サスペンスの神様の鼓動54
連続誘拐殺人事件解決の為、FBIの訓練生であるクラリスが、天才的な精神科医にして、凶悪犯であるレクター博士に接触する、1991年の傑作サスペンス『羊たちの沈黙』。
その10年後の出来事を描いた『ハンニバル』は、レクターを追うことになるクラリスの他、レクターへ恨みを抱く者、賞金目当てでレクターに近付く者など、さまざまな人間の思惑が入り乱れる作品となっています。
アカデミー賞の主要5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞)を独占した、史上3作目の映画となる『羊たちの沈黙』。その続編となる『ハンニバル』では、前作の最後から10年ぶりの再会となる、クラリスとレクターの運命を描き出します。
今回は『ハンニバル』の魅力と、レクターがクラリスに抱く「特別とも異常とも言える想い」に関して、考察していきます。
CONTENTS
映画『ハンニバル』のあらすじ
アメリカを震撼させた「バッファロー・ビル事件」の解決後、脱走したハンニバル・レクターが姿を消して10年たちました。
当時は、FBIの訓練生だったにも関わらず「バッファロー・ビル事件」を解決させたことで、一躍有名になった、FBIの捜査官クラリス・スターリング。
優秀な捜査官となっていたクラリスは、州警察と協力し、麻薬密売人のイベルダ逮捕へ向かっていました。
ですが、イベルダが姿を現した市場に人が多いことと、イベルダが子供を連れていたことで、クラリスはイベルダ逮捕の中止を決めます。
クラリスの決断に、納得のいかない州警察の刑事が暴走し、市場で激しい銃撃戦が始まります。
その結果、クラリスはイベルダを射殺してしまい、5人もの被害者を出した逮捕作戦の失敗に、指揮を任されていたクラリスは問題視されます。
司法省のクレンドラーを始め、多くの人間がクラリスのミスを責め、クラリスはうんざりした様子を見せます。
世間からも激しいバッシングを受けていたいたクラリスに、大富豪のメイソン・ヴァージャーから「レクターに関する新たな情報がある」と呼び出されます。
最初は難色を示していたクラリスでしたが、メイソンは簡単に上院議員も動かせる大物で「怒らせる訳にはいかない」と懇願する上司の願いを聞く形で、クラリスはメイソンに会いに行きます。
メイソンはレクターの4人目の被害者で、レクターに洗脳され、言われるがままに自分の顔を剝いで、犬の餌にしようとした過去があります。
その為、おぞましい姿となっているメイソンは「レクターには感謝している」と言いながらも、強い恨みを抱いています。
メイソンは、レクターに繋がる証拠品を買い集めており、その中の1つである「レクターのレントゲン写真」を、クラリスに渡します。
そして、メイソンの強い要望を受け、FBIが捜査に力を入れている「10大凶悪犯」のリストに、レクターはあらためて入ります。
そしてレクターの捜査を、クラリスが担当することになります。
さらに、メイソンはレクターに繋がる情報を提供した者に「懸賞金300万ドル」を渡すと、ネットに掲載します。
レクターの捜査を開始したクラリスに、差出人不明の手紙が届きます。クラリスは、手紙の内容から「レクターからの手紙」と確信します。
サスペンスを構築する要素①「ハンニバル・レクターという存在」
『羊たちの沈黙』では、協力関係にあったレクターとクラリスのその後の物語を描いた『ハンニバル』。
このシリーズ最大の魅力は、殺人鬼ハンニバル・レクターの存在感。『羊たちの沈黙』で、レクターが移送される際に、ベッドごと拘束され、口に鉄のマスクを付けられている姿は、あまりにも有名です。
『羊たちの沈黙』では独房で拘留されていたレクターが、脱獄し世に放たれた恐怖を描いたのが『ハンニバル』です。
とはいえレクターは、誰でも殺す殺人鬼とは違います。獲物となるのは「無礼な人間」だけです。
本作ではフィレンツェの刑事、パッツィがレクターの餌食になります。
パッツィは、最初は新しい司書だと思い、捜査協力をお願いしていた男が、実はレクターだったことに気付きます。そして、懸賞金目当てでレクターの正体を暴き、捕獲しようと「無礼」を働いたせいで、最後は殺されてしまいます。
本作の序盤から中盤にかけて、普通の社会に溶け込んでいるレクターの恐怖が、パッツィの目線を通して描かれています。司書だと思っていたら、実は凶悪な殺人鬼で、やたら物腰柔らかで紳士的なんですから、普通に考えたら怖いですよね。
レクターは途中から、パッツィが自分を狙っていることに気付いています。
レクターが通りすがりのカップルの会話「食事でもしようか」を聞き「いいアイデアだ」と独り言を言う場面は、その後の展開を示唆しており、10年姿を消していた「殺人鬼ハンニバル・レクター」の存在を、あらためて感じる、かなり印象的な場面となっています。
ハンニバル・レクターは、小説家トマス・ハリスが生み出したキャラクターです。
ですが、その後にさまざまな映像作品が製作されているのは『羊たちの沈黙』『ハンニバル』であり、映像的な「ハンニバル・レクター像」を作り出した、アンソニー・ホプキンスの功績と言えます。
その、映像的なレクターの恐怖を存分に味わえるのが『ハンニバル』という作品の、最大の魅力となっています。
サスペンスを構築する要素②「レクターとクラリスの関係性」
『ハンニバル』には『羊たちの沈黙』で主人公だったクラリスも登場しています。
訓練生時代に「バッファロー・ビル事件」の解決に大きく貢献したしたことで、一躍有名になったクラリスですが、あれから10年の時が経ち、ベテランの捜査官となっています。
逮捕作戦のミスを押し付けられる形で、クラリスはレクターの捜査を担当することになったクラリス。10年ぶりにレクターからの手紙を受け取ったことで、2人の間の因縁とも信頼とも言える、奇妙な関係が蘇ることになります。
『羊たちの沈黙』では「バッファロー・ビル事件」解決の情報を、レクターから聞き出す代わりに、自らの過去や生い立ちをレクターに聞かせたクラリス。このことがキッカケなのか、レクターは他の人間とは違う興味を、クラリスに抱くようになります。
そして『ハンニバル』では、レクターがクラリスに抱く、特別とも異常とも言える感情が、目立ちます。
最終的に、クラリスに無礼を働いたクレンドラーまで、レクターの餌食になります。しかしFBI捜査官であるクラリスが、レクターの行動を受け入れる訳がなく、2人は対立する運命にあったと言えます。
クラリスとレクターの対立と決別、これが後半の展開の軸となります。
サスペンスを構築する要素③「何故、レクターは自分の手首を切り落としたのか?」
本作のクライマックスで、レクターは捜査官から逃げる為に、自分の手首を切り落とします。これは、クラリスに追い詰められたレクターが、逃げる為に選んだ苦肉の策と言えます。
いくら、特別な感情を抱いているクラリスが相手とは言え、何故レクターは、クラリスの手首を切り落とさなかったのでしょうか?
それは2007年公開の映画『ハンニバル・ライジング』で詳しく描かれているのですが、妹のミーシャを守りきれなかったという、レクター自身の過去にあるようです。
おそらくですが、レクターはクラリスに、ミーシャの面影を感じているのではないでしょうか?
ただ『ハンニバル』のラストでは、レクターはクラリスに恋人のような振る舞いも見せます。『ハンニバル』の原作小説だと、レクターはクラリスを洗脳し、恋人とも家族とも言える存在になります。ですが、ジュリアン・ムーアがこれに難色を示し、映画のラストは変更されたようです。
「レクターは逃げたのか?クラリスが逃がしたのか?」……その真相は明確には分からないラストになっていますが、2人の特別な関係が続くことを示唆しており、味わい深いラストになっているのではないでしょうか?
映画『ハンニバル』まとめ
『羊たちの沈黙』は、精神的な駆け引きを前面に出した作風で「《プロファイリング》を世の中に知らしめた作品」と言われています。
『ハンニバル』ではその作風が一変し、精神的にも視覚的にもレクターの恐怖が際立った作品と言えます。
さらに『ハンニバル』の世界を一段と奇妙にしているのが、メイソン・ヴァージャーの存在。レクターの4番目の犠牲者にして、唯一の生存者であるメイソンは、自分の顔を剥ぎ取った過去があり、おぞましい見た目となっています。
演じているのはゲイリー・オールドマンですが、言われても分からないぐらい、原型がありません。
レクターへの復讐に燃えるメイソンが、レクターを襲わせるために育てた「人食い豚」の登場など、異常な世界が展開されます。
ただ、リドリー・スコットの手腕が光り、この気味悪く不気味な世界観を、美しい映像に仕上げており、特にパッツィが初登場した際の、煙草の煙の使い方が、図書館に差し込む光と相まって非常に美しいので注目して下さい。
映像的には美しく、格式が高い作品という印象すら受けますが、その内容は異常で悪趣味な世界観が広がるという辺り『ハンニバル』という映画はレクターそのものという印象すら受けてしまう、凄い作品です。