IS(過激派組織ISILの別名)との戦闘により、瓦礫と化したシリア北部の街コバニで、手作りのラジオ局を始める大学生のディバロン。
自身も同じクルド人であるラベー・ドスキー監督が彼女の存在を知り、地雷や戦車を越えコバニに赴き戦地での撮影を敢行。
戦闘真只中の2014年から復興の光が差し込むまでのカメラが追った3年間、どんな時もラジオから聞こえて来たのは、彼女の「おはようコバニ」という命を支え合う希望の光でした。
映画『ラジオ・コバニ』の作品情報
【公開】
2018年(オランダ映画)
【原題】
Radio Koban
【脚本・監督】
ラベー・ドスキー
【キャスト】
ディロバン・キコ
【作品概要】
一角トルコ国境に近いシリア北部にクルド人街・コバニがあります。2014年9月から過激派組織ISの占領下となりましたがクルド人民防衛隊(YPC)による激しい迎撃と連合軍の空爆支援により、2015年1月に解放されました。
多くの人々、とりわけ女性と子どもが多くコバニに戻ってきましたが、コバニの街は数ヶ月の戦闘で色の無い瓦礫の街へと変貌していました。
そんな中20歳の大学生ディロバンは友人とラジオ局を立ち上げ、ISと戦うクルド女性司令官や詩人、そして難民キャンプで暮らす親子などの声が街に響きます。
ラジオから聞こえる彼女の「おはようコバニ」が、今日も世界の街に復興の息吹を、希望の光を届けてくれる映画です。
映画『ラジオ・コバニ』のあらすじとネタバレ
戦闘が続き街が瓦礫と化す中、夥しい灰色の瓦礫と死体が散らばる廃墟の内部にマイクとパソコンがおかれています。
窓から灰色の街を眺めながら、ある女性が「おはようコバニ」と放送を始めます。コバニの曲が流れ、女性のDJの声が聞こえます。
彼女はコバニの大学生ディロバン・キコ、戦争が始まると大学に行くことが出来ず、トルコに一時避難していました。
ディロバンは正確な情報を求め、また自分の父と兄がコバニの街を守るために戦っていたので、再びこの地に戻りラジオ局を始めました。
コバニの未来の子どものために残した詩がモノローグとなります。
「未来のわが子へ」
あなたはまだいない
でもあなたのために 語りましょう
ラジオ・コバニの話を
いつか生まれる子に伝えたい未来のわが子へ
ラジオ・コバニの話をしましょう
これは私の街 コバニの物語
私とあなたと多くの人たちの物語です
瓦礫の街に死体なのか分からないほどの廃墟、その中を裸足の子どもが走っていきます。
目の虚ろな人々、先頭に向かう兵士たち。
私は小さな家で育ちました
暮らしはシンプル
礼儀正しい父は皆に“紳士”と呼ばれ
母は主婦でした
コバニで12年学校に通い
学位を取ってアレッポ大学に進学
大学は母と私の夢でした 専攻は社会学
でも戦争で夢は破れたのです
ディロバンの家の中では、優しそうで目で全てを物語っているような母親。彼女がディロバンに話しかけ、「フェィスブック?」と問いかけます。
「正しい情報が欲しいの。友達のお兄さんからどこで戦っているか連絡が入るの。」と、ディロバンは真剣に携帯電話を見つめています。
灰色の街に「おはよう コバニ」の彼女の声が響く。廃墟のあちこちに蹲る人、瓦礫の山。
ラジオ局で一人の女性戦士がディロバンに話しています。クルド人の女性司令官でした。
彼女は不利な情勢ながらも、連合軍との空爆が功を奏していることを話し、コバニを守ることを熱く語っていました。
ディロバンのモノローグナレーションが続きます。
空には雲が垂れ込めています
2014年9月15日 テロリストが私たちを襲い
イスラムの名の下に若者を斬首しました
そして汚い手をのばし
娘たちを捕らえ 売り飛ばしたのです
彼らはなぜ来たのか
何がほしかったのか
コバニの街が空爆されてしまいます。クルド人兵士が攻めていく中、あちこちで銃声の音と叫び。
大勢が家を追われ 私たち一家もコバニから逃げて
クルディスタンの北部の街リハへ
父と兄は街を守るために 残りました
クルド兵士に捕まったISの兵士が座っています。「なぜあなたはISの兵士になったの?」女性のクルド指揮官が尋ねます。
お金がなかったから仕方がなかったと彼は答えました。
お金がなかったら人殺しをするのかと再び聞かれ、黙ってしまうIS兵士。
「一番今したいことは?」と再び聞かれ、彼は泣き崩れました。
「家族に会いたい・・・」
戦争に勝者などいません
どちらの敗者です戻ってきても街の半分は
占領されていました
やがて一部が解放され
私はラジオを始めたのです
国境に多くの人が集まっています。
一人の男性が鉄のドアを開けようとして止められ「妻を迎えに行くだけだ」と言い、待ちきれない男性がどんどん進んで行く中、女性と子ども達がドアを開けてやってきます。
帰途につく家族は吸い込まれるかのように廃墟の街へ戻っていきます。
『そして今日、街は解放されました』
映画『ラジオ・コバニ』の感想と評価
“この映画はもはや映画ではない”
本作品の冒頭の瓦礫と化したコバニの街の映像を観て、誰しもがそんな衝撃を感じるのではないのでしょうか。
映像に言葉は要らないと思わせる中、主人公であるディロバンの語りが、あまりにも切なく心に染み込んできます。
そこで初めてこの映画の本当に伝えたいことが見えてきます。
彼女は大学生までコバニで、その国では慎ましくではありますが、家族と共に幸せに暮らしていた大学生でした。
ただし彼女の詩から『大学に行くことが母と自分の夢』と書かれてあるように、未だ女性が大学に進むことは難しかったように思われます。
その夢が叶って現代の学生と同じように好きな学問に勤しみ、友達と青春を謳歌しようとするまさに、その時、戦争が彼女から全てを奪っていきました。
戦後焦土と化した日本の映像や神戸の大震災、そしてフクシマなど。観るものによってこの映画は普段心の中の閉じ込めていた映像をフラッシュバックさせるほどのエネルギーを感じさせられました。
その中でディロバンの健気さや勇気、溢れる慈愛や逞しさに心を打たれていきます。
彼女をここまで突き動かしたものは、一体なんでしょうか。
監督の存在が彼女を通して浮かび上がってきます。
彼女がコバニを非難している間にもラベー・ドスキー監督は撮影カメラを自ら持ち、戦場に入っています。
有刺鉄線の貼られた国境にトルコ側から近づく度に、ラジオからディロバンの声が聞こえてきて衝撃を受けたそうです。
コバニの街で彼女を探し、彼女に出会った途端力強い物語が出来上がりました。
映画化する決意をし、ましてや、彼の姉はクルド人兵士としてトルコ兵士の手にかかり、命を落としていました。
ラベー監督はこの映画を世界への門と称し、コバニに映画館と映画学校を作るために基金を設立し、プロジェクトを考えています。
一方ディロバンは次世代の子ども達に夢や希望を届けるために教師として夢を追いかけています。
そのエネルギーの源は、“夢を持つこと、持てること”という、本作品は気がつかせてくれるはずです。
まとめ
「わが子へ あなたが喜びと共に生まれ 幸せにいられますように」
この詩の最後の3行が、映画のコバニの生まれくる子ども達だけではなく、世界の人々に届けたいメッセージだと感じます。
映画の中で敵や味方、罵り合ったり、責めあったり、憎しみあったりする場面は映し出されていません。
何も無くなった街で、少しずつでの必死に人間が生きて行く営みを追いかけて行くだけです。
その日々を静かにもがきながら生きている人々は、一縷の光がやってくることを信じている姿は、美しい。
ディロバンの声が本当に美しく響き渡る瞬間を感じに行きませんか。
あなたの心にもコバニの街が見えるかもしれません。