悲しくも滑稽な“愛する者”との別れに慰めを求める旅
今回ご紹介する映画『トゥー・ダスト 土に還る』は、敬虔なユダヤ教信者の男が妻を癌で亡くし悲しみにくれつつ、その愛する妻の亡骸がどのように、“土に還る”のか……その過程が気になりだします。
男はそのことを知るため、市民大学の生物学教授を訪ねます。しかし、専門知識のない教授は迷惑に感じながらも、男のしつこさに負け一緒に探究する旅に出ます。
本作は第31回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門とサンフランシスコユダヤ人映画祭、ハンプトン国際映画祭にて上映された作品です。
本作は監督を務めたショーン・スナイダーのユダヤ教への関心と、亡き母リンダ・シュナイダーの死が着想のきっかけとなっています。
CONTENTS
映画『トゥー・ダスト 土に還る』の作品情報
【公開】
2018年(アメリカ映画)
【監督・脚本】
ショーン・スナイダー
【原題】
To Dust
【キャスト】
ルーリグ・ゲーザ、マシュー・ブロデリック、サミー・フォイト、レオ・ヘラー、ジャネット・サルノ、ステファニー・カーツバ、ベン・ハマー、ラリー・オーウェンズ、バーン・コーエン、アーロン・ラスキン、ジル・マリー・ローレンス、ジョセフ・シプルト、ザルマン・ラスキン、サラ・ジェス・オーステル、ナタリー・カーター、マルセリン・ヒューゴット
【作品概要】
本作が長編映画の監督デビューとなったショーン・スナイダーは、脚本でインディペンデント・スピリット賞にて、最優秀脚本賞にノミネートされました。
主役のシュムエル役には、第68回カンヌ国際映画祭でグランプリ、第88回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した『サウルの息子』(2016)で主演を務めた、ルーリグ・ゲーザが演じます。
共演に『インフィニティ 無限の愛』(1996)、『GODZILLA ゴジラ』(1998)で主演を務めた、マシュー・ブロデリックが大学教授のアルバートを演じます。
映画『トゥー・ダスト 土に還る』のあらすじとネタバレ
旧約聖書“コヘレトの言葉”によれば、「塵は土に還り、霊は神の元へ還る」という。そして、「信仰とは絶大なる責任」という言葉に沿う男の苦悩が始まる。
ユダヤ教の先唱者シュムメルは、愛する妻を亡くし落胆していました。ユダヤ教の教義に基づき、妻の遺体は奇麗に洗浄され白い布に包まれ、簡素な木の棺に納められました。
シュムメルは肉親を亡くした証として、上着の襟にハサミを入れ、妻を想い悲しみにくれます。その様子を2人の息子が心配そうにみつめ、彼らの祖母が優しくなだめました。
妻の亡骸は即日墓地に埋葬されました。そして、シュムメルはその晩から妻の遺体が朽ち、“塵”に戻る過程の夢を見るようになります。
夢を見ていくうちにシュムメルには、ある疑問が頭に浮かびました。それはユダヤ教の教典にある、体の248の部位がどのように朽ち、塵となって土に還るのかということです。
彼は教会の“ラビ”に夢のことを打ち明け、妻がどのくらいで塵となり土へ還り、魂が神の元に還れるのか尋ねます。
その期間が長引けば長引くほど、妻の魂が苦しむのではないかと、不安でならなかったからです。
ラビはそのようなことよりも、2人の息子や自身のことを気にかけるよう促します。
それでもシュムメルは憑りつかれたように、妻のことが脳裏から離れず、礼拝の時にはまるでトランス状態に陥ったようになります。
彼は酒を盗みそれを飲みながら、森の中をさまよい池のほとりに古いボートをみつけます。彼はそれを池でこぎ出します。
ボートの角でうずくまりしばらく漂い、陸へ戻ると妻の墓に行き地面に耳をあて、地中の様子を知ろうとしたりしました。
家に帰ったシュムメルは母に“一ヶ月”経ったと、息子たちのために早く立ち直るよう諭し、切った上着の襟を繕うと言います。
シュムメルは母の言葉を理解しつつも、遺体のことが気がかりでなりません。彼は葬祭場へ出向き葬儀屋に、棺に入れられ埋葬した遺体が土に還る経緯を質問します。
棺の販売員はシュムメルが購入する気がないと気づき、自分は科学者でないからわからないと言い追い帰します。
映画『トゥー・ダスト 土に還る』の感想と評価
シュムメル役のルーリグ・ゲーザは孤児でした。幼少期を里子としてハンガリーで育ち、12歳からはユダヤ人の家庭で暮らしています。その影響か彼は成人したのちに正統派ユダヤ教徒となりました。
作中のシュムメルや息子たちの衣服や髪型などは、正統派ユダヤ教の正装です。ルーリグ・ゲーザはユダヤ神学校で学位を取得しているので、熟知している彼にこの役は適任といえます。
正統派ユダヤ教にはミツヴァと呼ばれる、613項目の律法があり複雑かつ厳格です。しかし、基本的には人としての道徳心を重んずる行動が大切とされています。
シュムメルが息子たちに「ママ、愛している」と、言わせたシーンで「ユダヤ教らしくない」と言ったのは、ユダヤ教は血縁よりも教徒としての行動が重要視されているからです。
また、窃盗も許されていないのにシュムメルは、結婚式のワインや豚を盗んでしまいます。
古代ではワインを飲むことは偶像崇拝の対象とされたため、禁じられてきました。近代ではラビが監修したブドウ園のブドウで醸造したワインが主に飲まれています。
シュムメルが飲んだワインは教会が承認したもので、勧められた酒を断るシーンは外部の酒という意味がありました。
シュムメルの行動は妻を失った悲しみを表わしていると見れますが、ユダヤ教徒の目線では、死者が悪霊となって愛する者に憑りついたように見えたでしょう。
ルーリグ・ゲーザは演じるにあたって、抵抗感はなかったのでしょうか? 逆に“ディブク”の実態を示す好機と捉えたのでしょうか。
いずれにしてもラストシーンで“ショファー(角笛)”を吹くシーンは、ユダヤ教にとってこれが“悪魔を祓い”、“贖罪”にあたる行為なので演じられたのでしょう。
「ジェラルドの汚れなき世界」
冒頭でコヘレトの言葉「塵は土に還り、魂は神の元に還る」が、シュムメルを翻弄させました。
そして、「信仰とは絶大なる責任だ(God is an overwhelming responsibility)」は、ジェスロ・タルの言葉として登場します。
このジェスロ・タルについて検索すると、イングランド出身のロックバンドが出てきます。これは彼らの代表曲の詞の一節でした。
「ジェラルドの汚れなき世界」(1972年発表)というアルバムのA面とB面を通して、ワンタイトル43分46秒という、コンセプトアルバムの長編詩のフレーズでした。
ジェラルドという少年がその一生を語るというスタイルで、男の生き様のようなものが描かれています。
ユダヤ教の家長としてシュムメルは、死後の魂について証明すべく、妻の死後に執着してしまいます。つまり、神の元に召されるのを見届ける責任があるという解釈なのでしょう。
ところで「ジェスロ・タル」はもう1つ存在します。近代農業の父と呼ばれるイギリス人農学者の名前で、バンド名はこの農学者の名前から取ったと言われています。
農業を機械化し効率の良い収穫を目的とした発明家でもありました。労力のわりに収穫量が見合っていなかった、古い農業を改革しました。
ユダヤ教も改革されているのか
超正統派と呼ばれるユダヤ教の人たちは、今でも独自のコミュニティーで暮しています。本作はニューヨークのブルックリンに実在する、ハシディズム派のコミュニティーが舞台です。
超正統派ユダヤ教の男性は一生をユダヤ教の学びに捧げ、女性は夫を支え家計を稼ぐため労働するのが基本です。
女性は12歳で成人とみなされ、若年で見合い結婚をします。恋愛結婚はほとんどないというので、シュムメルの妻への感情もユダヤ教的ではないのかもしれません。
また、教育も男女共に英語は不浄な言語とみなされ、学ぶ人は少ないと言います。アルバートもユダヤ人でした。確かに授業のシーンで、英語が苦手な教授という印象でした。
また、正統派ユダヤ教の葬儀は、遺体をそのまま埋葬するのが慣わしのようですが、棺に入れる場合は、本作に出てくるような簡素なものです。
キリスト教も土葬が主流ですが、遺体は消毒や殺菌が施され、腐敗を防ぐ処理がされます。これをエンバーミングと呼ばれますが、アメリカでは州によって法律化されています。
ユダヤ教はありのままの状態で土葬するのが慣習ですが、妻の手指がきれいで腐敗が進んでいなかったことから、現在では遺体処理も一般的になっているのだとわかります。
シュムメルが妻の遺体を埋め直したのは、本来の教義に基づく形に戻したことになります。「信仰とは絶大なる責任だ」を貫いたとも言えるでしょう。
まとめ
『トゥー・ダスト 土に還る』は純粋なユダヤ教徒の男と、大学の生物学教授という相交わることもない2人が、死体を通じて共通の目的を目指したヒューマンコメディ作品でした。
シュムメルは律法からはみ出しつつ、最終的に教義に基づく埋葬で愛する妻の魂を救い、アルバートはシュムメルに付き合わされながらも、科学者としての情熱を呼び覚まされます。
ラストシーンで2人がそれぞれの日常に戻っていく姿には、探究なくして真実の証明と、安心感は得られないとわかります。
ショファーの音色で目覚めた2人の息子も、父の姿を見て自分達の祈りが通じ、ディブク(悪霊)を祓えたと自信につながったことでしょう。