名匠フランソワ・トリュフォーの自伝的要素を含んだ傑作
フランス映画界の“ヌーベルバーグの旗手”となったフランソワ・トリュフォー監督。彼の長編デビュー作となるのが、『大人は判ってくれない』(1960)です。
トリュフォーが自伝的要素を込めて描いたアントワーヌ少年の彷徨を、ネタバレ有りで解説致します。
CONTENTS
映画『大人は判ってくれない』の作品情報
【日本公開】
1960年(フランス映画)
【原題】
Les Quatre Cents Coups(英題:The 400 Blows)
【監督・原案・脚本】
フランソワ・トリュフォー
【共同脚本】
マルセル・ムーシー
【助監督】
フィリップ・ド・ブロカ
【編集】
マリー=ジョゼフ・ヨヨット
【撮影】
アンリ・ドカエ
【音楽】
ジャン・コンスタンタン
【キャスト】
ジャン=ピエール・レオ、パトリック・オーフェイ、アルベール・レミー、クレール・モーリエ、ギイ・ドゥコンブル、ジョルジュ・フラマン、イボンヌ・クローディ、ロベール・ボーベー、クロード・マンサール
【作品概要】
フランスの名匠フランソワ・トリュフォーが27歳で発表した長編デビュー作。
12歳の少年アントワーヌを主人公に描いた自伝的要素の強い作品で、第12回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、一躍“ヌーベルバーグの旗手”として知られるようになりました。
後年、『カトマンズの男』(1964)、『リオの男』(1965)などのジャン=ポール・ベルモンド主演作を手がけたフィリップ・ド・ブロカが助監督として参加。
ジャン=ピエール・レオ演じるアントワーヌの成長を20年にわたって描いた続編も、4本制作されています。
映画『大人は判ってくれない』のあらすじとネタバレ
古くて手狭なアパートで父ジュリアン、母ジルベルトと暮らす少年アントワーヌ・ドワネルは、両親に反抗的な態度を取るばかりか、学校でも担任から問題児扱いされていました。
その日も教室で立たされ、家での宿題を課されるも、帰宅すればジルベルトに命じられた家事の手伝いをしなければなりません。それが嫌で家のお金を盗み、友だちのルネと遊びに出かけてしまい、それがバレてまた怒られてしまうのでした。
父ジュリアンは妻をなだめるも、2人の仲が冷めていることを察していたアントワーヌですが、ある日学校をサボってルネと町をぶらついていた際、ジルベルトが見知らぬ男とキスする現場を目撃。ジルベルトも浮気の現場を見られてしまったことに気づきます。
その日の夜遅くに帰って来たジルベルトはジュリアンと口論に。反抗する息子に手を焼くあまり、「感化院に入れようか」と言い出すジルベルトをなじるジュリアンでしたが、実は彼はアントワーヌとは血のつながりがありません。そんな両親のやり取りを、自分の部屋で寝袋にくるまりながら聞くアントワーヌ。
翌日朝、昨日学校を欠席した理由を尋ねにクラスメイトが家を訪ねます。学校をサボっていたことを知らなかったジュリアンは呆れるも、浮気現場を見られてバツの悪いジルベルトは叱りません。
ところが登校した際、担任から昨日休んだ理由を訊かれたアントワーヌは、「母親が死んだから」と答えます。もちろんすぐにウソはバレ、怒ったジュリアンに頬を張られたアントワーヌは、“1人で生きていく”と置き手紙を残し、ルネの叔父が経営する印刷工場で一夜を過ごします。
翌朝、牛乳を盗んで飲み、何食わぬ顔で登校したアントワーヌの前にジルベルトが現れます。自分の反抗期の体験を聞かせ、次にあるエッセイ文の課題で良い成績を収めれば小遣いをあげると約束するジルベルト。しかしアントワーヌには、その言葉は本心ではないと分かっていました。
映画『大人は判ってくれない』の感想と評価
『大人は判ってくれない』予告編
「少年期とは人生で最も悲惨な時期」
両親との不和に悩み、学校をサボって映画館に通っていた少年は、青年になって映画批評家となり、ついには映画監督に――
“ヌーベルバーグ(新しい波)の旗手”としてフランス映画界に革新をもたらし、サスペンス、ロマンス、SFディストピア、コメディとさまざまなジャンルの作品を手がけたフランソワ・トリュフォー。その彼の長編デビュー作となるのが、半自伝的要素を含んだ本作『大人は判ってくれない』です。
当初は、オムニバスの1エピソードとして構想していたものを膨らませ、『アントワーヌの家出』、『四つの木曜日』、『悪童ども』、『くたばれ!新学期』などのタイトル案から、「大騒動・悪ふざけ」といった意味合いを持つ『Les Quatre Cents Coups』(直訳は「400回の打撃」)として制作することに。
もし少年期が良い思い出として残っている人がいるとしたら、大人になって何かを忘れてしまった人にちがいないということである。この人生も最もむずかしい年齢の中でも、13歳という年齢が最も厄介で悲惨な時期である。
(『トリュフォーによるトリュフォー』リブロポート・刊)
大人にとって子どもは、いつまでも子どもかもしれないが、子ども側にしてみればそれは差別でしかない。大人の醜い面を知ることで鬱屈していく主人公アントワーヌを、トリュフォーは自身の思い出を投影して描写。
父ジュリアンと血縁関係がないという設定もトリュフォーの父ロランが義父だったことにちなんでいたり、アントワーヌが母ジルベルトの筆跡を真似て学校に欠席届を出したりアパートの壁にカバンを隠して映画館に通うシーンなど、すべてはトリュフォー少年が行ってきたことです。
当初は堕胎するつもりだったアントワーヌを厄介者扱いする母、上辺だけの態度でしか接しない父、そしてアントワーヌを問題児と決めつけて辛く当たる担任教師…アントワーヌの反抗は、そんな軽薄な大人たちへの反発です。
アントワーヌ=トリュフォーは彷徨いつづける
『生誕90周年上映 フランソワ・トリュフォーの冒険』公式ツイッター
【生誕90周年上映 フランソワ・トリュフォーの冒険】
神戸でも上映が始まります🌈
ラインナップは、ドワネル・シリーズ5作品+『突然炎のごとく』です✨9/30(金)~10/13(木)
神戸 シネリーブル神戸https://t.co/5D7tFCBM9q▼公式HPhttps://t.co/YC7PRCHEff pic.twitter.com/xWzgZRSqJw
— 【生誕90周年上映 フランソワ・トリュフォーの冒険】公式 (@Truffaut90) September 2, 2022
自分を判ってくれない大人たちから逃れるように感化院から脱走し、ノルマンディーの海岸まで走りついたアントワーヌは海辺を彷徨い、やがてカメラ目線となり観る者と目が合ったところでストップモーションとなって幕を閉じる本作。
「人生に絶望して死を選んだのではないか」、「アウトローとして生きていく覚悟の表れだ」「これ以上逃げても仕方がないと現実を受け止め、来た道を戻る決意をしたのだ」など、アントワーヌの表情を汲み取った評論家や観客がさまざまな解釈をしましたが、これに関してトリュフォーは、「僕はどうすればよかったというんですか?これから僕はどうすればいいというんです?」という観る者への問いかけと語っています。
そんなトリュフォーの問いかけに、観る者の多くが出したであろう答えは、「アントワーヌの“その後”が観たい」。本作が予想以上に世界中で好評を博したことで(日本では興行的に不振を極めた)、「ヒットに便乗するのを恥じる気持ちが強くて」続編制作に躊躇していたというトリュフォーですが、やはり“その後”のアイデアを捨てきれませんでした。
兵役を終え、職を転々とし、幾人もの女性遍歴を重ね、父親となるアントワーヌの人生を、トリュフォーは『二十歳の恋』(1962)、『夜霧の恋人たち』(1968)、『家庭』(1970)、『逃げ去る恋』(1979)として追っていきます。
アントワーヌ・ドワネルは模範的人間ではない。彼は狡猾だ。彼に魅力があるが、それを濫用する。彼は多く嘘をつき、それ以上に隠し事をする。彼は自分が与える以上の愛を要求する。それは一般的な人間ではなく、特殊な人間なのである。
(『世界の映画作家11 フランソワ・トリュフォー、クロード・ルルーシュ』キネマ旬報社・刊)
思想の違いからジャン=リュック・ゴダールらヌーベルバーグの同志と決別し、数々の女優と浮名を流したトリュフォーもアントワーヌ同様に、大人になっても彷徨い続けたのです。
まとめ
スティーヴン・スピルバーグ監督作『Amblin』(1968)
スティーヴン・スピルバーグ監督作『フェイブルマンズ』(2023)の主人公で、母の浮気を知り、両親の不和に悩み、趣味の映画に没頭していく少年サミーは、スピルバーグのアルターエゴであり、『大人は判ってくれない』のアントワーヌと重なります。
自分と近しい少年期を送ったアントワーヌ=トリュフォーにシンパシーを感じたスピルバーグは、『大人は判ってくれない』のアンサーフィルムとなる短編『Amblin』(1968)を発表し、『未知との遭遇』(1977)では彼を俳優として招くことに。
彼は完璧な俳優だった。私も彼と同じように映画を信じている。
──スティーヴン・スピルバーグ
(【生誕90周年上映 フランソワ・トリュフォーの冒険】公式サイトより)
いつの時代も、子どもが抱く大人への反発心は普遍的なもの。大事なのは「最も悲惨な時期」である少年期を、その後の人生にどう活かしていくか。
『大人は判ってくれない』は、「人生で最も悲惨な時期」を映画への信心に昇華したトリュフォーの、原点にして至高の作品です。