第31回東京国際映画祭コンペティション部門に選出されたカザフスタン映画『ザ・リバー』。
映画祭ではアジアン・プレミアとして紹介され、日本のみならずアジアでの初お披露目となった作品です。
エミール・バイガジン監督の「アスラン三部作」の最終章となる『ザ・リバー』とは、どのような作風スタイルで描かれ、いったいテーマとは何か?
2018年10月29日の東京国際映画祭にて、上映会後に初来日を果たしたエミール監督はマスコミ取材で何を語ったのかを交えて紹介していきます。
CONTENTS
映画『ザ・リバー』の作品情報
【公開】
2018年(カザフスタン・ポーランド・ノルウェー合作映画)
【原題】
The River[Ozen]
【脚本・撮影・監督・製作】
エミール・バイガジン
【キャスト】
ジャルガス・クラノフ、ジャスラン・ウセルバエフ、ルスラン・ウセルバエフ
【作品概要】
エミール・バイガジン監督は「アスラン三部作」の長編監督作品『ハーモニー・レッスン』で、ベルリン国際映画祭で芸術貢献賞を受賞。その完結編となるのが本作『ザ・リバー』。
徹底した美意識によって描かれる映像を用いて、カザフスタンの辺境の地で俗世間から隔離された5人兄弟とその父親との確執と調和を、都会から従兄弟が訪ねたことズレてしまう…。寓話的なファンタジックさと、独特なユニークさが漂うアート作品です。
映画『ザ・リバー』のあらすじ
カザフスタンの田舎に住む一家には、5人兄弟の息子たちがいました。
東洋の伝統に従い、13歳の長男のアスランが父親の後継ぎとして、すべての仕事を任され、権限を与えられていました。
ある日、アスランは弟たちを連れて川に泳ぎに行きました。
そんな幸せなひとときが一変する出来事が起きます。
都会から従兄弟だと名のるカナトが現れて、一家の安定していた秩序ある暮らしが崩れ始めます…。
映画『ザ・リバー』の感想と評価
類似性から共通を仮説「ユニークさ」
本作『ザ・リバー』を鑑賞しながら思い出したいくつかの映画がある。まずは子どもの頃に見た、1965年公開の羽仁進監督、主演が渥美清の『ブワナ・トシの歌』です。
『男はつらいよ』の寅さん役でお馴染みの渥美清が日本ではなく、アフリカを舞台に演じた作品で、こんなチャレンジに満ちた映画もあるのだなと子どもなりに感心した作品でした。
窓から顔を見せる渥美清の顔や、アフリカの子どもたちとの共演が印象深い映画でした。
また、本作『ザ・リバー』の抑制の効いた美意識の構築は、コメディ映画『ぼくの伯父さん』などで知られるジャック・タチ監督の一連の映画を思い起こします。
極めつけでドンピシャリな印象は、何と言っても世界的な巨匠である小津安二郎監督の作品の持ち味です。
子どもの世界と大人の世界の断絶や、画作りの構図などに影響を受けていることが、すぐに分かりました。
これらの共通の印象にあるのは、実はコミカルさの要素でもあります。
本作『ザ・リバー』が持ったアート性と深い静寂さの中には、能や狂言、あるいは舞踏などで見られるユーモアが潜んでいるのではないでしょうか。
小津安二郎の影響を語ったエミール監督
本作『ザ・リバー』を制作したエミール・バイガジン監督は、特有なアート性の質を保つためか、演出のほかにも脚本、撮影、編集、製作も担当しています。
エミール監督が多くのスタッフパートを掛け持つスタイルに、他のスタッフから難色を示されたこともあったそうです。
ただ、「アスラン三部作」の1作目『ハーモニー・レッスン』は、ベルリン映画祭のコンペティション部門で映像の美しさに芸術貢献賞を受賞されたこともあり、監督と撮影の役割を分けないスタイルでの映画制作を貫き通します。
エミール監督は東京国際映画祭のマスコミ取材で、「当初スタッフは信じてくれなかったので、彼らを脅かせてやりたかった」と語り、「イメージに対する着想には常に想像力を働かせた」とも述べました。
そして本作『ザ・リバー』は、世界的な巨匠・小津安二郎監督の画作りからの影響があり、レンズは1本のみで撮影に挑んだそうです。
小津作品の撮影と同様に標準レンズ(50ミリ)を使用した場合、広角や望遠レンズを多用しないことで、エミール監督はカザフスタンは小さな家が多いので撮影することが難しかったと振り返ります。
しかし、エミール監督は、レンズ1本という撮影技法を用いたことにより、「映画のテーマのひとつである“リゴリズム(厳格主義)”を維持することが出来た」と満足感の笑みをこぼしました。
そして何よりも、大人の世界観と子どもの世界観のズレの面白さを対比して描いた名手が小津安二郎監督であり、そのことを『ザ・リバー』では最も受け継いだ影響だと言えるでしょう。
アスラン三部作の最終作は「精神の解放」
エミール監督の長編初監督作品『ハーモニー・レッスン』
本作『ザ・リバー』は、これまでの2作品と共通した名前であるアスランが主人公。
しかし、同一人物や設定が同じなのではなく、エミール監督にとって描きたいテーマの最終章となります。
カザフスタンの田舎で俗世間から隔離されたような場所に住む5人の兄弟と父親のストーリーで、父に反発しながらも都会からやって来た従兄弟から刺激を受けて事態が一変します。
五人兄弟のそれぞれの心が、ある出来事をきっかけに翻弄されていく様子を、まるで寓話のように描いています。
マスコミ取材のなかでエミール監督は、本作『ザ・リバー』の作品性やテーマについて、次のように述べています。
「テーマとして組み入れたかったのは、奇跡。奇跡を起こすということ。もうひとつは、精神的な発展、精神的な進化です。過去に2作品作っていて、本作が3部作の最終作。
この3作品の中で、過去作の登場人物、そして本作の登場人物も含めて、最後に開放させたいという想いを込めて本作を作りました」
エミール監督は『ザ・リバー』のテーマを奇跡、精神的な発展と進化であると言っています。
「アスラン3部作」2作目『The Wounded Angel(英題)』
「アスラン三部作」は、これまで身体的な暴力を多く含んだ『ハーモニー・レッスン』と、2作目『The Wounded Angel(英題)』がありました。
エミール監督は過去作の登場人物の暴力性に触れながら、「過去の2作と最終作の登場人物も含めて、最後に開放させたいという想いを込めて本作を作りました」と語りました。
また続けて、「身体的な暴力の要素を最終作では繰り返したくない。もう少し明るいトーンで映像作品を作りたかった」と解説します。
アスラン最終作となる『ザ・リバー』では、精神的な暴力による抑圧を描きましたが、映画を作るうえで影響を受けたモノについて、もう1つ明かしたものがあります。
エミール監督は「聖書の中にある、ソロモン王の教え「人間が心の中で考えているものというのは、深い水の中にあるものと同じもの」というフレーズでした。
それが正しく作品タイトルである『ザ・リバー』に込められたタネ証しのようなものです。
川とは此岸と彼岸の淵であり、あの世とこの世という世界の境です。
エミール監督は本作の映像にあった、川面に太陽の光が映り込むショットを3時間の待ち時間を掛けて撮影したと説明する美しいショットがあります。
少年たちの心は、こんこんと流れる川のように成長の変化を見せます。
その水面が光を映し込み輝きさえすれば、その川底が淀んだ闇であろうはずがなく、たゆたゆと流れているのです。
エミール・バイガジン監督は、主人公アスランのみならず、最終作『ザ・リバー』を完成させたことで、過去作に登場していた少年たちにも、どんな奇跡を用意し、精神を解放させているのか要注目です。
まとめ
エミール・バイガジン監督は、本作『ザ・リバー』が、地元カザフスタンの観客に向けた作品か、それとも国際的な観客を意識して作られた映画なのかという、メディアの質問に対して、次のように答えました。
「カザフスタン国内、それ以外の海外の方と観客を分けたことはありません。観客を分けることは、自分の可能性を制限してしまうことになる。
また、作家主義に基づいた映画と、観客を主眼とした商業的な映画というものを分ける必要もない。あらゆる方向性で自由でいたいと思っています」
エミール監督は丁寧に質問に応じながら、けしてどこまでも閉じた答えをする人物ではありませんでした。
「アスラン三部作」を締めくくった『ザ・リバー』のテーマであり、一過性のあるキーワードは“解放”です。
解放とは、身体や心の縛りや制限を取り払って自由になることです。
それはこのように考えられるかもしれません。
映画制作や映画鑑賞において、国籍や宗教、あるいは民族が観客であろうとも可能性を限定せずに、想像力や思考を“解放”することが映画(アート)だとエミール監督が信じているのではないでしょうか。