1987年.翌年にオリンピック開催を控える韓国で、拷問により一人の大学生が死んだ…。
国民が独裁国家と闘った韓国民主化闘争の実話を映画化!
韓国映画『1987、ある闘いの真実』をご紹介します。
映画『1987、ある闘いの真実』の作品情報
【公開】
2018年(韓国映画)
【原題】
1987: When the Day Comes
【監督】
チャン・ジュナン
【キャスト】
キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、キム・テリ、ソル・ギョング、パク・ヒスン、イ・ヒジュン、カン・ドンウォン、ヨ・ジング
【作品概要】
1987年 1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。警察に連行されたソウル大学の学生が取調べ中に命を落としてしまう。
隠蔽しようとする権力側に反旗を翻す検事、事実を報道しようとする新聞記者たちにより、事件は徐々に国民の知るところとなり、韓国全土を巻き込む民主化闘争へと発展していく。
チャン・ジュナン監督が、1987年の民主化抗争を豪華キャストで正面から描いた社会派ドラマの大傑作。第54回百想芸術大賞4部門受賞。
映画『1987、ある闘いの真実』のあらすじとネタバレ
1987年1月14日。全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。
南営洞(ナミョンドン)・対共分室に一台の救急車が到着しました。
医師が通された場所には裸の男性が横たわっており既に死亡していました。しかし、刑事のチョ・ハンギョンは「生き返らせろ」と命じ、医師は強心剤を打つなど、懸命に蘇生させようとしますが、かないません。
知らせを受けたパク所長は今夜中に火葬を行うよう命令します。
パク所長の部下からサインをしてくれと手渡された火葬同意書を見て、ソウル地検公安部長のチェ検事は不信に思います。「父親は対面済みなのか?」亡くなったのはソウル大学の学生パク・ジョンチョルでした。
警察の拷問により死亡したに違いないと判断したチェ検事は押印を拒否。上から脅しに似た圧力をかけられますが、法律で定められた通り解剖を行ってから火葬すると決定します。
「パク所長に楯突いて生き残ったものはいないぞ」と嘆く上司に「だからこそきちんとやるんです」とチェ検事は告げるのでした。
翌朝、ハンニャン大学病院に呼び出されたジョンチョルの家族は、霊安室に飾られた息子の遺影を見て、驚愕し、悲鳴を上げました。
チェ検事を慕う後輩検事は、ネタ探しに回ってきた中央日報の記者にソウル大生の死をさりげなくリークし、それは記事となって新聞に掲載されます。
中央日報の編集部には「報道指針」を破ったと軍人がやってきて、暴力を奮っていました。編集長は記事を書いた記者にしばらく身を隠すよう告げます。
新聞のスクープを受けて、治安本部のカン本部長は会見を開き、拷問はなかったと発表。パク所長は「机を叩くとウっと倒れた」というふざけた説明を平然と言ってのけました。
「医者のお墨付きですから」というカン本部長の言葉に、東亜日報の記者、ユン・サンサムは医師の名前を質問。本部長がオ・ユンサン医師の名前を出した途端、記者たちは席を立ち、出ていきました。
「まずかったな」と呟くカン本部長の横で、パク所長は部下に指令を飛ばします。
詰めかけた記者たちに医師は。現場は南営洞・対共分室で、遺体は濡れていたと説明。
なおも突っ込んで質問する記者の中に刑事が紛れ込んでおり、刑事は背広をめくって銃を医師に見せました。医師は途端にしどろもどろになり、記者たちもそれ以上追求することができなくなってしまいました。
ジョンチョルの司法解剖が始まろうとしていましたが、刑事たちがやってきて、医師や付添いの検事らを妨害。また、ジョンチョルの家族は外に引きずり出されてしまいます。
チェ検事は、パク所長に電話し、「対共なら何をやってもいいのか!」と怒鳴りつけます。
パク所長と対面したチェ検事は身内が『NEWS WEEK』のアメリカ人記者と結婚したことを告げ、来年開催するソウルオリンピックにケチをつけたくないでしょ?と迫ります。
「好きに噛つけ。どうせ何も変わらん」とパク所長は応えるのでした。
サンサム記者は他の記者が去ったあとも病院のトイレに隠れて残り、トイレにやってきた医師をつかまえて、診察時、床が水浸しだったこと、肺からは水疱音が出ていたことを聞き出します。
水攻めによる拷問致死であると確信したサンサム記者は編集長に訴え、編集長は決断します。「拷問根絶キャンペーンをはるぞ! 真実を書け!」
司法解剖が行われ、一人立ち会いを認められたジョンチョルの叔父は記者たちに向かって「警察が殺しました!」と泣き叫び、騒然となります。
ジョンチョルの遺体はすぐに火葬に付されます。軍隊が出動し、記者たちは取材を拒まれます。
家族の手によって、遺灰は川にまかれましたが、氷の上に積もってしまいます。父親は冷たい川の中に入り、「ここにいちゃだめだ。ちゃんと行っておくれ」と遺灰を水に流してやるのでした。
解剖した医師は「拷問による窒息死」と結論づけますが、カン本部長は「心臓麻痺」と書けと迫ります。しかし、医師は拒否します。
それでもカン本部長は、会見で「暴力行為は一切なかった」と発表。
公安部職を解かれたチェ検事のもとにサンサム記者がやってきます。チェ検事はわざと資料を記者の目にとまる場所に置いて立ち去りました。
それは解剖報告が書かれた資料でした。
翌朝、東亜日報はソウル大生の死が拷問致死であることを一面で扱い、世間を騒然とさせます。全斗煥大統領による長年の軍事政権への不満が、怒りへと変わっていく瞬間でした。
拷問致死の罪状でチョン・ハンギョンとカン・ジンギュという二人の刑事が治安本部に逮捕されました。世間の批判をかわすため、大統領府が命令したのです。
拷問に関わった5人の刑事のうち、逮捕された二人は実際の関わりが少なく、理不尽だと抗議しますが、パク所長は拷問致死を過失致死に変更させてやるからと言い、納得させます。
彼らは永登浦(ヨンドゥボ)刑務所に収監されました。ここには1986年5月の「仁川事態」で逮捕された東亜新聞の記者イ・ブヨンも収監されていました。
看守のハン・ビョンヨンは密かに民主化運動に身を投じ、刑務所で得た情報をこの記者に文章にしてもらい、それを民主化活動家のキム・ジョンナムに渡すという役目を担っていました。
しかし、街では大きな通りのあちこちに警察が立って検問しており、ビョンヨンはいつも呼び止められてしまうため、危険の多い役目でした。
彼は父親代わりとして可愛がっている姪のヨニにしばしば使いを頼んでいました。ヨニは叔父がこのような行動をしていることをよく思っていませんでした。叔父の身に危険が及ぶのではないかと恐れていたのです。
今度が最後だという条件で、ヨニは寺に潜伏しているキム・ジョンナムに文章が仕込まれた雑誌を渡しました。
キム・ジョンナムは、同じ活動家のハム神父に「我々に残された武器は真実だけです。拷問した人物、関与した人物、全ての名前を明らかにします。その真実が現政権を倒すのです」と決意を語るのでした。
収監されているカン・ジンギュの家族が面会にやってきました。父親は「お前をこんな鬼畜に育てた覚えはないぞ」と怒りをぶつけました。
カン・ジンギュは涙ながらに「悔しいよ。こんなの理不尽だ。僕は応援を頼まれて、足を持っただけで殺していない」と訴えます。
それを聞いて、彼の家族も記録をつける保安係長のアン・ユも仰天の表情を浮かべました。そこに刑事たちがなだれ込んできて、カン・ジンギュは連れて行かれました。
現場にいたパク係長はアン・ユがつけていた記録を破り、「今後一切記録はつけるな」と恫喝しました。
ヨニは大学の友人と初めての合コンに出向くため、街の中心街にやってきました。ところが、そこで学生のデモが急遽はじまりました。
関係ないと帰ろうとしたヨニでしたが、催涙弾が打ち込まれ、人々が右往左往する中、警察は学生を捕まえ、殴る蹴るの暴行を加え始めました。
ヨニも警官に追われ、逃げ惑っていると、一人の男性が彼女のもとに駆け寄り、彼女を救ってくれました。イ・ハニョルという大学生でした。
ヨニは大学で、イ・ハニョルが所属している漫画サークルの上映会に誘われ、参加しますが、そこで上映されたのは光州事件のドキュメンタリーでした。
次々と人々が倒れる映像を目にしてヨニは部屋を飛び出してしまいます。
後日、訪ねてきたイ・ハニョルに、「デモなんてしても何も変わらない。その日なんてこないわ! 目を覚ますことね」と言いますが、彼は「僕だってそうしたい。でも……できないんだ。とても胸が痛くて」と応えるのでした。
その頃、担当刑事に取り調べを受けていたチョン・ハンギョンが「どうせ過失致死なんだから、簡単にすませましょう」と言うと、刑事は怒鳴り出しました。
「過失? 何言ってるんだ。拷問致死で取り調べているんだ。ちゃんと供述しないのなら15年ぶち込むぞ!」
罪状変更はなされていなかったのです。チョン・ハンギョンは漸く自分が尻尾切りにあったことを悟るのでした。
パク所長は上司に罪状変更を願い出ますが、やっと世間を納得させたのに今更無理だと断られます。
彼は、捕まった二人に一億円が振り込まれた通帳を見せますが、チョン・ハンギョンは「これで10年我慢しろと?もう何も信じません。何が愛国だ! とっとと出してください」と抗議します。
パク所長は彼の妻と娘を川に沈めよう、脱南したことにすればよい。何度もやっただろう?と脅し、彼を黙らせました。
アン・ユ係長は、「規則を守ってください!」とパク所長に抗議しますが、部下に暴行されてしまいます。
パク所長のもとに大統領の側近から「閣下はキム・ジョンナムの逮捕を望んでおられる」と電話がかかってきます。民主化運動家の彼が実は北のスパイだったということにすれば、国民は大人しくなるだろうと。
脱北者で、共産思想を憎むパク所長もキム・ジョンナム逮捕は念願の事案でした。「我々に楯突くものは全てアカだ!全力を上げて逮捕しろ」と命じるのでした。
映画『1987、ある闘いの真実』の感想と評価
これまでも韓国映画はしばしば、現代史に焦点をあて、骨太の社会派エンターテイメントを制作してきましたが、本作『1987、ある闘いの真実』は決定版とも呼ぶべき重厚な作品に仕上がっています。
出演者も、キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、キム・テリ、ソル・ギョング、パク・ヒスン、イ・ヒジュン、カン・ドンウォンら、錚々たる役者が名を連ねています。
オールスター映画といえば一般的には顔見世の意味合いが大きくカメオ出演の人も何人かいるのだろうなんて思っていたら大間違い。
一人一人が非常に重要な役を演じ、誰にも見せ場があり、だからこそ、この出演者でなければならなかったのだと納得させられました。
軍事政権による独裁・恐怖政治の中で、自身の仕事に真面目に取り組み、暴走や横暴を許すまじと振り絞った市井の人々の勇気が、まるでリレーのようにつながっていく。
もし、火葬許可のハンコを押す検事が彼でなかったなら、医師が脅しに負けて「心臓麻痺」と書き込んでいたら、記者が機転を聞かせて医師に直接取材をしなかったら、新聞社の編集長やその上の幹部が、政府のしめつけに怯えてスクープの掲載をとりやめていたら、学生たちが継続的にデモを繰り返していなかったなら…。
ちょっとした行き違いや偶然などで、簡単に切れてしまうだろう細い勇気の糸が、奇跡のようにつながっていく様がスピーディーな演出のもと、圧巻の迫力で展開していきます。
司法解剖を巡り、キム・ユンソクとハ・ジョンウが対峙する場面は、二人が共演したナ・ホンジン監督の『チェイサー』(2008)、『哀しき獣』(2010)を否が応でも思い出させ、韓国ノワールの雰囲気を極めてクールに醸し出していてゾクゾクさせられます。
また、ソル・ギョング扮する民主化運動家が、教会を上に、上に逃走する姿は、ヒッチコックの『めまい』の終盤を思わせ、その後の展開も、ヒッチコックタッチでハラハラさせられます。
とりわけ、キム・ユンソクがステンドグラスの向こうに、揺れているソル・ギョングの足を発見する場面のスリルとサスペンスといったら!
さらに、どんなに深刻で、恐ろしい物語でも、そこに笑いの要素が盛り込まれるのは韓国映画では珍しいことではありませんが、本作でもデモに巻き込まれたキム・テリ扮するヨニが、カン・ドンウォン扮する大学生に助けられ、さらに靴屋のおばさんに匿われるシーンで、大笑いさせられました。
このキム・テリ扮する女子大生は、デモなどの民主化運動に懐疑的です。多くの大学生がデモに参加する中、こうした学生も少なくなかったと思われます。
「デモなんかして何が変わるの?」とデモをする学生を冷ややかに眺めていた市民も少なくなかったでしょう。
1980年に起こった光州事件を描き、今年日本でも大ヒットした『タクシー運転手 約束は海を超えて』(2017)の主役であるソン・ガンホのキャラクターもまさにそのような人物でした。
韓国は住みやすい良い国だと肯定し、デモなどにうつつを抜かしおってと学生を非難の目で見ていました。映画はそんな彼が実際に光州に入り、信じられない光景を目にして、驚き、変わっていく姿を丹念に描いていました。
『1987、ある闘いの真実』では、その役割をキム・テリが担っています。彼女は決して軍事政権を肯定しているわけではありません。ですが、何をやっても変えることなどできないと諦めてしまっているのです。
そんな彼女が、ラストに見せる行動は、観るものの胸をうちます。一言も話さず、ただひたすら走っていく彼女を観ている私たちも、観ることで共に走るのです!
教会での攻防と、その後に続く、真相の暴露から、新たな犠牲者が出てしまう。そしてキム・テリを始め、これまで沈黙を守っていた人々がついに立ち上がり拳を振り上げる!
「護憲撤廃、独裁打倒!」への強い強い思いが沸点へと達するフィルムのエモーショナルな高まりに感極まらずにはいられませんでした。
『1987、ある闘いの真実』とてつもない傑作です!
まとめ
『ファイ 悪魔に育てられた少年』(2013)などの作品で知られるチャン・ジュナン監督は朴槿恵(パク・クネ)政権真っ只中、秘密裏に本作の準備を進めていました。
政府の意にそぐわないコンテンツには弾圧が行われていたそうで、秘密裏に進めなければならなかったのです。
完成した映画は「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」事件で朴槿恵が弾劾訴追された直後に公開されました。
「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」事件は当初、朴槿恵自身もその周囲も逃げ切れると判断していたようです。野党に力がなかったからです。しかし、国民が逃げ切ることを許しませんでした。
これも市民、自らが、かつて民主主義を勝ち取ったという経験と誇りがものをいったのだと思います。映画で描かれた精神と重なって見えてきます。
朴槿恵政権が終わらず続いていたら、この映画も日の目をみず、制作陣には圧力がかけられたかもしれません。人々の勇気が映画と重なります。
日本に住む私たちこそ、今観るべき映画といえるでしょう。
それにしても韓国映画は、内容の重い、テーマのある社会派映画も、見事なエンターティンメントに仕上げてくるものが多く感心させられます。
毎回脱帽せずにはいられません。