2016年は日本映画が大豊作の年でした。庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』の人気に始まり、新海誠監督の『君の名は。』の興行成績を塗り替え爆進中と話題作が続きました。
実は、その後をじわじわと追いかけている、スマッシュヒット作が『この世界の片隅に』。
今後も広がりを見せること必至の片渕須直監督の名作『この世界の片隅に』をご紹介します。
映画『この世界の片隅に』の作品情報
【公開】
2016年(日本映画)
【脚本・監督】
片渕須直
【キャスト】
のん(本名・能年玲奈)細谷佳正、尾身美詞、稲葉菜月、牛山茂、新谷真弓、小野大輔、岩井七世、潘めぐみ、小山剛志、津田真澄、京田尚子、佐々木望、塩田朋子、瀬田ひろ美、たちばなことね、世弥きくよ、澁谷天外
【作品概要】
原作は、第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した、こうの史代の同名コミックを、『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督がアニメ映画化。
第2次世界大戦時の広島や呉を舞台に、どんな時も前向きに生きる主人公すずと、その周囲にいる人々の日常を描いた作品。主人公すず役をのん(本名・能年玲奈)が、はじめて声優に挑戦したことも大きな話題な作品です。
広島国際映画祭2016では、ヒロシマ平和映画賞、第38回ヨコハマ映画祭では、作品賞と審査員特別賞(のん)が、ダブル受賞。
映画『この世界の片隅に』のあらすじとネタバレ
主人公浦野すずは、広島に住む浦野家の3人兄弟の長女。
天真爛漫な性格で、おっちょこちょいだけれど素直な性格。
幼い頃から叔母の家で座敷わらしに出会ったり、町に出ては人さらい(バケモノ)に出くわしたりと、日常と超現実の境で生きる不思議系少女。
そんな想像力豊かなすずの特技は、絵を描くことでした。
中学の時、幼馴染で憧れの水原哲の代わりに描いた海の風景が、(哲の名前)絵画コンクールで受賞したほどの腕前でした。
18歳になった、すずに転機が訪れます。
広島から2時間ほど離れた呉に住む北條家の長男北條周作から嫁入りの話がありました。
周作は、呉の鎮守府内の海軍軍法会議で「録時」として働く青年でした。
すずは、あれよあれよという間に、北條家へ嫁となりましたが、相変わらずおちょこちょい、マイペースの日々を過ごしてます。
そこに出戻りの小姑、周作の姉の径子が帰ってくると、おっとりしすぎのキツく当たってきました。
シンドイこともありますが夫の周作の優しさもあり、すずは持ち前の明るさで、北條家の嫁としての役割をこなしていきます。
また、すずには強い味方、姪の晴美がいました。
口の悪い径子の娘とは思えないほど可愛い晴美は、すずと一緒に遊んだり、絵を描いたりと過ごす楽しい毎日。
ある日、すずと晴美は、大切な砂糖壺を甕の水の中に沈めてしまい台無しにしまいます。
事情を知った周作の母サンは、すずにヘソクリを与えると、呉の町場のヤミ市へ買いに行かせます。
出掛けたすずは、帰り道で道に迷ってしまいます。そこで遊郭の白木リンと出会います。
リンとすずは、いっときの楽しい会話を過ごし、リンは、すずに帰り道を教え帰してくれました…。
やがて、ある日、すずは、軍法会議所での勤務が終わった周作と待ち合わせ、夫婦水入らずの時間を過ごします。
その際にすずは、周作から痩せたこと指摘され、妊娠の疑いから病院の検診に行きますが、結局は夏バテによる体調不良でした。
昭和20年になると、軍事基地がある呉も激しい空襲が頻発。
航空機エンジニアとして働く義父の円太郎は、空襲で大ケガをして病院に入院。周作も実家を3ヶ月間離れることになります。
径子は晴美を連れて疎開することとなり、すずはその見送りに行きます。
すずは、径子が汽車の切符を購入する待ち時間に、晴美を連れて円太郎の見舞いに出かけます。
その帰り道、晴美に軍艦を見に行きたいとせがまれ、そちらに向かったすずたちは、空襲に遭遇。
近くにあった防空壕へ逃げ込み、難を逃れたすずと晴美でした。
映画『この世界の片隅に』の感想と評価
『この世界の片隅に』は、多くの偉業を成し遂げた作品です。
その特徴を大きく3つ挙げると、
1つ目は、クラウドファンディングで制作がされたこと。
2つ目は、口コミ(SNSをはじめ、ラジオなど)を中心に宣伝をされたこと。
3つ目は、過去の様々な戦争映画に終止符を打つ快作であること。
まず、本作品は、多くの個人(3374人)支援者からクラウドファンディングを通じて、映画部門では国内最高金額を集め、制作されました。
このことは、企業が映画を作るのではなく、市民(ユーザー)が見たい映画を作る時代の幕開けを告げるものでした。
今後作家性の強い映画監督は、観客と共に映画を作っていくというスタイルの確立は、これまでのいわば「収益」(動員数、売り上げ)といった今までの映画の価値を測る尺度ではない、映画の新しい価値を見せたと言えるのではないでしょうか。
2つ目は、この作品を観た観客が、“感動に涙した思い”や“映画の興奮”を、TwitterなどのSNSで拡散させたことで、大きな動員の拡大を見せています。
2016年には、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』でもSNSの拡散はありました。
しかし『この世界の片隅に』は、観た人が、鑑賞後の想いを周囲に話さずにはいられない映画であるため、その想いをそれぞれに発信しているように思われます。
なぜ発信するのか。それは個人だけでその“思い”を受け止めるのには耐え難いからだと思います。そのことは、“311の体験”にとても似ている何かと考えられますね。
あの時、失ってしまったのは、物や財産ではなく、日常という普通の日々の暮らし。絆ではなく、今できることを分け合う価値である。
このことに、触れた観客がその衝撃の大きさに堪えきれず周囲と共有する、そんな作品だからでしょう。
ちなみに、ラジオ放送では、映画評論家の町山智浩は「2016年の町山大賞」を与え、ライムスター宇多丸は、「5000億点」という評価もつけました。
彼らも、また、普通に個人単位で抱えきれない何かを体感したのではないでしょうか。
3つ目は、過去に類のない表現方法で戦争(日常)を描いている点です。
多くの人は、反戦争映画では説教臭い、暗い気持ちにさせられるなどといった偏見や倫理観を見る前に抱いてしまうのではないでしょうか。
この作品は、思想性を描いてはいないのです。
この作品を見る前には、反戦の代表的な作品『はだしのゲン』や『火垂るの墓』の刷り込みがあったから、同じようなアニメ映画であると思い込んでしまうこともあるでしょう。
しかし、この作品は、日常をつづった『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』です。
だからこそ、8月6日という原爆の日に向かう物語の進行と、すずの日常のサスペンスがあまりに巧みで、他に類を見たことがないのでしょう。
原爆投下のシーンの描き方は、描かれる破壊性を見てみたいと観客が思う期待に、片渕須直は自制心を掛けます。
日常とは豊かな連続に過ぎず、物語性の高揚感は刺激であると、普通のすずを見れると理解できるのではないでしょうか。
以上、この作品に盛り込まれた、多くの要素は、挙げればきりがありません。
いずれ、このサイトでご紹介しますね。
まとめ
さて、この作品は、来年も上映館の拡大、そして世界各地での映画上映など広がりを見せていくでしょう。
真木太郎プロデューサーの話によれば、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、メキシコなどでの上映が決まっているようです。
海外の『この世界の片隅に』の評価は?海外での映画賞受賞は?
また、テレビ放映は、どの局がいつ行うのか?
さらに、未制作部分、すずと白木リンをめぐる約30分と言われているシーンはいつ完成するのか?
これに関しては、片渕須直監督はインタビューに述べているようで、完全版は監督の悲願のようです。
その前に、現在上映中の『この世界の片隅に』をまだ見ていない方に、ぜひ映画館で鑑賞していただきたい!
名作中の名作、傑作の中の傑作『この世界の片隅に』。
最後になりますが、感想で述べた過去作に終止符を打ったとことについて書きます。
この作品には、思想性を示さないだけではなく、善と悪も二極化で描いていません。
例えば、すずと周作が出会った「人さらい」のバケモノのくだりは、後に、すずが死にゆく妹のすみに兄がバケモノになった夢物語を語ります。
さらに、すずと周作たちのヨーコの出会いは、「孤児を引きとる(“ある意味では、逆に人さらい”)」に繋がり、径子へとつなぎます。
誰もが悪人でも善人でもなく捌きもない映画。
これは、映画を簡単にドラマチックにするために二極化で描いてしまう陳腐さを見せてくれた一例だと思います。
そんなことが、全編に散りばめられた夢のような本当の話が、『この世界の片隅に』なのです。
すずと哲の出会いのように切なく、
すずと周作の出会いのように運命的でいと可笑しく、
すずとリンの出会いのように幻想的に強く、
北条家とヨーコの出会いのように宿命的に分かち合う。
その映画の名は、「この世界の片隅に』、ぜひ、ぜひご覧ください!