映画『マッドマックス 怒りのデスロード』を探るヒントは「母乳」?
荒廃した近未来を舞台に、妻子を殺された男マックスの復讐劇を描いた「マッドマックス」シリーズの第4作『マッドマックス 怒りのデスロード』。
第3作『マッドマックス サンダードーム』(1985)以来30年ぶりのシリーズ作品となったものの、監督・脚本は過去3作と同じくジョージ・ミラーが手がけました。
過去3作でメル・ギブソンが演じた主人公マックスを『ダークナイト ライジング』のトム・ハーディが演じ、フュリオサ役でシャーリーズ・セロンが出演した本作。
本記事では『マッドマックス 怒りのデスロード』のネタバレ有りあらすじを紹介しつつ、映画作中で描写されたマッド(MAD)な設定から本作の世界観を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『マッドマックス 怒りのデスロード』の作品情報
【公開】
2015年(アメリカ映画)
【原題】
Mad Max:Fury Road
【監督】
ジョージ・ミラー
【脚本】
ジョージ・ミラー、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラザウリス
【キャスト】
トム・ハーディ、シャーリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、ヒュー・キース=バーン、ゾーイ・クラビッツ、ロージー・ハンティントン=ホワイトレイ、ライリー・キーオ、アビー・リー、コートニー・イートン、ジョシュ・ヘルマン、ネイサン・ジョーンズ、ジョン・ハワード、リチャード・カーター、アンガス・サンプソン、メリッサ・ジャファー、ジェニファー・ヘイガン
【作品概要】
荒廃した近未来を舞台に、妻子を殺された男マックスの復讐劇を描いた「マッドマックス」シリーズの第4作。第3作『マッドマックス サンダードーム』(1985)以来30年ぶりのシリーズ作品となった。
監督・脚本は、過去3作と同じくジョージ・ミラー。また過去3作でメル・ギブソンが演じた主人公マックスを『ダークナイト ライジング』のトム・ハーディが演じた他、フュリオサ役でシャーリーズ・セロンが出演した。
第88回アカデミー賞にて作品賞・監督賞など10部門でノミネートされ、編集・美術・衣装デザイン・音響編集・録音・メイクアップ&ヘアスタイリングの計6部門を受賞した。
映画『マッドマックス 怒りのデスロード』のあらすじとネタバレ
核戦争によって荒廃し「火と血の世界」と化した近未来。わずかに生き残った人類の間では水やガソリンなどの限られた資源を奪い合う戦争が新たに勃発し、元警官のマックスはその戦争の最中で多くの人々を助けられず、失いました。
「どこにいたの?」と問い続ける、助けられなかった者たちの幻影から逃げるように、愛車「インターセプター」を駆り放浪の旅を続けていたマックス。ところが、突如現れた全身白塗りの男たちに襲撃された彼は捕まってしまい、シタデル砦へと強制的に連れて行かれます。
シタデル砦を支配するのは、「救世主」と民衆に讃えられるイモータン・ジョー。彼は「ウォーボーイズ」と呼ばれる白塗りの男たちを部下として従え、水を独占・管理することで民衆に圧倒的な独裁をしいていました。
またウォーボーイズがマックスを連行したのは、核戦争時の放射能汚染によって輸血が欠かせなくなってしまった彼らが、「名誉の死」が訪れるその日までを生きながらえるためにも、放射能汚染を免れた人間……通称「輸血袋」を欲していたからです。
ガスタウンでの新たな石油と弾薬の入手を目的に、ジョーは大隊長フュリオサによる指揮のもと、遠征部隊を派遣します。ところがフュリオサは、自らが運転する巨大トレーラー「ウォー・タンク」を本来とは異なる進路へと走らせます。
望遠鏡で監視していたジョーの息子・コーパスの報告によって、異変に気づくジョー。監禁部屋へ急ぐと、そこに閉じ込めていたはずの性奴隷5人の姿は影も形もありませんでした。
ジョーは優秀な子孫を残すために美女を拉致・監禁し、理矢理犯し妊娠させることで自身の子を産ませ続けていました。
かつて自身も性奴隷として扱われていたフュリオサは、何度も逃亡・失敗を繰り返しながらも大隊長に任命されるほどの信用を獲得し、今回の遠征によって自身の故郷「緑の地」を目指すことを改めて計画。そして性奴隷として現在監禁されている女たちも密かにウォー・タンクに乗せ、同じく逃亡しようとしたのです。
ウォー・タンクを大部隊とともに追うジョー。その中には、今回の追跡を通じて救世主ジョーに「名誉ある死」を捧げたいと目論むウォーボーイズの一員ニュークスと、彼が駆る車に「輸血袋」として括りつけられたマックスの姿もありました。
ジョーが率いる大部隊に追いつかれたため、フュリオサは追手を撒くために強烈な砂嵐が渦巻く「デス・ロード」へと突っ込みます。
追手の車が次々砂嵐に飲み込まれる中、「名誉ある死」のチャンスと感じたニュークスは車内にガソリンをブチまけると、発煙筒で火を点けてウォー・タンクへの特攻を仕掛けようとします。一部の拘束が解けたマックスはニュークスの自殺行為を何とか止めますが、二人が乗る車は結局砂嵐によって大破しました。
かろうじてデス・ロードを生き残ったマックスは、気絶しているニュークスと自身をつなぐ鎖を外そうとします。ニュークスの腕ごと吹っ飛ばそうとするも、散弾銃は砂詰まりで不発。手詰まりとなったマックスはニュークスを担ぐと、同じく無事デス・ロードを通り切ったウォー・タンクへと近づきます。
タンク内の水で砂を洗い流していたフュリオサと5人の女たちの不意をつき、銃を向けるマックス。脅して手に入れた水をガブ飲みした後、次は鎖を切るためにボルトカッターを要求します。
しかし鎖をいよいよ切るというその瞬間、フュリオサはマックスに襲いかかり、そのまま格闘へ。フュリオサに協力する女たち、意識を取り戻しフュリオサを生け捕りにしようとするニュークスまでも加わっての乱闘にまで至りますが、マックスはフュリオサを捕縛します。
ニュークスに鎖を切らせるだけ切らせると、ウォー・タンクに乗って一人でその場を去ろうとするマックス。しかしフュリオサが仕掛けておいたキルスイッチのせいでウォー・タンクはたちまち立ち往生。逃亡に協力せざるを得なくなったマックスは運転手役のフュリオサと女たちを乗せ、再び出発します。
映画『マッドマックス 怒りのデスロード』の感想と評価
「母乳」が重宝されている理由
1985年のシリーズ第3作『マッドマックス サンダードーム』から30年を経て公開された第4作『マッドマックス 怒りのデスロード』。本作がそれまでのシリーズ作品と明確に異なるのは、やはり「生産資源としての女性からの搾取」を象徴的に描写している点でしょう。
眉目秀麗な女たちは、シタデル砦の領主イモータン・ジョーの子孫を産むための性奴隷へ。そうでない女たちは、シタデル砦の主要取引物資である「母乳」を生産する「ミルキング・マザー」へ……倫理も道徳も失われた世界観とはいえ、そのおぞましい搾取の形態は、水やガソリンを奪い合った『マッドマックス2』、電気の独占が描かれた『マッドマックス サンダードーム』とは一線を画したものといえます。
そもそも、「権力者の子孫を残す」という目的が存在する性奴隷に対して、『マッドマックス 怒りのデスロード』の世界において「母乳」が主要取引物資になるまでに貴重なものとして扱われている理由とは一体何でしょうか。
「牛などの家畜が死に絶えてしまい、乳そのものが貴重だからでは?」「砂糖などの甘味類が貴重なものとなり、その結果母乳も《甘味を味わえるもの》として貴重になったのでは?」など様々な想像が可能ですが、その答えを探る手がかりは、ジョーが率いる「ウォーボーイズ」の一員ニュークスには欠かせないものであった「輸血袋」なのかもしれません。
荒くれ男たちが母乳で満たす歪んだ欲望
先の核戦争での放射能汚染により、定期的な輸血が不可欠となるまでに肉体が衰弱してしまったニュークスは、放射能汚染を免れた血液を有するマックスを自身の「輸血袋」として利用することで、映画序盤でのフュリオサ追跡戦への参加も可能にしました。
輸血によって戦士としての自信も手にし、ジョーへの狂信も加速していったニュークス。その輸血は医学的な根拠に基づく行為というよりも、「新たな血を食らう」といった儀式的行為としての意味合いが強く感じられます。
ここで重要なのは、母乳は、乳房の中の毛細血管にとり込まれた《血液》から作り出されているという点です。
母乳と血液の深いつながり。そこからは「《名誉ある戦死》に向かう戦士には不可欠な輸血という儀式的行為から転じ、同じく血液に由来する母乳を飲む行為も、作中世界では戦士にとって神聖な行為だと信じられているのではないか?」という想像もできます。
ですが、映画作中で同じく女性の搾取形態として存在する性奴隷と比較した場合、むしろ「血液が《母乳の素となるもの》であるからこそ、輸血にも儀式的行為としての意味合いが生じたのではないか?」と推察するのが的確なのかもしれません。
出産を経て誕生する子のために作り出される母乳。女性の身体からもたらされる恵みともいえる母乳を、産まれてきた子らのためでなく、自分たちが飲むために理不尽に奪い独占するジョーやウォーボーイズの姿からは、反自然的な人間の在り方以上に、男性中心社会に生きる男性が持ち得る「暴力的な父権制」と「男性的幼児性」という二つの姿が垣間見えてきます。
「暴力的な父権制」と「男性的幼児性」を同時に満足させ得る母乳を独占するために、母乳を神聖視して信仰を作り出し、その信仰に基づく母乳の歪な価値創出と搾取の構造を生み出した。そして「神聖な母乳を独占できる者」として、ジョーは自らの神格化もあわせて強化していったのではないか……そんな狂気的な想像が膨らんでしまうのです。
まとめ/等しく恵みがもたらされる社会は可能か?
映画のラスト、道中でのマックスの協力もあってジョーの討伐にも成功し、無事シタデル砦へ戻ってこれたフュリオサと女たち。
フュリオサが新たな砦の支配者として民衆に歓迎される中、ミルキング・マザーたちは水門の開閉レバーを作動させ、それまでジョーが独占・支配していた水を民衆たちの上へ降らせます。
その描写からは、ミルキング・マザーたちが「恵みをもたらす者」の象徴の一部であること、彼女たちが生み出していた恵みをジョーたちが形作った男性中心社会(むしろ男性優位社会)が独占・支配していたという作品世界の背景が少なからず伝わってきます。
一方で、ジョーたち支配者層が生活していた砦の上層部へと昇ってゆくフュリオサたちを下部から仰ぐように映し出したラストショットは、ジョーたちが築き上げ維持してきた男性中心社会が崩壊した後の砦で、どのような権力体制が形作られていくのかという不安を観る者に掻き立てます。
「果たして、どんな人間にも等しく恵みがもたらされる社会は実現し得るのか?」……ジョーたちの世界の狂気を知っているからこそ、「緑の地」を作る立場となったフュリオサは、新たな狂気と戦うこととなったのです。