映画『おててつないで』で“監督・主演+24役”を務めた俳優・菅原雪インタビューの素顔とは?
映画『おててつないで』は、2026年1月24日(土)より池袋シネマ・ロサにて1週間限定公開。
監督・主演の菅原雪が自らの父を介護した経験を基に、亡き父親と親子として過ごした時間を、大切な人に素直になれなかった後悔を、どこかシュールな笑いで紡いだいびつな親子の物語として、映画『おててつないで』は制作されました。

(C)出町光識
監督・主演に加えて“24役”もの役職をこなした映画『おててつないで』で劇場公開デビューを果たした菅原雪とは、どのような人物なのでしょうか。
本作の劇場公開を記念して、俳優としての遍歴、監督としての思い、ひいては菅原監督自身がなぜ父親と映画を通じて向き合ったのかなど、貴重な創作の秘密にせまります。
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あの日の私はなぜ“演じた”のか?

(C)出町光識
──俳優に興味を持たれたのは、いつの頃からでしょう。
菅原雪(以下、菅原):俳優になろうと思ったきっかけは、子どもの頃から安達祐実さんの『聖龍伝説 LEGEND of St. DRAGON』(1996)や『ガラスの仮面』(1997)などのテレビドラマを観るのが好きだったのが一つ。もう一つは小学4年生の頃、警察官の方から聞き込みを受けたことですね。
大人でもなかなか警察官の方と喋る機会なんてない状況で、当時の私は子ども心にとても緊張してしまいました。そして沢山の質問を受けるうちに、何故かは分からないのですが「私は子どもだから、今は泣いた方がいいんじゃないか」と思って、泣き真似をしたんです。
おそらく警察官の方には見抜かれていたと思うんですが「どうして当時の私は、泣き真似をしたんだろう」という疑問がずっと残り、「日常生活の中でお芝居をした」という事実に興味を持ったことが、演技という行為や俳優という存在を意識し始めた要因かもしれません。
学芸会で演じた『はだしのゲン』の母
【映画『おててつないで』場面写真より】

(C)映画『おててつないで』
──とても象徴的な逸話ですね。その他にも、「演技」にまつわる子どもの頃の記憶はございますか。
菅原:家の中で『美少女戦士セーラームーン』のごっこ遊びもしてましたね。どちらかといえばインドア派なので、一人の時はレゴブロックで遊んだり、友だちと一緒にマンガを読むのが好きでした。
小学校の学芸会も好きでしたね。6年生の時の記憶が一番心象深く、劇の演目は『はだしのゲン』で、主人公のゲンの母親である中岡君江という芯の強い女性を演じました。
──原作漫画は子どもの頃に学級文庫で読んだことがありますが、かなり難しい役ではないでしょうか。
菅原:原爆の猛火のもとで、末娘・友子を産む場面も演じましたね。劇は友子の出産を経てゲンをはじめとする子どもたちに、広島の惨状を見せるという展開でしたが、私の演じた役をお母さんたちが真剣な眼差しで観て泣いてくれたんです。お芝居は、こんなにも他人を強く感動させることができるんだ」と感じられた思い出深い体験でした。
学芸会という舞台上で演じたことや、警察官の方からの聞き込みという通常なら演じる必要はない場所で演じたこと。そうした「演技」の記憶の積み重ねが、俳優になりたいという気持ちを高めていったんだと思います。
──「おまわりさんの前で泣いた方がいいのでは」「お母さんたちにどう演技を見せよう」など、演じる役柄以外に客観的な目線を持っていたのは面白いですね。
俳優業と父の介護、残したい記憶

(C)出町光識
──ご家族には、お芝居が好きなことや「俳優になりたい」という思いを話されていましたか。
菅原:母は小学4年生の時に他界していて、父が亡くなるまでは弟も含めて実家で3人暮らしだったんですが、家族には私が俳優としてお芝居をやっていることは、特に公言はしていませんでした。それでも中学生の頃からオーディション雑誌を読んでは応募し、オーディション結果の郵便物も家に届いていたので、父も弟もどこかのタイミングで察していたとは思うんですが、何か気恥ずかしくて……(笑)。
その後、それまでのオーディションを兼ねたようなワークショップではなく、ある演劇ワークショップに参加した際に「論理的に演技を考える」という学びの機会を得たことで、お芝居にさらにのめり込むようになりました。知り合いがいない団体のオーディションを積極的に受けたり、俳優を続けることにやる気になっていた頃、父が亡くなりました。
映画『おててつないで』場面写真より

(C)映画『おててつないで』
──俳優活動と並行して、お父様の介護もされていたのですね。
菅原:『おててつないで』で描かれていた「父が亡くなる前に自宅介護の状態になる」というシチュエーションは、私の実体験に基づいています。ただ「介護にまつわる物語」というと苦しく大変な生活として描写されることが多いですが、そうした日常の中でもどこか笑えてしまう出来事もあって、漠然と「このシチュエーションは、きっと演じてみたら面白いだろうな」「いつか映画にしてみたいな」と思う時がありました。
やがてコロナ禍で俳優としての出演機会が減り、俳優活動における空き時間が増えていく中で、「それなら出演機会を私自身で作ればいい」「もし映画を撮るなら、何を描こう」と考えた時、真っ先に亡き父との介護生活のことを思い出したんです。
父が存命だった頃は、さすがに介護状態にある父のことを題材に映画を撮るのは申し訳ない気がしていました。もちろん「亡くなった今ならいい」というわけでもないですが、私自身が覚えていたい父との記憶を何らかの形で残しておきたかったのが大きいですね。
いつの間にか変わっていた「おてて」

(C)出町光識
──今は亡きお父様と手をつないだ記憶はございますか。
菅原:介護生活の時は、毎日のように手を繋いでいましたね。映画と同じように退院の日などに手を貸したり、自宅内を歩行する時にも、まだ介助用の杖などの準備ができていなかった時期には家の中でもたびたび手を貸していました。
──大人になってからだと、親と手をつなぐ機会はそれほど多くないですよね。
菅原:確かに介護がなければ、手をつなぐ機会はなかったかもしれません。子どもの時には父と手をつないだことも多分あったと思うんですが、あまりはっきりとは覚えていないですね。
また映画制作の企画を進めていくうちに、『おててつないで』の「おてて」は、昔は幼かった頃の私の手のことで、その「おてて」を父の手がつないでいたんだと気づきました。そして、介護生活の日々で握っていた晩年の父の手が、いつの間にか「おてて」側になっていたことも。そうした年月を経ての父と子の関係の変化も、映画を通じて改めて実感しましたね。
インタビュー・撮影/出町光識
監修/河合のび
菅原雪プロフィール

(C)出町光識
1988年生まれ、東京都出身。高校卒業後から、俳優としてさまざまな自主映画や小劇場演劇に出演。持ち前の幸の薄さで、不幸な役を演じることが多い。同年齢の6人が集まって映像演劇創作団体『88生まれの女たち』を2017年に結成。2025年第69回岸田國士戯曲賞を受賞した安藤奎が主宰の『劇団アンパサンド』に2021年に加入。
近年は出演だけに留まらず、自主映画の撮影・編集・録音・整音なども行っている。これからバリアフリー日本語字幕とバリアフリー日本語音声ガイドの制作にも携わりたいと考えている。
初監督作である本作は、第26回TAMA NEW WAVE ある視点部門に入選。映画出演作は『よく晴れた日のこと』(伊藤智之監督)『愛の茶番』(江本純子監督)など。また製作も兼任した『話したりない夜の果て Days gone by』(上村奈帆監督)が2025年11月15日〜池袋シネマ・ロサにて公開された。
映画『おててつないで』の作品情報
映画『おててつないで』予告編
【日本公開】
2026年(日本映画)
【監督・脚本・製作・撮影・録音・照明・編集・音響効果・整音・美術・小道具・フード・ボルダリング監修・車両・画コンテ・グレーディング・メイキング・予告編・プロデュース・企画・原作・キャスティング・制作・配給・宣伝協力】
菅原雪
【キャスト】
金子清文、菅原雪、黒澤多生、用松亮、つちやりさ、木村もえ
映画『おててつないで』のあらすじ

(C)おててつないで
須永義久(金子清文)は、看護助手の仕事をしながら娘の唯(菅原雪)と暮らしています。
唯は31歳になっても未だ反抗期のような冷たい態度で義久に接しており、家族仲はあまり良くないのですが、実家に甘えていました。
ある日、義久は職場で失態を犯しクビになってしまいます。
唯はその話を聞いても楽観的に捉えていましたが、義久の状況は逼迫しています。
ずっと一緒に暮らしてきたのに、お互いのことをほとんど何も知らなかった……義久はついに、自分の秘密を唯に打ち明けました。
ふたりの生活は、変わらざるを得なくなり……。































