映画『宇宙の彼方より』は2023年6月に封切り後、2024年1月5日(金)より高円寺シアターバッカスで劇場公開!
宇宙から飛来した奇妙な隕石がもたらした“色”によって、人々の心身が蝕まれてゆく恐怖を描き出したSFホラー映画『宇宙の彼方より』。
「クトゥルー神話の生みの親」ことH・P・ラヴクラフトの小説『宇宙の彼方の色(The Color Out of Space)』(1927)を原作とし、製作から10年以上が経った現在も世界の映画祭で評価され続けている作品です。
2023年6月に封切り後、2024年1月5日(金)より高円寺シアターバッカスで劇場公開を迎えた映画『宇宙の彼方より』。
本記事ではネタバレ言及ありで、映画オリジナル展開の「信頼できない語り手」が明かされるラスト、作中のセリフ「道にでも迷ったかね」のそれぞれの意味を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『宇宙の彼方より』の作品情報
【日本公開】
2023年公開(ドイツ映画:2010年制作)
【原作】
H・P・ラヴクラフト『宇宙の彼方の色(原題:The Color Out of Space)』
【制作・監督・脚本・編集】
フアン・ヴ
【キャスト】
マルコ・ライプニッツ、ミヒャエル・コルシュ、エリック・ラスタッター、インゴ・ハイセ、ラルフ・リヒテンベルク
【作品概要】
「クトゥルー神話」の生みの親として知られるH・P・ラヴクラフトが1927年に雑誌「Amazing Stories(アメージング・ストーリーズ)」に発表した小説「宇宙の彼方の色(原題:The Color Out ofSpace)」をファン・ヴ監督が2010年に映画化。
10年以上経った今なお、ラヴクラフトならびにクトゥルー神話愛好家たちをはじめ世界各国で高い評価を受け続けた本作の今回の日本公開は「世界初の劇場公開」でもあり、新日本語字幕の監修を日本のクトゥルー神話研究者の一人として知られる作家・森瀬繚が担当しています。
映画『宇宙の彼方より』のあらすじ
その色はどこへ去ったのか……。
1975年、ジョナサン・デイビスは行方不明になった父親を捜すべく、探偵から情報を得たドイツのシュヴァーベン=フランケン地方に向かう。
彼の父親は軍医として第二次世界大戦に参戦し、この地域に駐屯していた。
父は戦時中のことについて息子ジョナサンに話すことはなかったが、アメリカに戻って来た時はPTSDのような症状を患っていたという。
戦時中のドイツで、父親は一体どのような体験をしたのか。そしてなぜ今頃になって、再びその地へと向かったのか……村にたどり着いたジョナサンは、「戦時中に父と出会った」という男性を出会う。
全ては、宇宙の彼方より飛来した隕石が、村に落ちてきた時から始まった……。
映画『宇宙の彼方より』の感想と評価
映画オリジナル展開の「信頼できない語り手」
映画ラストにて描写される、「『井戸』がある自宅に佇む、若きアーミンの姿」を映した写真。
その一枚の写真によって、「隕石とともに飛来した光の怪物『色』が潜んでいた隕石はアーミン家の農場に落ち、アーミン家の敷地内にあった井戸の水や土壌が『色』に汚染された」というアーミンがそれまで主人公ジョナサンに語ってきた昔話は、その一切が「真実を覆い隠すための物語」であったことが示唆されます。
「井戸は『色』の犠牲者となったガードナー家ではなく、アーミン家の敷地内にあった」「そもそも隕石自体が、ガードナー家ではなくアーミン家の農場に落ちていた」という、アーミンが口にした物語が根底から覆される真実。それはさらに、ガードナー家に起こった悲劇の全容自体も変えていきます。
「ガードナー家はアーミン家にある井戸の水を飲み水として使用していたことから、『色』の汚染被害を受け、ガードナー家の主人ナホムは家族の体調不良が井戸水に原因があるのではと気づいていたが、若きアーミンはそれを無視し続けていた」
「そして、『色』に冒されて苦しんでいる兄に代わって、夜中に井戸水を汲みに行ったガードナー家の三男を、若きアーミンは井戸の異変と『色』を調べに来たのだと勘違いし、口封じのために三男を手にかけた」……。
アーミンがいわゆる「信頼できない語り手」であったことが明かされるという映画オリジナル展開には、H・P・ラヴクラフトによる原作小説の内容を知っている人間であればあるほど驚かされたはずです。
「道に迷った」者たちを惑わした光
「そもそも若きアーミンは、なぜ『色』による異変を無視し続け、その存在を隠蔽するかのようにガードナー家の三男を殺めたのか」……その答えは、村とともに「色」が沈み続けるダム湖のそばからアーミンが何年も離れようとしない理由、そして時が経ったにも関わらず、ジョナサンの父がダム湖のあるドイツへと再訪した理由にあるかもしれません。
映画ラストでは、アーミンの嘘とともに「『色』は宇宙へと還ることなく、井戸の底に潜み続けていた」「それを目にした若きジョナサンの父は、仲間である米兵たちに『色』の存在を報告しなかった」とうかがえる様子も描かれています。
なぜ若きジョナサンの父は、「色」の隠蔽を図り殺人にまで至った若きアーミン同様に、「色」の存在を報告しなかったのか。その答えは映画作中では明確には描かれていませんが、「『色』には水や土壌、生物を蝕み汚染する性質の他に、見た者の精神を狂わせる、魔力じみた“何か”を備えていたのでは」と想像することは決して難しくありません。
ジョナサンの父が数十年経ってから再び「色」の元に向かったのも。アーミンが「色」がもたらす狂気から少しは回復し、その恐ろしさを理解できたにも関わらず、「色」の沈むダム湖のそばから離れられないのも。蛾が誘蛾灯に誘われてしまうのと同じように、光の怪物「色」が放つ光を浴びたことで、その光に惑わされ続けていたからではないかと考えられるのです。
なお、映画作中では「道にでも迷ったかね」というセリフが象徴的に用いられています。
ヘンリー・アーミティッジ記念図書館に訪れたジョナサンに対し、彼のかつての恩師ダンフォースが口にしたセリフであり、夜中に井戸水を汲みに来たガードナー家の三男に対し、若きアーミンが口にしたセリフでもある「道にでも迷ったかね」。
その言葉は、「色」という光に惑わされ、人の道を外れる「殺人」という行為までも犯してしまった若きアーミンと、アメリカという祖国を離れてかつての従軍地ドイツにまで彷徨ってしまったジョナサンの父の姿そのものと呼応するのです。
また映画前半部で描かれる、父を追ってドイツへ訪れたジョナサンがダム作業員に道を尋ねる場面も、映画ラストで再登場する「道にでも迷ったかね」の“伏線”として機能していることも見逃せません。映画『宇宙の彼方より』は原作小説の世界観の再現に苦心しながらも、その細部には多くのオリジナリティあふれる緻密な演出が込められているのです。
まとめ/「人間を惑わす光」の正体は?
「人間を惑わす光」……その言葉を耳にして、ラヴクラフトの原作小説が生まれた着想元の一つとも言われている「ラジウム・ガールズ事件」ひいては「放射性物質」の他に、別の「光」を連想した方もいるのではないでしょうか。
それは、「映画」です。
その「光」を浴びたことで、一生涯をかけて「光」を浴び続ける。あるいは、新たな「光」を生み出し続ける。そして時には、「光」のために自身のみならず他人の不幸や死も厭わない……若きアーミン、そして年老いたジョナサンの父の姿は、年月を経ても人間を惑わし、狂わせ続ける光こと「映画」と、それに一生を蝕まれた人間の関係性も連想させられるのです。
フアン・ヴ監督はなぜ、ラヴクラフトが描いた光の怪物「色」をめぐる物語を「自身初の長編映画」として題材に選んだのか。その理由には、「人間が遭遇してしまった光」としての映画の本質も関わっているのかもしれません。
映画『宇宙の彼方より』は2023年6月に封切り後、2024年1月5日(金)より高円寺シアターバッカスで劇場公開!
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。