FILMINK-vol.18「Guillermo Del Toro: Out Of The Dark」
オーストラリアの映画サイト「FILMINK」が配信したコンテンツから「Cinemarche」が連携して海外の映画情報をお届けいたします。
「FILMINK」から連載18弾としてピックアップしたのは、『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞を獲得したギレルモ・デル・トロ監督のインタビューです。
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CONTENTS
世界を作り上げる才能
『パンズ・ラビリンス』や『シェイプ・オブ・ウォーター』など、ダークな寓話や歪んだおとぎ話を制作する監督として地位を確立したギレルモ・デル・トロは、他に類を見ない映像作家です。
「私は本物のセットと本物の効果を使用するのが好きなのです。それから、できる限り組み立てていくことも」
そうFIlminkに語ったギレルモ・デル・トロは、建築物を自身の映画創作のために取り揃えています。
ほとんどの映画監督は映画を作るにあたり創造するのは舞台やストーリーですが、デル・トロが作り上げるのは全体的な世界感。暗黒のファンタジー要素と過酷な現実を混合させる作風が多いデル・トロが持つのは、奇異な世界を感情と真実で奏でるという才能です。
“幻想的な”という言葉は使い古されたものかもしれませんが、デル・トロにとってはぴったり。メキシコ生まれのこの映画制作者はプロデューサー、監督として長きに渡り多くの作品を制作してきました。
これらのあまりにも暗く時に残忍、審美的な作品は彼の魂から生まれたものです。
2006年、デル・トロはガーディアン紙に以下のように語りました。
「これは決まり文句のようですが、私はメキシコ人ですし、ある意味で死を見ているのです。遺体安置所の隣が通勤路だったことがあり、そこを何ヶ月も歩いたことがあります。人々の頭に銃が突きつけられ、撃たれ、生きたまま焼かれ、刺され、断頭されたのを見たこともあります。メキシコはまだ非常に暴力的な場所です。私の映画はメキシコでの経験と感性から生まれています」
画像:ギレルモ・デル・トロ監督
メキシコ第二の都市グアダラハラで生まれたデル・トロは幼少期にスーパー8カメラでモンスター映画を製作し、その後16mmや35mmカメラで本格的に撮影に漕ぎ出したと語ります。
当時からホラー映画が大のお気に入りだったそう。かつての主要インスピレーションの一つとしてアメリカのTVシリーズの名前が挙がりました。
「『四次元への招待』(1969-73)は私が愛する物たちの基盤になっています。子どもの頃かなりハードコアだったので、『エクソシスト』を観ても怖くなかったんですよ。でも親になってから観てみたら冗談抜きで怖くて。『四次元への招待』は心の中に今もありますし、ストーリーテラーとしての自分を形成したように思います」
ホラー映画に夢中のデル・トロ青年はディック・スミスのメイクアップ・コースを専攻、80年から90年代までのほとんどを特集効果メイクアップ・アーティストとして活動しました。
同時に『Hora Marcada』(1986-1990)を始めとするメキシコのTVシリーズも監督。このシリーズには『天国の口、終わりの楽園』そして『ROMA』で知られるアルフォンソ・キュアロン監督も関わっていたそうです。
「あれはとても面白かったけれど本当にひどいものだったんです(笑)。私たちは若く経験も浅く、様々なことをすごいスピードでやっていました」
野心的で映画への情熱をたっぷりと抱いた若きデル・トロはワークショップなども開催、The Film Studies CentreとThe Mexican Film Festivalも共同設立します。
こうした活動の中でデル・トロは初長編映画の製作にゆっくりと取りかかることに。
大きな反対も受けながら作り上げた独創的な作品『クロノス』(1992)。主演はデル・トロのミューズと言えるロン・パールマン。吸血鬼と不死という古典的な文学要素を含むバロックホラーは国内で大ヒットし、メキシコのオスカーと言われるThe Ariel Awardsを受賞します。
吸血鬼神話を作り変えた『クロノス』
画像:『クロノス』の一場面
2010年、The AV Clubにてこう語ったデル・トロ。
「『クロノス』は8年の構想期間がありました。私は(当時)46歳、次の映画が私の最後の作品になるかもしれないと思って映画に取り組んでいます!『クロノス』は私の作品の中で唯一良いチャンスに恵まれた映画かもしれません。なぜなら内容はかなり変てこですから。苦悶している者への、また、愛おしい生命への熱意を抱いて『クロノス』の制作にあたりました。私はずっと吸血鬼に夢中なんですが、それまで吸血鬼のロマンチックなコンセプトに満足したことは無かったので、神話を全く新しい観点から作り直したいと考えました。メキシコには、錬金術や中毒にメロドラマがあって…。その全てが混在しているんです」
『クロノス』はカンヌ国際映画祭でメルセデス・ベンツ賞を受賞するなど国外でも大成功を収め、デル・トロはハリウッドで映画を制作することに。
ミラ・ソルヴィノ主演、遺伝子操作により現れた殺人昆虫と人間との戦いを描くホラー『ミミック』はヒットを記録したものの、財源やハリウッドのスタジオ問題に直面したデル・トロは絶えず妥協を強いられることとなりました。
「『ミミック』での私の責任は、約50パーセントにすぎません。40パーセントには全く納得がいっていませんし、反対しています。これは安っぽい“恐怖”を拒否した私が、第二班と共に制作した最初の作品です。自分で決めたことは実現するよう奮闘しますが、今ほど私は強くありませんでした。『ミミック』の時は未経験の事ばかりで、、多くのことを理解していませんでした。メキシコでは、基本的に友人とばかり映画を作っていたものですから、その信頼や連帯とは大違いだったんです」
監督を激怒させた『ミミック』
画像:『ミミック』の一場面
そんなデル・トロは映画を作るという経験自体に不満を抱いていたと言います。以下はデル・トロが2006年にガーディアン紙に語った内容。
「父親の誘拐事件(1997年、デル・トロの父は誘拐され身代金が支払われるまでの72時間拘束された)を超える最悪の出来事は『ミミック』の撮影です。何が起こっているか、映画の方が誘拐事件よりもはるかに非論理的でした。もちろん誘拐は残忍ですが、少なくとも規則はあります。『ミミック』を観て私が今感じるのは、美しく存在出来たかもしれない生き物を、深く傷つけられた痛みです」
『ミミック』の経験は当時のデル・トロを激怒させ、彼は『デビルズ・バックボーン』(2001)を作るためにメキシコに戻りました。
静謐ながら恐ろしいこの準ホラーの主人公は、父をスペイン内戦で亡くした12歳の少年カルロス。不吉な雰囲気漂う孤児院に入ることになったカルロスはそこに幽霊の気配を感じ取り、恐ろしい秘密を知ることになります。
「この映画は幽霊の話ではなく、幽霊が“いる”話です。『シックス・センス』や『たたり』のような作品を期待している方はがっかりするでしょう。本作はそれ自体が奇妙な生き物なのです。『デビルズ・バックボーン』は私が16年間構想を練ってきた作品であり、私の少年時代のことでした」
とデル・トロは当時アメリカでの公開時に発表しました。
子どもの頃、デル・トロはグアダラハラで血みどろの暴力を目の当たりにし、また敬虔なカトリック教徒である祖母によって地獄の恐怖を教えこまれ、彼を幻想の世界へ逃避させました。
きっとデル・トロのモンスターの絵や創造上の生き物たちは彼の祖母を怖がらせるでしょう。身を祓い清める為に、足が血みどろになるような金属製の靴を履かせるような彼女を。
2012年、カナダのメトロニュースにて以下のように打ち明けたデル・トロ。
「私は感情的で、酷く恐ろしい少年期を過ごしました。殴られたりクローゼットに閉じ込められたような経験はありませんが、カトリックの罪や恐怖との過激な関係を持っています。私の祖母はまるで『キャリー』の母親のキャラクターのようでした。私自身はまるでキャリーの“ぽっちゃりバージョン”でしたね。それは乗り越えるには酷く困難で、人生最初の10年間は酷く苦しみました。地獄で燃えるという概念がどれほど恐ろしいか…。メキシコのカトリックは非常に残忍で哀切なのです。それらは私に強い影響を与えました」
トラウマから生まれた『デビルズ・バックボーン』
画像:『デビルズ・バックボーン』の一場面
彼の幼年期の深く暗い痛みから生まれた『デビルズ・バックボーン』は絶賛され、『ミミック』からデル・トロの評判を回復させました。
さらにこの作品はデル・トロ自身を活気づけました。ハリウッドに戻る決意をした彼は『ブレイド2』 (2002)、そしてマイク・ミニョーラ原作の『ヘルボーイ』(2004)を監督。
「ヘルボーイは普通の男性なんです。2メートルを超える身長、角と金色の瞳に赤い肌を持っているけれど、“まあまあイケてる普通のヤツ”という風に振る舞う。仕事が他の人とは違うだけです。モンスターを追っ払う仕事です」
『ヘルボーイ』劇場版は大ヒットとまではいかなかったもののDVDにて多くのファンがいることが証明され、更なる世界観の拡大を示す続編『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』(2008)の製作へと繋がりました。
「最初、マイク・ミニョーラが作成した美学に敬意を最大限表そうと考えていました。しかし作るにつれて、ある地点まで私の作品となりました。『ヘルボーイ2』では特定の要素をより盛り込み、コミックのトーンが薄まる事を望みました。成功したならば、この奇妙な世界には美が宿っているはずです」
『パンズ・ラビリンス』のヒットで地位を確立
画像:『パンズ・ラビリンス』の一場面
『ヘルボーイ』でデル・トロが莫大な予算を受け取ることができたのは、彼がそれ以前に制作した映画が理由になっていたようです。
そして、2006年に発表した、彼の最高傑作といえる作品『パンズ・ラビリンス』。本作はスペイン内乱の時代、恐ろしく残酷な現実世界から暗い幻想世界に逃げて生きる少女を驚くべき想像力とヒューマニズムと共に表現した作品です。
幼少期の思い出が濁りたまった場所から叫びをあげ、恐ろしい現実と暗黒のファンタジーが隣り合わせに存在しているというデル・トロの芸術的プレゼントは全世界で大ヒットしました。
「私はおとぎ話が大好きです。政治、宗教、経済学では語らないような真実を語ります。それが『パンズ・ラビリンス』のアイディアであり、私の映画全てに共通することでもあります」
彼が自ら望んでハリウッド外で取り組んだ『パンズ・ラビリンス』は、デル・トロに映画制作者としての地位を国際的に確立させました。
それ以来デル・トロは、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、アルフォンソ・キュアロンと共に設立した映画会社『チャ・チャ・チャ・フィルムズ』にて『ルドandクルシ』『Insignificant Things』『永遠のこどもたち』『ロスト・アイズ』『スプライス』『Don’t Be Afraid Of The Dark』『MAMA』等数々の作品を世に送り出しました。
「プロデューサーを務める時、私は明確なビジョンを持っています。チアリーダーみたいな気分です。太ってめちゃくちゃ反発的なチアリーダーですが(笑)。しかし自分が監督を務めるとなると、不十分さや臆病な気持ちがいつもあるんです」
若い才能をプロデュース
画像:撮影現場のデル・トロ監督
デル・トロはプロデューサーやメンターの役割に就くことによって、自分の不安な感情を効果的に抑制しているといいます。
「毎年何百本ものショートフィルムを観ています。昨日も5本ほど観たのですが、できはまあまあだったかな。私はメールアドレスを公開しているので、送ってきてくれる彼らと毎日やり取りをしているんです。ミルウォーキー、メキシコ、ラテンアメリカのティーンエイジャー達が映画を作ろうとしているんですよ。こうやってコンタクトを取り合うことは良いことです。ラテンアメリカやメキシコで映画制作する時、私は契約を交わしません。お金も取りませんし、作品も所有しない。若くいるコツは若い才能をプロデュースし、持っているものを教えることです。グアダラハラ大学で映画を教えていたことがあるのですが、他の人々に伝えることは自分が何をしているか理解し、また考えを体系化することに役立ちます」
製作者、開発者としてのデル・トロの能力を引き出したのは『長ぐつをはいたネコ』『メガマインド』『カンフー・パンダ2』『ガーディアンズ 伝説の勇者たち』で知られるドリームワークス・アニメーション最高経営責任者のジェフリー・カッツェンバーグ。
「私自身は会社に所属していないので何でも自由に話せるんです」とデル・トロ。彼はドリームワークスにて昼食を取るときも自分のテーブルに空席を設け、いつ誰とでも対話可能であることを知らせていました。
巨大なものが駆り立てる喜び
画像:『パシフィック・リム』撮影現場の監督とチャーリー・ハナム
『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』から5年後、デル・トロは『パシフィック・リム』(2013)の為に再び監督の座に戻りました。
また『ホビット 思いがけない冒険』の製作に参加していたものの映画は継続的な遅れを見せていたため、開発と脚本に携わった後「ロード・オブ・ザ・リング」の監督ピーター・ジャクソンと共に現場から去りました。
脚本家兼プロデューサーのフィリッパ・ボウエンは「デル・トロが私たちに授けてくれた素晴らしいものは絶対に放棄しませんでした。彼は私たちが「ロード・オブ・ザ・リング」の世界に戻る感覚を助けてくれたのです」と語っています。
他の芸術家の肥沃な精神が生んだ『ホビット』に自身の才能を注いだデル・トロ。しかし本作からの離脱はデル・トロに再び、彼の世界観を彼自身の映画にて存分に発揮する機会を与えます。
「私はいちファンのように映画を撮ります」彼は『パシフィック・リム』の公開時にFilminkにそう語りました。
それはデル・トロによって夢が叶った瞬間でもありました。しかし、巨大なモンスターが街を破壊する…そのような物語のどの部分に魅力を感じるのでしょうか?
「彼らは純粋で、私の喜びを思いっきり駆り立ててくれるのです。巨大なロボットやモンスターを見たら、それだけで私の1日は良い日。彼らは判断無しに楽しむ能力を教えてくれます。身長だけでなく表現する力においても巨大なんです。自然の力があり、48歳の私に畏敬の念を抱かせる。この感情は私たちが生活する上で必要な感覚です。映画館で微笑み自分らしさを見つける瞬間は最高のひと時だと思います。『パシフィック・リム』の撮影中、私は週に3回もその時間を味わいました」
『パシフィック・リム』の後、デル・トロは伝統的な幽霊屋敷を舞台にしたゴシック・ホラー『クリムゾン・ピーク』(2015)の製作に取り掛かりました。他作品と同様に『クリムゾン・ピーク』は華やかな幻想とおどろおどろしい恐怖、そして彼の美学に基づいています。
ゴシックロマンスは少女から大人への旅路
画像:『クリムゾン・ピーク』撮影現場の監督とジェシカ・チャステインとトム・ヒドルストン
『クリムゾン・ピーク』公開時にデル・トロは以下のように語りました。
「2回心霊体験をしたんです。それは幽霊を宗教的遺物として信じるという意味ではありません。今から20年後に誰かが「いやいや、これは音響のせいだろう」と言うかもしれませんが。私の作品で好きではない所は、それらを道徳的もしくは宗教的な構造と結びつける事です。怖がらせるには簡単かもしれませんが、それに興味はありません。悪霊が関与し暗黒面に直面する話というのも、興味がありません。私は矛盾する何か、を探索する事に懐疑的です。いつも旅行するときはザ・ランガム・ロンドンのようなお化け屋敷を探して泊まるんです。『ホビット』の為に現地偵察をしていた時は、ニュージーランドのワイトモにあるお化けホテルに泊まりました。本当に“出る”部屋がいっぱいあるから、グーグルで調べてみて(笑)。そうしたら午前1時、このホテルで殺人事件があったと聞いたんです。シーズンオフで泊まっているのはたったの8人。めちゃくちゃ怖かったです。ちょうどDVDで『THE WIRE/ザ・ワイヤー』を観ていた時でした。ロウソクで変な儀式なんかやっていなかったのに!本当に怖かったのでイヤホンを装着してシーズン丸ごと観てしまいました。一睡もできなかったです」
映画の恐ろしくてロマンチックな精神、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』の荒々しい精神はデル・トロの作風と少し矛盾があるかもしれませんが、彼は特定のビジョンと結びつけています。
「ゴシックロマンスは壮大で純粋なものです。それはおとぎ話と繋がります。シャルル・ペロー執筆の『青ひげ』もゴシックロマンスと言っていいでしょう。シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』やジャック・ターナーによる映画『私はゾンビと歩いた』(1943)も同じ構造をしています。『私はゾンビと歩いた』は『ジェーン・エアはゾンビと歩いた』のようなものなのです(笑)。それは若く伝統的で純粋なヒロインの旅路。血みどろで暗黒の紳士とのロマンスを通して、更なる闇へと彼女たちは旅をします。そしてその旅で彼女たちは強くなり、世界を意識するようになるのです。少女から大人になるまでの旅路、私はおとぎ話のそんな側面に興味を抱いていました」
『シェイプ・オブ・ウォーター』でのアカデミー賞獲得
画像:『シェイプ・オブ・ウォーター』の一場面
2018年『パシフィック・リム: アップライジング』のプロデューサーとして、また人気テレビシリーズ「The Strain and Trollhunters」の共同制作者として活動したデル・トロは2017年『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞、アカデミー監督賞を受賞しました。
『パンズ・ラビリンス』の驚異の幻想を反映した、素晴らしく美しい本作の舞台は1962年。サリー・ホーキンス演じる喋ることのできない清掃員の女性と、政府の秘密研究室に収容された半魚人のラブストーリーです。
映画はデル・トロ作品の特徴であるヒューマニズムと独創性を深く表現します。
「アイディアは愛についての物語を作成することでした。恋愛物語ではなく、愛についての話を。私は有害なイデオロギーが蔓延る分裂の現代に、一種の癒しとなる映画を作りたかったのです。1962年、人々は寛容や共感を受け入れ始めました。私たちはそんな歴史の瞬間に再びいて、それについて話す必要があります。これは困難な時代のためのおとぎ話なのです」
アカデミー賞の獲得はデル・トロの芸術性だけでなく人間性の素晴らしさのひとつの証明となりました。
生き生きとした空想の世界を生み出す達人であり、ギレルモ・デル・トロはその世界を旅する航海者なのです。
FILMINK【Guillermo Del Toro: Out Of The Dark】
英文記事/ Alicia Malone & Erin Free
翻訳/Moeka Kotaki
監修/Natsuko Yakumaru(Cinemarche)
英文記事所有/Dov Kornits(FilmInk)www.filmink.com.au
*本記事はオーストラリアにある出版社「FILMINK」のサイト掲載された英文記事を、Cinemarcheが翻訳掲載の権利を契約し、再構成したものです。本記事の無断使用や転写は一切禁止です。