ロバート・アルドリッチ監督は問う…真の敵は何なのか?ということを…
2人の男の確執が巻き起こした壮絶な人間ドラマを描いた異色の戦争映画『攻撃』をご紹介します。
映画『攻撃』の作品情報
【公開】
1956年(アメリカ)
【原題】
Attack
【監督】
ロバート・アルドリッチ
【キャスト】
ジャック・パランス、エディ・アルバート、リー・マーヴィン、ロバート・ストラウス、リチャード・ジャッケル、バディ・イブセン、ジョン・シェポッド、ウィリアム・スミサーズ
【作品概要】
巨匠ロバート・アルドリッチ監督の手による戦場映画の傑作。『悪徳』に引き続き主演にジャック・パランスを迎え、名優エディ・アルバートやまだ若手だったリー・マーヴィンらが共演している。
“反軍隊的作品”として当時のアメリカでは上映禁止となった一方で、ヴェネチア国際映画祭(1956)イタリア批評家賞を受賞した作品でもある。
映画『攻撃』のあらすじとネタバレ
1944年、第二次世界大戦ベルギー戦線・アーヘン。
フォックス中隊に所属するジョー・コスタ中尉は、苦戦を強いられていました。何とかして局面を打開しようと自ら名乗り出た部下のインガーソル軍曹から応援を要請されたのです。
そのことを上官のクーニー大尉に無線で伝えるも、何も応答がありません。完全に無視を決め込んでいるようでした。
しかし、コスタとしては残された現有戦力を危険に晒す訳にもいかず、心を鬼にして撤退することにします。
この無能な指揮官クーニーのせいで生じた犠牲は、14人にものぼりました。
その後、部隊は駐留地へと戻り、そこへクライド・ハートレット大佐がやってきます。
彼とクーニーは同じ町出身の幼馴染という間柄。いつも士官だけの会議と称し、酒とポーカーを嗜むために定期的に現れるのです。
いつものメンバーは、クーニー、大佐、ハリー・ウッドラフ中尉、コスタの4人でしたが、約束の時間になってもコスタが現れません。
ウッドラフもコスタ同様にクーニーのことを忌み嫌っていたため、今回の大佐の来訪をチャンスだと捉えていました。
アーヘンの件を大佐に注進し、なんとかクーニーを排除しようとしていたのです。鍛冶屋にいたコスタを見つけ、そのことを伝えるも、コスタは乗り気ではありません。
クーニーの父親は地元で判事をしており、政治家を目指している大佐にとってはクーニーという存在が大切だということを知っていたからです。
だからこそ、そんなことを大佐に言っても無駄だとコスタは考えていました。
その後、4人が集まってポーカーに興じていると、大佐から犠牲になった兵士の話を振られると、意味ありげな言葉でクーニーを挑発するコスタ。
その挑発にまんまと乗ったクーニーは興奮してコスタを罵っていると、彼の方でも我慢がきかずクーニーに殴りかかろうとします。
それを制止する大佐とウッドラフ。コスタは出て行き、クーニーも大佐から頭を冷やせと言われて渋々外へと向かいました。
2人きりになり、思いの丈を大佐にぶつけるウッドラフ。それを冷静に受け止める大佐。クーニーという男が自分の出世には大切だということを認めつつも、彼を他にやることは出来ないと述べました。
なぜなら大佐もクーニーの無能さは十分理解していたからです。彼を配置転換することは出来ないが安心しろとウッドラフに伝える大佐。
なんでも戦闘は9割9分行われることはないそうで、もう戦うことはないのだそう。だからそれまでは我慢しろとウッドラフを諭します。
それを聞いてホッとしたウッドラフは、そのことをコスタに伝えるも、彼は全く信じませんでした。大佐に言いくるめられただけだというのです。
今度クーニーがしくじったら、自分の手で始末をつけると豪語するコスタ。するとその時、2人に出撃命令が下されます。
何が9割9分だと毒づきながらも出撃準備をするコスタ。今回の任務はある小さな町を制圧すること。ドイツ兵がいるかどうかは不明なのだとか。
クーニーはその町の少し前にある掘っ立て小屋に小隊を向かわせ、そこを拠点にするという計画を立てました。もちろんそこに向かわせられるのはコスタ小隊です。
行くのは構わないが、今度こそ援護しろと語気を荒げてクーニーに告げるコスタ。また裏切ったら、その時は必ず戻ってきて殺してやると詰め寄り、出撃していきました。
映画『攻撃』の感想と評価
フィルム・ノワールの『キッスで殺せ』(1955)、アンチ・ハリウッドの姿勢を示した『悪徳』(1955)、さらには恋愛ものの『枯葉』(1956)に続いてロバート・アルドリッチ監督が題材にしたのは“戦争”でした。
ただし、『攻撃』は単なる戦争映画ではありません。「真の敵は味方の中にいる」という現代の社会問題にも通ずるようなモチーフを基に描かれたものなのです。
もちろん第二次世界大戦の真っ只中(1944年のドイツ)ですから、戦うべきなのは当時のドイツ軍である訳で、劇中でも当然幾多の戦闘シーンが描かれています。
しかし、この作品を観る限りはドイツ軍があまり敵として感じないのです。そしてそれこそがアルドリッチの目的であり、“何が正義で何が正義でないのか”ということこそがこの作品の焦点になるものなのです。
結果としては、『攻撃』は反軍隊的だとして上映禁止にまでなりましたが…。50年代のアメリカの世相(赤狩り旋風が吹き荒れていた)もそれに影響したのでしょう。
物語は、無能な上司(クーニー大尉)と有能な部下(コスタ中尉)という対立を軸としており、彼らの内面での戦い(葛藤)こそがこの作品の本質といえますね。
両者にとっての正義は決して交錯することはなく(最後まで)、どちらかが妥協することもせず、一体何と戦っていたのかという虚無感すら漂うラストですが、最終的にコスタの意思はウッドラフへと引き継がれることで、一応の着地を見せます。
しかし、観客からすると最後に全てを告白した(実際にはそのシーンはない)ウッドラフの行為は果たして受け入れられるものなのかというと、決してそんなことはないでしょう。
なぜあんな外道のクーニーのために人生を捨てるんだ…という思いに観客は苛まれますが、そういった見方は一方的な正義でしかないのです。
クーニーの立場は決して同情されるべきものではありませんが、ウッドラフにとっての“正義”というものはああいう形でしか表現できなかったのです。
黙っていればいいものをと誰でも思ってしまいますが、そこで黙っていることはクーニーのしていることと何ら変わりがないのです。だからこそウッドラフはけじめを付けました。
本作の主人公はもちろんジョー・コスタ中尉ですが、ハリー・ウッドラフこそ隠れた主人公であり、感情移入すべきキャラクターであると言えますね。
さて、続いて監督や俳優について掘り下げていきましょう。ロバート・アルドリッチ監督のスタイリッシュなオープニング・クレジットはもちろんここでも発揮されています。
冒頭、撤退を余儀なくされたコスタのクローズアップからスッと彼の姿が消えると、そこにタイトルの『Attack』という文字が浮かび上がってくるという何ともカッコよすぎますよね!
そしてこの時点ではまだクーニーの顔は見えません、画面には映っていてもあえて彼の顔を見せずにしばらく進んで、初めて振り返った時のクーニーの表情は非常に印象的でした。
どんなに悪辣な野郎なのかと思えば、そうでもない何とも臆病そうな小物といった表情(もちろん悪辣さもある)は、わざわざここまで顔を出さずに溜めたからこそ生まれるもの。
クーニーを演じたエディ・アルバートの素晴らしい演技と、ロバート・アルドリッチの巧みな手腕が噛み合った見事な演出です。
しかし、やはり何といってもコスタを演じたジャック・パランスは本当に怪演でした!
ボロボロの身体となってもなおクーニーを始末しようと地下への階段を下りてくるコスタの表情…壁に映るシルエット…うーん、完璧ですね!
最後に「神よ…地獄へ落ちてもいい!頼む…」といって壮絶な死に様を見せる訳ですが、こっちの心臓も止まってしまうかとおもうくらい息を止めてあのシーンを見つめてしまいました。
ジャック・パランスという俳優の底力を見せつけられたような気がします。本当に恐るべき俳優だ!
まとめ
ロバート・アルドリッチは『攻撃』の後にヨーロッパへ渡り、『ソドムとゴモラ』(1962)などの数本の作品を発表しますが、不振にあえぐことに。
アメリカに戻った彼は『何がジェーンに起ったか?』(1962)や『飛べ!フェニックス』(1966)、『特攻大作戦』(1966)などの傑作を次々と発表し、巨匠の名を欲しいままにすることになります。
主演のジャック・パランスは、アルドリッチ監督作では2作目の出演(『悪徳』でも主演を務めた)。悪役やクセが強い個性的な役柄をやらせたら右に出る者はいないジャック・パランスならではいった演技を見せてくれましたね。
ちなみにクライド・ハートレット大佐を演じたのは、『攻撃』時点ではまだそこまでの知名度は得られていなかったリー・マーヴィン(当時30歳そこそこであの驚愕の渋さを出していたとは?!)。
古い映画には、後々の大スターたちの若き日の姿が見られるので、そういった点も一つの楽しみとして捉えるのも良いかもしれませんね。