一筋縄ではいかない愛憎劇『女王陛下のお気に入り』
名女優三人が英国王室での愛憎劇を再現!
監督を務めたのは鬼才ヨルゴス・ランティモス。
一筋縄ではいかない愛憎劇と思わず笑ってしまうブラックな笑いに満ちた一作。
アカデミー賞有力候補『女王陛下のお気に入り』を解説していきます。
映画『女王陛下のお気に入り』の作品情報
【公開】
2018年 [日本公開:2019年](アイルランド・イギリス・アメリカ合作映画)
【原題】
The Favorite
【監督】
ヨルゴス・ランティモス
【キャスト】
オリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ、ニコラス・ホルト、ジョー・アルウィン、ジェームズ・スミス、マーク・ゲイティス、ジェニー・レインスフォード
【作品概要】
初代グレート・ブリテン王国君主アン女王と彼女を巡って権力を争う侯爵夫人サラと召使いアビゲイル。
実在した3人の愛憎劇に興味を持った新鋭脚本家デボラ・デイヴィスが温めていた企画を『ロブスター』や『聖なる鹿殺し』で不条理な悲喜劇を描いてきたギリシャ人監督ヨルゴス・ランティモスが映画化しました。
アン女王には『ロブスター』でもランティモス監督と組んだオリヴィア・コールマン、サラ役には『ナイロビの蜂』でアカデミー賞助演女優賞を獲ったレイチェル・ワイズ、アビゲイル役には『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したエマ・ストーンと超実力派が揃いました。
第91回アカデミー賞で9部門にノミネートされている必見の傑作です。
『女王陛下のお気に入り』のあらすじ
1708年、イギリスはフランスとスペインの継承権を争って激しい戦争をしており戦費がかさみ国全体が疲弊してきていました。
しかし、国を統べる立場のアン女王は戦争にも政治にも関心がなく、着飾ったりお菓子を食べたりしている日々。
彼女は肥え太り病弱で、いつもつまらなそうな表情でした。
彼女は17匹のウサギを自室で飼っており溺愛しています。
そんな女王の側に控えている幼馴染のサラ・モールバラ婦人は頭脳明晰で判断力やリーダーシップに長けた才女で、彼女が実質的な国の運営を決定している状態でした。
アン女王もサラに頼りきりで常に彼女がそばにいないと落ち着かないくらいの依存ぶりです。
サラの夫のモールバラ卿は将軍として前線を率いており、彼女は後方から指示を出していました。
彼の軍がフランス相手に一度大勝利を収めたのでサラや大臣たちは大喜びでパーティをします。
当時の野党にあたるトーリー党党員のハーリーがこの勝利を機にフランスと講和を結ぶべきだと提案しますが、サラも与党ホイッグ党の党首ゴドルフィンもまだ早いとその意見を一蹴しました。
またサラは女王の意見だと言って土地への税を2倍にすると宣言し、ハーリーは怒って女王に直接進言すると言いました。
ある日アン女王がロシアの代表団と会うためにいつもと違うメイクをしているのを、サラははっきりと「まるでアナグマみたい」と指摘します。
アンも怒ることもなくそれを認めてすごすご戻って行きました。
サラの権力はそれほど絶大だったのですが、ある日宮中仕えとしてアビゲイルという女がやってきました。
彼女は没落した元貴族の家系で、サラの従妹にあたるといいます。
サラは彼女を一番下っ端の調理場の掃除の仕事に当てました。
アビゲイルは先輩侍女から床を洗う時に使えと桶に入った液を触らせられますが、それはただの洗剤ではなく苛性ソーダで彼女の手は爛れてしまいます。
その頃、アン女王は痛風で寝ている間もサラが付き添っていないといけないくらい苦しんでいました。
侍女として女王の治療に立ち会っていたアビゲイルは早朝に馬で城を抜け出し、森で薬草を摘んですりつぶし自分の手の火傷を治したあと、その薬草を持ち帰りこっそり女王の寝室に忍び込んで彼女の痛風の患部に塗ります。
そこにやってきたサラは勝手に寝室に入ったアビゲイルを見咎めて、見張りの兵に彼女を鞭打つよう命令します。
しかし、薬草の効果でアン女王が回復し始めたので、サラは鞭打ちを止めてアビゲイルを呼び出しました。
改めてアビゲイルの身の上を聞くと、彼女はギャンブルで身を持ち崩した父に借金のカタで醜悪なドイツ人に売られ、慰み者にされそうだったと語ります。
彼女はもうそんな風になりたくない、と意欲を見せたのでサラはアビゲイルに自室を与え、自分の専属の召使に昇格させました。
若き政治家マシャムは宮中でアビゲイルを見て彼女を見初めます。
ハーリーはマシャムから相談を受け、急激に出世している彼女を利用できないか考え始めました。
アビゲイルはアビゲイルでアン女王の前でわざとくしゃみをして「薬草を採りに行って風邪をひいた」とアピールをしています。
フランスから一度戻ってきたモールバラ卿ですが、結局フランスとは講和に至らなかったため再度出兵します。
サラはそんな夫を生きて帰るよう激励しました。
しばらくして舞踏会があり、みんなが楽しんでいる中、ハーリーが女王に増税を止める進言をし、彼女も税は現行のまま据え置くと約束します。
その後、サラとマシャムがみんなの前で見事な踊りを披露しますが、アン女王は突然怒鳴って2人の踊りを中断し、サラと会場を出ていきます。
2人が向かった先はサラの部屋でしたが、そこにはこっそり本を読もうとしていたアビゲイルが忍び込んでいました。
サラとアンはそこで性行為を始めます。
サラは夜の営みでも女王を篭絡していたのです。
そんな秘密を見てしまったアビゲイルはこっそり部屋を抜け出しますが、廊下でハーリーと出くわし、彼に「宮廷では友人が必要だぞ。女王とサラの情報をよこせ」と強要されます。
翌日、サラの趣味である射撃訓練に付き合っていたアビゲイルは昨晩ハーリーからスパイ行為を依頼されたことを告げます。
アビゲイルは自分はサラを裏切らないとアピールしますが、さりげなくサラとアン女王の関係を知っているとほのめかした瞬間、サラは空砲をアビゲイルに放ちました。
腰を抜かしたアビゲイルにサラは平然と「気をつけてね」と言って脅しました。
夜になるとマシャムがアビゲイルの部屋に宮廷貴族特有の厚化粧とかつらで現れます。
アビゲイルが夜這いかと問うと、マシャムは真剣に君が好きだと言ってきました。
アビゲイルはありのままのあなたがいいと彼のかつらをとってメイクを拭い、キスをしました。
後日、サラが財政を切り詰めるために使用人たちを集めて城内の帳簿をチェックしていると、ひとりぼっちにされていたアン女王が癇癪を起してサラに常に自分の側にいるように要求します。
国政の仕事が増えていたサラはその要求には答えられず、仕方なくアビゲイルを女王の側につかせます。
アン女王は最初アビゲイルを拒絶しますが、彼女が大事にしているウサギを可愛いと褒めたことから打ち解け始めます。
アン女王は死別した夫との間に17人の子供をもうけましたが、いずれの子も流産、死産、出産後の病気などで亡くしており、ウサギたちに子の名前を代わりに付けて寂しさを紛らわせていました。
アビゲイルは常に女王の側について車いすを押し、彼女の見た目や人柄をこれでもかと褒めちぎります。
自分に自信がなくお世辞が嫌いなアン女王もだんだんとアビゲイルの言葉に気を良くし、彼女に依存していきました。
ある夜、サラが女王の寝室にやってくると、ベッドにアン女王と上半身裸のアビゲイルがおり、彼女は驚きます。
サラはアビゲイルとアン女王を親しくさせ過ぎたと、翌日彼女を召使の任から解き、調理場の掃除係に戻します。
その時、サラは部屋から追い出すためにアビゲイルに本を投げつけたのですが、彼女は部屋から出た後、わざと自分の顔を本で殴打して泣きまねをし、アン女王に見せつけます。
翌日、アン女王と馬車で小旅行に行こうとしていたサラの目の前に、より着飾ったアビゲイルが現れます。
アン女王が再度、自分専属の召使として登用していたのです。
「あの子気に入ったの。それに私を2人が取り合うなんて最高だわ」
サラはアンにもアビゲイルにも怒りますがどうしようもありません。
アビゲイルはサラと女王の会話を目ざとく聞いており、旅行後にハーリーに「女王が土地税を大幅に増やそうとしている」と報告します。
数日後の議会、サラの差し金で増税について宣言しようとしていたアン女王に対し、ハーリーは先手を打って「増税を取り止めると聞きました。ご英断感謝いたします」と発言します。
与党も野党もその発言に盛り上がり、増税を言い出せなくなったアン女王は、意識を失ったふりをしてその場に倒れこみました。
サラは介抱をしながら、女王の寵愛を奪われては困ると、彼女との親密さをアビゲイルに見せつけ、前は嫌がっていたウサギたちも可愛がります。
アビゲイルは翌日早朝にまた馬で城を出て、毒草を積んでそれをすりつぶしていました。
彼女は城に戻ると、議会から戻ってきたサラのお茶に粉状にした毒草を入れます。
サラはその後、馬に乗って出かけますが、突然嘔吐すると意識を失って落馬。
脚が手綱に引っかかったまま馬に森の中を引きずられていきました。
映画『女王陛下のお気に入り』の感想と評価
ギリシャ人のヨルゴス・ランティモスがシニカルに英国王室の実話を描いた本作は第91回アカデミー賞で9部門10ノミネートを受けており、作品賞の本命の一つと言われています。
作品賞、監督賞(ヨルゴス・ランティモス)、主演女優賞(オリヴィア・コールマン)、助演女優賞(レイチェル・ワイズ、エマ・ストーン)、脚本賞(デボラ・デイヴィス、トニー・マクナマラ)、編集賞(ヨルゴス・モヴロブサリディス)、衣裳デザイン賞(サンディ・パウエル)、美術賞(フィオナ・クロムビー)、撮影賞(ロビー・ライアン)。
元々アカデミー賞は実話ものや歴史映画が強いと言われています。
宮中が舞台といえば歴代作品賞映画の『アマデウス』や『恋におちたシェイクスピア』あたりも思い浮かびますね。
ただし、本作はお堅い歴史モノとは全く違うドロドロ愛憎劇で、ある意味下世話な内容。
日本人なら『大奥』を連想するようなわかりやすく面白い人間ドラマです。
そして珍しい女三人の三角関係という設定も斬新で、アビゲイル役のエマ・ストーンやアン女王役のオリヴィア・コールマンもこの部分に惹かれて役を受けたと語っています。
現代的な要素と権力風刺
また、本作はストーリーも面白さ優先で史実からかなり改変してあるうえに、衣装にも当時使われていないはずのデニム生地やレザー生地のものがあったり、舞踏会のシーンでもディスコ風のダンスを踊っていたり、言葉遣いも「Fuck!」や「cunt!」などスラングが混じっていてかなり現代に寄せた要素が入っています。
現代風にしたのは観客が取っつきやすくする目的もあるでしょうが、他にも理由があります。
本作は歴史的事実を基に、権力者を戯画化している作品であり、「こういうことは現代でも起こりうる」というメッセージを持たせています。
ランティモス監督は“自分が興味があるのは権力者で、この当時のイギリスの権力者が王族だったから、宮廷ものにしただけだ”とインタビューで答えています。
彼が着眼したのは権力を持った一部の人間たちが引き起こす不条理な状況そのものです。
政治に関心がないアン女王は、自分を性的に満足させてくれるお気に入りのサラに国政を任せていますが、関係性としては完全にサラの方に主導権があって彼女がアン女王を支配しています。
彼女は女王にも拘わらず、戦局も財政事情も把握していません。
病気や子供をたくさん失った心理的なトラウマもある弱い女王は、臣下であるはずの存在に完全に好きなように操られてしまっています。
国民を疲弊させる戦争継続や増税をしようとするのも、考えがあるわけではなく「お気に入りのあの人」がそう言っているから。
宮中に来るまでは落ちぶれた貴族として貧しく暮らしていたアビゲイルも女王に気に入られるチャンスを見出したら、自分の立身出世のことしか考えなくなります。
主人公3人だけでなく、国が困窮しているのにパーティやギャンブルに興じる貴族たちも醜悪に描かれています。
国民のためを思って戦争や増税に反対しているように見えるハーリーも手段を択ばない卑劣な一面を見せますし、とあるシーンでは仲間と一緒に開いた口が塞がらなくなるような下品でくだらない遊びをしているので是非劇場で確認してください。
この映画はくだらない理由や欲望で国をかき乱す支配層の人間をとても滑稽に描いています。
こんな輩に統治されている国民は可哀想だと感じてしまいますが、劇中には一般国民はほとんど出てきませんし、舞台も宮中とその周りの森や娼館に限定され、非常に狭い人間関係と世界で物語が進行していきます。
この狭い世界観のおかげで一部の人間の小競り合いで大多数の運命が決まっていってしまう権力というものの不条理さがより浮き彫りになっていきます。
また魚眼レンズや広角レンズを使った撮影のおかげで、盗み見をしているような感覚の画面になっている上に、あまり昔のできごとのようにも見えなくなっているのも特徴。
現在でも独裁国家や強権的なリーダーが台頭している国はありますし、貧富の差は世界的に広がっています。
過去のことだと笑ってみていられる話ではないのですが、それでも思わず笑ってしまうような演出も多い意地悪な映画です。
二転三転する人間関係
権力を握っている人々の特徴を戯画化した作品ではありますが、だからといってキャラクターたちの人物像が単純化されているわけではありません。
ランティモス監督も“主人公3人が簡単にどんな人間かわかってしまうようにはしたくなかった。善と悪、強者と弱者が区別できないように複雑化させたかった。”と語っています。
実在の人物たちであるだけに資料を読んで、だいたいこんな人たちだったのかなと目星をつけることは簡単ですが、人間というのはそう簡単にはわかるものではありません。
本作では監督の演出、そして名優たちの演技によって複雑怪奇でリアルな人間模様が描かれています。
アン女王は病弱であまり頭も良くなく、サラやアビゲイルに支配されているように見えて、彼女たちを翻弄し後半には逆転劇を見せます。
ただのヒステリックを起こす女王かと思いきや、民のことを慮ったり、思慮深く相手を観察していたり、堂々たる威厳を見せることもあります。
アビゲイルは苦労人ゆえに宮廷で手段を選ばずにのし上がろうとする野心家です。
いろんな人間を利用していますが、彼女が全て利害だけで人間関係を築いているようには見えません。
特にマシャムに対しては本心の愛を抱いているように見える場面もありますが、一方で余りにも心無い初夜のシーンもあったりします。
またアビゲイルは「宮中でいじめられて可愛そうだな」と考えていると「うわ、それはないわ」と感じてしまうような行動に打って出たりと、観客が感情移入出来そうでできない翻弄するキャラクターになっています。
また、終盤でサラの女王宛の手紙を燃やす際にアビゲイルが少し涙を流す場面があるのですが、あそこで彼女が何を思っているのかも興味深いところです。
単にライバルを蹴落とせてうれしいというわけではないでしょうし、もしかしたら自分と似たところがあったサラに知らずのうちに敵対しながら親近感を覚えていたのかもしれません。
サラも女王と国を支配している冷酷で強い女性に見えて、それがどんどん変化していきます。
後半には弱い一面を見せますし、アン女王を手紙で脅すことができず燃やしたり、去り際に愛しているから嘘は言わないと言ったりと、女王を利用する存在でなく本当に愛していることがわかってきます。
終盤で宮廷を追われてから、女王に対して悩みながら手紙を書いては破り捨てるところはまるで乙女のようです。
このように複雑な人物設定が、そのまま話の展開の読みにくさにも通じていますし、何よりも登場人物たちが血の通ったリアルな人間に見えてきます。
権力の不条理を描く作品の中で、肝心の主人公たちもその権力に振り回される等身大の存在なんだと感じさせられます。
また主人公3人の力関係がコロコロ変わっていくのが本作の面白さですが、それを単にセリフや状況描写だけでなく、「嘔吐する」という行為で表しているのも斬新な部分です。
アン女王はサラに支配されている序盤では過食や病気で何度か嘔吐するシーンがありますが、後半は一切それが無くなります。
権力争いでアビゲイルの先を行っていたサラは、中盤に毒を盛られて騎乗で嘔吐し、そこから文字通り立場が転げ落ちていきます。
後半では策謀で生き残って女王の寵愛と権力を手にしたように見えたアビゲイルも、パーティ後に飲み過ぎて嘔吐し、それを女王に見られてしまうシーンがあります。
彼女も最後は主導権を女王に握られてただ奉仕をする存在になってしまいます。
人間が嘔吐するのは精神や肉体に許容範囲を超えて負荷がかかってしまった時が多いですが、それを権力争いの描写に利用するというのはとても面白いです。
一見、宮中の華やかな話かと見えて、ドロドロの愛憎劇に権力風刺要素もあり、でも登場人物たちに感情移入してしまう、一筋縄ではいかない傑作です。
まとめ
原題の“The Favorite”にはそのまま「お気に入りの人」という意味があります。
しかし「お気に入り」という言葉には明らかな上から目線の要素があります。
もし友達や同僚から「お気に入り」なんてよばれたらいい気分になるでしょうか?
ラストで女王の脚を揉むアビゲイルにウサギたちがオーバーラップし、彼女もただの「女王陛下のお気に入りの愛玩動物」に過ぎないということが分かります。
彼女はかつて没落した時に男の慰み者にされたことが語られますが、のし上がっても結局同じ状況になる、とても皮肉なシーンです。
また、アン女王が「お気に入り」を側においておけるのは彼女に権力があるからで、真に愛されているわけではないのは本人もわかっているでしょう。
それゆえにアン女王のラストの表情は虚無的です。
女王に嘘をつかず、厳しい態度をとっていたサラは、彼女にとって唯一単なる「お気に入り」を超えた存在だったはずです。
しかし、アン女王は彼女が側にいるうちにはそれに気づけず、単に自分に一時的な快楽を与えてくれるアビゲイルを選んでしまいました。
史実では1714年にアン女王は逝去し、アビゲイルは下野して失脚、逆にサラは英国に戻って貴族として王族と良好な関係を築き、そして150年後には彼女の家系から名宰相ウィンストン・チャーチルが生まれます。
この栄枯盛衰とすれ違いを見ると切ない恋の物語にも見えてきますね。
ちなみにエンドロールで流れるエルトン・ジョンの「スカイライン・ピジョン」は恋人の元から飛び立とうとしている男の歌で、やはりラブストーリーとしての要素を感じ取ることができます。