映画『逃げきれた夢』は2023年6月9日(金)より新宿武蔵野館、シアター・イメージフォーラム他で全国ロードショー!
誰にも訪れる人生のターニングポイントを迎えた男が、新たな一歩を踏み出すまでのおかしくも切ない日々を綴った映画『逃げきれた夢』。
『枝葉のこと』(2017)などで国内外から高く評価された二ノ宮隆太郎監督の商業デビュー作であり、二ノ宮監督は「2019フィルメックス新人監督賞」でグランプリに輝いた自身のオリジナル脚本を基に本作を手がけました。
このたびの映画『逃げきれた夢』の劇場公開を記念し、本作で12年ぶりに映画単独主演を務めた俳優・光石研さんにインタビュー。
映画『逃げきれた夢』で演じられた主人公・周平の人物像に対する想い、映画デビューから45年を迎えた現在の「俳優」というお仕事に対する想いなど、貴重なお話を伺うことができました。
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“等身大”を演じるための「歩く芝居」
──映画『逃げきれた夢』の脚本を最初に読まれた際には、どのような想いを抱かれたのでしょうか。
光石研(以下、光石):出演オファーをいただいた時点で「二ノ宮監督が僕をモチーフにして改めて脚本を書き直す」とは伺っていたんですが、実際の脚本で描かれた周平の人物像は、職業など設定として異なる点があるとはいえ、僕にとっては非常に等身大と感じられました。
また本作では、僕の生まれ育った町、その町で使われている言葉が常に登場するので、どこかくすぐったさがありましたね。勝手知ったる町ではあるけれど、逆に町の方も、そこで生まれ育った僕のことを深く見透かしている。そこで撮影するのは、どうしても気恥ずかしいものがありました。ですが、そういう機会を二ノ宮監督が映画を通じて作ってくれたのは、やはりありがたかったです。
──本作の撮影の中で、特にご自身の記憶に刻まれているお芝居をお教えいただけますでしょうか。
光石:「自分の芝居を語る」というのも、何か恥ずかしさがありますね(笑)。ただ、しいて挙げるとしたら、今回の『逃げきれた夢』では「歩く芝居の場面」が多かったんです。
俳優って「自然に歩いてください」という芝居が一番難しいんです。どうしても「何か目的を持って歩いている」と思われるように自分を見せてしまったり、その時の感情を無闇に表現し過ぎてしまったりすることが多い。「この歩く芝居は、あの場面への“前振り”なんだな」といった意味を考えた瞬間に、もう「自然に歩く」という芝居はできていないんです。
特に今回の映画で演じた周平は、僕自身だけでなく誰にとっても“等身大”になり得る人間なので、歩く芝居を撮る時には本当に注意していました。
「町に助けられた」と感じた撮影
──二ノ宮監督が光石さんご本人の人生を取材し、その中で得られたエッセンスを盛り込むことで形作られていった主人公・周平の人物像は、光石さんの“あり得たかもしれない人生”そのものなのかもしれません。
光石:流石に周平のように、教頭先生にはなってなかったでしょうね(笑)。
そもそも僕は、16歳でたまたま曽根中生監督の『博多っ子純情』(1978)のオーディションを受けて、映画の撮影現場という楽しくて面白い世界を知ったことで「この世界に入ろう」とすぐ決意したので、「夢見る間もなくこの世界に入った」と自分自身では感じているんです。
ただ、だからこそ「あの時、友だちに誘われて『博多っ子純情』のオーディションを受けていなかったら」「上京せず、あの町で暮らし続けていたら、俺は何者になっていたんだろう」と思い返すことは時々あります。もしかしたら、怪しいルートで中古車を仕入れている車屋さんになっていたかもしれないです(笑)。
そうやって「自分が町で生き続けていたら」と想像することがあった中で、今回の映画では生まれ育った町で撮影していったわけですが、芝居をしていると気恥ずかしさだけでなく「町に助けてもらえている」と感じる時があったんです。「磁場」「土地の力」と言うと仰々しく聞こえますし、それが具体的に何なのかは分からなかったですが、あの町が僕を手助けしてくれたような気はしています。
“あの時味わった楽しさ”を追い続けてきた
──「夢見る間もなく入った」という映画撮影の世界、ひいては俳優の世界において、光石さんはどのような想いを抱きながら俳優というお仕事を続けてきたのでしょうか。
光石:『博多っ子純情』でデビューした時は、当時はまだ16歳だったということもあり、撮影現場という場所と時間がものすごく楽しかったんです。
大人たちの輪の中にポンっと放り投げられて、皆に遊んでもらいながらも必死に芝居をする毎日が、本当に楽しくてしょうがなかった。その楽しさをもう一度味わいたくて、この世界に飛び込んでいきましたから、今でも「当時の感覚を味わいたい」と思いながら仕事を続けています。
けれども、プロとして仕事をする以上、中々そういうわけにもいかない。まだ素人だった頃に知った楽しさを味わうことは、どうしても難しい。ただ、それでも「あの時の楽しさをずっと追い続けながら仕事をしている」という感覚は残り続けているんです。
60歳を過ぎて、あの時の楽しさに対する想いはより強くなったような気がします。20代、30代、40代と厳しい時代もあったものの、今やっと当時の楽しさを取り戻せる時が訪れたんじゃないかと自分自身では思っています。
生きることをナメちゃいけない
──光石さんにとって、「生きる」とは何でしょうか。
光石:明確に「これだ」という答えを今出すことは難しいですが、「ナメて生きちゃダメだ」とは思っていますね。
たとえば東日本大震災が起こった後、あるいはコロナ禍が起こった後、皆が「生きる」ということの大切さを見つめ直したはずなのに、多くの人がその出来事自体を忘れようとしている。
そういう状況に対して、「あの時を忘れてしまうのは、自分が今生きる現実を、自分自身の人生をナメているからじゃないか」「あの時感じたものを自分自身に残し続けながら、生きなきゃいけないんじゃないか」と感じてしまうんです。
“あの時”を自分の中に積み重ねることで、自分は生きているし、生かされている。だからこそ一日一日をしっかり生きないといけないし、生きることをナメちゃいけないと思うんです。
「生きる」というものが何なのかに答えはまだ出せないけれど、生きていくためにはそうしなきゃいけないと考えています。
インタビュー/河合のび
撮影/田中舘裕介
光石研プロフィール
1961年9月26日生まれ、福岡県出身。高校在学中に『博多っ子純情』(1978)のオーディションを受け、主役に抜擢される。以後、冷徹なヤクザから良き父親役まで様々な役柄を演じ、映画やドラマ界では欠かせない存在として活躍。
2016年に映画『お盆の弟』『恋人たち』(ともに2015)で第37回ヨコハマ映画祭助演男優賞を受賞。2019年にはドラマ『デザイナー 渋井直人の休日』(TX)第15回コンフィデンスアワード・ドラマ賞の主演男優賞を獲得し、同年には出身地・北九州市より市民文化賞を贈られた。
近年の主な映画出演作は『青くて痛くて脆い』『喜劇 愛妻物語』(ともに2020)、『バイプレーヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~』『浜の朝日の嘘つきどもと』『由宇子の天秤』『マイ・ダディ』(いずれも2021)、『おそ松さん』『やがて海へと届く』『メタモルフォーゼの縁側』『異動辞令は音楽隊!』(いずれも2022)、『波紋』(2023)など。
映画『逃げきれた夢』の作品情報
【公開】
2023年(日本映画)
【脚本・監督】
二ノ宮隆太郎
【キャスト】
光石研、吉本実憂、工藤遥、杏花、岡本麗、光石禎弘、坂井真紀、松重豊
【作品概要】
誰にも訪れる人生のターニングポイントを迎えた男が、新たな一歩を踏み出すまでのおかしくも切ない日々を綴った作品。映画デビューから45年を迎えた俳優・光石研が、12年ぶりに映画単独主演を務めた。
キャストには主人公・周平役を演じた光石研をはじめ、周平の元教え子・南役の吉本実憂、妻・彰子役の坂井真紀、娘・由真役の工藤遥、旧友・石田役の松重豊など魅力的な俳優が出演する。
監督・脚本は『枝葉のこと』(2017)などで国内外から高く評価され、本作が自身の商業デビュー作となった二ノ宮隆太郎。「2019フィルメックス新人監督賞」でグランプリを受賞した自身のオリジナル脚本を基に、主演である光石本人の人生を深く取材し、そこで得られたエッセンスを新たに物語へと盛り込んでいった。
映画『逃げきれた夢』のあらすじ
北九州で定時制高校の教頭を務める末永周平(光石研)。
ある日、元教え子の平賀南(吉本実憂)が働く定食屋で、周平はお会計を「忘れて」しまう。記憶が薄れていく症状に見舞われ、これまでのように生きられなくなってしまったようだ。
待てよ、「これまで」って、そんなに素晴らしい日々だったか?
妻の彰子(坂井真紀)との仲は冷え切り、一人娘の由真(工藤遥)は父親よりスマホの方が楽しそうだ。旧友の石田啓司(松重豊)との時間も、ちっとも大切にしていない。
新たな「これから」に踏み出すため、「これまで」の人間関係を見つめ直そうとする周平だが──。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。