1998年に手がけた伝説の同名映画、オールフランスロケでリベンジリメイク
今回ご紹介する映画『蛇の道』は 『岸辺の旅』(2015)、『スパイの妻』(2020)の黒沢清監督が、1998年に手がけた同名映画をフランスに舞台を移してセルフリメイクしたサスペンス映画です。
8歳の娘を殺された父親の復讐に、フランス在住の日本人精神科医の女が手を貸し、犯人に迫っていく復讐劇をフランス語によるオールフランスロケで描きます。
1998年に哀川翔主演のVシネマとして制作されました。黒沢清監督は高橋洋の脚本を高く評価しており、リメイクの話があればもう一度撮り直し、劇場版として多くの人に観てもらいたいと切望していました。
黒沢監督はコメントで、1998年版は痛快アクションの要素が強い“復讐劇”だったのに対し、リメイク版の方は言葉では表現できない、“人間の不可解な感情”を丁寧に描いたと語ります。
映画『蛇の道』の作品情報
【公開】
2024年(フランス・日本・ベルギー・ルクセンブルグ合作映画)
【原題】
Le chemin du serpent
【監督・脚本】
黒沢清
【原案】
高橋洋
【キャスト】
柴咲コウ、ダミアン・ボナール、マチュー・アマルリック、グレゴワール・コラン、西島秀俊、ビマラ・ポンス、スリマヌ・ダジ、青木崇高
【作品概要】
幼い娘を殺された男の復讐を手助けをする、心療内科医の新島小夜子役には『どろろ』(2007)、『容疑者Xの献身』(2008)など話題作に出演、歌手としても活動する柴咲コウが務めます。
その娘を何者かに惨殺され失意の中、小夜子と一緒に犯人を追い復讐に燃える、アルベール・バシュレ役にはフランス映画『レ・ミゼラブル』(2020)で主演を務め、注目を集めたダミアン・ボナールが演じます。
他に『潜水服は蝶の夢を見る』(2007)の主演で、国際的知名度をあげたマチュー・アマルリック、カンヌ国際映画祭やゴールデングローブ賞で受賞作品『ドライブ・マイ・カー』(2021)の西島秀俊など実力派俳優が脇を固めます。
映画『蛇の道』のあらすじとネタバレ
高級アパルトマンが立ち並ぶパリの一角で日本人女性が、一軒のアパルトマンの入口をみつめ、離れた場所で落ち着きなく立つ男性の元に歩み寄ります。
男は女に「本当に奴で間違いないのか?」と不安げに聞きます。彼女は間違いないと断言しますが、睡眠不足で顔色の悪い彼に後日でもいいと言います。
アルベール・バシュレは愛娘のマリーを亡くしたばかりで、マリーがピアノを弾くホームビデオを観ながら、「もうすぐだ」とつぶやきました。
アパルトマンの入口に仕掛けておいた女性は、スマートフォンを回収し住人がオートロックを解除する様子を確認します。
彼女は車内で拳銃をみつめるアルベールに「ラヴァルはいる」と告げ、拳銃をしまうよう促し自分が先に行くと言うと彼は了承します。
女は確認した暗証番号でアパルトマンのエントランスにいると、ラヴァルと思しき男がエレベーターから降り、彼女に何か困りごとかと尋ねます。
何も答えずにいるとラヴァルは管理人に助けてもらうよう言って、出口に向かって歩きだしました。すると待機していたアルベールがスタンガンで襲いかかります。
2人は気絶したラヴァルを寝袋に入れ、運び出すと自動車のトランクに積み、人気のない廃倉庫に連れ込みます。
ラヴァルは混乱し抗議しますが、2人は彼を床と壁に固定された鎖に繋ぎます。そして、アルベールはラヴァルの目の前にテレビを運び、マリーのホームビデオを見せながら、彼女が発見された状況の記事を読み上げます。
アルベールはマリーはとある財団に拉致され、その財団関係者であったラヴァルが、娘の殺人に関与しているはずだと詰め寄ります。
しかし、ラヴァルは財団はすでに解散していて、自分は事務方で財団の詳細までは知らず、マリーのことも見覚えがなく、人違いだと訴えます。
アルベールは白を切るラヴァルに拳銃を突きつけますが、「時間はいくらでもある」と女は銃をとりあげます。
外に出た女にアルベールは「小夜子、ここまで来れたのも君のおかげだ」と感謝の言葉を言い、彼女は自転車で心療内科医として勤める病院へと向かいます。
その後、ラヴァルはトイレにも行かせてもらえず、小夜子が用意した食事も目の前でプレートごと料理をぶちまけられる仕打ちを受けます。
そんな状況が数日続いて、ラヴァルはふとアルベールが財団の会員だったことを思い出します。小夜子は重要なことを隠していたアルベールに不信を抱きます。
するとアルベールは、自分はジャーナリストで財団が組織する、児童福祉施設に人身売買の疑いがあり、潜入調査をするためだったと言います。
『蛇の道』の感想と評価
小夜子の完全復讐劇
娘が何故、惨い殺され方をしなければならなかったのか?そう思うのが親として普通の感覚で、警察の捜査が機能せず未解決のまま放置され続けた結果、自分で真犯人をあぶりだし“復讐”すると考え始めたのでしょう。
医療関係者の中で、財団の“闇”の噂は周知されていて、小夜子も認識していたとすれば、そこからリサーチをすすめていたとわかり、財団が撮影した映像を入手できたことも説明がつくでしょう。
小夜子が務める病院に、アルベールが通院していたのは偶然かもしれませんが、同僚の医師からアルベールが、マリーの父親であることも耳に入った可能性もあります。
アルベールは何故、小夜子がマリーの復讐に協力的なのか、あまり疑問に思っていません。そもそもアルベールは復讐にどこまで本気だったのか疑問も浮かびます。
例えば多くの所説で描かれた『忠臣蔵』の大石内蔵助は、浅野内匠頭の仇討を本当にしたかったのか?という仮説に似ていると感じました。家臣や世間的な感情に突き動かされた仮説です。
大石内蔵助のように、アルベールの復讐心は小夜子の暗示によって植えつけられたもので、本意でなかったという見方もできます。
小夜子と出会うまでは、幼い娘の命を奪われたただの可哀想な父親でいたかっただけかもしれません。
父親と母親の執念の違い
結末を知ると小夜子とアルベールは、共通の悲しみと怒りを抱えているのに、復讐に対する気持ちに“温度差”があると感じます。
アルベールは財団によって娘が殺された可能性を感じつつも、小夜子には組織の内偵のことや組織の上役と接点があったことなどを話していません。
自分がその財団と関わりを持ちながら、ジャーナリストとして“闇”を暴くことができず、娘の命が奪われた…そんな負い目があったからでしょう。
そのことに目を背けたい気持ちが、精神的なストレスになり心療内科に通うことになったと考えるのが自然です。
心療内科医だった小夜子は人の深層心理に迫ることに長けており、心理的に追いつめたり軽減することも可能です。
“マリーの復讐”だとアルベールをけしかけ、暗示をかけて怒りを増幅させます。小夜子は自分の娘の復讐のために、彼を操っていたのだとわかります。
拉致されたラヴァルは財団が行っている事業について、ほとんど把握しておらず、児童福祉サークルの闇の話も、想像の域を出ていませんでした。
しかし、アルベールにはその想像話が内偵していたことであり、マリーの死と直結していき、ゲランとラヴァルの作った“でっち上げ話”によって確証になっていきます。
小夜子の誘導で「噓から出た実」のごとく真相に迫りまさに「蛇の道」といえ、“蛇の道は蛇”、自分が知らない真実は、同じ組織の人間達の証言で暴かれていく…そのことを描いていました。
小夜子にとって重要な疑念は夫の宗一郎が、娘を財団に売ったのではないかということです。そこを暴くのが一番の狙いでした。
ラストシーンで、小夜子に問われた宗一郎の表情が硬直したのが印象に残り、また、そこから「何故?」が生まれます。
“蛇の道は蛇”であれば、宗一郎も財団のメンバーでローラのように娘を財団に提供し、財団の解散を機に逃げるように日本へ帰国したと推測できます。
小夜子の本当の復讐相手は、財団でもアルベールでもなく宗一郎でした。そこにたどり着くまでの過程で、関わった者達への復讐も成し遂げていったのでしょう。
まとめ
映画『蛇の道』は我が子を殺された父親が復讐を果たすため、精神科医の力を借り心理的な圧力で真犯人に迫るサスペンス映画でした。
子供の人身売買、臓器密売を匂わせる内容でもあり、「カリスマへの妄信」「男の不甲斐なさ」もこの作品から垣間見えます。
小夜子の患者、吉村はパリに馴染めず“パリ症候群”に陥りましたが、本来、パリへの憧れが強い女性が陥りやすい症状ともいわれており、本作ではメンタルが弱くなった男性象も描いたといえます。
映画『蛇の道』は「何故?」という疑問からはじまり、主となるアルベールよりもマリーと無関係な小夜子の狂気が印象強くなりはじめます。
しかし、宗一郎が登場したことで「小夜子にも…」という共通点を推理させ、納得感が沸きます。そして最後に「まさか」が待っているサスペンス映画でした。
黒沢監督が緻密に完成されていた脚本が、「Vシネマだけで陽の目を見ないのは忍びなかった…」と語った通り、主人公を女性(柴咲コウ)で、職業を心療内科医に変えたことで、大きな意味を持たせた作品に仕上げていました。