連載コラム「山田あゆみのあしたも映画日和」第10回
映画『ベルファスト』(2022)でも知られる北アイルランドの分断の街ベルファストでは、現在もプロテスタント地区とカトリック地区を隔てる壁が存在し、時折衝突が起こっています。
そんな地域にあるホーリークロス男子小学校では、ケヴィン・マカリーヴィー校長が子どもたちに「哲学」を教えています。
心身共に危険にさらされて不安定な子どもたちに、生き方や考え方の指針を説く哲学の授業の光景を映し出した本作は、観る者にとって多くの気づきを与えてくれる作品となっていました。
映画『ぼくたちの哲学教室』は、2023年5月27日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開!
それでは、作品の感想と見どころについて解説していきます。
CONTENTS
映画『ぼくたちの哲学教室』の作品情報
【日本公開】
2023年(アイルランド・イギリス・ベルギー・フランス映画)
【監督・脚本】
ナーサ・ニ・キアナン、デクラン・マッグラ
【キャスト】
ケヴィン・マカリーヴィーとホーリークロス男子小学校の子どもたち
【作品概要】
北アイルランド紛争により、プロテスタント・カトリック間の対立が長く続いたベルファスト。本作は、宗教的・政治的対立の記憶と分断が今なお残る街で、“哲学的思考”と“対話”による問題解決を探るケヴィン校長の大いなる挑戦を映し出した作品です。
本作を手がけたのは、アイルランドで最も有名なドキュメンタリー作家のナーサ・ニ・キアナンと、ベルファスト出身のデクラン・マッグラの2人の監督。
およそ2年に及ぶ撮影期間中には新型コロナウィルスによるパンデミックも起こり、インターネット上でのトラブルといった新たな問題が表面化するなど、子どもたちを取り巻く環境の変化も捉えています。
ケヴィン校長と生徒たちの微笑ましくも厳粛な対話はニコラ・フィリベールの『ぼくの好きな先生』(2019)を彷彿とさせ、国内外の映画祭でも多くの賞を受賞しました。
映画『ぼくたちの哲学教室』のあらすじ
北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。ここでは「哲学」が主要科目になっています。
エルヴィス・プレスリーを愛し、威厳と愛嬌を兼ね備えたケヴィン校長は言います。「どんな意見にも価値がある」と。
彼の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら、自らの思考を整理し、言葉にしていきます。
授業に集中できない子や、喧嘩を繰り返す子には、先生たちが常に共感を示し、さりげなく対話を持ちかけます。
自らの内にある不安や怒り、衝動に気づき、コントロールすることが、生徒たちの身を守る何よりの武器となるとケヴィン校長は知っています。
かつて暴力で問題解決を図かってきた後悔と挫折から、新たな憎しみの連鎖を生み出さないために彼が導き出した一つの答えが「哲学」の授業なのです……。
映画『ぼくたちの哲学教室』の感想と評価
この映画の舞台となる北アイルランドのベルファスト。その北部にあり、宗派闘争の傷跡が残るアードイン地区では未だに衝突が起きており、ヨーロッパで最も青少年の自殺率が高いとされています。
そうした悲しき現実も映し出すドキュメンタリー映画『ぼくたちの哲学教室』ですが、先生と生徒の生き生きとした対話から希望を感じさせてくれる一作です。
大人も子どもも関係ない「他者の尊重」を学ぶ
どんなに先生の志が高く、教えたいことがあったとしても、生徒に伝わらなければ意味がありません。ですが本作では、生徒たちがケヴィン・マカリーヴィー校長の言葉をまっすぐに受け止めて、思考する姿を見ることができました。
ケヴィン校長は「やられたらやり返してもいいのか?」「目を瞑って、何も考えないでいられることができるか?」といったテーマを提示した上で、生徒たちに考えを働きかけます。
問題を起こしてしまった生徒とは、1対1でホワイトボードを用いつつ対話をします。「何が起きたのか」「その上で今どうすべきなのか」とボードにペンで書き足しながら、心に寄り添って生徒が抱えている悩みや葛藤を整理していくのです。
そうしたやりとりの中で、生徒たちは臆することなく自分の意見を口にしていました。それは、この学校では「どんな意見も価値がある」というケヴィン校長の理念が浸透しているという証明になっています。
生徒たちの発言はあまりに率直過ぎるものが多く、それゆえにぶつかることもあります。そんな時も頭ごなしに否定せず、決して他者をバカにしてはいけない……「違いは違いとして当然に存在する」ということを、子どもたちは学びとっているようでした。
「黙って人の話を聞く」という一見簡単な行為は、実はすべての大人ができているわけではないはずです。子どもを持つ親はもちろん、大人にとっても気付きの多い作品だと言えるでしょう。
また、ケヴィン校長のお茶目なキャラクターも本作の魅力のひとつ。
エルヴィス・プレスリーの大ファンの彼の携帯電話からは、度々エルヴィスの着うたが流れます。授業中も家庭訪問中もお構いなしに。
そして、そのメロディに合わせて生徒たちがノリノリに踊るなんて微笑ましい一幕も……ケヴィン校長と生徒たちの心の距離が近いことが伝わってきます。
「イヤなことリストをつくろう」
この学校では、ケヴィン校長をはじめ、教員たち全員で子どもの些細な不安や怒りに気付き、見守っています。中でも副校長のジャン・マリー・リールは、生徒に優しさとユーモアをもって接する母親的存在でもあります。
作中における彼女と生徒たちのやりとりの中で、特に印象的な場面がありました。興奮し、動揺を隠しきれない生徒と、ジャン副校長が個室で1対1になって話す場面です。
「人には言わずにずっと我慢してきた……」とつぶやく生徒。彼は「友だちもいないし学校にも行きたくない」と投げやりに言い、悲しみに満ちた表情をしていました。
ジャン副校長は「イヤなことリストをつくろう」と生徒に提案します。そして彼の言葉を遮ることなく、ひとつひとつに相槌を入れながら聴く中で、実は糖尿病の治療をしていること、父親とあまり会えていないことなど、とても私的な悩みを生徒は打ち明けていきます。
またその部屋に、他の教員たちが何度か尋ねてきます。ジャン副校長は「あなたのことが心配で来てくれたのよ」と生徒に言います。すると彼の顔色は次第に明るくなり、最後には自身の妹の話をうれしそうに打ち明け「僕の誇りと喜びだ」と満面の笑みを見せてくれました。
生徒の自尊心を呼び覚ましつつ、前向きになるためのきっかけと安心感を与える。そうしたジャン副校長の生徒との対話は、高度なテクニックを要するカウンセリングにも見えますが、実際にやっているのは、その子の思っていることを引き出して、存在そのものを肯定してあげるという非常にシンプルなものでした。
こんな風に身近で不安を抱える子どもに接してあげられたら、そして悩みを抱える友人に対してもそういう思いやりをもって対話できれば、互いに生きやすい世の中になる……同場面を観た方は、誰もがそう思えるはずです。
まとめ
この映画を観ていて思い浮かんだのは、第4回目のコラムでご紹介した『こどもかいぎ』(2022)という映画でした。
子どもたちによる“対話”の授業が実際に行われている、日本のとある保育園に注目したドキュメンタリー映画『こどもかいぎ』。子どもたちが主役となって会議をするこどもかいぎでは、先生が「死とはなに?水はどこからくるか?」などの議題を出し、自由に園児たちが発言していきます。
その際に重要なのは、最後まで話し合いをしても、先生が答え(一般論の正解)を教えないこと。そして、誰のどんな意見も最後まで聞くことです。
それは、ケヴィン校長の理念「どんな意見にも価値がある」に通じる取り組みと言えます。ベルファストと日本ではこどもたちのいる環境は違いますが、本質的に学ぶべきものは同じなのではないでしょうか。
「対話」を通して得る他者への思いやりや、自分自身に向き合って生きること。
『ぼくたちの哲学教室』が、子どもから大人まで多くの人々に届いてほしいと願っています。
『ぼくたちの哲学教室』は、2023年5月27日(土)より渋谷ユーロスペースほかにて全国順次公開!
山田あゆみのプロフィール
1988年長崎県出身。2011年関西大学政策創造学部卒業。2018年からサンドシアター代表として、東京都中野区を拠点に映画と食をテーマにした映画イベントを計14回開催中。『カランコエの花』『フランシス・ハ』などを上映。
好きな映画ジャンルはヒューマンドラマやラブロマンス映画。映画を観る楽しみや感動をたくさんの人と共有すべく、SNS等で精力的に情報発信中(@AyumiSand)。