミネートされました。
2018年に東京フィルメックスで上映され、審査員特別賞を受賞した『轢き殺された羊』の英題は『Jinpa(ジンパ)』。その名の通り彼が主演を務めた作品です。
前作に引き続きペマツェテン監督作品に主演し、今回初来日を果たしました。
映画『気球』のあらすじ
チベットの草原で羊を飼育しながら、3人の息子と老いた父と暮らす、ダルケ(ジンパ)とドロルカル(ソナム・ワンモ)夫婦。まだ幼い2人の息子は夫婦の寝室にあったコンドームを、風船のように膨らませて遊んでいました。
夫婦の長男は家族から離れ、1人中学校で学んでいました。その彼を尼僧となったドロルカルの妹、シャンチェ(ヤンシクツォ)が迎えに現れます。
中学校を訪れたシャンチェの前に今は中学教師となった、かつてのボーイフレンドが現れます。彼はシャンチェに、当時の思いをつづった自作の小説「気球」を手渡します。
夫との営みに悩み、婦人科を訪れるドロルカル。そんな姉の姿は、尼となったシャンチェには汚らわしく映ります。一方ドロルカルは、尼になりながらも過去の思い出に囚われている、妹の態度を心配していました。
伝統的な暮らしを送り、チベット仏教の輪廻転生の教えを信仰するこの家族にも、中国政府の政策や近代化の影響が押し寄せていました。
そんなある日、ダルケの父が亡くなります。そしてある出来事が、家族の絆と価値観を大きく揺さぶります…。
映画『気球』の感想と評価
チベットの地で、牧畜を営み穏やかに暮らす家族。彼らはチベット仏教の、伝統的な価値観に従って生活しています。しかし彼らの身にも、現代的な価値観や中国政府の政策が影響を与えます。
この映画は何らかの価値を批判も、称賛もしていません。例えば冒頭に登場する“風船”の正体が提示する、いずれの社会や文化圏でも微妙なテーマである、避妊について考えてみましょう。
避妊は重要な行為でありながら、子供だけでなく同性であっても他者に伝えにくい、タブーを秘めた問題です。同時に各々の価値感によって、避妊の意味するものは大きく異なります。
本作の主人公夫婦は、この行為が社会的・経済的に必要だと認識しています。しかし別の価値感を持つ、尼僧となった妹の目には、人間の愚かしさの象徴にしか見えません。
そして妊娠・出産は、伝統的に尊い行為とされています。しかし現代社会では女性を束縛し、自立を妨げる要因である事も広く認識されています。
映画はこういった1つの物事が持つ、様々な側面を観客に示します。更に映画は避妊というテーマを、宗教的価値観と対決させるのです。
監督のペマツェテンは、この映画をリアリティと魂の関係を探求した映画、と語っています。リアリティと魂がぶつかる時、人はどちらかを選ばねばなりません。
観客もまた、映画が見せた様々な状況から、自分はどの価値に重きを置くかの選択を迫られます。美しい映像で描かれた作品『気球』は、そこに暮らすチベットの人だけでなく、全ての人々に問いを投げかける映画です。
上映後のティーチイン
11月26日の上映後、ゲストとして来日していた主人公を演じたジンパさんが登壇し、観客からの様々な質問に対し丁寧に答えてくれました。
──2本続けて、ペマツェテン監督の映画に主演なさってますが、どのような形で監督とお知り合いになられたのですか。
ジンパ(金巴):(以下、ジンパ)私がペマツェテン監督と初めて出会ったのは2014年で、北京で知り合う事ができました。そして2017年に初めて共に『轢き殺された羊』を、2018年にご覧頂いた『気球』を製作しました。ペマツェテン監督は私にとって、色んな事を教えて頂ける先生であり、同時に友人でもある人物です。
──ペマツェテン監督と知り合う前は、映画に出演していたのでしょうか。あるいは、他の仕事をされていたのでしょうか。
ジンパ:初めて出演したのは、2011年の短編映画になります。その後2014年から、本格的に映画の仕事を開始しました。それ以前は詩や文学の創作活動を行いつつ、教員の職に就いたこともあります。また政府の仕事に関わったこともありました。現在は映画の仕事のみで、他の職に関わっておりません。
『気球』の劇中では羊を取り扱っていますが、私は牧畜を行っている地域に生まれ育ちました。子供の頃に羊を飼った経験があり、映画ではそれが役に立ちました。
──映画の中では伝統的な宗教の価値感と、科学の発展など現在の価値感の対立や矛盾が描かれています。この件について監督はどのようなメッセージをお持ちで、ジンパさんはどのようにお考えでしょうか。
ジンパ:私は1人の役者として監督の作品に出演し、それと向き合わせて頂きました。監督の考えについて勝手に解釈はできませんが、観客の皆様がそれぞれ感じられた通り、それぞれの解釈を生む映画として作られたと考えています。
──子供たちとの親子の演技が素晴らしかったですが、子役との仕事は難しかったでしょうか。また何か演じる上での工夫があれば、ぜひお教え下さい。
ジンパ:子役たちと演技をする前に何日も共に過ごし、お小遣いをあげたり好きなことを言わせたり、コミュニケーションをする時間を用意しました。
俳優として私は“偽物”、本当に存在するかのような人物を演じる訳ですが、今回私たちの演技が良かったと評価して頂けるのは、このような役者たちのコミュニケーションが、上手くいった結果だと思います。“嘘”のない演技こそ、演技の中で最も良いものだと考えております。
最後に観客と共に映画を鑑賞していた、特別招待作品フィルメックス・クラシック上映作品『牛』の、上映前解説を行うため来日された、イラン映画界の名匠アミール・ナデリ監督が質問をされました。
アミール・ナデリ監督:全てが純粋で、ピュアな素晴らしい映画が久しぶりに見れて、本当に嬉しかったです。
質問ですが、映画で描かれた“家族”を作る為に、どれ位の時間がかかったのでしょうか。また映画の脚本は最初から最後まで事前に、完全に書かれていたものでしょうか、それとも毎日の撮影の中で手を加えていったものでしょうか。
ジンパ:1つ目の質問にお答えしますと、親子の関係・夫婦の関係を構築するために、1ヵ月程の期間を用意しました。この期間に家族としてのコミュニケーションを築き、演じるための準備を行っております。2つ目の質問ですが、元々脚本は完成していましたが、撮影をする中で修正を加えていったという形になります。
頭から順番に、時系列通り撮影した訳ではありません。撮影に要した1~2ヶ月の間に、演技が徐々に上手くなっていったので、それに応じて様々な場面を演じました。
第20回東京フィルメックス授賞式
11月30日に行われた第20回東京フィルメックス授賞式にて、映画『気球』の「コンペティション」最優秀作品賞受賞が発表されました。
賞を受け取った主演男優・ジンパさんは自身の喜びの声と、ペマツェテン監督からのメッセージを伝えてくれました。
受賞者コメント
ジンパ:今回日本を初めて訪れ、映画祭にも初めて出席しました。
そんな私が主演をつとめた作品がこのような評価を受け、受賞したことは大変縁起が良いことです。ありがとうございます。
現在、他の用事で別の場所にいるため参加できないですが、ペマツェテン監督からメッセージを預かっていますので、発表いたします。
ペマツェテン監督のメッセージ:こんばんは。東京フィルメックスに出品するたびに、このように賞を受賞することができるなんて、思ってもいませんでした。
本当にご縁としか言いようがありません。参加するたびに、この上ない感謝の気持ちを覚えております。
映画祭の皆さま、『気球』を日本に連れてきてくださり、そして熱心日本の観客に届けてくださいましたこと、ありがたく思っております。
審査員の皆さま、この映画に栄誉を与えてくださったことに感謝しております。そして最後に皆さまに、“吉祥あれ”!
まとめ
見る者に問いを投げかけ考えさせ、各々がその意味を酌んで自分なりの意見を導き出す映画、それが『気球』です。
ペマツェテン監督は答えを示してくれません。例をあげると、シャンチェとかつての恋人に何があったのか、そしてどうして今の姿があるのか、劇中では描写していません。
観客は映画の登場人物が、かつてどのように行動したか、今後どのように行動するかを想像して、自分なりの解答を用意せねばなりません。
これは製作者が自己の意見を表明する事が難しい、旧ソ連やその影響下にあった、冷戦時代の東欧映画によく見られたスタイルの映画だといえます。
監督は魂と現実、信仰と現代社会の対立の物語を強調していますが、舞台はチベットという微妙な場所。物語に地域の伝統と中央の政策など、観客は様々な対立を感じとるでしょう。
決して魂や信仰や伝統が正しい、などの結論は用意されていません。社会の近代化や新しい価値観も、ある種の必然から生まれたもの。
現代人が生きる上で漫然と選んだものが、本当に価値ある正しいものであったのかを、映画は改めて問いかけてくるのです。
今年は何かと、“表現の自由”が話題になりました。しかし『気球』を見ると、それより価値あるものは、“解釈の自由”ではないかと考えさせられます。
芸術とは感じさせ、思索させるもの。感情や意見を押し付けるものは、広告やプロパガンダの類いに過ぎません。
他者が多様な意見を持つより、他者に正しいとされる意見を押し付ける事が、良しとされる風潮が広まっている現代社会。
中国で作られた映画『気球』に、様々な事柄に疑問を持ち、改めて自分で考えて物事を解釈し、自分なりの答えを導き出す大切さを教えられました。