第89回アカデミー賞で外国語映画賞を獲得した、イランの名匠アスガー・ファルハディ監督による『セールスマン』をご紹介します。
以下、あらすじやネタバレが含まれる記事となりますので、まずは『セールスマン』映画作品情報をどうぞ!
1.映画『セールスマン』作品情報
【公開】
2017年(イラン・フランス)
【原題】
Forushande
【監督】
アスガー・ファルハディ
【キャスト】
シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリシュスティ、ババク・カリミ、ファリド・サッジャディホセイニ、ミナ・サダティ、マラル・バニアダム
【作品概要】
高校教師の夫とその妻は、地元の小劇団に所属しています。アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』の舞台稽古に忙しくも充実した日々を送っていました。ある日、引っ越したばかりの自宅で妻が何者かに襲われます。警察に知らせたくないと妻はいいますが、一変した生活を前に男は犯人への復讐心に囚われていきます。
2.映画『セールスマン』あらすじとネタバレ
「皆逃げて!」大声が上がりアパートの人々が慌ただしく避難し始めました。「何があったんです?」とエマッド・エテサミが声を張り上げますが、理由もよくわからないまま人々は階段を駆け下りていきます。
エマッドは妻のラナに先に降りるように告げ、自力で歩けない隣人を抱えて、階段を降りていきました。「早くしないと崩れる!」と声があがりました。窓からは、建物の隣の土地をショベルカーが掘り続けているのが見えました。
無謀な土地開発で、建物にヒビが入り、いつ倒壊してもおかしくないことから、住民たちは、新居を探さなくてはならなくなりました。
高校教師のエマッドとラナ夫婦は、小さな劇団に所属しており、その劇団員のメンバーのババクの紹介で、あるアパートに引っ越すことになりました。
住宅難の中、早く新居がみつかり安堵した二人でしたが、部屋を訪ねると一室に鍵がかかっており、聞けば前の住人(女性)の荷物がまだ残っているとのことです。引越し先がみつからず、見つかり次第取りに行くと言っているらしいのですが…。
引っ越しの日、ババクたちは、おかまいなしに前の住人の荷物を全て外に出してしまいました。その夜は雨で、エマッドはその荷物を屋根のあるところに移動させ、ビニールをかぶせました。
エマッドとラナが所属する劇団は、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』の公演を控え、稽古にも力が入っていました。
稽古が終わって、先に家に戻ったラナは掃除をし終え、夫と電話したあと、汗だくなので、シャワーを浴びようとしていました。その時、家のベルがなります。
夫が帰ってきたと思った彼女は、スイッチを押し、家の扉を開け、シャワーに向かいました。
その頃、エマッドはコンビニで買い物をしていました。帰ってきて、ベルを押しても返事がないので、階下の住人に頼んで扉を開けてもらいました。
階段を上がっていくと、なにやら血液らしきものが点々と落ちています。心配になって家にとびこむと、洗面所が血で染まっていました。
病院に駆け付けると、頭から血を流したラナが救急治療を受けていました。隣人が発見して、病院へ運んでくれたのでした。
隣人の話によると、前の住人がいかがわしい商売をしていたらしく、その客がやって来たのではないかということでした。
妻が退院し、家に戻ってきました。まだ痛々しい姿の彼女はベッドで休み、電気も消さないで、ドアも開けていてくれと夫に頼むのでした。
エマッドは戸棚から、侵入者のものと思われる携帯と車のキーを見つけました。表に出ると、そのキーがあう車はないか試して周りました。すると一台の幌付き軽トラックにキーがかかりました。
彼は車に乗り込むと、それを自分たちのマンションの駐車場に停めました。隣の住人がやってきたので、「トラックの持ち主を知っているか」尋ねましたが、「客は一杯いたから覚えていない」ということでした。携帯電話も調べましたが解約されており、持ち主はわからずじまいです。
エマッドはラナに「なぜ家に入れた?」と問うと「あなただと思ったのよ」と応えが帰ってきました。「髪をさわられ、あなただと思い、あとは何も覚えていない」。ラナは泣き始めました。
エマッドは警察に行くべきだと主張しますが、ラナはいやがりました。
エマッドは棚に紙幣が置かれているのを見つけました。犯人が置いていったものでしょう。彼はそれを戸棚の奥にしまいました。
部屋の隅には靴下が脱いでありました。犯人のものでしょう。犯人は足を怪我したようでした。そのため、逃げた時に階段に点々と血が落ちていたのです。
『セールスマンの死』の初日公演の日がやってきました。妻のことを思い中止にしようとするエマッドでしたが、「一人でいたくないわ」とラナが言うので、芝居は予定通り、行われました。
中盤まではそつなく続いていたのですが、突然、ラナが台詞を言えなくなってしまいます。なんとかアドリブでつなごうとするエマッドでしたが、中断して、しばらく休憩の処置を取ります。
「どうしたんだ?」「お客の一人が私をじっと見ているの。あの男の目なの」。
芝居は中止となりました。エマッドはババクに前の住人のことをなぜちゃんと教えてくれなかったのか責めました。事件のことを知らされていないババクは戸惑うばかり。ついに癇癪を起こし、新しいところを探せはいいだろうと吐き捨てるように言うのでした。
エマッドは階段についた血の跡を掃除していると、隣人が通りかかり「掃除人に頼もうと思っていたのだけれど、犯人の証拠になると思って置いておいたのよ。警察には届けないのね」と声をかけてきました。
「たいした事件じゃないので」と答えると「現場をみていないからそう言えるのよ」と彼女は言うのでした。
朝、エマッドが学校に行こうとすると「学校へ行かないで。一人でいたくない」とラナが呼び止めました。
「きちんと薬を飲んで、夜は寝てくれ」と言うエマッド。無理を言い続けるラナについ切れて「夜は側によるな、昼は離れるな、どうすればいいんだ!」と怒鳴ってしまいます。
言い過ぎたと思い、「怪我が軽くてよかった」と慰めるとラナは「死ねばよかった」と呟くのでした。
授業で生徒たちに映画を見せていたエマッドは寝不足が続いているためについ、居眠りをしてしまいます。それに気付いた生徒たちは携帯で写真を撮ったり、悪ふざけを始めました。
そこへ、別の教官がやってきて、エマッドは目を開けます。教官が帰ったあと、彼は写真を撮った生徒の携帯を取りあげ、生徒の懇願も無視し、「父親を呼べ!話がある」と命じるのでした。他の生徒たちの顔もこわばっていました。
ラナはキャッシュカードが見当たらないので、部屋の中を探していました。すると戸棚の奥に紙幣がはいっているのに気が付きます。その時、ドアのベルがなりました。
隣人の車の前にトラックを停めているので隣人が車を出すたびに、トラックを動かさなくてはならないのです。いつもはエマッドが動かしているのですが、ラナはキーを見つけると、下に降りていきました。
トラックを前に出し、隣人の車が出た後、再び、トラックを移動させるため、運転席に乗り込みました。
公演はラナに代役を立てることになりました。ババルがマンションの住民から事件のことを聞き、それを団員たちに話したらしいのです。
「反対しなかったの?」と妻に問われても「僕に何が言える?」としか言えません。「つらい思いをしているのに何もしてくれない」。妻の言葉が心に刺さりました。
楽屋で所在なげにしているラナに、母親が芝居に出ていて、いつも楽屋で時間をつぶしている少年が話しかけてきました。ここは退屈だという少年を家においでと誘ったラナ。母親に許可を得て、連れ帰ります。
ラナの作ったスパゲッティを少年は喜んで食べています。そこにエマッドが帰ってきました。しかし、三人での和やかな食事は長く続きませんでした。カードがみつかったのかと聞いた夫にラナは戸棚にお金があったからそれで買い物をしたというのです。
エマッドは食器を片付け始めました。子どもにはピザを取るよと話しかけながら。「やつの金だ。これは食べられない」。
3.映画『セールスマン』の感想と評価
映画が始まって間もなく、人々が慌てて建物から避難する様子が描かれます。何が起こったのかわからないまま、慌てふためく人々の姿を、カットを割らずに長回しで撮り、非常に緊張感のあるシーンとなっています。
建物が倒壊の危機にさらされる理由は明確には示されませんが、窓からはせっせと土を掘るショベルカーが見え、無謀な土地開発の結果であることが暗示されます。
新居にうつる際、屋上にあがった主人公が「なんて街だ」と言い、「全てをやり直さなくては」「その結果がこれだ」という会話を交わしています。近代化が進むイランの街と人々への生活に対するアスガー・ファルハディ監督の鋭い視線が現れています。
そもそもこうした経緯がなければ、夫婦は引っ越す必要もなかったわけですが、夫婦は引っ越した先で思いもかけぬことに遭遇してしまいます。
アスガー・ファルハディ監督はそうした人生の落とし穴を描き続けています。それは誰にでも起こりうることで、決して他人事として傍観してはいられません。
2010年公開の『彼女が消えた浜辺』は、楽しいはずの海辺でのキャンプが一転します。ここに登場する人々は普段ならもっと注意深い分別のある人ばかりのはずなのですが、大勢の人間が少々浮かれてしまったがために、油断が生まれます。結果、一人の若い女性だけに海で遊ぶ子どもたちの世話をおしつけることになり、そこから悲劇が生まれます。
2012年公開の『別離』もまた、介護職でやってきた女性の判断によって起こった事柄が、―そしてそれを言い出すことが出来ないため―思わぬ波紋を呼んでしまいます。
恐ろしい悪意があるわけではないのに、人は突然ふとしたきっかけで落とし穴にはまってしまうのです。
この『セールスマン』も、同様です。「もしあの時ああしていれば」「もしあの時ああしていなければ」。そんな後悔してもきりがない、できれば少し時間を巻き戻したいと願うような状況が描かれています。
引っ越す必要がなければ、前の住人のことを詳しく聞いていれば、夫だと思ってドアを開けなければetc…。
しかし、それだけではありません。この災難が起こったことで、夫がとる行動がまたしても悲劇を生んでしまうのです。
事件が起きたあと、物語は夫婦の心のすれ違いを描いていきます。警察に届けて犯人を探さないのならもうあっさり終わったことだと忘れてしまいたい夫と、もう少し側にいていたわってほしいと望む妻の気持ちが微妙にズレていきます。
妻は復讐を望んだわけではありません。しかし、がらっと変わってしまった生活が夫を復讐に駆り立ててしまう。
最後は二人がそれぞれ、自分の顔を鏡の中で観る場面で終わっています。『別離』のラストも娘が下す最後の決断を見せずに終わっていましたが、こちらも二人のこれからの関係を明確には示さずに終わっています。
彼、彼女の表情に何が映っているのか、あるいは映っていないのか、その表情にすっかり囚われてしまいました。
4.まとめ
映画はどこかの室内を映すところから始まります。ダブルベッド、列車の音、発声練習のような声が聴こえ、次第にこれは演劇の舞台だということがわかってきます。
この映画には3つの部屋がでてきます。一つは以前住んでいたところ、2つ目は新しい部屋、3つ目がこの舞台の部屋です。
主人公の夫婦は劇団員でアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を演じるため、稽古中です。この舞台劇が、現実と絶妙にリンクしていく見事な構成となっています。
また、アスガー・ファルハディ監督作品には「謎解き」という面白さがあることも忘れてはいけないでしょう。本作においても「犯人は誰だ?」というミステリ的な要素が含まれています。
現代イランの世情を鋭くとらえ、普遍的なテーマで魅了し、さらにエンターティンメントの要素もある、そんな魅力的な作品となっています。