連載コラム「銀幕の月光遊戯」第18回
ベルギーのある小さな都市で慎ましやかに暮らしていた女性は、夫が罪に問われ収監されたことから、狂おしいまでの孤独に陥っていく…。
イタリア出身の新鋭監督アンドレア・パロオロが、ミニマリズム的な手法で、一人の女性の姿を見つめた、シャーロット・ランプリング主演の映画『ともしび』が2月2日より、シネスイッチ銀座他にて全国順次ロードショーされます。
映画『ともしび』のあらすじ
ベルギーのある小さな地方都市でアンナは夫とともに、慎ましい生活を送っていました。
夕食時、二人の間に会話はなく、途中で電球が切れて夫が取り替えても、まるで何事もなかったかのように、二人は食事を続けます。
就寝前の素肌の手入れを済ませると、アンナは夫の肩をもんでやり、夫は「ありがとう」と礼を言いました。
翌朝、アンナに付き添われ、夫は警察に出頭し、そのまま収監されてしまいます。
そんなことがあってもアンナの生活は変わらないように見えました。
地下鉄に乗って出かけ、演劇クラスに参加し、目の見えない少年のいる金持ちの家で家政婦の仕事をし、会員制のプールでひと泳ぎする・・・。
しかし夫がいないせいで犬は餌を食べようとせず、上の階から水が漏れ天井にシミができてしまうなど、彼女の生活の歯車は徐々に狂いだします。
突然ドアがノックされ、女が切羽詰まった声でアンナを呼びますが、アンナは暗闇でじっと息を潜めるしかありません。
孫の誕生日にケーキを作って息子一家を訪ねますが、玄関にすら入れてもらえず追い返されてしまいます。気づけば、彼女は狂おしいまでの孤独に陥っていました。
そんなある日、天井のシミを取り除いてもらおうと業者を呼んだアンナは、作業のために動かされたタンスの裏に封筒が押し込まれているのに気が付きます…。
映画『ともしび』の感想と評価
変わらぬ日常への執着
いきなり奇妙な叫び声をあげるシャーロット・ランプリングの顔のアップから映画は始まります。息がとぎれるまで声を出し続ける彼女の顔はみるみる赤くなっていきます。
何とも衝撃的なオープニングですが、実はこれ、演劇サークルのレッスンの一場面なのです。
とはいえ、そのように謎解きされても、抱いた不安感を拭うことはできません。
作者が意図的に仕掛けたのかどうかは定かではありませんが、これは実に効果的です。観ている間、ずっとこの声が耳に残っているからです。
家族が犯罪加害者となった時、残された家族の生活も、もとのままではいられないことは容易に想像できますが、シャーロット・ランプリング扮するアンナは、なんら変わりない日常を生きようとします。
その執着は、現実を受け入れられない、受け入れたくないという気持ちの現れです。
映画は淡々と彼女の日常を追います。カメラを接近させ彼女の表情を延々ととらえたかと思えば、彼女が着替えている様子を長回しで執拗に映し出します。
犯罪加害者の家族を描いた作品というと、マスコミやSNS、あるいは近隣の住民などから嫌がらせや誹謗中傷を受けたりするものを想像しがちですが、彼女は面とむかってそうした第三者に批判されることはありません。
言葉数が少なく、誰とも距離をおいてつきあっているせいでしょうか? 寧ろ誰も彼女のことを気にかけていないように見えます。地下鉄の中でまるで彼女がいないかのように男女が言い争いをしている光景は象徴的です。
一体夫は何の罪で収監されたのか? はっきりと言及されませんが、観ているうちに、おぼろげながら、子供に関する犯罪だろうということがわかってきます。
罪を犯したのは夫で、彼女ではないのに、息子はなぜあそこまで彼女を拒否するのだろうか? など様々な疑問点が湧き上がります。
変わらぬ生活を続けたいがために夫の犯罪を見て見ぬふりをしていたのでしょうか? あるいは、現実を受け入れられず、息子たちの忠告から耳をそむけて、夫を信じる良き妻に固執したのでしょうか?
もっとも映画はそのような謎解きを目的とはしていません。彼女に罪があったのかなかったのかも言及されることはありません。
彼女の守りたかった日常が少しずつ、狂っていく様を静かに見守っていくだけです。
いつの間にか取り返しのつかないほど、孤独に陥っている一人の女性を寂然たるトーンで見つめるのです。
観客が浴びせる好奇の眼差し
被害者の母親らしき人物がドアをノックしたり、息子の家を訪ねて追い返されるなど、ショッキングな出来事はありますが、前述したように、第三者が彼女を糾弾する場面は出てきません。
しかし、彼女には無数の好奇の目が注がれています。それは映画を見る観客によってもたらされたものです。
観客はこの家族の事情を読み解こうとしますし、今後、この女性がどうなるのか、どのような展開が待っているのか、息を潜めて見守っています。
勿論、そんなことは映画の展開とは別の物だと言う方もいるでしょう。
しかし、彼女は明らかに目に見えないものを意識しています。見透かされないように、変わらぬ日常を死守しようとするのです。
その役割を我々が担わされていたのではないか!?
一方で、観客が内心期待していたような劇的なことは何一つ起きません。決して彼女の不幸を望んでいたわけではありませんが、知らず知らずのうちに好奇な視線を向けていたことに恥ずかしささえ感じてしまいます。
オープニングの叫び声といい、これらのことはすべて巧妙に意図されていたのではないかと思えるほど、イタリア出身の新鋭監督アンドレア・パロオロが描く作品世界は他の映画と一線を画しているのです。
シャーロット・ランプリングという女優
このような監督の執拗な眼差しを受け止めることができる女優はそういません。
シャーロット・ランプリングは、ご存知のように美人女優として一世を風靡し、また、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』(1969), リリアーナ・カヴァーニ監督の『愛の嵐』(1973)などでは退廃的で強烈な印象を残しました。
年齢を重ねるに連れ、その顔立ちは優しげで穏やかになり、フランソワ・オゾン監督の『まほろし』(2001)、『スイミングプール』(2003)に主演したことを契機に、新たな映画的アプローチで70歳を超えた今も、精力的に活動しています。
アンドリュー・ヘイ監督の2015年の作品『さざなみ』は、登山で遭難した、夫の昔の恋人の手紙が約50年ぶりに届いたことから、熟年夫婦の関係に不協和音が生じる様が描かれています。
複雑な感情の機微を表現し、ラストの表情ですべてを物語る演技は忘れがたい余韻を残しました。
アンドレア・パロオロ監督の念頭にも『さざなみ』の彼女があったのでしょう。脚本の段階で、本作のヒロインにシャーロット・ランプリングを想定していたそうです。
シャーロット・ランプリングは本作で2017年、第74回ベネチア国際映画祭・主演女優賞を受賞しています。
まとめ
アンナが車や地下鉄に乗っているシーンがたびたび登場しますが、それらの窓ガラスに映る映像にも目を奪われてしまいます
カメラはアンナに焦点をあてて固定されているのですが、窓ガラスには過ぎゆく景色、向かいの席に座っている乗客の落ち着かない様子、口喧嘩をしだす乗客などがはっきりと映っています。
アンナが観ているであろう風景を別の角度で見る行為は、どことなくのぞき見をしているかのようです。
終盤、彼女はいつもと違う行動をとります。背後に巨大な団地がそびえる浜辺に打ち上げられたものを観にわざわざ足を運んだ彼女はどんな気持ちでそれをみつめたのでしょうか。
一人の女性の一挙手一投足を凝視し、様々な憶測を頭の中で働かせていく刺激的な映画体験を是非味わってみてください。
シャーロット・ランプリング主演『ともしび』は2月2日(土)より、シネスイッチ銀座他にて全国順次公開されます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
次回の銀幕の月光遊戯は、ドキュメンタリー映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』を取り上げる予定です。
お楽しみに!