夫婦のひび割れた関係性が次第に暴かれていくヒューマンサスペンス
『愛欲のセラピー』(2019)のジュスティーヌ・トリエ監督による自身長編第4作目となるヒューマンサスペンス。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で、女性監督による史上3作目の最高賞・パルムドールを受賞しました。
第96回アカデミー賞でも作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した傑作です。主演を『愛欲のセラピー』(2019)でもトリエ監督とタッグを組んだサンドラ・ヒュラーが務めます。
雪山の山荘で転落死した父を見つけた目の見えない息子。その妻・サンドラは夫を殺した疑惑をかけられ、やがて夫婦のあいだの秘密や嘘が法廷で暴かれていきます。
それぞれの抱える真実が明らかとなっていくさまから目が離せなくなる傑作の魅力をご紹介します。
映画『落下の解剖学』の作品情報
【公開】
2024年(フランス映画)
【監督】
ジュスティーヌ・トリエ
【脚本】
ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
【編集】
ロラン・セネシャル
【キャスト】
サンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ、サミュエル・セイス、ジェニー・ベス、サーディア・ベンタイプ、カミーユ・ラザフォード、アン・ロトジェ、ソフィ・フィリエール
【作品概要】
これが長編4作目となる『愛欲のセラピー』(2019)のジュスティーヌ・トリエ監督によるヒューマンサスペンス。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞しました。
脚本はフラー監督と、そのパートナーであるアルチュール・アラリが務めます。主演はドイツ出身のサンドラ・ヒュラー。第96回アカデミー賞でも作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞しました。
視覚障がいをもつ少年以外は誰も居合わせていなかった雪山の山荘で起きた転落事故。死亡した夫と夫殺しの疑惑をかけられた妻の間の秘密や嘘が暴かれていき、登場人物の数だけ真実が表れていきます。
出演はサンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ。
映画『落下の解剖学』のあらすじとネタバレ
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年・ダニエルが、血を流して倒れていた父親・サミュエルを発見しました。息子の悲鳴を聞いた母親・サンドラが救助を要請しますが、サミュエルはすでに息絶えていました。
当初は転落死と思われましたが、サミュエルの頭部の殴打の跡など不審な点が多く見つかります。前日にした夫婦ゲンカの録音をサミュエルが残していたことから、ベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられました。
ダニエルに対して必死に自らの無罪を主張するサンドラ。しかし、法廷で事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていきます。
映画『落下の解剖学』の感想と評価
浮き彫りとなるいくつもの真実
夫の転落死により、夫婦の間に隠されていた関係性が、まさに「解剖」されるかのように明らかにされていく、胸がキリキリと痛む心理サスペンスです。人が一人死ぬということの重みを、何度も感じさせられます。
ある日、雪山の山荘の屋根裏部屋から転落死したサミュエルを見つけた息子のダニエルと妻のサンドラ。当初は事故とみられていましたが、不審な点がみつかり、前日に激しい夫婦げんかがあったことが判明したことから、サンドラは夫殺しの容疑をかけられます。
法廷で真実を明かすために、容赦なく夫婦の隠されていた関係が剥き出しにされていく様に戦慄を覚えます。サミュエルが隠し撮りしていた夫婦げんかの録音は、サンドラを、そしてダニエルを追い詰めていきました。
サミュエルのミスによって、ダニエルが事故によって視力を失ったことで、夫婦の間には大きな溝が出来ていました。サミュエルは自責の念に押しつぶされそうになっており、サンドラも夫を責めずにはいられなかったのです。
サミュエルはサンドラの不倫を責め、自分だけにダニエルの教育や家事を押しつけるサンドラに強く反発します。一方のサンドラは、経済的な苦境からサミュエルの故郷であるフランスの雪山に住むようになったことに強い不満を抱いていました。
夫婦はそれぞれに深い苦しみを抱いていました。事実は一つでも、各々にとっての真実は違っていたのです。
サンドラの不倫の裏にはサミュエルとセックスレスとなった寂しさがあり、サミュエルは息子の視力を奪った負い目から、ダニエルを守るために過度の緊張を強いられていたのです。
また、ドイツ人のサンドラと、フランス人のサミュエルが、半ば妥協のような形で英語で会話していることも、二人の間の亀裂をさらに深くしていきました。
前日のケンカの様子から、夫婦の会話が平行線でまったくかみ合わない様が伝わってきます。性格や考え方の違いに加えて、互いの言語が異なることも大きな一因だったに違いありません。
フランス語が得意ではないサンドラにとって、フランス暮らしは苦しみでしかなく、法廷でもフランス語で話すことを強いられ、心理的に追い詰められていきます。
サンドラはダニエルの証言により無罪を勝ち取りました。しかし、喜びながらも彼女は傷つき涙を流します。サミュエルは自殺したのかもしれませんが、それでも死に追い詰めたのは自分だという重い自責の念をサンドラは一生抱いていかねばなりません。
ダニエルを守って生きていくという思い責任も、サンドラがこれからは一人で背負っていくこととなりますが、少年の成長により、むしろサンドラは守られることが増えていくのかもしれません。
少年ダニエルの決心
本作で大きな役割を果たすのが、視覚障害を持つ少年ダニエルです。父親の遺体を発見した少年は深い悲嘆に暮れます。しかし、やがて父を殺した嫌疑を母親がかけられるという、とてつもない苦労を負うこととなりました。
判事から法廷に来ないようにとアドバイスされてもダニエルは断り、自身の耳で聞き届けると答えます。そして、最後に大切な証言をすると伝えるのです。
法廷で、父親が錠剤を吐いた事実を初めて知ったダニエルは、愛犬のスヌープがその錠剤をなめてしまった事実に気づきました。
その時の記憶から父の言った「いつかいなくなる日がくることを覚悟しておけ」という言葉を思い出したダニエルは、スヌープになぞらえて、父は自分のことを言ったことに気づきます。
ダニエルの最大の苦悩は、母が果たして犯人なのかどうかということにありました。
悩んだ末に、ダニエルは母を信じることを決心します。そしてその決心によって、大量のアスピリンを父に飲ませる理由が、母にはないことに気づくのです。つまり、飲んだのは父の意志なのだと。
ダニエルの強い心によって、母サンドラは救われ、無罪を勝ち取ります。しかし、ダニエルは父と母の本当の関係や、自分をめぐる父の苦しみを知ってしまいました。
多くの傷により大人になった少年の姿は、母を守っていく希望を感じさせます。
まとめ
薄皮を剥がすように、嘘と秘密が次々に暴かれていく様を見せつけられる圧巻のヒューマンサスペンス『落下の解剖学』。
転落死の真実を明かすために、息子の障害という大きな傷を抱えた夫婦の秘密が法廷で無情にもさらされていきます。仕方がないでは済まないほど、ボロボロにされていく残された妻とその息子。それでも手を取り合って前へと進んで行こうとする二人の姿に胸打たれることでしょう。
人間の心理をどこまでも深く掘り下げて映し出すトリエ監督の手腕に圧倒され、今後の彼女の作品への期待が高まります。